内容説明
攘夷の嵐が吹き荒れ、政局が緊迫する文久二(一八六二)年、一人のイギリス人通訳候補生が日本の地を踏んだ。西郷隆盛ら雄藩・幕府の要人、果ては天皇、そして市井の人々との出会いを重ね、日本文化に魅了され、ときに命の危険を乗り越えながら、彼は日本史上最大の転換点を目撃する。読み継がれる幕末史の第一級証言の、英国外交史研究を踏まえた新訳。
目次
江戸の通訳候補生を拝命(一八六一年)
横浜の官民社会(一八六二年)
日本の政治的状況
条約、排外精神、外国人の殺害
リチャードソンの殺害、日本語の勉強
江戸の公式訪問
賠償金支払いの要求、日本による閉港提議、賠償金の支払い(一八六三年)
鹿児島の砲撃
下関、準備行動
下関、海軍作戦〔ほか〕
著者等紹介
サトウ,アーネスト・メイスン[サトウ,アーネストメイスン] [Satow,Ernest Mason]
1843‐1929年。在日イギリス公使館通訳官を務め、後に駐日公使
鈴木悠[スズキユウ]
1985年、東京都生まれ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス博士課程修了(Ph.D.)。専攻は日英関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ホークス
42
英国外交官アーネスト・サトウによる幕末維新のリポート。好奇心と冒険心に溢れている(評伝『遠い崖』がもっと詳しいが14巻と長い)。日本語に堪能なサトウは後に公使も務め、日本への理解が深い。サトウは薩英戦争や下関戦争に立ち会ううち討幕派の支持者となった。緊迫した場面が多く、殊に西郷隆盛、後藤象二郎との面談では二人の率直さと意志の強さが印象的。襲撃を受けたり切腹を見届ける際の描写は真に迫っている。一方、画家ワーグマンとの大阪〜江戸道中は楽しい。人のいいワーグマンは行く先々でスケッチをねだられ困っている。2023/08/26
Ryoichi Ito
7
日本のことを書いた二冊の本により日本に強い関心を持つようになったイギリスの若者が通訳候補生として駐日公使館にやってきた(1861)。アーネスト・サトウ(1843-1929)が18歳の時だった。以後,サトウは攘夷の嵐が吹き荒れる日本に1882年まで滞在した。その間,外交官として順調に昇進し,幕末から明治維新に突き進む日本に,あるときは深く関わり,あるときは冷静に観察しながら過ごした。司馬遼太郎曰く:アーネスト・サトーが日本の幕末の状況を変えた,と言ってもいいくらいです。というより,レールにのせたのですね。 2023/08/04
桑畑みの吉
4
2021年4月発行の新訳版。文庫で全650ページの分量となる。本書は幕末~明治に活躍したイギリス人外交官サトウ(1843‐1929年)が晩年に記述した回顧録である。1861年(文久元年)~1869年(明治2年)、まさに日本にとって激動の時代が外国人の視点から語られる。伊藤博文、勝海舟、西郷隆盛、徳川慶喜、明治天皇等々の偉人たちとの出会いや歴史上の事件との遭遇はリアル故の生々しさを感じた。巻末には40ページに及ぶ訳者解説を収録している。当時の外国列強は日本国内で中立を保とうとしていた話が気になった。2022/09/19
Sosseki
1
日本人が苦労したように、外国人も日本語の取得や政治体制、習慣等の理解に苦労し、努力したのが分かる。外国人への襲撃の多さに驚かされる。足繁く、多方面の関係者に会い、情報収取、交渉、工作をしていて、少なくともサトウの記述からは、切腹、首切りの習慣を含め、一概に日本を蔑む態度は見られない。幕府の対応の鈍さに比べ、薩長の対応の速さに、好感を持ったのかもしれない。 解説では、日本が欧米にとって大した関心事ではなかったこと、対戦は決して望んでいなかったこと、各国が協調して日本に対していたことなどが記されている。2021/08/22
ぺしみち
0
読むのに骨がおれた。日本語なら一言でできる説明を(日本人以外の)読者向けに細かく描写しているので、何の事を言っているのが想像力が必要だった。 他国で生活するのは寛容さと図々しさが必要だと改めて思った。2022/04/04