飛驒と信濃を結ぶ重要な交通路であった野麦峠(1.672m)は、昭和9(1934)年に国鉄高山線が開通するまで多くの人々が行き交い、飛驒から諏訪湖畔の工場へ往来する糸ひき(製糸工女)達もまた此の峠を往来した。野麦とは野生の麦の意では無く、クマザサの実の事で、飛驒地方で飢饉の際の救荒作物として利用されたという。
製糸会社側より約定証・手付金と引換に集められた工女は、朝5時から夜10時まで、実働16時間超に及ぶ休日無しの労働に従事した。工場内の労働の様子を本文より引用する。
『外は未明の寒さが肌をさすというのに、繰釜の中は180度の熱湯がたぎり、室内温度は華氏80度(セ氏約27度)を越して、ムッとする蛹の悪臭が鼻をつく。水蒸気が天井の外気に冷え、大粒の水滴となって雨のようにおちてくる作業場では、工女たちの着ている着物はみんな濡れていた。まだエプロンというものもない時代、2、3本の手拭いを用意して頭にかぶり、肩にかけてその雫をしぼった。床はぬれてびしょびしょし、その間を蛹集めの小僧が裸足で忙しく走り回っていた。』
工女達は過酷な環境で暗い気持ちで働いていたのかと思いがちだが、意外にも多くの元工女の老婆達から聞き取った話の中に多く共通する表現がある。中村とみ(明治15(1882)年生まれ)の証言。
『野麦峠と工場でのことは、悲しかったこともうれしかったことも、何もかもありがたいことばかりでございます。おかげで私のような者でもこうして生きてこられました。今、何を食べても何をしても、あの岡谷の工場で働いたこと、あの雪の峠を越えたことを思えば幸せで幸せで、こうしていただく一杯のお茶もありがたいこと、もったいないことばかりでございます。』
しかし、此の様に生き残って貴重な証言を遺してくれた元工女の話については、注意すべき点があると以下の様に著者は述べている。
『この人たちの話をきく場合、一つの前提をおいて聞かないと大局的判断をあやまる。話してくれた人はいずれもいい思い出の人が多いこと、健康で成績もよかった恵まれた人である。つまり、一番問題の人は、とうに死んでいるということである。』
本書では女工達の様々なタイプを調査しており、①優等工女(約15%)、②普通工女(約60%)、③不適格者(約5〜10%)…糸引きには生来不器用で、毎日罰を与えられて年末に持ち帰る給金を与えられなかった人達。④病弱型脱落者…結果的に病死・自殺となる。⑤情緒的脱落者…情緒不安定になり風紀的に放縦になり、ヤクザの女に堕落したり、娼妓に売り飛ばされる例も少なくなかった。⑥企業戦犠牲者…表彰を受け新聞に載る程の優秀工女故に会社に利用され、会社に縛り付ける為に妊娠させられ、野麦峠の笹藪で出産し嬰児を放置して行く者も少なく無かったという。此の型から最も自殺者が多く出た(④⑤⑥で約20%)。いま取材に答えて当時の思い出を語る人達は、優等工女だった人の割合が多いと著者はいう。
工女達の出身が貧農層が多かった事と関わり、口減らしの為に出された当時の農村ではとても食べられなかった米飯があり、現金給与がある工女は農村に残るより遥かに豊かであった。明治時代の山間の農村の困窮は想像を絶する厳しく、工女の出身地はいずれも生産力の低い山村・小作地帯の零細な余剰労力で、飛驒では吉城郡・大野郡等稗飯主食地帯。甲州では富士山麓。信州では八ヶ岳山麓の麦飯トウモロコシ主食地帯。新潟では中頸城郡・刈羽郡・魚沼郡等で、ここは米どころでも当時は強固な地主支配の農村で、米を作っていながら米が食えない地帯と言われていた。こういう所が工女募集の対象地とされた。
その工女も各会社の虚虚実実の奪い合いの対象であり、大金や引出物を加えた壮烈な戦いが各製糸工場間で繰り広げられた。それ以上に凄まじいのが原材料費の80%を越える繭の奪い合いで、岡谷の購繭員達は詐欺紛いの手口を会社ぐるみで企画し、繭農家から買い叩く事に精魂を費やした。山奥の地域ではそれが通用したが、信州の繭農家では新聞やラジオを備えて横浜の糸相場を先に知っており、購繭員達と熾烈なやり取りを行った様子が本文に詳しい。
他にも、年末休暇では一年分の給金を抱いて豪雪の野麦峠を超えて故郷に帰る苦労話や、翌年の契約を結ぶ為に各製糸会社間で熾烈な女工の奪い合いが正月から起こり、結果として法外な一時金や贈り物が遣り取りされ、女工の賃金が鰻登りに上昇した事情。昭和2(1927)年9月17日に発生した山一林組で起こった日本史上初の大規模製糸女工ストライキ「山一争議」についてなど、岡谷の製糸産業の背後にある社会の姿まで丁寧に言及している。
『知り得た範囲では、従来いわれて来た画一的な「哀史」とはよほど違ったものだった。例えば、それは粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説となっているが、実際に調べてみると、飛驒関係の工女の中には食事が悪かったと答えたものはついに一人もいなかった。低賃金についても同じだ。長時間労働についても、苦しかったと答えたものはたった3パーセントだけで、後の大部分は「それでも家の仕事よりも楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。』
『人間は他と比較することによってのみ自己の立場を知るものだとしたら、彼らにとっては工場生活は哀史どころか、それは生活の一歩前進と考えるのも無理はない。つまりそれはとりもなおさず日本農村の底知れない貧しさみじめさの象徴であった。』
本書では、女工たちの糸繰り唄に織り込まれる悲哀や、現存する賃金記録に見る生活や家庭の実情についてまで、約380人、明治2〜36年生まれ、取材当時60〜90歳の、実に沢山の人達から聞き取りを行っている。それは明治の生証人である工女達が死に絶えていく昭和40年代の最後の瞬間に間に合った成果であり、著者自身も『野麦峠の取材はもう二度とできない。』と感慨を述べている。
明治42(1909)年11月20日午後2時、野麦峠頂上で政井みね(享年20歳)は逝去。岡谷の工場から遥々妹を担いで故郷へ向かっていた政井辰次郎(岐阜県吉城郡河合村角川、当時31歳)は、60年も後までその日の事を涙ながらに話し続けたという。後に映画化までされて有名になった此の工女は、本書では上記のみにしか描かれていない。その辰次郎は、遥か後年の昭和43(1968)年8月8日に野麦峠の碑建立の話合いが行われている最中に危篤に陥っている。92歳迄長命した。
製糸産業を支えたのは、歴史に埋もれていった沢山の「政井みね」であり、彼女等の汗と涙が、明治から昭和にかけての近代日本の曙を支え続けた。本書は不朽の価値を持つ貴重な肉声を湛えた明治の女たちのドキュメントである。
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あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫) 文庫 – 1977/4/1
山本 茂実
(著)
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過酷な労働に耐え、明治の富国強兵政策を底辺で支えた無数の少女達。その女工哀史の真実とは。四〇〇名に及ぶ元工女を訪ね、歴史の闇に沈んでいた近代日本の民衆史を照らし出す、ノンフィクションの金字塔。
- ISBN-104041433010
- ISBN-13978-4041433010
- 版一般文庫
- 出版社KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日1977/4/1
- 言語日本語
- 本の長さ418ページ
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登録情報
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- 言語 : 日本語
- 文庫 : 418ページ
- ISBN-10 : 4041433010
- ISBN-13 : 978-4041433010
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汚れていてガッカリ
素晴らしい内容は既知の上です。昔買ったハードタイプが何度も読んで古くなったため、保存用として購入しました。汚れがあったためがっかり。Amazonさん経由で書庫を購入するのは久しぶりですが、昔はシュリンク包装で送られてきたのに。。。
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2022年10月20日に日本でレビュー済み
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2020年2月22日に日本でレビュー済み
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今となっては想像もできない生活。社会がとても貧しいとき,人権はどこまで考慮されるべきか。この状況は今も世界のどこかで続いている気がする。
2013年9月9日に日本でレビュー済み
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この夏休みに松本 上高地を訪問した際に、野麦峠の看板とガイドの話から、小説と思い購入しましたが小説ではなく残念でしたが、内容は興味深いものでした。
2020年11月1日に日本でレビュー済み
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30年くらい前の本ですけど、久しぶりに読めて、今の有り難みを噛みしめました。良かったです😊
2020年1月8日に日本でレビュー済み
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戦前までの日本の輸出産業の中で製糸工業が一番盛んであり、それは世界一位であった。そしてその生産は主に信州岡谷で行われていたのであるが、製糸業を営む女工さん達は岡谷から160kmばかり離れた建山まで冬の厳しい野麦峠を超えて連れて来られた。彼女らはまだ15歳にも満たない人々であった。つまりは明治大正昭和の戦前までの日本製糸産業を支えたのはまだ幼気な女工さん達であった。そして彼らの労働環境は劣悪で、肺炎などで死ぬことも珍しくなかった。便所に行く時間さえ制限されており、病気で休むこともままならなかった。
製糸工業が日本の輸出産業のトップであったのは昭和の戦前までであり、戦後はナイロンの発明により製糸工業は凋落していく。女工哀史と言われた所以は幼気な女性がその産業を担っていたからであり、朝の5時から夜の11時までという長時間労働を強制させられていたこと、昼ご飯の時間は15分から20分程度であり、機械から出る騒音は通常の会話が出来ない程であった。労働環境は過酷を極め、毎年数名は死ぬという哀れさであった。
この本は当時のことを実際知る人々からの聞き語りを基にしており、同じ女工哀史でも文献を基にして書き下ろした総説とは内容が異なる。
製糸工業が日本の輸出産業のトップであったのは昭和の戦前までであり、戦後はナイロンの発明により製糸工業は凋落していく。女工哀史と言われた所以は幼気な女性がその産業を担っていたからであり、朝の5時から夜の11時までという長時間労働を強制させられていたこと、昼ご飯の時間は15分から20分程度であり、機械から出る騒音は通常の会話が出来ない程であった。労働環境は過酷を極め、毎年数名は死ぬという哀れさであった。
この本は当時のことを実際知る人々からの聞き語りを基にしており、同じ女工哀史でも文献を基にして書き下ろした総説とは内容が異なる。
2022年10月15日に日本でレビュー済み
「ミネビョウキスグヒキトレ」の電報で兄が駆けつける。
みねと会った日付もない。
88才の老人の聞き取りで60年前の電報である。
電報の存在は明らかにされてないし日付もない。
これを断定的に書き60年前の伝聞の内容に
聞き取った著者の「工場から死人を出したくないからである。」との
断定がはいる。
ここで88才の老人の60年前の回想の電報の内容に勘違いや間違いがあるかもしれない
という常識的知性が入る余地はない。
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88才の老人の聞き取りで60年前の電報である。
電報の存在は明らかにされてないし日付もない。
これを断定的に書き60年前の伝聞の内容に
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断定がはいる。
ここで88才の老人の60年前の回想の電報の内容に勘違いや間違いがあるかもしれない
という常識的知性が入る余地はない。
2014年10月1日に日本でレビュー済み
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私が中学校の時、学校でこの映画を見ました。
あまりにも酷い状況下で働かされ、自殺者も出たと言われています。
今回、製糸工場が文化遺産になると聞き、もう一度あの悲惨な現実を忘れてはいけないと思い、読んでみることにしました。あんな悲惨な事がもう二度と繰り返されてはいけません。
それを忘れない為の文化遺産だと思います。
あまりにも酷い状況下で働かされ、自殺者も出たと言われています。
今回、製糸工場が文化遺産になると聞き、もう一度あの悲惨な現実を忘れてはいけないと思い、読んでみることにしました。あんな悲惨な事がもう二度と繰り返されてはいけません。
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