P112「テレーズは私だ」について。高校生のとき「テレーズ デスケイルウ」にハマりボロボロの文庫本を持っています。向井さんは続編「夜の終わり」があることをご存知でしょうか。老いた(45歳!)テレーズがパリの夜を彷徨うオープニングです。死の時までテレーズは夫のもとに帰らなかったようです。
地方在住なので向井さんのような読書会体験がなかなかできませんが、オンラインで参加できるのですね。
今度挑戦してみたいです。20代のとき「ジェイン オースティンの読書会」を読んで、読書会にずっと憧れてました。「ジェイン-」でも読書会されてるんですね。いいなあ〜「ダロウェイ夫人」→「めぐり合う時間たち」「ハワーズ エンド」→「美について」 本家を換骨奪胎した本を読み比べするのもきっと楽しいと思います。いずれも読み終わるのが惜しくて、でも読むのがやめられない本です。
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読書会という幸福 (岩波新書 新赤版 1932) 新書 – 2022/6/17
向井 和美
(著)
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ありふれた日常の中で、読書という行為がどれほどの豊かな時間を与えてくれることか。三十年以上、全員が同じ作品を読んできて語り合う会に途切れることなく参加してきた著者が、その「魂の交流の場」への想いを味わい深い文章で綴る名エッセイ。読書会の作法やさまざまな形式の紹介、潜入ルポ、読書会記録や課題本リストも。
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2022/6/17
- 寸法1 x 10.7 x 17.3 cm
- ISBN-104004319323
- ISBN-13978-4004319320
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商品の説明
著者について
向井和美(むかい かずみ)
翻訳家.東京都内の私立中高一貫校の図書館司書.早稲田大学第一文学部卒業.訳書に『プリズン・ブック・クラブ──コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』,『100の思考実験──あなたはどこまで考えられるか』,『アウシュヴィッツの歯科医』(以上,紀伊國屋書店),『内向的な人こそ強い人』(新潮社),『哲学の女王たち』(晶文社)など.
翻訳家.東京都内の私立中高一貫校の図書館司書.早稲田大学第一文学部卒業.訳書に『プリズン・ブック・クラブ──コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』,『100の思考実験──あなたはどこまで考えられるか』,『アウシュヴィッツの歯科医』(以上,紀伊國屋書店),『内向的な人こそ強い人』(新潮社),『哲学の女王たち』(晶文社)など.
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2022/6/17)
- 発売日 : 2022/6/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 252ページ
- ISBN-10 : 4004319323
- ISBN-13 : 978-4004319320
- 寸法 : 1 x 10.7 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 260,912位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー
5 星
著者の読書愛、読書会愛が溢れている一冊
『読書会という幸福』(向井和美著、岩波新書)には、著者の読書愛、読書会愛が溢れています。●サマセット・モーム愛について――「モーム沼にハマると抜けだせなくなる。読みはじめたらやめられないし、一作読むと次の作品も読みたくなる。それほどまでにこの作者は巧妙なのである。読む者を誘うその手にからめとられてしまったら、いっそのこともうモーム沼にどっぷりつかってしまいたくなる」。何を隠そう、私もモーム沼に嵌った一人です。「モームの小説はたしかにおもしろいが、『いかにも読者を喜ばせようという魂胆が見えてあざとい』という意見もあった。それに応えるかのように、『英国諜報員アシェンデン』の前書きで、モームはみずからの小説手法が確信犯的であることを明かしてみせる。小説は事実に似ていなければならない、と云う作家たちの書くものは陳腐であると斬って捨て、ほんの少しの事実から読者が楽しめる小説を生みだすことこそ作家の腕なのだ、と決意表明のように言っている。たしかに、この小説がエンタテインメント性の強い作品であることは間違いない」。ここまで言われては、未読の『英国諜報員アシェンデン』を手にせずに済ますわけにはいきません。●カズオ・イシグロの『日の名残り』愛について――「丸谷才一氏による解説には、納得しかねる部分があった。『スティーブンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する』とあるが、いやいや、スティーブンスは彼女の恋心にじゅうぶん気づいていたはずだ。気づいていながら執事に徹し、知らぬふりをせねばならなかったからこその悲哀ではないだろうか」。丸谷才一よりも向井和美の言い分に分があると、私は考えます。それにしても、稀代の読書家・丸谷にいちゃもんをつけるとは、向井の度胸と実力は相当なものですね。●『失われた時を求めて』愛について――「(読書会で)今回は『花咲く乙女たちのかげにⅠ』の第1部『スワン夫人をめぐって』の半分くらいまでを読みました。・・・早くも予言されたスワンの死、かすかに告げられたアルベルチーヌの名。今後の展開に向けて、いたるところに伏線が張られており、先を読まずにはいられないほどに、わたしたちはもはやプルーストの迷宮深くに入りこんでしまったようです」。「『見出された時Ⅱ』の半分までを読みました。久しぶりにサロンを訪れた私は、以前から知っていた社交界の人々のあまりの変わりように驚くのですが、最初はそれが老いによるものだと思わず、見事に仮装している、と感じたほどでした。このあたりの表現は秀逸だという感想もありました。遠目にはさほど老いていないと感じられた人たちでさえ、近づいてみると容貌の衰えは目を覆うばかりで、その醜さを克明に描きだすやりかたは、語り手独特の辛辣さです。容貌だけでなく、ある人たちは性格まで変わってしまい、怒りっぽい人がすっかり丸くなっていたりするのですが、それは、あくまでその人を怒りっぽいと捉えていた語り手の見かたにすぎなかったのかもしれません。そして、社交界での地位もすっかり変化していました。ヴェルデュラン夫人がいつのまにか再婚して、ゲルマント大公夫人に収まっていたのにはびっくり。最後になって、このあまりの急展開に、読者はちょっとついていけません。次回はもっとすごいことになりそうなのです」。「今回は、『失われた時を求めて』の最終回、『見出された時Ⅱ』の最後までを読みました。・・・ここまで平面的に書かれてきたことが、最終巻では時間によってそのすべてが立体的になり、奥行きを持ったものになった、という意見がありました。この一巻のなかに、これまでのすべてが凝縮されているような印象もありました」。この意見に、大賛成です! 私は、マルセル・プルーストは、この最終巻が書きたくて、この長~~い作品を書いたという説を支持しているからです。そして、著者のこの読書会で、私も読んだ鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)がテクストとして採用されているのも、嬉しいことです。何と言っても、鈴木訳は最高ですから。
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2022年11月1日に日本でレビュー済み
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2022年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
岩波少年文庫少年であった昔から本は大好きだが、読書会とはほとんど無縁で過ごしてきた。知らない世界を覗かせてもらえると期待して本書を注文した。
第一章は読書会の効用、読書会運営のノウハウなど。
この章だけでははっきりしない点もあるが、第六章と合わせると、この読書会は結成後35年、著者は6年目に翻訳の師匠の東江一紀氏に勧誘されて入会し、会員歴30年近くになる。
現在のメンバーは10人。140頁の8年前の写真は故東江氏以外の6人が女性、4頁の最近(?)の写真も8人が女性だが、84頁には10年以上在籍した80代の男性の話が出てくるので、女性限定ということではなさそうだ。現在のメンバー10人のうちの7人が翻訳家とのことである。課題本に世界文学の長編小説の古典名作が多いのはその影響かなと勝手に推測する。
第二章はよその読書会侵入記など、第三章は翻訳家兼学校図書館司書でもある著者の、司書としての読書会。
以上、まあまあ面白かったが、本書が一段と面白くなってくるのは、第四章、第五章の「文学に生かされて」と思う。
読書会で取り上げた本の内容紹介と著者の感想が中心だが、これに読書会での意見が加わり、さらに著者の率直な人生体験談が、脱線的に非脱線的に織り込まれ、グイグイ読まされてしまう。
第六章は翻訳家の視点からの読書会、翻訳の勉強会。第七章は読書会報告。
最後に出てくる課題図書リストがすごい。世界文学名作がずらりと並んでいる。作品はともかく、作家については落ち、漏れがなく、突っ込みどころが見つからない。
ディケンズがないのではないかと一生懸命探すと、「二都物語」と「大いなる遺産」が載っていた。サガンもないように思ったが、ちゃんと二作選ばれていた。グレアム・グリーンもちゃんとある。
半世紀以上前に日本でも大人気作家であったクローニン作品が載っていないが、やや俗(私は好き)で、長らく絶版ですものね。あと英米仏露文学優先で、独文学は作家の数が少ないが・・まあ、どうでもいいことかな。
第一章は読書会の効用、読書会運営のノウハウなど。
この章だけでははっきりしない点もあるが、第六章と合わせると、この読書会は結成後35年、著者は6年目に翻訳の師匠の東江一紀氏に勧誘されて入会し、会員歴30年近くになる。
現在のメンバーは10人。140頁の8年前の写真は故東江氏以外の6人が女性、4頁の最近(?)の写真も8人が女性だが、84頁には10年以上在籍した80代の男性の話が出てくるので、女性限定ということではなさそうだ。現在のメンバー10人のうちの7人が翻訳家とのことである。課題本に世界文学の長編小説の古典名作が多いのはその影響かなと勝手に推測する。
第二章はよその読書会侵入記など、第三章は翻訳家兼学校図書館司書でもある著者の、司書としての読書会。
以上、まあまあ面白かったが、本書が一段と面白くなってくるのは、第四章、第五章の「文学に生かされて」と思う。
読書会で取り上げた本の内容紹介と著者の感想が中心だが、これに読書会での意見が加わり、さらに著者の率直な人生体験談が、脱線的に非脱線的に織り込まれ、グイグイ読まされてしまう。
第六章は翻訳家の視点からの読書会、翻訳の勉強会。第七章は読書会報告。
最後に出てくる課題図書リストがすごい。世界文学名作がずらりと並んでいる。作品はともかく、作家については落ち、漏れがなく、突っ込みどころが見つからない。
ディケンズがないのではないかと一生懸命探すと、「二都物語」と「大いなる遺産」が載っていた。サガンもないように思ったが、ちゃんと二作選ばれていた。グレアム・グリーンもちゃんとある。
半世紀以上前に日本でも大人気作家であったクローニン作品が載っていないが、やや俗(私は好き)で、長らく絶版ですものね。あと英米仏露文学優先で、独文学は作家の数が少ないが・・まあ、どうでもいいことかな。
2023年9月13日に日本でレビュー済み
無類の本好きですから、紹介されている読書会そのものに関心を持ちました。なかなかハードルの高そうな形態ですが、運営方法も含めて関心を持って読み進めました。
筆者も司書であり翻訳家ですので、そこでの選書も大切さも語られていました。メンバーをどのように広げて募るのかの大切も語られています。
アウトプットの大切さは実感しているのですが、それを読書会という場で表出するということを知らなかったのでその効用も新鮮に受け取りました。
読書会そのものを別途運営したい人が読むととても参考になると思われます。「参加者に多様性を持たせる(62p)」ことは大切ですね。人の数だけ読み取り方は変わりますので。
また「『世界』を読む中高生たちの読書会(34p)」が成立していることに驚いています。指導されている先生の大変さが伺えますが、本離れが問われて久しい現代において、しっかりと『世界』と向き合う中高生がいると聞いてホッとしています。
「後半の文学に生かされて」は筆者の選択した書籍の見事なブックレビューでした。当方の読み取り方とは違う面もあったり、大昔に読んで懐かしい思いを持ったりしたわけですが、他者の本へのアプローチを知ることで、多面的な読書ができそうで、あらたな気づきが生まれる瞬間なのかもしれません。筆者の人生の歩みも垣間見える章でした。読書が人となりを作っていくのですね。読書エッセイというのも良いなあ、と気分に包まれています。
「翻訳家の視点から(136p)」も興味深い内容でした。考えてみれば、翻訳家がいるからこそ、我々の読書体験は広がっているわけですから。
巻末の「読書会課題本リスト(1987年~2022年)」の膨大なリストを見たわけですが、紹介されている本のほとんどを未読なのに恥じ入りました。
「無類の本好き」だと思ってきましたが、残された人生の中で、これだけ多くの名著と出会っていないことを知らされた気分です。
実に収穫の多い新書との出会いでした。
筆者も司書であり翻訳家ですので、そこでの選書も大切さも語られていました。メンバーをどのように広げて募るのかの大切も語られています。
アウトプットの大切さは実感しているのですが、それを読書会という場で表出するということを知らなかったのでその効用も新鮮に受け取りました。
読書会そのものを別途運営したい人が読むととても参考になると思われます。「参加者に多様性を持たせる(62p)」ことは大切ですね。人の数だけ読み取り方は変わりますので。
また「『世界』を読む中高生たちの読書会(34p)」が成立していることに驚いています。指導されている先生の大変さが伺えますが、本離れが問われて久しい現代において、しっかりと『世界』と向き合う中高生がいると聞いてホッとしています。
「後半の文学に生かされて」は筆者の選択した書籍の見事なブックレビューでした。当方の読み取り方とは違う面もあったり、大昔に読んで懐かしい思いを持ったりしたわけですが、他者の本へのアプローチを知ることで、多面的な読書ができそうで、あらたな気づきが生まれる瞬間なのかもしれません。筆者の人生の歩みも垣間見える章でした。読書が人となりを作っていくのですね。読書エッセイというのも良いなあ、と気分に包まれています。
「翻訳家の視点から(136p)」も興味深い内容でした。考えてみれば、翻訳家がいるからこそ、我々の読書体験は広がっているわけですから。
巻末の「読書会課題本リスト(1987年~2022年)」の膨大なリストを見たわけですが、紹介されている本のほとんどを未読なのに恥じ入りました。
「無類の本好き」だと思ってきましたが、残された人生の中で、これだけ多くの名著と出会っていないことを知らされた気分です。
実に収穫の多い新書との出会いでした。
2022年10月8日に日本でレビュー済み
長男と早朝ゴルフ。#赤羽ゴルフ倶楽部
朝方はメチャ寒くて、厚着して車の暖房をつけて出発。
数日前までは半袖短パンだったのに。
夕方は小石川植物園3周ラン。締めて14kmのラン&ウォーキング。9月はコロナになったり台風が来たりでインドア中心だったので、10月はそのぶん挽回しないと。
*****************************
インドア中は読書。新聞の書評で面白そうだなと思った新作本は図書館で予約しておく。中々借りられない本もあれば、すぐ借りられる本もある。
「読書会という幸福」という本は後者で、あっという間に借りることができた。ラッキーだ。
読書会って以前から興味はあったが、実際に参加したことはない。皆で集まって感想を話し合うって、自分では思いつかない意見が聞けるかもしれないし、楽しそうだなとは思っていた。
読書会なら、1人では読むのをためらう長編の名作を読む機会ができるとのこと。チボー家の人々、失われた時を求めて、レミゼラブル、源氏物語、などなど。
なるほどなるほど。でも私は面白そうか否かで本を選んでいるので、読書会でも興味が湧かなければ、やっぱり長編は挫折してしまうかもしれない。
もちろん、そんな人は読書会には向いてない、なんてことはこの本には一言も書いてない。
ただただ、読書や読書会を通して得られる幸福感がひしひしと伝わってくる良本だった。
朝方はメチャ寒くて、厚着して車の暖房をつけて出発。
数日前までは半袖短パンだったのに。
夕方は小石川植物園3周ラン。締めて14kmのラン&ウォーキング。9月はコロナになったり台風が来たりでインドア中心だったので、10月はそのぶん挽回しないと。
*****************************
インドア中は読書。新聞の書評で面白そうだなと思った新作本は図書館で予約しておく。中々借りられない本もあれば、すぐ借りられる本もある。
「読書会という幸福」という本は後者で、あっという間に借りることができた。ラッキーだ。
読書会って以前から興味はあったが、実際に参加したことはない。皆で集まって感想を話し合うって、自分では思いつかない意見が聞けるかもしれないし、楽しそうだなとは思っていた。
読書会なら、1人では読むのをためらう長編の名作を読む機会ができるとのこと。チボー家の人々、失われた時を求めて、レミゼラブル、源氏物語、などなど。
なるほどなるほど。でも私は面白そうか否かで本を選んでいるので、読書会でも興味が湧かなければ、やっぱり長編は挫折してしまうかもしれない。
もちろん、そんな人は読書会には向いてない、なんてことはこの本には一言も書いてない。
ただただ、読書や読書会を通して得られる幸福感がひしひしと伝わってくる良本だった。
2022年10月5日に日本でレビュー済み
筆者の文章の上手さにも引き込まれて、
読み逃している古典的名作もメモしたりして
悩ましいやら、嬉しいやらの読後感である。
文中に出てくる一冊の本を介しての、人々とのやりとりも
魅力的であり
次には是非、筆者の翻訳本も読みたいと思った次第
読み逃している古典的名作もメモしたりして
悩ましいやら、嬉しいやらの読後感である。
文中に出てくる一冊の本を介しての、人々とのやりとりも
魅力的であり
次には是非、筆者の翻訳本も読みたいと思った次第
2022年8月21日に日本でレビュー済み
『読書会という幸福』(向井和美著、岩波新書)には、著者の読書愛、読書会愛が溢れています。
●サマセット・モーム愛について――
「モーム沼にハマると抜けだせなくなる。読みはじめたらやめられないし、一作読むと次の作品も読みたくなる。それほどまでにこの作者は巧妙なのである。読む者を誘うその手にからめとられてしまったら、いっそのこともうモーム沼にどっぷりつかってしまいたくなる」。何を隠そう、私もモーム沼に嵌った一人です。
「モームの小説はたしかにおもしろいが、『いかにも読者を喜ばせようという魂胆が見えてあざとい』という意見もあった。それに応えるかのように、『英国諜報員アシェンデン』の前書きで、モームはみずからの小説手法が確信犯的であることを明かしてみせる。小説は事実に似ていなければならない、と云う作家たちの書くものは陳腐であると斬って捨て、ほんの少しの事実から読者が楽しめる小説を生みだすことこそ作家の腕なのだ、と決意表明のように言っている。たしかに、この小説がエンタテインメント性の強い作品であることは間違いない」。ここまで言われては、未読の『英国諜報員アシェンデン』を手にせずに済ますわけにはいきません。
●カズオ・イシグロの『日の名残り』愛について――
「丸谷才一氏による解説には、納得しかねる部分があった。『スティーブンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する』とあるが、いやいや、スティーブンスは彼女の恋心にじゅうぶん気づいていたはずだ。気づいていながら執事に徹し、知らぬふりをせねばならなかったからこその悲哀ではないだろうか」。丸谷才一よりも向井和美の言い分に分があると、私は考えます。それにしても、稀代の読書家・丸谷にいちゃもんをつけるとは、向井の度胸と実力は相当なものですね。
●『失われた時を求めて』愛について――
「(読書会で)今回は『花咲く乙女たちのかげにⅠ』の第1部『スワン夫人をめぐって』の半分くらいまでを読みました。・・・早くも予言されたスワンの死、かすかに告げられたアルベルチーヌの名。今後の展開に向けて、いたるところに伏線が張られており、先を読まずにはいられないほどに、わたしたちはもはやプルーストの迷宮深くに入りこんでしまったようです」。
「『見出された時Ⅱ』の半分までを読みました。久しぶりにサロンを訪れた私は、以前から知っていた社交界の人々のあまりの変わりように驚くのですが、最初はそれが老いによるものだと思わず、見事に仮装している、と感じたほどでした。このあたりの表現は秀逸だという感想もありました。遠目にはさほど老いていないと感じられた人たちでさえ、近づいてみると容貌の衰えは目を覆うばかりで、その醜さを克明に描きだすやりかたは、語り手独特の辛辣さです。容貌だけでなく、ある人たちは性格まで変わってしまい、怒りっぽい人がすっかり丸くなっていたりするのですが、それは、あくまでその人を怒りっぽいと捉えていた語り手の見かたにすぎなかったのかもしれません。そして、社交界での地位もすっかり変化していました。ヴェルデュラン夫人がいつのまにか再婚して、ゲルマント大公夫人に収まっていたのにはびっくり。最後になって、このあまりの急展開に、読者はちょっとついていけません。次回はもっとすごいことになりそうなのです」。
「今回は、『失われた時を求めて』の最終回、『見出された時Ⅱ』の最後までを読みました。・・・ここまで平面的に書かれてきたことが、最終巻では時間によってそのすべてが立体的になり、奥行きを持ったものになった、という意見がありました。この一巻のなかに、これまでのすべてが凝縮されているような印象もありました」。この意見に、大賛成です! 私は、マルセル・プルーストは、この最終巻が書きたくて、この長~~い作品を書いたという説を支持しているからです。そして、著者のこの読書会で、私も読んだ鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)がテクストとして採用されているのも、嬉しいことです。何と言っても、鈴木訳は最高ですから。
●サマセット・モーム愛について――
「モーム沼にハマると抜けだせなくなる。読みはじめたらやめられないし、一作読むと次の作品も読みたくなる。それほどまでにこの作者は巧妙なのである。読む者を誘うその手にからめとられてしまったら、いっそのこともうモーム沼にどっぷりつかってしまいたくなる」。何を隠そう、私もモーム沼に嵌った一人です。
「モームの小説はたしかにおもしろいが、『いかにも読者を喜ばせようという魂胆が見えてあざとい』という意見もあった。それに応えるかのように、『英国諜報員アシェンデン』の前書きで、モームはみずからの小説手法が確信犯的であることを明かしてみせる。小説は事実に似ていなければならない、と云う作家たちの書くものは陳腐であると斬って捨て、ほんの少しの事実から読者が楽しめる小説を生みだすことこそ作家の腕なのだ、と決意表明のように言っている。たしかに、この小説がエンタテインメント性の強い作品であることは間違いない」。ここまで言われては、未読の『英国諜報員アシェンデン』を手にせずに済ますわけにはいきません。
●カズオ・イシグロの『日の名残り』愛について――
「丸谷才一氏による解説には、納得しかねる部分があった。『スティーブンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する』とあるが、いやいや、スティーブンスは彼女の恋心にじゅうぶん気づいていたはずだ。気づいていながら執事に徹し、知らぬふりをせねばならなかったからこその悲哀ではないだろうか」。丸谷才一よりも向井和美の言い分に分があると、私は考えます。それにしても、稀代の読書家・丸谷にいちゃもんをつけるとは、向井の度胸と実力は相当なものですね。
●『失われた時を求めて』愛について――
「(読書会で)今回は『花咲く乙女たちのかげにⅠ』の第1部『スワン夫人をめぐって』の半分くらいまでを読みました。・・・早くも予言されたスワンの死、かすかに告げられたアルベルチーヌの名。今後の展開に向けて、いたるところに伏線が張られており、先を読まずにはいられないほどに、わたしたちはもはやプルーストの迷宮深くに入りこんでしまったようです」。
「『見出された時Ⅱ』の半分までを読みました。久しぶりにサロンを訪れた私は、以前から知っていた社交界の人々のあまりの変わりように驚くのですが、最初はそれが老いによるものだと思わず、見事に仮装している、と感じたほどでした。このあたりの表現は秀逸だという感想もありました。遠目にはさほど老いていないと感じられた人たちでさえ、近づいてみると容貌の衰えは目を覆うばかりで、その醜さを克明に描きだすやりかたは、語り手独特の辛辣さです。容貌だけでなく、ある人たちは性格まで変わってしまい、怒りっぽい人がすっかり丸くなっていたりするのですが、それは、あくまでその人を怒りっぽいと捉えていた語り手の見かたにすぎなかったのかもしれません。そして、社交界での地位もすっかり変化していました。ヴェルデュラン夫人がいつのまにか再婚して、ゲルマント大公夫人に収まっていたのにはびっくり。最後になって、このあまりの急展開に、読者はちょっとついていけません。次回はもっとすごいことになりそうなのです」。
「今回は、『失われた時を求めて』の最終回、『見出された時Ⅱ』の最後までを読みました。・・・ここまで平面的に書かれてきたことが、最終巻では時間によってそのすべてが立体的になり、奥行きを持ったものになった、という意見がありました。この一巻のなかに、これまでのすべてが凝縮されているような印象もありました」。この意見に、大賛成です! 私は、マルセル・プルーストは、この最終巻が書きたくて、この長~~い作品を書いたという説を支持しているからです。そして、著者のこの読書会で、私も読んだ鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)がテクストとして採用されているのも、嬉しいことです。何と言っても、鈴木訳は最高ですから。
『読書会という幸福』(向井和美著、岩波新書)には、著者の読書愛、読書会愛が溢れています。
●サマセット・モーム愛について――
「モーム沼にハマると抜けだせなくなる。読みはじめたらやめられないし、一作読むと次の作品も読みたくなる。それほどまでにこの作者は巧妙なのである。読む者を誘うその手にからめとられてしまったら、いっそのこともうモーム沼にどっぷりつかってしまいたくなる」。何を隠そう、私もモーム沼に嵌った一人です。
「モームの小説はたしかにおもしろいが、『いかにも読者を喜ばせようという魂胆が見えてあざとい』という意見もあった。それに応えるかのように、『英国諜報員アシェンデン』の前書きで、モームはみずからの小説手法が確信犯的であることを明かしてみせる。小説は事実に似ていなければならない、と云う作家たちの書くものは陳腐であると斬って捨て、ほんの少しの事実から読者が楽しめる小説を生みだすことこそ作家の腕なのだ、と決意表明のように言っている。たしかに、この小説がエンタテインメント性の強い作品であることは間違いない」。ここまで言われては、未読の『英国諜報員アシェンデン』を手にせずに済ますわけにはいきません。
●カズオ・イシグロの『日の名残り』愛について――
「丸谷才一氏による解説には、納得しかねる部分があった。『スティーブンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する』とあるが、いやいや、スティーブンスは彼女の恋心にじゅうぶん気づいていたはずだ。気づいていながら執事に徹し、知らぬふりをせねばならなかったからこその悲哀ではないだろうか」。丸谷才一よりも向井和美の言い分に分があると、私は考えます。それにしても、稀代の読書家・丸谷にいちゃもんをつけるとは、向井の度胸と実力は相当なものですね。
●『失われた時を求めて』愛について――
「(読書会で)今回は『花咲く乙女たちのかげにⅠ』の第1部『スワン夫人をめぐって』の半分くらいまでを読みました。・・・早くも予言されたスワンの死、かすかに告げられたアルベルチーヌの名。今後の展開に向けて、いたるところに伏線が張られており、先を読まずにはいられないほどに、わたしたちはもはやプルーストの迷宮深くに入りこんでしまったようです」。
「『見出された時Ⅱ』の半分までを読みました。久しぶりにサロンを訪れた私は、以前から知っていた社交界の人々のあまりの変わりように驚くのですが、最初はそれが老いによるものだと思わず、見事に仮装している、と感じたほどでした。このあたりの表現は秀逸だという感想もありました。遠目にはさほど老いていないと感じられた人たちでさえ、近づいてみると容貌の衰えは目を覆うばかりで、その醜さを克明に描きだすやりかたは、語り手独特の辛辣さです。容貌だけでなく、ある人たちは性格まで変わってしまい、怒りっぽい人がすっかり丸くなっていたりするのですが、それは、あくまでその人を怒りっぽいと捉えていた語り手の見かたにすぎなかったのかもしれません。そして、社交界での地位もすっかり変化していました。ヴェルデュラン夫人がいつのまにか再婚して、ゲルマント大公夫人に収まっていたのにはびっくり。最後になって、このあまりの急展開に、読者はちょっとついていけません。次回はもっとすごいことになりそうなのです」。
「今回は、『失われた時を求めて』の最終回、『見出された時Ⅱ』の最後までを読みました。・・・ここまで平面的に書かれてきたことが、最終巻では時間によってそのすべてが立体的になり、奥行きを持ったものになった、という意見がありました。この一巻のなかに、これまでのすべてが凝縮されているような印象もありました」。この意見に、大賛成です! 私は、マルセル・プルーストは、この最終巻が書きたくて、この長~~い作品を書いたという説を支持しているからです。そして、著者のこの読書会で、私も読んだ鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)がテクストとして採用されているのも、嬉しいことです。何と言っても、鈴木訳は最高ですから。
●サマセット・モーム愛について――
「モーム沼にハマると抜けだせなくなる。読みはじめたらやめられないし、一作読むと次の作品も読みたくなる。それほどまでにこの作者は巧妙なのである。読む者を誘うその手にからめとられてしまったら、いっそのこともうモーム沼にどっぷりつかってしまいたくなる」。何を隠そう、私もモーム沼に嵌った一人です。
「モームの小説はたしかにおもしろいが、『いかにも読者を喜ばせようという魂胆が見えてあざとい』という意見もあった。それに応えるかのように、『英国諜報員アシェンデン』の前書きで、モームはみずからの小説手法が確信犯的であることを明かしてみせる。小説は事実に似ていなければならない、と云う作家たちの書くものは陳腐であると斬って捨て、ほんの少しの事実から読者が楽しめる小説を生みだすことこそ作家の腕なのだ、と決意表明のように言っている。たしかに、この小説がエンタテインメント性の強い作品であることは間違いない」。ここまで言われては、未読の『英国諜報員アシェンデン』を手にせずに済ますわけにはいきません。
●カズオ・イシグロの『日の名残り』愛について――
「丸谷才一氏による解説には、納得しかねる部分があった。『スティーブンスが信じていた執事としての美徳とは、実は彼を恋い慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する』とあるが、いやいや、スティーブンスは彼女の恋心にじゅうぶん気づいていたはずだ。気づいていながら執事に徹し、知らぬふりをせねばならなかったからこその悲哀ではないだろうか」。丸谷才一よりも向井和美の言い分に分があると、私は考えます。それにしても、稀代の読書家・丸谷にいちゃもんをつけるとは、向井の度胸と実力は相当なものですね。
●『失われた時を求めて』愛について――
「(読書会で)今回は『花咲く乙女たちのかげにⅠ』の第1部『スワン夫人をめぐって』の半分くらいまでを読みました。・・・早くも予言されたスワンの死、かすかに告げられたアルベルチーヌの名。今後の展開に向けて、いたるところに伏線が張られており、先を読まずにはいられないほどに、わたしたちはもはやプルーストの迷宮深くに入りこんでしまったようです」。
「『見出された時Ⅱ』の半分までを読みました。久しぶりにサロンを訪れた私は、以前から知っていた社交界の人々のあまりの変わりように驚くのですが、最初はそれが老いによるものだと思わず、見事に仮装している、と感じたほどでした。このあたりの表現は秀逸だという感想もありました。遠目にはさほど老いていないと感じられた人たちでさえ、近づいてみると容貌の衰えは目を覆うばかりで、その醜さを克明に描きだすやりかたは、語り手独特の辛辣さです。容貌だけでなく、ある人たちは性格まで変わってしまい、怒りっぽい人がすっかり丸くなっていたりするのですが、それは、あくまでその人を怒りっぽいと捉えていた語り手の見かたにすぎなかったのかもしれません。そして、社交界での地位もすっかり変化していました。ヴェルデュラン夫人がいつのまにか再婚して、ゲルマント大公夫人に収まっていたのにはびっくり。最後になって、このあまりの急展開に、読者はちょっとついていけません。次回はもっとすごいことになりそうなのです」。
「今回は、『失われた時を求めて』の最終回、『見出された時Ⅱ』の最後までを読みました。・・・ここまで平面的に書かれてきたことが、最終巻では時間によってそのすべてが立体的になり、奥行きを持ったものになった、という意見がありました。この一巻のなかに、これまでのすべてが凝縮されているような印象もありました」。この意見に、大賛成です! 私は、マルセル・プルーストは、この最終巻が書きたくて、この長~~い作品を書いたという説を支持しているからです。そして、著者のこの読書会で、私も読んだ鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』(集英社文庫、全13巻)がテクストとして採用されているのも、嬉しいことです。何と言っても、鈴木訳は最高ですから。
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2022年7月18日に日本でレビュー済み
読書はすきですが、
一冊の本を読了しないことがしばしばあります。
読書会があることを知りました。
他人の感想を聞くことも、
読み方が活性化されるかもしれない、とおもいました。
「おわりに」で、本の意図を考えることができました。
読書はすきだといったものの、
最後の「読書会課題本リスト」の本を読んでいないことも知りました。
一冊の本を読了しないことがしばしばあります。
読書会があることを知りました。
他人の感想を聞くことも、
読み方が活性化されるかもしれない、とおもいました。
「おわりに」で、本の意図を考えることができました。
読書はすきだといったものの、
最後の「読書会課題本リスト」の本を読んでいないことも知りました。
2022年6月23日に日本でレビュー済み
読書会をしたい人、している人にも役立つと思いますが、海外の古典・現代文学を読みたいと思っているけど、何を読んだらいいか悩んでいる人にも役立ちそうです。