現実の政治は多義的な要素を孕んだ複雑な営みである。だが本書でシュミットがやろうとしたのは、政治という概念をどこまでも純化していくとき、その極限に何が残るかを明らかにすることだ。経済が利/損、道徳が善/悪、科学が真/偽、芸術が美/醜の区別に準拠した言説体系であるならば、政治に固有の区別とは何か。それが友/敵に他ならない。この区別だけは他の言説体系に還元できない政治に固有の区別である。このことは必ずしも国家と国家の対外的な政治に限らない。国内においても政治秩序を維持する究極の担保は刑罰という物理的暴力であることを見ればよい。
本書が友/敵の区別を先鋭化し、いたずらに対立を煽るものだという理解は適切ではない。政治の究極の本質が友/敵の区別であるとしても、それが政治の全てでは勿論ない。現実の政治の99%はその本質を顕在化させないための努力である。そこでは経済であれ道徳であれ、あらゆる言説が動員されもする。だが固有の意味における政治、即ち生死を賭けた闘争という1%の可能性を見ない政治は欺瞞であり、最終的な決定に伴う責任の回避である。その意味でシュミットは政治家の責任倫理を説いたウェーバーの弟子である。もちろん99:1というのは一つの比喩であり、その比重は状況に依存する。本書が書かれた危機の時代に後者のウェイトが高まるのは当然だ。
いずれにせよ和解不能な対立が潜在的には残る。そしてその限りにおいて政治の固有の意義が生まれる。ムフやベッケンフェルデのように、友/敵理論が浮き彫りにした価値の共約不能性に着目し、多元主義や自由主義との接続を図る試みも注目には値しよう。ただしそれが究極において敵の殲滅という政治の峻厳さへの覚悟を欠くならば、所詮「闘争ごっこ」に過ぎない。それはシュミットの意図を骨抜きにするものだ。1%の可能性を正視するからこそ99%の努力が真剣勝負になる。
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政治的なものの概念 (岩波文庫 白30-2) 文庫 – 2022/8/10
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政治的なものの本質を「味方と敵の区別」に見出したカール・シュミット(1888-1985)の代表作。一九三二年版と三三年版を全訳し、各版での修正箇所を示すことで、初出論文である二七年版からの変化をたどれるように編集。さらに六三年版の序文や補遺等も収録した。行き届いた訳文と解説によって、「第三帝国の桂冠法学者」の知的軌跡が浮かび上がる。
- 本の長さ298ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2022/8/10
- 寸法1.2 x 10.5 x 14.8 cm
- ISBN-104003403029
- ISBN-13978-4003403020
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2022/8/10)
- 発売日 : 2022/8/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 298ページ
- ISBN-10 : 4003403029
- ISBN-13 : 978-4003403020
- 寸法 : 1.2 x 10.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 78,104位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史的に重要な本が安価で入手できるのはありがたい
2022年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国際法学において避けて通れないシュミット。
私のような「友・敵理論」を知りたいだけの一般人は、1932年版は読み飛ばしても問題ないかと思われる。そのためにも、まずは訳者解説から読み始めてもよいかもしれない。
そして、この訳者解説に書かれている本書の役割は「1932年版と1933年版のテクスト、そして1963年版の序文・補遺ニ・注記(抜粋)を邦訳するとともに、各々の加筆訂正部分を一目で見えるように可視化する日本で最初の試みである」に偽りなく、学術的に大きな貢献をしている。
また、訳者解説には、シュミットについて詳しく書かれており、かなり読み応えがある。
(衝撃的な過去が書かれていて、たいへん勉強になった)
以下は、実生活レベルに拡大解釈した感想であるため、本書の内容とは異なる。
「味方」「敵」を適切に理解できていない割に、その言葉とイメージだけが一人歩きして、個人的な空間においても、必要以上に「味方」「敵」で二分して思考する愚か者がいる。あるいは、公敵を私敵と誤認したり、私敵を公敵であるかのように喚いたりする。
年齢とともに発達する二分論というよりは、幼児期から、つまり初めて「社会」と接点を持つ幼稚園・保育園・子ども園から、その二分論に取り憑かれているのではないかと思う。
つまり、「味方」「敵」の二分論は、政治的に発生するものではなく、あるいは教育的に発生するものではなく、人間に先天的に備わっているのかもしれない。
「味方」「敵」のポジションであることを表面的・客観的に利用することで、やっと政治的な役割を理解することが可能になる。つまり、本書を読んでからこそ、後天的に、センセーショナルな敵愾心から脱却することができる。
(訳者解説で警告されているように、一方ではこな概念が起爆力を持つことも理解しなければならない)
受験戦争のために競争意識を植え付けられた挙句、膨れ上がった理想は現実に結びつかず、歪んだコンプレックスで、延々と「仮想敵」を生み出している。資本主義経済が育む「競争意識」のせいで「政治」の形をどんどんと粗末なものにしているのではないか。あるいは、それを「政治」と呼んでしまうなら。
私のような「友・敵理論」を知りたいだけの一般人は、1932年版は読み飛ばしても問題ないかと思われる。そのためにも、まずは訳者解説から読み始めてもよいかもしれない。
そして、この訳者解説に書かれている本書の役割は「1932年版と1933年版のテクスト、そして1963年版の序文・補遺ニ・注記(抜粋)を邦訳するとともに、各々の加筆訂正部分を一目で見えるように可視化する日本で最初の試みである」に偽りなく、学術的に大きな貢献をしている。
また、訳者解説には、シュミットについて詳しく書かれており、かなり読み応えがある。
(衝撃的な過去が書かれていて、たいへん勉強になった)
以下は、実生活レベルに拡大解釈した感想であるため、本書の内容とは異なる。
「味方」「敵」を適切に理解できていない割に、その言葉とイメージだけが一人歩きして、個人的な空間においても、必要以上に「味方」「敵」で二分して思考する愚か者がいる。あるいは、公敵を私敵と誤認したり、私敵を公敵であるかのように喚いたりする。
年齢とともに発達する二分論というよりは、幼児期から、つまり初めて「社会」と接点を持つ幼稚園・保育園・子ども園から、その二分論に取り憑かれているのではないかと思う。
つまり、「味方」「敵」の二分論は、政治的に発生するものではなく、あるいは教育的に発生するものではなく、人間に先天的に備わっているのかもしれない。
「味方」「敵」のポジションであることを表面的・客観的に利用することで、やっと政治的な役割を理解することが可能になる。つまり、本書を読んでからこそ、後天的に、センセーショナルな敵愾心から脱却することができる。
(訳者解説で警告されているように、一方ではこな概念が起爆力を持つことも理解しなければならない)
受験戦争のために競争意識を植え付けられた挙句、膨れ上がった理想は現実に結びつかず、歪んだコンプレックスで、延々と「仮想敵」を生み出している。資本主義経済が育む「競争意識」のせいで「政治」の形をどんどんと粗末なものにしているのではないか。あるいは、それを「政治」と呼んでしまうなら。
2023年4月18日に日本でレビュー済み
これだけでも買う価値あり。ワイマール末期の政権への貢献とその当時の“政治的”な立ち位置が良く書かれている。
2022年12月16日に日本でレビュー済み
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敵か味方かそれともオレか?とでも言わんばかりの主張。主流との分流など、結局はどこに繋がっていくのだろうか。交わったり離れたり。
論理的に進めていてもさまざまな集団の感情に振り回されている感を払拭すべく、事象を整理し納得するための慰めにもみえた。
結局、みんなで集めたお金をどのように意思決定して予算を執行するかだけのお話の方が多い近年、責任の所在はどこへやら?と改めて思ってしまった。
政治というなのフェスティバル!?
論理的に進めていてもさまざまな集団の感情に振り回されている感を払拭すべく、事象を整理し納得するための慰めにもみえた。
結局、みんなで集めたお金をどのように意思決定して予算を執行するかだけのお話の方が多い近年、責任の所在はどこへやら?と改めて思ってしまった。
政治というなのフェスティバル!?
2022年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
〇 カール・シュミットはナチに加担した御用学者である。このような人物の著作を読む意味があるのか? 本書の訳者は、歴史法廷でシュミットを裁こうとするのであるから、被告には弁明の機会を与えなくてはならないと言う。研究者とはそういうものだとして、一般の読者はどうなのだろう? わたしは今日にも通用する知恵と真実が含まれているかもしれないと期待するから読んだ。
〇 シュミットは価値判断を控えて、「政治」に関する概念の整理を試みているように見える。政治とはなにか、国家とはなにかについて簡潔に論じている。
〇 今日の政治学(たぶんアメリカ流)では、政治とは「何らかの影響力を行使して相手を自分の望むように行動させること」である、あなたもわたしも人間関係を結ぶときにはなんらかの政治を行っている、というような考え方が主流であるように思う。国家とはそうした政治が行われる場の頂点にたつものであるが、政治を国家が独占しているわけではない。
〇 これに対してシュミットの考える政治はもっと狭い。政治とは公的なものに限られるのであって、必ず敵と味方が区別され、究極的には敵を抹殺しようとする(したがって戦争の可能性は否定できない)。そうなるとこのような政治は国家の独占物になる。ちょっとドキリとするモノの言い方だけれど、実態はそのとおりかもしれない。
〇 こうした国家は国内では強権的な顔を見せる。もし「味方(つまり国家)」と対立する者が国内にいれば、それを内敵として抹殺するのは当然のことである。国家の干渉をさけて自由に経済活動、文化活動を行いたいとする自由主義者に対しては、そんなことを企てても経済活動等のなかにも政治(対立)が生まれるのであるから、結局のところ政治からは逃れようがないのだと言う。それに20世紀の民主政では人々はあらゆる社会問題の解決を国家に求めるから、最終的には国家と社会とが一体となった全体国家ができあがらざるを得ないのだと言う。
〇 国際社会についても悲観的で、シュミットは個々の国家が存在する限り、その間の政治すなわち戦争はなくならないと言う。人類、正義、国際連盟などの普遍的価値を振りかざす国家は存在するけれど、彼らが本当にそれを体現しているわけではなく、美名を利用して敵に対して優位に立とうとしているだけのことだという。
〇 国家も政治も突き詰めれば自由な個人にその根拠を求める考え方に慣れていると、個人ではなく「味方」という集団を基礎とするシュミットの国家観は、いかにも個人を軽視していて、不気味であり不快ですらある。しかしかなりの程度まで現状を言い当てているのも事実である。このような強面の国家観があったことを知っておくことは無駄ではないと思う。それで4星。
〇 シュミットは価値判断を控えて、「政治」に関する概念の整理を試みているように見える。政治とはなにか、国家とはなにかについて簡潔に論じている。
〇 今日の政治学(たぶんアメリカ流)では、政治とは「何らかの影響力を行使して相手を自分の望むように行動させること」である、あなたもわたしも人間関係を結ぶときにはなんらかの政治を行っている、というような考え方が主流であるように思う。国家とはそうした政治が行われる場の頂点にたつものであるが、政治を国家が独占しているわけではない。
〇 これに対してシュミットの考える政治はもっと狭い。政治とは公的なものに限られるのであって、必ず敵と味方が区別され、究極的には敵を抹殺しようとする(したがって戦争の可能性は否定できない)。そうなるとこのような政治は国家の独占物になる。ちょっとドキリとするモノの言い方だけれど、実態はそのとおりかもしれない。
〇 こうした国家は国内では強権的な顔を見せる。もし「味方(つまり国家)」と対立する者が国内にいれば、それを内敵として抹殺するのは当然のことである。国家の干渉をさけて自由に経済活動、文化活動を行いたいとする自由主義者に対しては、そんなことを企てても経済活動等のなかにも政治(対立)が生まれるのであるから、結局のところ政治からは逃れようがないのだと言う。それに20世紀の民主政では人々はあらゆる社会問題の解決を国家に求めるから、最終的には国家と社会とが一体となった全体国家ができあがらざるを得ないのだと言う。
〇 国際社会についても悲観的で、シュミットは個々の国家が存在する限り、その間の政治すなわち戦争はなくならないと言う。人類、正義、国際連盟などの普遍的価値を振りかざす国家は存在するけれど、彼らが本当にそれを体現しているわけではなく、美名を利用して敵に対して優位に立とうとしているだけのことだという。
〇 国家も政治も突き詰めれば自由な個人にその根拠を求める考え方に慣れていると、個人ではなく「味方」という集団を基礎とするシュミットの国家観は、いかにも個人を軽視していて、不気味であり不快ですらある。しかしかなりの程度まで現状を言い当てているのも事実である。このような強面の国家観があったことを知っておくことは無駄ではないと思う。それで4星。
2022年8月19日に日本でレビュー済み
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本書『政治的なものの概念』の邦訳は既にいくつかあるものの、入手が容易かというとまったくそんなことはなかったため、こうして岩波文庫に収録されること自体が喜ばしいこと。だが、それ以上に、本書は資料的な価値の高いものとなっているところが素晴らしい。というのも、この本には、『政治的なものの概念』の1932年版・1933年版・1963年版の邦訳が収録されており、なおかつ、各版は前の版との異同が明確になるように工夫されている。こういう工夫は、ともすると本文を読みにくくしたりするものだが、本書は普通に読む際にも違和感を覚えないところが優れている。
加えて、本書の「訳者解説」も的確なもので好感が持てる。各版の異同についての解説が的確で、おそらく訳者なりの思いがあったはずだが、そういうところについて抑制が効いていて、読者による読み方に介入しすぎないところが良い。
読み方としては、訳者解説を読んでから順に1932年版から見ていくのが良い。特に、1932年版から1933年版に移るところで「消えた記述」が何かということを頭の片隅において、それを確認するように読んでいくと、シュミットの狡猾なところというか、嫌らしいところが見えてくるように思う。いずれにしてもシュミットを代表する「友・敵関係」について原典にあたることが出来るようになったのは喜ばしい。
加えて、本書の「訳者解説」も的確なもので好感が持てる。各版の異同についての解説が的確で、おそらく訳者なりの思いがあったはずだが、そういうところについて抑制が効いていて、読者による読み方に介入しすぎないところが良い。
読み方としては、訳者解説を読んでから順に1932年版から見ていくのが良い。特に、1932年版から1933年版に移るところで「消えた記述」が何かということを頭の片隅において、それを確認するように読んでいくと、シュミットの狡猾なところというか、嫌らしいところが見えてくるように思う。いずれにしてもシュミットを代表する「友・敵関係」について原典にあたることが出来るようになったのは喜ばしい。