テクストの出口 (新装版)

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  • サイズ B6判/ページ数 256p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622071556
  • NDC分類 954
  • Cコード C1098

内容説明

本書は、作家論と“イメージの周辺”を扱った批評的エッセー18篇を収める。母親の死を契機に自らをプルーストの体験に重ね合わせて語る興味深いプルースト論、バタイユ文学への深い理解に満ちた「テクストの出口」、惜しくも遺稿となったスタンダール論をはじめ、大学制度批判としての「作家、知識人、教師」「ゼミナールに」、またミシュレやブレヒトの再読、さらに無名のF・Bやサルドゥイ、ルノー・カミュなど、わが国に余り知られていない作家の選び方も刺戟的である。執筆された時期、対象となった作家や思想の多様性のために本書の18篇は、バルト自身の多様性と思考の流れ、さらには現代という時代の多様性を知るのに恰好のエッセー集となっている。

目次

第1部 レクチュール(削除;ブロワ;今、ミシュレは;ミシュレの現代性;ブレヒトと言述―言述研究のために ほか)
第2部 イメージの周辺(作家、知識人、教師;ゼミナールに;周期的に行われる訴訟;イメージ;省察)

著者等紹介

バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915年フランスのシェルブールに生まれ、幼年時代をスペイン国境に近いパイヨンヌに過す。パリ大学で古代ギリシア文学を学び、学生の古代劇グループを組織。結核のため1941年から5年間、スイスで療養生活を送りつつ、初めて文芸批評を執筆する。戦後はブカレストとアレクサンドリアでフランス語の講師、その間に文学研究の方法としての言語学に着目、帰国後、国立科学研究センター研究員、1954年に最初の成果『零度のエクリチュール』(邦訳、みすず書房、1971)を発表。その後、エコール・プラティック・デ・オート・ゼチュードのマス・コミュニケイション研究センター(略称セクマ)教授を経て、1977年からコレージュ・ド・フランス教授。1980年歿

沢崎浩平[サワサキコウヘイ]
1933年東京に生まれる。1957年東京大学文学部仏文学科卒業。1966年東京都立大学大学院博士課程修了。元東京都立大学人文学部教授。1988年歿
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感想・レビュー

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あなた

7
「日本」とであってからバルトは「さび」について折に触れて語るようになった。鈴木大拙とブランショを併読したりなんかしている。「さび」は確かにバルトにとって親和性が高いのはとてもわかる気がする。だが、バルトが「さび」の射程を「ヒロシマ」にまでひろげ、「語ってしまう」ときバルトの軽やかさの功罪が問われるように思えてならない。バルトに理論など皆無だといったのはブルデューだった。しかしブルデューの幾数倍バルトは読み手に悦楽を感じさせる。でもときにそこに陥穽もある2010/07/16

あなた

5
変な話だが『崖の上のポニョ』とロラン・バルトはちょっと似ているなと思った。テクストの海に身をゆだねながらも、その海を語り続けながらも、テクストの海そのものに最終的になろうとしている。けれども、そのせつな、ひととの間でゆれうごき、いまいち海そのものになれないでいる。プルーストのゆれを本書で語っているが、それはポニョやバルトのゆれにもつながっている。でも文学ってそのゆれ、メタファー(私は今誰か)とメトニミー(私は明日誰か)のあいだのゆれのようなきもするんだよなあ。わたしは毎晩はやくからねむった。2021/11/12

uchiyama

1
「闘争の形で集合する神経症的主体の統一」に抗って、「判断、支配、威嚇の役者、一つの「立場」の代官」になることを拒否し、それでもなお、「人間や個性に対する、肯定的、あるいは、否定的な、激しい感受性」は放棄しないこと(そして、喜劇的になることを恐れないこと)。その都度に選択された母性、とでもいうような魅力を感じるので、何度も読み返したくなります。 二つのミシュレ論がとても感動的です。2020/08/15

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