この本ではソクラテス(プラトン)は知識がなんであるかは最後まで語りません
3つの当時主流であった説を批判するだけで終わってしまいます
何回か読み直して最終的に個人的に理解したのがタイトルの通り「知識は存在しない」です
イデア理論を遠回しに説明していると解釈すると分かるようになります
人間の魂は生きている間は肉体に縛られて真の知識に到達できないと説きます
全ての知識は経験や認識と強く結びついていて正確に「知る」ことはできません
私たちが知識と呼んでいるものは経験・認識・教えてもらったことの3つに分かれる気がします
人間はこれらに優先順位を決めて信憑性を持とうとします
「経験」がたいていの人にとって一番重要なのではないでしょうか
「経験」はリスクを伴うので一番得るのが難しいと言えます
次が自分で自分に説明する「認識」
他の人に説明する「弁論」もこれに含めていい気がします
その次が他の人から教わったこと、つまりは「教育」になる気がします
「教育」は情報源を信頼して心を開かないとうまくいきません
なぜなら人は自分の持っている価値観を守ろうとするからです
そして知識を持っていて実践するかどうかが問われます
個人的にプログラミングをするのですがプログラミングではとりあえず試してみないと理解に繋がりません
頭にあるだけでは答えにならないので理系的な思考になります
徳・倫理も同じで知っていても実行しなければ意味を持ちません
しかし人間の知識というものはいかにちっぽけなものであるのかが分かります
それこそがこの本でソクラテス(プラトン)が言いたかったことではないでしょうか
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テアイテトス (岩波文庫) 文庫 – 2014/12/17
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知識とは何か、真にものを知るとはどういう場合を言うのか。当時行われていた三つの知識説をとりあげて批判しつつ、哲学が様々な角度と立場からの吟味や思考を要求するゆえんを示す。有名な無理数論やソクラテスの産婆術などのエピソードを交えた対話篇。日本における本格的なプラトン研究をきりひらいた泰斗による翻訳。
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2014/12/17
- 寸法10.5 x 1.5 x 15 cm
- ISBN-104003580028
- ISBN-13978-4003580028
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2014/12/17)
- 発売日 : 2014/12/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 368ページ
- ISBN-10 : 4003580028
- ISBN-13 : 978-4003580028
- 寸法 : 10.5 x 1.5 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 244,661位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- - 153位古代・中世・ルネサンスの思想
- - 1,737位岩波文庫
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年2月7日に日本でレビュー済み
「知識とは何か」という問いをめぐって対話は進行する。まず「知識=感覚」説を、それと共通の基盤に立つプロタゴラス(「人間は万物の尺度である」)とヘラクレイトス(「万物は流転する」)の矛盾を示すことによって論駁する。知識が感覚に過ぎないのであれば、感覚が常に真理であり、人が誤ることもあり得ないことになるが、これは事実に反する。また、万物が感覚のように絶えず生成変化するというならば、一瞬たりとも言語による現実の固定化はできず、知識そのものが成り立たない。
次に「知識とは真なる思いなし(ドクサ)である」という命題が検討される。感覚を通じて得られたものについての、感覚に依存しない正しい思考の中に知識があるということだが、こう言っただけでは知識の正しさは確証できないので、最後に「知識とは真なる思いなしに言論(ロゴス)が加わったものである」という命題が俎上に上る。ここが本書の勘所だ。
「言論(ロゴス)」には、(1)対象の言語による表現、(2)対象を要素に分解した説明、(3)対象とそれ以外のものの差異の標識があるが、重要なのは(2)と(3)で、それぞれ概念の内包と外延にほぼ対応する。それらをもって正しい知識が得られるという、一見もっともな主張も結局は否定される。(2)は部分の総和を全体と取り違えるものでしかない。色は光の波長であると言ったところで、色そのものを説明したことにはならない。(3)は対象に言及すること自体、対象をそれとして他と区別して把握しているからこそ可能なのであって屋上屋だ。「色」という言葉で色について語る者に、色が音でも味でもないことを説明するまでもない。結局「知識とは何か」という問いに答えることなく本書は閉じられるが、少なくともそれが何でないかははっきりした。あとは自分で考えろというのがソクラテス式産婆術である。
少々乱暴な解釈が許されるなら、知識とは「何でないか」という形でしか示せない何ものかである、というのがプラトンの言いたかったことではないか。イデアを何かに基礎付けたとたん、それはイデアでなくなる。イデアと言語の等根源性を示すことで、イデアのアプリオリ性を逆証しようとしたとは言えないか。中期イデア論から『テアイテトス』に至るプラトンの軌跡は、『論考』から『探求』に至るウィトゲンシュタインの軌跡に比すべき「転回」と言えると思うのだが・・・
次に「知識とは真なる思いなし(ドクサ)である」という命題が検討される。感覚を通じて得られたものについての、感覚に依存しない正しい思考の中に知識があるということだが、こう言っただけでは知識の正しさは確証できないので、最後に「知識とは真なる思いなしに言論(ロゴス)が加わったものである」という命題が俎上に上る。ここが本書の勘所だ。
「言論(ロゴス)」には、(1)対象の言語による表現、(2)対象を要素に分解した説明、(3)対象とそれ以外のものの差異の標識があるが、重要なのは(2)と(3)で、それぞれ概念の内包と外延にほぼ対応する。それらをもって正しい知識が得られるという、一見もっともな主張も結局は否定される。(2)は部分の総和を全体と取り違えるものでしかない。色は光の波長であると言ったところで、色そのものを説明したことにはならない。(3)は対象に言及すること自体、対象をそれとして他と区別して把握しているからこそ可能なのであって屋上屋だ。「色」という言葉で色について語る者に、色が音でも味でもないことを説明するまでもない。結局「知識とは何か」という問いに答えることなく本書は閉じられるが、少なくともそれが何でないかははっきりした。あとは自分で考えろというのがソクラテス式産婆術である。
少々乱暴な解釈が許されるなら、知識とは「何でないか」という形でしか示せない何ものかである、というのがプラトンの言いたかったことではないか。イデアを何かに基礎付けたとたん、それはイデアでなくなる。イデアと言語の等根源性を示すことで、イデアのアプリオリ性を逆証しようとしたとは言えないか。中期イデア論から『テアイテトス』に至るプラトンの軌跡は、『論考』から『探求』に至るウィトゲンシュタインの軌跡に比すべき「転回」と言えると思うのだが・・・
2014年12月22日に日本でレビュー済み
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岩波文庫の田中訳『テアイテトス』の改版が出ました。編集付記によると、以前に同じく岩波文庫から出た『テアイテトス』の復刊ではなく、『プラトン全集』第二巻のより新しい訳を底本にした改版だそうです。補注では金山弥平氏によってギリシア語の原語と訳語の対応関係が示されており、親切な訳だと思いました。
ハイデガーとウィトゲンシュタインは『テアイテトス』の内容を重視していたそうなので(細川亮一『ハイデガー入門』ちくま新書、2001参照)、以前から気になっていました。『テアイテトス』は長い間文庫で手に入りにくい状態が続いていたので、今回の改版は個人的にとても嬉しかったです。
『テアイテトス』の主な論題は、「知識とは何か」です。ソクラテスは自分の無知を自覚していますが、産婆術によってテアイテトスたちから知恵を引き出します。結局、知識とは何なのかは、最後まで読んでもよくわかりません。しかし、「知識とは感覚である」「知識とは真なる思いなしである」「知識は真なる思いなしに言論が加わってできる」という三つの説が論破されています。
対話の途中で、古代に限らず哲学書でよく取り上げられるような話題がたまに引き合いに出されます。例えば、夢仮説や白紙説のような話や、プロタゴラスの相対主義の検討などの話題が出てきます。あと、この対話篇は語句の吟味がかなり精密だと感じました。わかりにくい言い回しや回りくどい発言も色々ありましたが、いかにも哲学らしい問題を考える楽しみに浸れる内容だと思いました。
ハイデガーとウィトゲンシュタインは『テアイテトス』の内容を重視していたそうなので(細川亮一『ハイデガー入門』ちくま新書、2001参照)、以前から気になっていました。『テアイテトス』は長い間文庫で手に入りにくい状態が続いていたので、今回の改版は個人的にとても嬉しかったです。
『テアイテトス』の主な論題は、「知識とは何か」です。ソクラテスは自分の無知を自覚していますが、産婆術によってテアイテトスたちから知恵を引き出します。結局、知識とは何なのかは、最後まで読んでもよくわかりません。しかし、「知識とは感覚である」「知識とは真なる思いなしである」「知識は真なる思いなしに言論が加わってできる」という三つの説が論破されています。
対話の途中で、古代に限らず哲学書でよく取り上げられるような話題がたまに引き合いに出されます。例えば、夢仮説や白紙説のような話や、プロタゴラスの相対主義の検討などの話題が出てきます。あと、この対話篇は語句の吟味がかなり精密だと感じました。わかりにくい言い回しや回りくどい発言も色々ありましたが、いかにも哲学らしい問題を考える楽しみに浸れる内容だと思いました。
2014年12月1日に日本でレビュー済み
正直に言って、『テアイテトス』は他のプラトン作品に比べると、ややこしくて読むのが面倒な部分が全体的に多かった。しかし104ページからの、フィロソファーと弁論家との違いについての論述は素晴らしいもので、2300年以上前の作品とは思えないほど切実な問題として読める。また184ページからの、知識の所持と所有の違いを鳩小屋の喩えで語る部分も、プラトンが得意とする比喩による説明が見事に成し遂げられている。このように、時空を超えて感銘を受けることができるのは読書の最大の報酬であろう。
2011年1月23日に日本でレビュー済み
「万物は人間の尺度である」としたプロタゴラスの説は、例えばあるものの色が甲にとっては黒く、乙にとっては白くといった事態を認める。つまり、そのものの色それ自体が「ある」とは考えられず、見られるものと見る者との関係性の中で相応の色に「なる」のだ。これは「万物は流動的なもの」とするヘラクレイトスやエムペドクレスらの説を踏襲するものだが、「万物が一にして不動」と捉えるパルメニデスの説より彼らの主張の方が当時むしろ支持されていたようである。本書がまず問題に置くのは、それが「感覚即知識」という仮定を果たして通用させるか否かという点である。
ところで、現在も似たような話を耳にすることがある。「価値観」は人それぞれ異なるゆえに、ある人にとっての正しさは、別の人にとって不正となり得るといったのがそれだ。こう考えるのは、「価値観」をむしろ「価値感」として捉えているからなのかもしれない。つまり、ものの価値は相対的なもので、あるものに対して善と「感じ」られれば善に、悪と「感じ」られれば悪と「なる」という風にして、それぞれの感覚をそのまま知識としているというわけである。
「感覚即知識」という仮定に対する考察は、実は本書全体の半分を占めている。本書では具体的に言及されないが、個物そのものの自体性を示すイデアの存在を考える上では、この仮定は深く吟味される必要があるのだ。本書はそこからイデア論へと接続していく途上にあるように思われる。
ところで、現在も似たような話を耳にすることがある。「価値観」は人それぞれ異なるゆえに、ある人にとっての正しさは、別の人にとって不正となり得るといったのがそれだ。こう考えるのは、「価値観」をむしろ「価値感」として捉えているからなのかもしれない。つまり、ものの価値は相対的なもので、あるものに対して善と「感じ」られれば善に、悪と「感じ」られれば悪と「なる」という風にして、それぞれの感覚をそのまま知識としているというわけである。
「感覚即知識」という仮定に対する考察は、実は本書全体の半分を占めている。本書では具体的に言及されないが、個物そのものの自体性を示すイデアの存在を考える上では、この仮定は深く吟味される必要があるのだ。本書はそこからイデア論へと接続していく途上にあるように思われる。
2007年1月13日に日本でレビュー済み
『メノン』とともにプラトン哲学の入門編というべき作品。
ソクラテスがテアイテトスとの対話を通して「知識とは何か」という問いに挑んでいる。
本書の中には「夢と現実を区別できるか」という後のデカルトのコギト論に通じるような記述もあり、読み応えは十分である。
本作を足がかりにプラトン哲学の集大成『国家』に挑むといいだろう。
ソクラテスがテアイテトスとの対話を通して「知識とは何か」という問いに挑んでいる。
本書の中には「夢と現実を区別できるか」という後のデカルトのコギト論に通じるような記述もあり、読み応えは十分である。
本作を足がかりにプラトン哲学の集大成『国家』に挑むといいだろう。
2015年1月5日に日本でレビュー済み
"知識"とは「実践」である。
実践なきものの知識は、移ろいやすく、まどろみ易く、身につかない。
過去に、そう覚えたとしても、日々の実践がなければ、それはすぐ忘れ、あやしくなる。
だから、学問はアタマでするものではなく、日々の生活努力から生まれる実践の賜物である。
だから、アカデミズムに毒された、釈迦以後の仏教やこの手の哲学書はくるくる流転するのである。
もう一言付け加えておくが、道元さんはただ目を瞑っていただけではない。
日常の作務に精進したからこそ真理(さとり)をお開きになったのである。
ソクラテスはなんでなく、なんでない、かを得る才能があった。
それは、自分が何も知らないことを知っている智慧者である、
そう自己認識した才人である。
その点は賢い。
当時の数学知識と時代の科学技術からすれば、彼は一流の知識人であったと思う。
(若者を小馬鹿にする、ちょっと鼻にかけた、男色のジジイであるが)
しかし、彼はその問答を始まる前に、当然「知識とは何か」について、
自分で用意周到に問答していたはずである。
プラトンの創作であれ、ソクラテスが対話だけで一語一文も破滅することなく、
話の展開を広げていくことはほぼ不可能に近い。
おまけに記憶力も半端でなく、この場合テアイテトスが放った言葉の一字一句を忘れてないなど、
実際のソクラテスの会話にプラトンが装飾した可能性がかなり高い。
つまり、どう、あがいたって、ソクラテスの一人勝ちであり、
当時の知の枠組みからすれば、ソクラテスが当代の智慧者であることは変えることができない現状がある。
それを<今>の知の枠組みから見ている私たちがどう感じるか?
この影のストレスに我慢が出来る人は、教養人であり、良き古典の理解者であろう。
(皮肉を言ったが。)
穿った見方をすれば、わたしは、こういう書物は「読んだらすぐ忘れろ」と心がけている。
ソクラテスやプラトンが日々の生活努力を続けていた智慧者なら私は素直にも受け取れただろう。
真理を求めて日々彼らは何をしていたのだろうか?
「良心」に恥じない行いをとっていただろうか?
こういうのは学問として研究対象にするのではなく、
とりあえずの、(世間で言われているから仕方がなく暇つぶしに読んだという)
教養として「忘れるために」読むのがいい付き合い方だと思う。
実践なきものの知識は、移ろいやすく、まどろみ易く、身につかない。
過去に、そう覚えたとしても、日々の実践がなければ、それはすぐ忘れ、あやしくなる。
だから、学問はアタマでするものではなく、日々の生活努力から生まれる実践の賜物である。
だから、アカデミズムに毒された、釈迦以後の仏教やこの手の哲学書はくるくる流転するのである。
もう一言付け加えておくが、道元さんはただ目を瞑っていただけではない。
日常の作務に精進したからこそ真理(さとり)をお開きになったのである。
ソクラテスはなんでなく、なんでない、かを得る才能があった。
それは、自分が何も知らないことを知っている智慧者である、
そう自己認識した才人である。
その点は賢い。
当時の数学知識と時代の科学技術からすれば、彼は一流の知識人であったと思う。
(若者を小馬鹿にする、ちょっと鼻にかけた、男色のジジイであるが)
しかし、彼はその問答を始まる前に、当然「知識とは何か」について、
自分で用意周到に問答していたはずである。
プラトンの創作であれ、ソクラテスが対話だけで一語一文も破滅することなく、
話の展開を広げていくことはほぼ不可能に近い。
おまけに記憶力も半端でなく、この場合テアイテトスが放った言葉の一字一句を忘れてないなど、
実際のソクラテスの会話にプラトンが装飾した可能性がかなり高い。
つまり、どう、あがいたって、ソクラテスの一人勝ちであり、
当時の知の枠組みからすれば、ソクラテスが当代の智慧者であることは変えることができない現状がある。
それを<今>の知の枠組みから見ている私たちがどう感じるか?
この影のストレスに我慢が出来る人は、教養人であり、良き古典の理解者であろう。
(皮肉を言ったが。)
穿った見方をすれば、わたしは、こういう書物は「読んだらすぐ忘れろ」と心がけている。
ソクラテスやプラトンが日々の生活努力を続けていた智慧者なら私は素直にも受け取れただろう。
真理を求めて日々彼らは何をしていたのだろうか?
「良心」に恥じない行いをとっていただろうか?
こういうのは学問として研究対象にするのではなく、
とりあえずの、(世間で言われているから仕方がなく暇つぶしに読んだという)
教養として「忘れるために」読むのがいい付き合い方だと思う。
2022年10月11日に日本でレビュー済み
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朝1番の配達で嬉しいです。汚れもなく、新しい、 品物が良かったです。