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宗教とこころの新時代 (岩波講座 現代 第6巻) 単行本 – 2016/5/28

5.0 5つ星のうち5.0 1個の評価

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キリスト教、イスラム教、仏教、中華思想、インド思想、物語論、精神分析、幸福論、新宗教、オウム……。それぞれの第一人者が結集して、宗教とこころの最前線を探究する!
【執筆者】山内志朗、酒井啓子、中島隆博、田辺明生、末木文美士、河合俊雄、内海健、古市憲寿、芳賀学、島田裕巳。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2016/5/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/5/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 288ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4000113860
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000113861
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 1個の評価

著者について

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河合俊雄
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河合俊雄(かわい としお)

 1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。Ph.D.(チュー

リッヒ大学、1987年)、ユング派分析家資格取得(1990年)。甲南大学助教授、京都

大学大学院教育学研究科臨床教育学専攻助教授(心理臨床学講座)を経て、現在、京

都大学こころの未来研究センター教授。主な著書に、『心理臨床の理論』(岩波書

店)『京都「癒しの道」案内』(朝日新書、共著)、『発達障害への心理療法的アプ

ローチ』(創元社、編著)『村上春樹の「物語」-夢テキストとして読み解く』(新潮社)などがあり、訳書にユング『赤の書』(創元社)がある。

 心理療法の実践から見えてくる現代の意識に関心を持っている。

http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/jp/staff/2008/05/post.html

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上位レビュー、対象国: 日本

2017年7月3日に日本でレビュー済み
東京都議選で、自民党が歴史的惨敗を喫しました。過去最低(38議席)よりも大幅に少ない23議席です。「小泉」百合子、
アホな野田数率いる「都民ファーストの会」が、大勝で、55議席。公明党が、23議席にはびっくりしました、ここも自民党
同様、「歴史的惨敗」を喫すればよかったのですが、都民は目を半分も明けていないのでしょう。致し方ありませんが、
自民党がボロ負けしたのは、近年まれにみる痛快事です。呵呵大笑!! 呵呵大笑!!

これで安倍晋三や菅義偉、二階俊博等の気が狂わなければ良いですが、彼らは知性がありませんので、狂暴化するかもしれま
せんから。

今後、都政・都議会は、また、石原慎太郎や自民党の大量「政治屋」議員時代同様、「政治」を知らない「小池チルドレン」の
跳梁跋扈で都民無視の政治のオンパレードと相成るのでしょうか(過去にも、国政では、「小泉チルドレン」、「小沢チルド
レン」、「安倍チルドレン」等がいました。政治劣化の象徴でしょう。しかし、過去の歴代自民党政府・衆院参院議員が劣化
していなかった保証などありません、佐藤栄作や岸信介、中曽根康弘等々)。

「小泉」百合子は、東京大改革や情報公開を叫んでいますが、「小泉」百合子に都合の良い「情報公開」では何の意味も
ありません。石原慎太郎、自民党時代と何も変わりがありません。「小泉」百合子に都合の悪い事実の情報公開が必要です
が、彼女にそのような才覚はありません。頭の中身は、安倍晋三と変わりありませんから。都民はここでさらに騙される
ことに相成ります(野田数は「江戸時代」の政治家です、人権も憲法も言論の自由も何もありません)。「いずこも同じ
「夏」の夕暮れ」です。

標題文章の説明を引用します。傍点は、<>で代替します(以下全て)。

    「この世界が<ある>という謎に触れ、語りえない存在という神秘を直観的に認めること、そしてその認識のもとに
     自らの生を構築しようとすることこそが宗教性である」(P.99)。

本書(『岩波講座 現代 第6巻 宗教とこころの新時代』)を引用とコメントで紹介します。

●「8 幸福な社会とよい社会 古市憲寿」(P.193 ~ P.216)

この論考の著者・古市憲寿は1985年生まれで、本書の他の論稿の著者(1950年代から60年代前半ばかりで70年代以降生まれは
いない)の中では、一人だけ80年代生まれで、「異常」に若い論者です。ただ、書評者も、けっこう前からその名前だけは
知っていたと思います。『絶望の国の幸福な若者たち』(2011年)、『誰も戦争を教えてくれなかった』(2013年)等という
ような著書で、その名前を知ったと思います(著書は未読)し、『誰も戦争を教えてくれなかった』という本については、
その題名について、「戦争なんて、体験していない世代は、自分で学ぶしかない」と思っていましたから、「何をホザイテ
いるのか」と思っていました。ただ、本論考を読む限りでは、よく勉強していますし、議論も説得的ですから、今後、1~2冊
くらいは、機会があったら読もうかな、とも思っています。

内容の要約はできませんが、多少引用して、書いてあることの関連で、幾つか気づいたことを書きまして、その後のちょっと
した苦言を書きます。

    「すなわち、未来に対するあきらめが生活満足度を上昇させるのであって、現代日本の若者は将来に希望が抱けない
     からこそ、生活満足度が高くなるというのだ。

     この考察を一歩進めると、地位の上昇可能性を断たれた階級社会こそが「幸せな社会」となる可能性もある。その
     意味で階層格差が進む日本(石田・中尾・近藤編 2011)は、これからますます「幸せな社会」になっていくかも
     知れない。」(P.205)

    「機会に恵まれず、希望のない状況で生きている人は、豊かな環境で暮らしている人に比べて、わずかな恵みにも
     喜びを感じてしまう傾向にあるという(セン 2002)。すなわち、階級社会こそが「幸福な社会」であり、政府は
     格差を放置してもいいという考えもあり得る。」(P.206)

    「しかし、ビッグデータが可能にする21世紀型の「不自由=幸福」な社会はどうだろうか。誰もが膨大な情報に
     アクセスする権利を持ちながら、実際はビッグデータから推奨された「おすすめ」の中で生きていくことは、もはや
     技術的に困難ではない。結果、ますます人々の生活圏や思想さえも生まれた環境に依存するようになっていくだろう
     から、それは実質的な階級社会に近似していく。しかも国家の統制ではなく、私企業のサービス拡大と消費者の需要
     によって実現されていく「階級社会」である。政治体制としては「自由」でありながら、実質的には「不自由=
     幸福」な社会は、現実のものになりつつある。」(P.207)

上記の内容もそうですし、それ以外でも、書評者がうすうす気づいていたことを、言語化してもらっているので、ありがたいと
思います。上記の内容でいけば、江戸時代なぞは、超「幸福な社会」であったのかも知れませんね(単純な議論は危険でしょう)、
階級(身分)が固定されていて、身動きが取れない社会だったようですから(実際は、抜け道はけっこうあったようです)。
最近は、明治維新の評判がとみに悪いようですが、書評者から言わせれば、江戸時代の身分社会を崩壊させただけでも、十分に
価値のある「変革」だったと思います。「内発力」の不十分な、外圧による「変革」だったでしょうし、「不幸な社会」への
突入だったのでしょうけれど。

「幸福で豊かな社会」と言われている北欧の「怖い」例が記されていますので、引用します。

    「たとえばデンマークでは1933年に公的扶助法が制定され、知的障害者のケアにかかるコストを全額国家が負担する
     ことになった。しかし同時にデンマークは障害者に対する管理も強化し、1934年には本人や家族の同意なしに障害者
     を施設に入居させたり、不妊手術を行うことが可能になった。デンマーク同様、北欧型福祉国家として有名な
     スウェーデンも1934年に断種法が制定され、1975年まで優生政策が維持されていた。断種法では、精神病患者や
     知的障害者などに対する不妊手術が合法化され、実際に多くの手術が実施された。」(P.199)

ただし、このような例も、今の日本ではなく、当時の日本との比較が重要だと思いますね。「「幸福で豊かな社会」と言われて
いる(た)北欧でも、こんな事が行われていたんだ、びっくり!」というような感想が出て来がちでしょうが、このような事例
でも、その歴史横断的な検討が重要でしょう。その時代の日本の障害者や精神病患者や福利厚生に関する全体としての検討と、
その当時の北欧での全体的事例での突合せが必要だと思います。

最後に、この著者の朝日新聞に対する「いやみ」な部分を引用します。今の時代の「空気」を十二分に吸っていると、自然に
このような文章が出てくるのでしょうが、「いやみ」な部分は、朝日新聞に対する所だけですので、「空気」を感じてしまい
ます。その上、歴代自民党政府に対する評価はけっこう甘いのです、これも「アベノミクス」の経済外的効果でしょうか。

    「経済成長に真正面から疑問を呈したのが、『朝日新聞』である。1968年8月12日の「天声人語」では「へえ、自由
     世界二位の経済力でこんな生活かと、あまり実感がわかぬ」と苦言を呈する。1968年とは国民総生産(GNP)が
     50兆円を突破し、日本が世界第二位の経済大国になった年である。『朝日新聞』はさらに調子に乗り、1970年5月
     17日より「くたばれGNP」という連載を開始する。同連載は1960年代の日本がGNPに明け暮れた時代だったと総括し、
     それが国民の幸福を示す指標にはならなかったことを指摘する。GNPでは公害による財産や所得の損失を勘案され
     ないし、文化的遺産や自然環境の存在も無視される。高度成長の裏側で、日本人は長時間労働に苦しんでいたし、
     毎年約6,000人の労働災害が発生している。さらに、企業の交際費で役員たちの銀座での豪遊も、消費者を誘惑
     しようとする広告戦争も、すべてGNPのせいだという。このように同連載では、GNP至上主義を強引かつ感情的に
     批判した上で、「GNPの成長を唯一の政策目標とする態度は、いますぐ改めなければならない」と結論付ける。
     ・・・・ 」(P.201)

この著者は、この時代を生きていませんから、このような文章が書けるのでしょうが、その時代を生きてきた書評者として
は、上記の朝日新聞の「天声人語」や連載は、しごく妥当なものだと感じられます(この著者に「もっと歴史の勉強をしな
さい」と言いたいですね、「空気」ばっかり吸っていないで)。たとえば、1968年は、書評者は高校1年生でした。お勝手の
所に水道は引かれていましたが、風呂の水くみは、井戸からバケツ2個を使っての人力でした。風呂と井戸の間(狭い通路)
を通って、十何回も往復して水を風呂に満たしました。風呂を沸かすのは、事前に割っておいた薪で沸かしていました。その
後、「オガライト」なんぞという、便利な大きな「豆炭」のような、おが屑を固めた燃料(中心に穴の開いた円筒状の形状)
が発売されて、薪のように、風呂の外窯のそばで番付きをして火燃しをしなくても良くなりまして、「画期的」なものだな、
という感想を持ちました、「オガライト」には。

都会ではいざ知らず、わたしの住んでいた田舎では、東京オリンピックの頃までは、クソだらけの牛車(貴族の乗る「ぎっしゃ」
ではなく、「うしぐるま」と読みます)に牛糞と一緒に乗せられて、畑に行っていましたから、「GNP世界第二位」も実感と
しては、遠いところにあったように記憶しています。

また、当時の書評者の家では『朝日新聞』(その後、学生時代の若干の中断をはさんで、今でも『朝日新聞』を取っています)
を取っていましたが、本多勝一の「戦場の村」の連載はよく覚えていませんが、この「くたばれGNP」の連載は記憶にあります。
中学生まで「元祖テレビっ子」で、毎日、浴びるようにテレビを見ていました(小学生時代は、ほとんど他人の家でテレビを
見ていました、自分の家にテレビが入るのが、1964年の東京オリンピックの年だったと思います。もちろん、モノクロです)
が、高校に入って、兄の勧めもあって、本も多少読むようになっていましたので、新聞も若干でも読むようになっていたのだ
と思います。

    「しかも「くたばれGNP」などの反経済成長論は、間違いだったことが明確になった。日本のGDPは1971年の73兆円
     から、1990年代には7倍の約500兆円に成長した。その間に公害や自動車事故は減ったし、まだまだ不十分とはいえ
     労働時間も短くなった。GDPが7倍になったにもかかわらず、経済成長による直接の「不幸」は緩和されているのだ。
     また1990年代半ばからは低成長やマイナス成長の続く日本だが、その間に社会が劇的によくなったというデータも
     ない。」(P.209)

「しかも「くたばれGNP」などの反経済成長論は、間違いだったことが明確になった」とありますが、本当に間違いだったこと
が「明確」になったのでしょうか。だいたい『朝日新聞』の「くたばれGNP」は「反経済成長論」などではなく、「経済成長」
の負の側面を指摘したのではないでしょうか。上の著者自身の文章(上のP.201の引用)を見てもそうでしょう(この著者の
まとめが正しいとして、ですが)。

●「10 オウム真理教事件 -- 21世紀からの再考 島田裕巳」(P.241 ~ P.264)

オウム真理教に深入りしてしまった(?)学者の21世紀における反省の弁である。例によって、内容の要約は出来ませんが、
1点、吉本隆明が麻原彰晃(本名松本智津夫)を高評価した件に関する文章がありますので、その部分を引用して、若干の
コメントを記します。

    「この解脱の体験については、評論家の吉本隆明が高く評価していた。吉本は、宗教学者の弓山達也との対談で、
     「僕は思想家麻原を評価する根拠が一点あるんです。それは『生死を超える』という本の前半部で、麻原さんが
     修行の過程と段階とをとても実感的に説いていて、はっきり体験的に表現している点です。・・・・ 僕は『生死を
     超える』という本は『チベットの死者の書』や仏教の修行の仕方を説いた本の系譜からいえば、相当重要な地位を
     占めると思っています。あそこまで言ってしまったら、仏教の修行の秘密や秘密めかしたところがなくなってしまい
     ます」(吉本・弓山 1995)と述べていた。

     ただ、吉本が評価している箇所を読んでも、『生死を超える』における解脱体験についての叙述は、実際に修行者が
     経てきた過程をつづったものではなく、概念的な説明に終わっているように感じられる。その点で私は、その価値に
     疑問を感じてきたのだが、もしこの部分を妻の知子が書いたのだとすれば、納得がいく。知子は、実際に体験した
     人間ではないので、概念的に説明するしかなかったのである。

     しかし、そうなると、麻原のグルとしての聖性の根拠となる体験が、現実には存在しなかった可能性が出てくる。
     それは、オウム真理教を評価する上で、極めて重要な意味を持ってくる。ただ、三女は、知子の執筆の状況について
     具体的なことを述べていないので、この点については決定的な判断を下すことは難しい。」(P.251 ~ P.252)

吉本隆明も若干、勇み足的なことをやってしまったのかなということでしょうか。書評者は、『チベットの死者の書』も
『生死を超える』も読んでいませんし、宗教的な「覚醒」や「悟り」についても全く無智です(井筒俊彦等の著書を通じて、
スーフィズム(イスラム教神秘主義)、カッバーラー(ユダヤ教神秘主義)、グノーシス(キリスト教神秘主義)等について
は若干「勉強」したぐらいです)ので、何とも言えませんが、吉本隆明の「知性」や「意識」もこんな程度なのかなという感じ
ですね。ただ、今後50年や100年経ったのちに、麻原彰晃著『生死を超える』が燦然と甦るというこが「全くない」とは言え
ないかもしれませんが、分かりません。

●「5 仏教のアクチュアリティ -- 伝統思想をどう捉え直すか 末木文美士」(P.119 ~ P.142)

末木文美士については、前々から、その著書を読もうと思っていたのですが、なかなか読めずにいました。例えば、新潮文庫の
『日本仏教史―思想史としてのアプローチ』や『草木成仏の思想』(サンガ)等。

しかし、本論考を読んで、若干失望です。文章が短すぎて、紋切り型になるのは致し方ないのでしょうが、その内容にちょっと
疑義があります。

    「もし安倍の言う「美しい国、日本」の「長い歴史と伝統、独自の文化」が胡散臭いとすれば、「長い歴史と伝統、
     独自の文化」を拒否することによってではなく、本当に誇りうる「長い歴史と伝統、独自の文化」が何であるかを
     問い直すことによって達せられるのではないだろうか。過去を問わずに、過去を切り捨てることによって未来が達成
     されるはずがない。」(P.120)

なんて言っていますが、安倍晋三の言っていることを「素直」に受け取ること自体に、既に、この末木文美士という学者の
「浅はかさ」が滲み出ているような感じがします。その上、伝統を「小伝統」、「中伝統」、「大伝統」の三つに分けて、
小伝統=戦後70年、中伝統=明治維新以降、大伝統を明治維新以前、と分けて、小伝統を簡単に切って捨てて、中伝統を多少
長く解説し、けっきょく大伝統の中に日本の本当の伝統がある、みたいな調子です。

    「こうして今日、小伝統だけでも成り立たず、かと言って中伝統を拠り所にするのも無理である。そうとすれば、もう
     一度大伝統にまで戻って、そこにどのような可能性があるか、検討し直すところから出発しなければならない。」
     (P.129)

仏教学者の牽強付会でしょうか。大伝統に関する解説はそれなりに面白いですので、自分で読んでください。

●「宗教性からみたインド -- 存在の平等性にもとづく多様性の肯定 田辺明生」(P.91 ~ P.117)

インドのカースト制社会は、英国の植民地になる前と後では大きく違うようです。

    「植民地化される前の近世インドでは、カースト的社会関係つまりカースト間の分業と分配の関係そして序列と権力の
     関係が成り立っていた場は、職分権体制というかたちでまとめられた地域社会(村落と王国のあいだの単位)であった
     (田辺 2010、第二章)。別言すれば、カースト的社会関係とは職分権体制によって定義された諸社会集団の関係に
     他ならなかった。ここで言う職分権とは、国家および地域の再生産に必要な職分を果たす地域社会の諸世帯-司祭、
     戦士、会計、書記、農民、牧畜民、壺屋、鍛冶屋、床屋、掃除人など-が、その職分に応じて地域の生産物から取り分
     等を受け取る世襲的な権利のことをさす。職分権体制とは、地域社会における分業体制と資源配分のありかたを諸世帯
     への職分権の割り当てを通じて既定する社会制度のことである。・・・・  」(P.96)

    「しかしこのような近世的なカースト的社会関係は植民地支配下に大きく変化した。土地私有制の導入によって、職分権
     体制は解体した一方、土地所有層たる支配カーストを中心として、奉仕カーストを従属的な立場に位置づけるジャジ
     マーニー関係(パトロン・クライアント関係)が地域社会に新たに構築された。またバラモンたちは、その宗教的権威
     を社会秩序の維持に利用するために、植民地政府によって優遇された。・・・・ 」(P.97)

地域共同体の私有制導入による解体ということなのでしょうか。英国植民地政府による地域共同体の解体再編により、一層差別的
な関係が強められていったようです。

本論稿の、インド特有の宗教意識、<存在の平等性>と<多様性>に関する議論は、中身が濃く面白い議論です。簡単に解説は
出来ません。ただ、それが現在のインドの経済の高度成長とどのように結びついているのかについては、書評者には、必ずしも
判然としませんでした。

また、インドの現在の開発体制を<開発民主主義>と言って、「権威主義的な開発体制」(明治期日本、ASEAN等を含む東アジア
諸国)や「欧米的な中間層主導の工業化そしてリテラシー文化の構築による国民形成を遂げてからの普通選挙制を伴う民主主義」
とも違う、と提案しています。

    「開発民主主義は、「人々の公共参加を根幹として、民主政のもとに開発をめざすと同時に、開発を通じて民主主義の
     進化をめざす体制」と定義することができるだろう。」(P.108)

インドは「世界最大の民主主義国家」と自称していますが、書評者には、勉強不足のせいかも知れませんが、本当に民主主義国家
なのかどうかということに、今一確信が持てません。インドでは、未だに「未亡人」は「未亡人」であるというだけで、殺されて
しまう州があるというような事を、以前、NHKBSの海外ドキュメンタリーで放送していたように思いました。「未亡人」という言葉
自体、とんでもない言葉ですが。「未亡人」=「夫が死んだのに未だに死なずに生きている夫人」ですから。日本が本当に民主
主義国家かというのも怪しいものですが。権利の上で眠っているうちに、権利自体が雲散霧消ということにもなりかねませんから。

●「3 中華の復興 -- 中国的な普遍をめぐるディスコース 中島隆博」(P.67 ~ P.90)

政府批判をできない中国では、何を言っても、「絵に描いた餅」ではないでしょうか。それに、儒教の言葉は、政治の専門家と
しての「士大夫」むけの言葉でしょうから、それをいくらこねくり回しても、「女、子供、年寄り」の世界には、つまり一般庶民
の世界には、降りてこないのではないでしょうか(書評者の儒教の勉強はなかなか進みませんが)。

その他の論考の題名と筆者を下記します。

●「総説 宗教の現代性 大澤真幸」(P.1 ~ P.16)

●「1 「世界標準」としてのキリスト教 山内志朗」(P.19 ~ P.42)

●「2 イスラーム主義・宗派主義と暴力化 酒井啓子」(P.43 ~ P.66)

●「6 現代社会における物語 河合俊雄」(P.145 ~ P.167)

●「7 精神の病が映す「こころのゆくえ」 -- 統合失調症と自閉症 内海健」(P.169 ~ P.192)

●「9 成熟社会のおける宗教のゆくえ -- 宗教復興か世俗化か 芳賀学」(P.217 ~ P.239)
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