内容説明
映画が始まると、いつも世界が終わった後の世界が現れる…。ドゥルーズによって「偉大な詩」と呼ばれたこの理論ならざる映画論は、その繊細かつ異様な筆致によって、ある「特性のない男」がスクリーンのこちら側で語る、世界と光、経験とイマージュと記憶、時間と身体をめぐる驚くべき証言でもある。
目次
イントロダクション
神々(悪魔の人形;ミイラの幽霊;侏儒の嫉妬;失はれた地平線;人でなしの女―誰もいない ほか)
犯罪的人生(フィルム)(犯罪的人生;暗闇の聖務;イマージュ群の回転;回転;人間の顔)
著者等紹介
シェフェール,ジャン・ルイ[シェフェール,ジャンルイ][Schefer,Jean‐Louis]
1938年パリ生まれ。ナチス・ドイツのヨーロッパ拡張、パリ陥落の前年に生まれ、パリ解放の45年6歳までの幼時のすべてを「奇妙な敗戦」下のフランスで過ごす。69年にロラン・バルトの推薦で雑誌『テル・ケル』に画期的な絵画理論と目される『絵画のセノグラフィー』を発表し、いわゆるポスト構造主義、ポスト記号論といった「新思潮」を纏った新鋭の美術理論家として注目される
丹生谷貴志[ニブヤタカシ]
1954年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科西洋美術史修了。現在、神戸市外国語大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Ecriture
9
ドゥルーズ『シネマ』で絶賛されていた映画論、あるいは「偉大な詩」。シェフェールはこの作品を映画論としては成り立たない個人的なものと捉えているようだが、読んだ者はそれでは済まさないだろう。知りもしないものへの既視感によって新たなる世界の文法そのものとなる映画鑑賞体験は、その後ドゥルーズの「二重の生成変化」や「結晶・結晶核」イメージなどによって理論化されたが、あまりに多くのものをシェフェール(あるいは驚くべきことにカフカ)に拠っている。いつまでも読んでいたい類のとても美しい文章。2012/10/23
gu
4
「〜の存在の類似を保持しようとするかのように、光の、終わりのない彷徨いが煌めいているかのようです」というような晦渋で飲み込みづらい文章に苦しみながら辿り着いた最後の章で突然始まったリリカルな記憶の光景に救われる思いがした。映画批評とも言えず(映画館でスクリーンに投影された光を見るという体験そのものを考察しているから)、映画を用いた哲学書とも(そういうにはあまりにも個人的であるために)言い切れない。小説になりうる何かなのかもしれない。おぼろげな読解の範囲で言えば、映画を見ることで発見される、自分のもので2024/01/22
gu
3
「だいいち、フィルム世界はそうしたセットやらの出来の悪さを含んで平然と存在するものですーー、そんなこととは無関係にその世界は僕を或るリアリティの中に導くのですが、しかしそれはその物語のリアリティとかとも関係はありません。映写が始まるやすぐに僕は、フィルムと僕との間に舞い出す光の粒子から何かが誕生しようとしているというリアリティ、情動ー変条の中に巻き込まれるのですーー常に変条する重力と斥力の予測もつかない変移の中に巻き込まれるのです」2022/02/28
takao
1
ふむ2023/10/17