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発売元 あまいろ書房
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: 1991年38刷。状態は経年並みです。カバーにスレ・小汚れ、裁断面にヤケ・小汚れ、経年並みの中ヤケ、ゆるい若干の皺が下方にあるページがあります。本文は線引き等ありません。
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精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4) 文庫 – 1950/8/20

4.4 5つ星のうち4.4 15個の評価

ダブルポイント 詳細

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1950/8/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1950/8/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 165ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003361342
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003361344
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 15個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年3月26日に日本でレビュー済み
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デカルトの、この本は、理解できた
しかし、理系が出来ないので、なんでもまんべんなく勉強しろというリベラルアーツのススメが、実行できなかった。
考え方を考えるというのは斬新
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この「精神指導の規則」は、もう70年近くも読まれて来た野田又夫氏訳による書で、デカルトの著書では、「方法序説」とともに、我が国では最も広く読まれて来た本だろうと思います。現在も岩波文庫の目録には載っていますが、書店では見かけたことがないので、多分品切れになっているのかと思います。このたび、この書をamazonを通じて購入出来て大変嬉しく思っています。この書は日本語訳では、河出書房の「世界の大思想」7-山本信訳と白水社のデカルト著作集4 -大出晁訳との三つがあります。ただ、文庫で読めるのはこの野田又夫氏の訳だけで、訳者注解だけでなく、立派な解説が文庫版で13ページあり、とくに「精神指導の規則」については、詳しく書かれた解説は他にないので貴重です。文庫版で購入しやすいこともあり、この岩波文庫があれば十分かと思います。訳も昔から名訳と言われていたものです。私も昔購入して興味深く読みましたが、現在読んでも通用する具体的な内容も多く、当時31〜32歳頃のデカルトが真理に到達するために、いかに正しい方法を身につけ、使命感を持って努力していたかという情熱に圧倒される思いでした。この機会にその内容をもう少し詳しく調べてみたいと思っている所です。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年6月20日に日本でレビュー済み
AMAZON書評
デカルト「精神指導の規則」岩波文庫, 野田又夫訳, 1950. 原著1701.について
新訳が出ているが「 」でくくった訳とページは、野田の岩波文庫1950年版旧訳による。旧かなと旧漢字は直している。

会社に入って一年ほど経っていた1969年ころのことである。システム設計の方法論に悩んでいた時、本書の旧訳に出会い、設計方法論としてむさぼり読んだ時期があった。会社に行ってからも、トイレに入って読み返していた。我を忘れてむさぼり読むという経験をした本が小説は別にして何冊かある。本書はその一冊である。

デカルトの良い読者ではない。「哲学原理」はどこが良いのかさっぱり分からなかった。「方法序説」は、本書の内容につながるものだが、本書の密度の濃さは「方法序説」に大きく勝るし、量的にも、未完で決して大冊とは言えない本書でも、本文部分は、「方法序説」の二倍近くある。

書かれた用語を現代の用語に置き換えて読むなら、内容がすばらしいことに気付く。
しかし、それよりも、ここに、近代を切り開いた彼の姿勢を読むべきである。デカルトは、近代合理主義の元祖として非難されることが多かったが、それは読み方に問題がある。というより、近代合理主義そのものに、中世から近代に進む姿勢と、その限界という二面がある。限界だけを読んで、限界があると叫ぶのは愚かである。

(デカルトを、近代合理主義の元祖として非難する態度はもう克服されていると思ったが、間違っていた。少ない定期購読の、電子情報通信学会、情報・システムソサイエティ誌第18巻第4号(通巻73号)2014年2月号にソニーコンピュータ研究所の所眞理雄氏の「巻頭言」が載っていて、デカルトの還元主義が批判されている。所眞理雄氏は、デカルトは、問題が部分問題に分割可能という前提であるが、部分はお互いに相互作用がある、として、これを克服したオープンシステムサイエンスを提唱されている。高原の立場は、その時点での相互作用がない網羅が必要かつ可能でありそれを求める、そして網羅が不可能になればその網羅を見直し続けるという立場を取る。20140205)

本書は、特に、「姿勢」が明確に示されていて珠玉のものである。彼の姿勢は、現代に大きく欠けているものを補う。

本書は、三巻36規則からなる筈だった未完成のノートで二巻の途中までが残っている。第一巻規則1-12が基本である。
以下は、四十数年を経て読み直した、この第一巻についてのコメントと抜き書きである。「 」でくくった訳とページは、野田の岩波文庫1950年版旧訳による。旧かなと旧漢字は直している。20130620, 21

規則1 p.9-11「研究の目的は、現れ出る全ての事物について確固たる真実の判断を下すように精神を導くこと」

規則2 p.12-16

規則3 p.17-21 「示されたる対象について、明晰且つ明白に直感しまたは確実に演繹しうることを、求むべき」
p.21 信仰

規則4 p,28 数学は「秩序と計量的関係」の学とある。秩序と計量的関係は、構造と量的関係ということで、ブルバキにつながる優れた考え方である。エンゲルスの数学のとらえかたより優れている。
p.24 数論とは今の代数である。20130608

規則5 p.31-32 「方法全体は事物の秩序と配置」「複雑で不明瞭な命題を、段階を追うて一層単純なるものに還元し、然る後、すべての中最も単純なるものの直感から始めて、同じ段階を経つつ、他のすべてのものの認識へ、登り行く」

p.31。「方法全体は」「事物の秩序と配置」。秩序と配置は、構造とその生成だと理解する。20130608事物が、客観的なものだけでなく、推論のステップまで含む大きなとらえかたらしいことが分かる。20130610

規則6 p.33-40 「最も単純なる事物を複雑なる事物から区別し且つ秩序正しく探求するためには、若干の真理を他の真理から直接的に演繹して成り立ったところの、事物の系列の一つ一つについて、何が最も単純であるかどんな風に他のすべてのものがこの単純者から、或いはより多く、或いはより少なく、或いは等しく、隔たっているかを、観察すべきである」

p.33-34 「第一に注意すべきは、」「すべての事物は何らかの系列に配置せられることが出来、」「それは」「事物の一が他から認識せられ得る限りに於いて、なのである」
「そこで」「何を先にし、またどういう秩序で考察するのがよいかということを、看守し得る」
p.34 絶対的と相対的
「絶対的とは純粋な単純な本質を含むもの」方法は「すべての事実において、最高度に絶対的なるものを、注意深く看守するところにこそ、全方法の秘密が存する」
p.35,6 「第二」「純粋な単純な本質の数は」「極少ない。」「他のすべてのものは」「演繹される。」
p.36,7 「第三」「困難な事物の探求から始むべきでなく」「おのづから現れる真理をまづ手当たり次第に集め」それから「他のものが演繹されるかどうか」さらに他のものが、、これから「問題が、如何なる構造を内に蔵しているか、また如何なる秩序に従ってこれらの問題は探求されるべきであるか」20130609

規則7 p.41-46 「知識を完成するためには、我々の目的に関係ある事柄をすべて一つ一つ、連続的な、どこにも中断されていない、思惟の運動によって、通覧し、且つそれらを充分な秩序正しい枚挙によって総括すべきである」

1. p.41-42「直感すると同時に他に移り行く一種の連続的な想像の運動によって、幾度もそれらを通覧するであろう。そしてついには始めから終わりまで極めて速やかに移り行くことができるようになり、以って記憶の役割を殆ど残さずして事物全体を同時に直感すると見えるに至るであろう」
2. p.42「問題に関係する全ての事柄」「途」を「通覧」する。20130607 p.43 残らず通覧するとは網羅すること。20130610 enumeratioの野田訳「枚挙」も網羅である。
規則7:演繹(手順の網羅)と網羅は同時に必要とする。網羅の対象は、運動、方法ともの。p.42
秩序だった網羅の内容20130605,06,22
p.45 型、種類の根拠2010611

関係する全てのもの:
1. オブジェクト世界、オブジェクト、その構造、属性、を見直し、網羅。
2. 今のオブジェクト世界より粒度が大きいまたは小さいオブジェクト世界、今と関係するオブジェクト(今、関係しているオブジェクト、今をもたらしたオブジェクト)、追加の新しいオブジェクト、それらとの関係、の見直し、網羅。
3. 目的、個別のオブジェクト世界を相対化し、価値、理想とオブジェクト世界との対比を続け、変更オブジェクトを特定する。変更オブジェクトの属性、取り得る値の候補の網羅。

規則8 p.47-55
p.54「真理の認識への、人間に許されたすべての途を、できる限り正確に探求し、」「この方法全体を完全に習得したすべての人をして、彼が如何に凡庸な精神であっても、他人が達しえて彼自身の達しえぬものは一つもないこと、彼があることを知らぬとしてもそれは精神または方法の欠陥によるものではではないこと」
この前後の文章は、凡庸な人間には感動的である。同時にこれは、彼の方法が凡庸なコンピュータに載せられる可能性を示している。「この方法全体を完全に習得したすべての人をして、彼が如何に凡庸な精神であっても、他人が達しえて彼自身の達しえぬものは一つもない」従って、今の課題について、彼は達しうる全てに達する努力を続けなければならない。20140304

規則11 p.64-67 「単純な命題を直感した後、それらから何か他のものを推論する場合には、連続的な、」「思意の運動によって、それらを通覧し、それら相互の関係を反省し、」「出来るかぎり多くを同時に、判明に把握すること、が有益である」

p.64 規則3「では直感を演繹に対せしめて置きながら」規則7「ではただ枚挙――これは多くの区別された事物を出発点とする推論」「――にのみ対せしめ、しかも同じ箇所で、一つのものの、他のものからの単純な演繹が、直感によって為されるといった」とある。
しかし、規則7との違いが分からない。これは規則7の解説ではないか?または、二つの場合があるということか?
演繹と、構造的網羅という厳密な帰納があるとされる。帰納の論理内容は明らかにされてない。両者が融合?20130610
厳密な帰納の機能。網羅された要素間関係は、作用の網羅そのものである。20130610
(高原利生 20130621,22,0723,20140205,0304)
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年10月20日に日本でレビュー済み
デカルトは、数論と幾何学を模範として、直観、演繹、そして枚挙である帰納により真理を探究しようとしました。それは科学の基礎となっています。
「延長と図形」「次元、単位、図形」において、デカルトはトポロジー、代数、多様体の考えの礎を築いていると思います。
「延長には実在が伴う」「直観で判明でなければ2つの比較をする」ということは、アインシュタインが影響されたというマッハ原理ではないでしょうか。
デカルトには、時空はただの容れものではなく物体の「延長」「次元(実在の様相)」という認識がありました。一般相対性理論の息吹はデカルトにあったのかもしれません。
2つ以上のことを処理するときに必要となる「記憶」についてのデカルトの考えは、現代風に言えばワーキングメモリーということでしょう。
未完の規則第24では仮定法や作業仮説を説明するはずだったのでしょうか。
問題となるのは、やはり、「直観」ということです。デカルトは全てを疑い「われ思うゆえに我あり」という光明を得て、単純的な本質は悟性により判明であり説明する必要はないといいます。しかし、現代物理学では、単純だと思われていた事でも研究すればするほど深い相克が生じます。
デカルトは点、曲線、曲面、時空があたかも実在から離れて扱われることや、三段論法では真理から離れてしまうと言います。しかし、既知の事柄から説明されることは判明となるとも言っています。
現代数学では複素多様体や非可換代数、不完全性定理等のように、一見、実在からかけ離れているようにみえることを研究し、論理を駆使して自己言及命題が研究されています。現代物理学は現代数学と表裏一体です。
デカルトが現代に在られたら、現代数学、現代物理学をどのように洞察して新しい「次元(実在の様相)」を抽出するのでしょうか。
デカルトは単純的な本質から複雑的な研究をしていこうとしたようですが、創発という現象が生じる複雑系科学をどう捉えたでしょうか。
デカルトは現代に通じる精神機能の考えを用いて真理の探究をしようとしましたが、精神機能について脳科学的に研究できるようになった現代では精神についてどのような「次元」で考えるでしょうか。
(平成26年10月24日更新)
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年12月25日に日本でレビュー済み
物事を明確にできる最小単位に分解し、その上でそれを分析しろという、
今日にも通じる、普遍的な思考法を紹介した、哲学の古典。
その一方で、分割してしまったら、全体は理解できなくなる、という科学的思考の限界も、
このデカルトの書は、皮肉にも、よく表している。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年3月16日に日本でレビュー済み
 本書は「あの」ルネ・デカルト(1596-1650)の手になる書物である。わざわざ「あの」と冠したのは、ほかでもない、現代科学論についての主張には、必ず名をあげられている点を喚起したかったとともに、その場合大抵「哲学者=デカルト」の図式で眺められていることを強調したかったのだ。本書は、哲学者デカルトをも含む「人間=デカルト」が「思考」するときの方法を詳しく述べている。この点が本書の核であり、重要性とユニークさを示すものでもある。

 デカルトは、哲学者としてももちろん重要だが、偉大な代数学の一歩を刻んだ数学者でもあることを決して忘れてはならない。それが思考の基盤となっているからだ。本書は「思考」の際、数学的に考えていたことを如実に教えてくれている。これほど見事に数学問題(本書では数列と加減乗除)の解を得るための思考過程を、書き留めているものは、数学教科書を含めても、なかなか見あたらないほどであろう。

 本書の美点は、ひいては科学的思考プロセスの基盤ともなる数学の、解法を得るための「思考過程」を、簡潔に、わかりやすい言葉で示していることだ。「反デカルト」の下に隠れる「反論理=極度の親情緒主義」に落ち込まぬためにも、デカルト思想の全般に接近する入門としても、一読の価値がある。また、高校の高学年位であれば、数学の解法を得るための教科書になるかもしれない。

 ちなみに本書の異本(H)は、微分学の創始者であり哲学者でもある、ライプニッツの遺品中から発見されたという繋がりも、エピソードとして面白い。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年7月14日に日本でレビュー済み
非常によい本である。研究を行うのに必要な態度を示している。あらゆる科学および社会現象を知ろうとしたとき、この規則は大いに役立つであろう。特に、先人の研究に振舞わされるのは良くないと言っているあたり、実にイタイ点でもある。
本来なら大学の1年生の一般教養で必須にしてもいいくらいである。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年1月6日に日本でレビュー済み
野田又夫さんの翻訳は格調高いものですが、現代の日本語としては廻り諄い文章でなかなか解りづらいと思います。

本書も、私にとっては出だしから意味が捉えづらいものでした。日本語力の乏しい私にも読解しやすい訳本があればと思います。

すべてのレビューで本書は良書と認めていらっしゃるので、是非どなたか新しい翻訳で出していただきたいものです。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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