目次
第1章 天照園移民
第2章 満洲鏡泊学園
第3章 多摩川農民訓練所
第4章 大量移民期への対応
第5章 東京からの大陸の花嫁
第6章 転業開拓団
第7章 末期の開拓団
おわりに 東京の満蒙開拓団とは何だったのか
解説 満蒙開拓団の歴史的背景
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
みなみ
4
東京から満州に移民した人々の足取りを追う一冊。最初の章の「ルンペン(プロレタリアート)移民」がパワーワードすぎて衝撃がなかなか抜けなかった。言語感覚が今と違うので(^_^;)満州に渡ったのは、当初は生活困窮者。次に、戦争で失われた平和産業に従事していた人達。しまいには空襲からの疎開。満州に見捨てられた人達は棄民だと思っていたが、送り出しからして棄民政策だった。「みなさんは国に見捨てられた民、棄民なんです」リーガルハイの古御門のセリフを思い出す…満州に着いた翌日、ソ連軍の侵攻にさらされた開拓団までいたとは。2020/07/03
takao
1
ふむ2021/04/05
勝浩1958
1
田舎の退役軍人の思いつきにすぎなかった武装移民計画が、農林次官や帝大教授を介することで政治性を帯びた実現性の高いものへ変容した。初期のころは失業者の移民、その後には「転業(今まで営んできた事業や商売を断念した)移民」、そして戦争末期には疎開による移民であり、この人々が満蒙開拓団となった。このことが「棄民」を大量に生み出し、国家や軍部の無責任さや卑怯さを白日の下に曝したといえるだろう。2013/02/16