出版社内容情報
本書は、日常的な「コミュニケーション」というものをユーモアを交えながら哲学的に思考し、その理論的枠組みを示すことをめざす。日常生活に不可欠な「コミュニケーション」を哲学的に考える
わたしたちは日々、多かれ少なかれ、コミュニケーションをしながら生きている。
では、コミュニケーションとは何なのだろうか? 何を含むのだろうか? そこに言語は必要なのだろうか?
本書では、日常的な「コミュニケーション」というものをユーモアを交えながら哲学的に思考し、その理論的枠組みを示すことをめざしている。
ポール・グライスやドナルド・デイヴィドソンの言語哲学を援用し、「コミュニケーション」の新たな地平をひらこうとする、画期的な哲学入門書。
<b>慶應義塾大学三田哲学会叢書</b>
三田哲学会は創立100年を機に、専門的な研究成果を「生きられる知」として伝え、 公共の中に行き渡らせる媒体として本叢書の発刊を企図した。
シリーズ名は、ars incognita アルス インコグニタ。
ラテン語で「未知の技法」を意味する。
単なる知識の獲得ではなく、新たな「生きる技法としての知」を作り出すという精神を表現している。
はじめに
第一章 何がコミュニケーションに含まれるのか
第二章 言語はそれほど必要ないかもしれない
第三章 「意味」といわゆるメタメッセージ
第四章 言語の居場所はどこにあるのだろうか
書誌情報
あとがき
柏端 達也[カシワバタ タツヤ]
柏端 達也
1965年生まれ。慶應義塾大学文学部教授。専門は、行為論、現代形而上学。博士(人間科学)。
著書に『自己欺瞞と自己犠牲』(勁草書房、2007)、『行為と出来事の存在論』(勁草書房、1997)など。
内容説明
私たちは日々、コミュニケーションをしながら生きている。では、コミュニケーションとは何なのだろうか?そこに言語は必要なのだろうか?ポール・グライスやドナルド・デイヴィドソンの言語哲学を援用し、コミュニケーションという複雑な営みをわかりやすく理論化する、ユーモアと刺激あふれる哲学入門。
目次
第1章 何がコミュニケーションに含まれるのか
第2章 言語はそれほど必要ないかもしれない
第3章 「意味」といわゆるメタメッセージ
第4章 言語の居場所はどこにあるのだろうか
著者等紹介
柏端達也[カシワバタタツヤ]
1965年生まれ。慶應義塾大学文学部教授。専門は、行為論、現代形而上学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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