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学校で教えてくれない音楽 (岩波新書) 新書 – 2014/12/20
大友 良英
(著)
学校の音楽の時間が大嫌いだったあなた。合唱のとき、笑顔で裏声を出すのが苦痛だったきみ。「音楽の根っこにある一番大事なものしかない」瞬間を知ったなら、「音楽って、それだけじゃない」とわかる。孤高の即興演奏、テレビドラマ、CMから爆音まで、百戦錬磨の音楽家が語る「音楽の原石」の面白さ、そのつかみとり方。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2014/12/20
- 寸法11.5 x 1 x 17.5 cm
- ISBN-104004315204
- ISBN-13978-4004315209
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商品の説明
著者について
大友良英(おおとも・よしひで)
ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、プロデューサー。1959年横浜生まれ。十代を福島市で過ごす。即興演奏やノイズ、ジャズ、ポップスなど多様な音楽を様々な方法で発表、テレビ・映画でドラマやドキュメンタリー作品の音楽も多く手掛ける。並行してインスタレーション・アート、一般参加型の音楽プロジェクト、障がいをもつ人々とのワークショップなどを国内外で展開。東日本大震災後には福島からの発信として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げた。
著書に、『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)、『シャッター街と線量計』(青土社)ほか。
ギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、プロデューサー。1959年横浜生まれ。十代を福島市で過ごす。即興演奏やノイズ、ジャズ、ポップスなど多様な音楽を様々な方法で発表、テレビ・映画でドラマやドキュメンタリー作品の音楽も多く手掛ける。並行してインスタレーション・アート、一般参加型の音楽プロジェクト、障がいをもつ人々とのワークショップなどを国内外で展開。東日本大震災後には福島からの発信として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げた。
著書に、『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)、『シャッター街と線量計』(青土社)ほか。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2014/12/20)
- 発売日 : 2014/12/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4004315204
- ISBN-13 : 978-4004315209
- 寸法 : 11.5 x 1 x 17.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 407,521位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月27日に日本でレビュー済み
教科書にあるいわゆる偉人も、ポピュラー音楽のレジェンドもどちらも歴史に残る人々なわけで、どちらを選ぶということにはなりません。もっとも、教科書の音楽は堅気の音楽で、だからこそ古典なわけですが、ポピュラー音楽も100年以上がたとうとしてます。そろそろジャズを中心でいいですからポップスの歴史を教えてもいいのでは。ロマン派が偉大なのはよくわかってますが。
2015年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「あまちゃん」の人。
・大熊ワタル、上原なな江
・さや(テニスコーツ)
・沼田里衣、雨森信
のゲストをむかえた三回のワークショップの内容と、大友さんの音楽的自叙伝と、phew ・さや との鼎談で構成。
「学校の音楽室にはバッハ、モーツァルト、ベートーベンの肖像画はあっても三波春夫の肖像画はない。なぜでしょう?三波春夫は立派な音楽家ですよ? これまでの「音楽」という概念は音楽全体をとらえてないのでは」
というところから始まり、
(参加者といろいろ音を出して遊んだ後、)「音楽はリズム、メロディー、ハーモニーの三要素で出来ている、と学校で教えられますよね。
僕らが最初に皆でやってみたのは、そんなことは全く考えずに、とりあえず目の前にある楽器で「やってみたら、こんな音になりました」というものです。
でも、そこにも音楽の喜びの原形はありますね。実はこれ、すでに簡単なルールを共有してるっていうことだと思います」
というところにいき、
やがて「音痴は無い」(さや) 「音痴という概念を持ち出す音楽のあり方への根本的な疑問がある」(大友)
というところに行き着く。
個人的には、phew さんが、エルビス、マリアカラス、水原弘、坂本九、パンク、ジャズ、ボーカロイドを語ったところがオモロかった。
・大熊ワタル、上原なな江
・さや(テニスコーツ)
・沼田里衣、雨森信
のゲストをむかえた三回のワークショップの内容と、大友さんの音楽的自叙伝と、phew ・さや との鼎談で構成。
「学校の音楽室にはバッハ、モーツァルト、ベートーベンの肖像画はあっても三波春夫の肖像画はない。なぜでしょう?三波春夫は立派な音楽家ですよ? これまでの「音楽」という概念は音楽全体をとらえてないのでは」
というところから始まり、
(参加者といろいろ音を出して遊んだ後、)「音楽はリズム、メロディー、ハーモニーの三要素で出来ている、と学校で教えられますよね。
僕らが最初に皆でやってみたのは、そんなことは全く考えずに、とりあえず目の前にある楽器で「やってみたら、こんな音になりました」というものです。
でも、そこにも音楽の喜びの原形はありますね。実はこれ、すでに簡単なルールを共有してるっていうことだと思います」
というところにいき、
やがて「音痴は無い」(さや) 「音痴という概念を持ち出す音楽のあり方への根本的な疑問がある」(大友)
というところに行き着く。
個人的には、phew さんが、エルビス、マリアカラス、水原弘、坂本九、パンク、ジャズ、ボーカロイドを語ったところがオモロかった。
2015年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そう思って購入しました。いい本ですね。これからじっくり読みます。ありがとうございました
2015年6月25日に日本でレビュー済み
Facebookでの音楽の授業について、この本から啓発されたという議論を読んで、手に取る気になった。
内容は、新たな「音楽」への取り組みということで、その実践活動の実況ルポというところ。目次はこんな感じ。
1 音を出す
2 うたってみる
補論 いい歌ってなんだろう
3 学校じゃないところの音楽
4 学校じゃないところで教わった音楽
あとがき
中身が詰まった重い書籍ではないから旅行の合間に読むのには丁度良かった。書評も好意的なものが多い、正直、ちょっと不思議な感じ。東海中学校や西成・子どもオーケストラで、実体験しないと、いいか悪いか(あるいは、好きか嫌いか)という判断を下すことは出来ないと思うのだが。
そう、音楽というものを見直すきっかけになったという感想も多いし、かなりのミュージッシャンが、学校の音楽の授業では、出来なかったしというようなことを述べている。
この議論を見ていて思うのは、「学校で教えてくれない○○」というのは、かなり多いのではないかと。例えば、算数、数学、英語もそうだ。早稲田大学の筧先生から、高校のコンピュータの科目についても先日相談を受けたが、同じことになるのではないかと予想している。つまり、現実に使われている、あるいは、必要とされている、その分野の知識や技法とは異なるものを、学校では教えているというわけだ。
これが単なる無駄、あるいは、方向性(学校では、すぐ役に立つモノ、コトを教えるわけではない)だけであるなら、まだいい。植松務さんが紹介しているように、学校での差別や抑圧に使われているのが問題だ。例えば、算数嫌いの一部は、学校で教える算数のテストのために生じているのだと、今は京大にいる林さんが教えてくれたことがある。そのような状況下で、例えば、算数の授業を増やしたりすると、間違いなく、理数科離れが起きるというわけだ。
日本は音楽という分野で、それなりに、藝術としても産業としてもそれなりに貢献もし、実績もあげていると、データも見ずに信じているのだが、学校での音楽の授業を変えれば、モット良くなるんじゃないかと思った。
もう一つ理解したのは、この本や、ここで紹介されているプロジェクトは、3.11フクシマの成果の一つだということ。犠牲者や関係者の傷は今なお消えないけれど、わずかでもこのような成果が見られることを、僕らは誇ってもいいのかもしれない。それにしても、音楽の力はやはりすごいようだ、デザイン思考でのワークショップでは、とてもこのように人々を動かせない。むしろ、「音」を効果的に取り入れることを考えるべきかな。
視点の切り替えという点で評価できる本、というのが結論かな。
内容は、新たな「音楽」への取り組みということで、その実践活動の実況ルポというところ。目次はこんな感じ。
1 音を出す
2 うたってみる
補論 いい歌ってなんだろう
3 学校じゃないところの音楽
4 学校じゃないところで教わった音楽
あとがき
中身が詰まった重い書籍ではないから旅行の合間に読むのには丁度良かった。書評も好意的なものが多い、正直、ちょっと不思議な感じ。東海中学校や西成・子どもオーケストラで、実体験しないと、いいか悪いか(あるいは、好きか嫌いか)という判断を下すことは出来ないと思うのだが。
そう、音楽というものを見直すきっかけになったという感想も多いし、かなりのミュージッシャンが、学校の音楽の授業では、出来なかったしというようなことを述べている。
この議論を見ていて思うのは、「学校で教えてくれない○○」というのは、かなり多いのではないかと。例えば、算数、数学、英語もそうだ。早稲田大学の筧先生から、高校のコンピュータの科目についても先日相談を受けたが、同じことになるのではないかと予想している。つまり、現実に使われている、あるいは、必要とされている、その分野の知識や技法とは異なるものを、学校では教えているというわけだ。
これが単なる無駄、あるいは、方向性(学校では、すぐ役に立つモノ、コトを教えるわけではない)だけであるなら、まだいい。植松務さんが紹介しているように、学校での差別や抑圧に使われているのが問題だ。例えば、算数嫌いの一部は、学校で教える算数のテストのために生じているのだと、今は京大にいる林さんが教えてくれたことがある。そのような状況下で、例えば、算数の授業を増やしたりすると、間違いなく、理数科離れが起きるというわけだ。
日本は音楽という分野で、それなりに、藝術としても産業としてもそれなりに貢献もし、実績もあげていると、データも見ずに信じているのだが、学校での音楽の授業を変えれば、モット良くなるんじゃないかと思った。
もう一つ理解したのは、この本や、ここで紹介されているプロジェクトは、3.11フクシマの成果の一つだということ。犠牲者や関係者の傷は今なお消えないけれど、わずかでもこのような成果が見られることを、僕らは誇ってもいいのかもしれない。それにしても、音楽の力はやはりすごいようだ、デザイン思考でのワークショップでは、とてもこのように人々を動かせない。むしろ、「音」を効果的に取り入れることを考えるべきかな。
視点の切り替えという点で評価できる本、というのが結論かな。
2015年2月6日に日本でレビュー済み
著者である大友 良英氏を、私は全く知らなかったのですが、ウイキペディアによれば、「日本のギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、映画音楽家、プロデューサー」なのだそうです。そして朝ドラの「あまちゃん」のオープニングテーマを作曲した人とのこと。
本書は、そんな著者が関わっている音楽活動をテーマにした対談(最後のほうの一部分は自伝)を掲載した本です。
この本を読んんで、私は自分がこれまで「学校で教えられる音楽」を無条件に「音楽」ととらえていたことに気が付きました。世界には英語だけでなく多くの言語があるように多くの「音楽」があるというのは、(考えてみると当たり前のことですが)目から鱗でした。
そして、著者が関わる多種多様で自由な音楽活動を読むと、「音楽はなんと幅が広いものか」と驚嘆します。
「音楽とは何か」について改めて考えさせられる、とても興味深い本です。
本書を読むのに音楽の知識は不要で、平易な言葉で書かれた読みやすい本でもあり、一読の価値は十分にある本と思います。
本書は、そんな著者が関わっている音楽活動をテーマにした対談(最後のほうの一部分は自伝)を掲載した本です。
この本を読んんで、私は自分がこれまで「学校で教えられる音楽」を無条件に「音楽」ととらえていたことに気が付きました。世界には英語だけでなく多くの言語があるように多くの「音楽」があるというのは、(考えてみると当たり前のことですが)目から鱗でした。
そして、著者が関わる多種多様で自由な音楽活動を読むと、「音楽はなんと幅が広いものか」と驚嘆します。
「音楽とは何か」について改めて考えさせられる、とても興味深い本です。
本書を読むのに音楽の知識は不要で、平易な言葉で書かれた読みやすい本でもあり、一読の価値は十分にある本と思います。
2015年7月26日に日本でレビュー済み
著者は音楽教育を否定しておられますが、
いくら否定しようとも先人たちの素晴らしい仕事は素晴らしい。
そのような素晴らしいものに尊敬の念や畏怖の念をもたない音楽家を私は信用しない。
自分たちが子供の時に無理やり音楽をやらされたからと言って、
その音楽に罪はない。
問題なのはその人の両親だろう。
かつて大江光の音楽がメディアに異常にもてはやされたが、
著者はこのような音楽が好きだろうと思う。
音楽には2種類しかない。いい音楽家悪い音楽か。その二つのみだ。
大江の音楽を詰まらないと言い切った坂本龍一に拍手を送りたい。
いくら否定しようとも先人たちの素晴らしい仕事は素晴らしい。
そのような素晴らしいものに尊敬の念や畏怖の念をもたない音楽家を私は信用しない。
自分たちが子供の時に無理やり音楽をやらされたからと言って、
その音楽に罪はない。
問題なのはその人の両親だろう。
かつて大江光の音楽がメディアに異常にもてはやされたが、
著者はこのような音楽が好きだろうと思う。
音楽には2種類しかない。いい音楽家悪い音楽か。その二つのみだ。
大江の音楽を詰まらないと言い切った坂本龍一に拍手を送りたい。
2015年1月31日に日本でレビュー済み
音楽趣味を深めたいと思ったとき、音楽史や楽典や演奏教本を手に取ることが多いのではなかろうか。そこには「音楽とはこういうものである。歴史があり理論があり実践がある。こういうジャンルがあって、当該分野のビッグネームは誰それで、楽しむコツはこれである」というようなカッチリした音楽理解がある。確かにそういう理解に沿って音楽書を渉猟したり演奏を楽しんだりするのは有意義ではある。これは「既存体系への参入」とでもいったスタイルである。
本書の素晴らしいところは、そういった「既存体系への参入」というスタイルに対するオルタナティブを示している点である。
「指揮者が腕を振り下ろしたらバン!と音を出す」のような原始的なローカルルールをその都度自分勝手に作って音楽する、そういった「創作の楽しみ」とでもいうべきものを示している。アマとプロの区別を自明視しないような音楽の可能性について考えさせられる。
具体的実践例を挙げながら、「音楽するってどんなこと?」のような根本的思考に誘ってくれる。これはおそらく民族音楽のことを考えたときに惹起される思考と同質のものであろう。音楽ファンにとって、新鮮な角度から音楽に再入門させてくれる機会になるはずだ。
ごく平易な文章ながらも、音楽について原理的な示唆に富んでいる。音楽ファンのみならず、単に知的興味の対象として音楽に触れたいという向きにも強くお勧めしたい。
本書の素晴らしいところは、そういった「既存体系への参入」というスタイルに対するオルタナティブを示している点である。
「指揮者が腕を振り下ろしたらバン!と音を出す」のような原始的なローカルルールをその都度自分勝手に作って音楽する、そういった「創作の楽しみ」とでもいうべきものを示している。アマとプロの区別を自明視しないような音楽の可能性について考えさせられる。
具体的実践例を挙げながら、「音楽するってどんなこと?」のような根本的思考に誘ってくれる。これはおそらく民族音楽のことを考えたときに惹起される思考と同質のものであろう。音楽ファンにとって、新鮮な角度から音楽に再入門させてくれる機会になるはずだ。
ごく平易な文章ながらも、音楽について原理的な示唆に富んでいる。音楽ファンのみならず、単に知的興味の対象として音楽に触れたいという向きにも強くお勧めしたい。