内容説明
明治11年、横浜からアイヌ部落まで貴重な旅の風景は130年後どのような変貌を遂げたのか―。『日本奥地紀行』イザベラ・バードの名著の足跡を完全踏査。
目次
日本との遭遇―横浜‐東京
前途への不安―東京‐今市
日光での平穏な時間―日光
奥地への旅立ち 会津西街道―日光‐大内
会津から越後へ―市川‐津川
十三の峠を越えて―新潟‐小松
羽州路の夏―小松‐神宮寺
激流の旅―秋田‐青森
北の国へ―函館‐森
蝦夷の奥地へ―室蘭‐平取
荒涼たる大地―門別‐山越内
旅の終わり―森‐函館
著者等紹介
釜澤克彦[カマザワカツヒコ]
1939年北海道生まれ。三井物産化学品部門、ニューヨーク・デュッセルドルフ・ロンドン・調査部勤務を経て拓殖大学商学部講師をつとめた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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へへろ~本舗
7
バードのコースを辿り「日本奥地紀行」の内容を加えながらの紀行文。「不思議な国のバード」の二巻ではバードが会津に入ったところであるが、皮膚病だの蚤や貧しさなどが描かれていた。本書でも同様の表現をバードが書いていたというくだりがしょっ中出てきた。130年前のバードの旅のコースに現在の風景の写真が載っていて中々興味深い本だった。バードはイトーの事あまり好きじゃなかったようだ。2016/05/30
カネコ
2
○2015/12/21
bvbo
1
イザベラ・バードが出てくる小説を読んだので、現地を(全部ではないが)実際に歩いたというので手に取った。イトーはこんな顔かあ…。2017/03/08
mustache
1
東京から北海道までのバードの旅行は、奥州街道ルートでも羽州街道ルートでもなく、会津西街道から越後街道を通って新潟へ、そこから険しい峠を幾つも越える十三峠米沢街道から羽州街道をたどった。その背景には、旧賊軍の地を旅することに危惧を抱いた明治政府の示唆があったのではないか、という著者の指摘は正鵠を射ているように思う。2014/03/24
mariko
0
イザベラバードの歩いた道を現在の著者が辿っている。 ところどころにバードの考え方が著されているが、同時期のモース等に比べるとかなり上から目線。2016/05/08