この本は、30年ほど前に出版された本なので、普通の本屋では買えません。
しかし、アマゾンを利用して買うことができました。しかも安価でした。
本の中は、黄色の蛍光ペンで傍線が塗られているところがありますが、気になりません。
また、このような書店で買えない古本は、アマゾンを利用して買いたいです。
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共和党と民主党: 二大政党制のダイナミズム (講談社現代新書 1234) 新書 – 1995/1/1
松尾 弌之
(著)
超大国アメリカを動かす2つの巨大マシーン、「自由と競争」の共和党、「平等と公平」の民主党。世界で最もパワフルな二大政党制の実態に迫る。
二大政党制のメリット──このような制度のなかでは、統治される側の「あきらめの気持ち」が入り込む余地はない。……統治している側も、統治される側とさして変わらない人間たちなのである。そこで統治の任にあたっている者に対して統治権者に対する疑念や不服従、代替の政策の提案などは、したがってアメリカの政治の世界ではごくあたり前のことである。私たちは、合衆国議会が大統領のいうことを聞かなかったり、あるいは議会のなかで民主党と共和党が激しくあらそう様子をしばしば見聞する。世論が沸騰して多様な意見が入り乱れ、時の政権が倒れそうになるくらい反対意見がうず巻くなかで、かろうじて政策が遂行されていくのを目撃する。しかし、それがアメリカの政治の普通の姿なのである。このような国内の騒乱に似た状況が、アメリカの政治の正しい姿であり、それゆえにアメリカはかろうじて民主主義の制度を守り抜くことができているのである。──本書より
二大政党制のメリット──このような制度のなかでは、統治される側の「あきらめの気持ち」が入り込む余地はない。……統治している側も、統治される側とさして変わらない人間たちなのである。そこで統治の任にあたっている者に対して統治権者に対する疑念や不服従、代替の政策の提案などは、したがってアメリカの政治の世界ではごくあたり前のことである。私たちは、合衆国議会が大統領のいうことを聞かなかったり、あるいは議会のなかで民主党と共和党が激しくあらそう様子をしばしば見聞する。世論が沸騰して多様な意見が入り乱れ、時の政権が倒れそうになるくらい反対意見がうず巻くなかで、かろうじて政策が遂行されていくのを目撃する。しかし、それがアメリカの政治の普通の姿なのである。このような国内の騒乱に似た状況が、アメリカの政治の正しい姿であり、それゆえにアメリカはかろうじて民主主義の制度を守り抜くことができているのである。──本書より
- 本の長さ217ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1995/1/1
- ISBN-104061492349
- ISBN-13978-4061492349
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商品の説明
著者について
1941年、旧満州(現在の中国東北部)生まれ。1964年、上智大学外国語学部卒業後、米国国務省勤務を経て、ジョージタウン大学大学院博士課程修了。現在、上智大学教授。専攻は米国史。著書に、『アメリカ研究』〈共著〉──大修館書店──等のほか、本シリーズにも『アメリカン・ヒーロー』『不思議の国のアメリカ』『大統領の英語』がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1995/1/1)
- 発売日 : 1995/1/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 217ページ
- ISBN-10 : 4061492349
- ISBN-13 : 978-4061492349
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,102,698位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 319位政党 (本)
- - 475位アメリカのエリアスタディ
- - 2,764位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
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2020年2月5日に日本でレビュー済み
1995年出版の著書なので、内容はだいぶ古さを感じさせるかもしれない。
ただ医療保険制度に対する両政党の違いなどを説明し、その両党の差異を上手く説明していると思う。たとえば、医療保険に関して、保険制度導入は民主党歴代政権の悲願である。
が、「小さな政府」を目指す共和党にとってはそんなのは”余計なお世話”であり、保険の運用は膨大な費用で国庫に負担をかけるし、その制度維持のために政府組織がさらに肥大するのでNGという主張も理解できる。
政府が管理する制度が出来上がった場合に、医療関係者の間に無責任体制が生まれ医療技術の低下につながる、不必要な医療行為が行われがちになるとか。これはそのまま日本の医療体制にあてはまる批判であろう。
両党の違いとして、29頁で「民主党はゴール(到着点、結果、成果、最終的分け前など)の平等を実現しようとし、共和党はスタートライン(出発点、競争条件、与えられた機会など)の平等を目指している」という表現がよくつかわれるらしい。つまりは、方法論の相違だと。
しかし、そういうパラダイム的な見方もいまだ存在するものの、レーガン政権の前後より不明瞭になってきたと著者は述べる。民主党が共和党的な政策を、また共和党が民主党的な政策を行うことも見られるようになってきたということ。
また日本とは違って、米国ではもはやメディア時代の選挙となり、日本でいまだにみられる各選挙区の有力者が政治ボスとなり、候補者選出に対して隠然とした影響力を発揮するという時代ではなくなってきた。本書でも「地元有力者が一つの政党につき3000人」(79頁)おり、その選挙区の下にプレシンクト(precinct)という数百名の有権者で構成される「アメリカの政治のもっとも基礎的な単位」(84頁)が存在し、そのプレシンクトをまとめるリーダーを「キャプテン」と称し、彼らがそれらプレシンクトの有権者の世話焼き係をするらしい(一政党につき10万人のキャプテン)。
そして、このような政党組織のことを「マシーン」(90頁)と称するのだが、20世紀になってマシーン政治は腐敗の巣であると批判した「近代派」(91頁)が出てくる。彼らは、候補者が地元の有力者に訴えかけてことを運ぶのではなしに、直接ラジオやテレビを通じて有権者に訴えかけていくげきだと。地元の政治のプロみたいな古だぬきではなく民衆の意見を本当に表明する機会を増やそうという団体だ。こういう勢力は以前からいたが、ラジオなどのマスメディアが登場することでようやく力を発揮し始める。これが従来型のボス政治の体制にゆさぶりをかける(93頁)ことになる。
この点の記述をみると、今ではもっとそれが米国では進んでいるなと思う。一方で、日本の選挙戦を見ると、いつまでも古狸なのだから嫌になる。
また「アメリカの首都ワシントンDCには4年ごとに血統の正しい野良猫や野良犬が街にあふれるようになる」といういささか奇妙なうわさがある(96頁)。これは、アメリカ大統領選で多くの官職が入れ替わるからである。「政治任命」という習慣があり、政権交代につき行政府の責任ある地位のものもすべて入れ替わってしまう。論功行賞というか、戦利役得の制度だ。日本ではありえないが、アメリカでは全国の郵便局長や、市役所の課長、部長というポストが選挙戦勝利のご褒美として与えられるとのこと。
こんなこと、日本ではありえないだろう。
また最高裁判事も、空席が出れば大統領が任命するので、自分と仲がよい弁護士にその席を与えるのだ。これが当たり前なのだ。司法の独立などどこ吹く風である。まだ日本のほうがだいぶ「健全」ではないかと思った。著者は「民主主義の保持のための装置を現実的に動かしているのは、生身の人間である」(105頁)から仕方がないという。
ともかく「政治任命は相当程度地方政治の行政機構の中に入り込んでいる」(107頁)のであり、ある町の民主党の何らかの政治委員をしていた者のうち73パーセントが公の職についているというデータもある。著者も「今日の日本の常識からいえば腐敗の極みに見える」(110頁)というが、「キャリアのお役人と違い知識も少ない、素人臭い彼らのほうが腐敗の度合いが少ないのだ」と一方で評価もする。
公務員は公衆に奉仕するための役職のくせに、永年にわたって役務をこなし、与えられた権力を行使しているうちに、むしろ公衆の利益に反するような考え方を持つようになる。役職自体が一種の財産となり、公衆の利益に無関心になるのは自然だ、というのが第7代大統領ジャクソンの言葉だ(111頁)
ジャクソンはだからこそ公務員ずれしていない人間たちを公務に送り込むべきであり、政党が任命したその役職者は民衆を代表して送り込まれたお目付け役であり、彼らは伝統的な役所のしきたりやお役人の自己保身本能などを見事に打ち砕いてくれるというのだ(114頁)。こういう主張も、官僚主義の弊害や地方公務員の腐敗ぶりをみると、正しい部分があるなと思った。
いわゆるお役所対応に腹を立てている日本国民はきっと私だけではないはずだ。なんと素晴らしい制度ではないか。ジャクソン大統領は公務員4年制を主張した。この政治任命制度は、現在の日本の地方政治を変えるうえでも”切り札”になるかもしれない。もちろん既存の公務員は血眼になって反対するだろうが。。
本書は共和党と民主党の成立の経緯などとともに、歴代の大統領にトピックを当てている。残念ながら「なぜ多数党とならないのか?」「アメリカの議員は地元利益優先というが、具体的にはどういう役割なの?」という点はほとんど回答していない。
他の中心的な論点は、「いったいどういう人たちがどの政党の大統領に投票するのか?」という論点。それと、政党組織の概略などもよく記載されている。こんなところだと思う。
政治任命などもそうだが、ともかく面白い内容を含んだ著書であるのは間違いない!
ただ医療保険制度に対する両政党の違いなどを説明し、その両党の差異を上手く説明していると思う。たとえば、医療保険に関して、保険制度導入は民主党歴代政権の悲願である。
が、「小さな政府」を目指す共和党にとってはそんなのは”余計なお世話”であり、保険の運用は膨大な費用で国庫に負担をかけるし、その制度維持のために政府組織がさらに肥大するのでNGという主張も理解できる。
政府が管理する制度が出来上がった場合に、医療関係者の間に無責任体制が生まれ医療技術の低下につながる、不必要な医療行為が行われがちになるとか。これはそのまま日本の医療体制にあてはまる批判であろう。
両党の違いとして、29頁で「民主党はゴール(到着点、結果、成果、最終的分け前など)の平等を実現しようとし、共和党はスタートライン(出発点、競争条件、与えられた機会など)の平等を目指している」という表現がよくつかわれるらしい。つまりは、方法論の相違だと。
しかし、そういうパラダイム的な見方もいまだ存在するものの、レーガン政権の前後より不明瞭になってきたと著者は述べる。民主党が共和党的な政策を、また共和党が民主党的な政策を行うことも見られるようになってきたということ。
また日本とは違って、米国ではもはやメディア時代の選挙となり、日本でいまだにみられる各選挙区の有力者が政治ボスとなり、候補者選出に対して隠然とした影響力を発揮するという時代ではなくなってきた。本書でも「地元有力者が一つの政党につき3000人」(79頁)おり、その選挙区の下にプレシンクト(precinct)という数百名の有権者で構成される「アメリカの政治のもっとも基礎的な単位」(84頁)が存在し、そのプレシンクトをまとめるリーダーを「キャプテン」と称し、彼らがそれらプレシンクトの有権者の世話焼き係をするらしい(一政党につき10万人のキャプテン)。
そして、このような政党組織のことを「マシーン」(90頁)と称するのだが、20世紀になってマシーン政治は腐敗の巣であると批判した「近代派」(91頁)が出てくる。彼らは、候補者が地元の有力者に訴えかけてことを運ぶのではなしに、直接ラジオやテレビを通じて有権者に訴えかけていくげきだと。地元の政治のプロみたいな古だぬきではなく民衆の意見を本当に表明する機会を増やそうという団体だ。こういう勢力は以前からいたが、ラジオなどのマスメディアが登場することでようやく力を発揮し始める。これが従来型のボス政治の体制にゆさぶりをかける(93頁)ことになる。
この点の記述をみると、今ではもっとそれが米国では進んでいるなと思う。一方で、日本の選挙戦を見ると、いつまでも古狸なのだから嫌になる。
また「アメリカの首都ワシントンDCには4年ごとに血統の正しい野良猫や野良犬が街にあふれるようになる」といういささか奇妙なうわさがある(96頁)。これは、アメリカ大統領選で多くの官職が入れ替わるからである。「政治任命」という習慣があり、政権交代につき行政府の責任ある地位のものもすべて入れ替わってしまう。論功行賞というか、戦利役得の制度だ。日本ではありえないが、アメリカでは全国の郵便局長や、市役所の課長、部長というポストが選挙戦勝利のご褒美として与えられるとのこと。
こんなこと、日本ではありえないだろう。
また最高裁判事も、空席が出れば大統領が任命するので、自分と仲がよい弁護士にその席を与えるのだ。これが当たり前なのだ。司法の独立などどこ吹く風である。まだ日本のほうがだいぶ「健全」ではないかと思った。著者は「民主主義の保持のための装置を現実的に動かしているのは、生身の人間である」(105頁)から仕方がないという。
ともかく「政治任命は相当程度地方政治の行政機構の中に入り込んでいる」(107頁)のであり、ある町の民主党の何らかの政治委員をしていた者のうち73パーセントが公の職についているというデータもある。著者も「今日の日本の常識からいえば腐敗の極みに見える」(110頁)というが、「キャリアのお役人と違い知識も少ない、素人臭い彼らのほうが腐敗の度合いが少ないのだ」と一方で評価もする。
公務員は公衆に奉仕するための役職のくせに、永年にわたって役務をこなし、与えられた権力を行使しているうちに、むしろ公衆の利益に反するような考え方を持つようになる。役職自体が一種の財産となり、公衆の利益に無関心になるのは自然だ、というのが第7代大統領ジャクソンの言葉だ(111頁)
ジャクソンはだからこそ公務員ずれしていない人間たちを公務に送り込むべきであり、政党が任命したその役職者は民衆を代表して送り込まれたお目付け役であり、彼らは伝統的な役所のしきたりやお役人の自己保身本能などを見事に打ち砕いてくれるというのだ(114頁)。こういう主張も、官僚主義の弊害や地方公務員の腐敗ぶりをみると、正しい部分があるなと思った。
いわゆるお役所対応に腹を立てている日本国民はきっと私だけではないはずだ。なんと素晴らしい制度ではないか。ジャクソン大統領は公務員4年制を主張した。この政治任命制度は、現在の日本の地方政治を変えるうえでも”切り札”になるかもしれない。もちろん既存の公務員は血眼になって反対するだろうが。。
本書は共和党と民主党の成立の経緯などとともに、歴代の大統領にトピックを当てている。残念ながら「なぜ多数党とならないのか?」「アメリカの議員は地元利益優先というが、具体的にはどういう役割なの?」という点はほとんど回答していない。
他の中心的な論点は、「いったいどういう人たちがどの政党の大統領に投票するのか?」という論点。それと、政党組織の概略などもよく記載されている。こんなところだと思う。
政治任命などもそうだが、ともかく面白い内容を含んだ著書であるのは間違いない!
2010年12月30日に日本でレビュー済み
アメリカ建国〜クリントン就任までのアメリカの政治史を、二大政党制の観点からたどった本。
1860年〜1932年:共和党の時代
1932年〜1980年:民主党の時代
という区分はアメリカ史を概観する上で非常に分かりやすい指標である。
健全な野党を保つために、お互いの組織を壊滅させるような攻撃は行わない、と。
アメリカ人の良識を感じた。対外政策は別の話として。
1860年〜1932年:共和党の時代
1932年〜1980年:民主党の時代
という区分はアメリカ史を概観する上で非常に分かりやすい指標である。
健全な野党を保つために、お互いの組織を壊滅させるような攻撃は行わない、と。
アメリカ人の良識を感じた。対外政策は別の話として。
2006年11月19日に日本でレビュー済み
共和党と民主党というタイトルながらも、実際には両党の大統領を中心に記述したもの。
軽いエッセイという感じで、あまり深く突っ込んだ内容ではない。文章も読みやすいものではない。
写真はふんだんに使われてはいるのだが。
冒頭に置かれている、アメリカにおける共和党州と民主党州のマップは多少訳には立つかもしれない。
軽いエッセイという感じで、あまり深く突っ込んだ内容ではない。文章も読みやすいものではない。
写真はふんだんに使われてはいるのだが。
冒頭に置かれている、アメリカにおける共和党州と民主党州のマップは多少訳には立つかもしれない。
2009年9月6日に日本でレビュー済み
そもそもアメリカで政党はどうやって生まれたのか、政党誕生にジェファーソンがなぜ、そしてどう関わったか。合衆国憲法が存在しても政党が存在しなかった頃のアメリカ政治と、政党の誕生に不満、不快だったジョージ・ワシントンなどなど、基本的な歴史を知ることができて有益。政治任命のシステムについてはある程度知っていたが、そのメリット、デメリットがよくまとまっていて知識の整理になった。政党下部組織(各地元の組織)の活動をまとめた章も生々しい。共和党と民主党の歴史と対立については、共和党の生みの親リンカーンと、南北戦争後の共和党時代、世界恐慌以降FDR主導の民主党の時代、ニューディールを引きずる第二次大戦後と、著名な大統領にフォーカスをあてながら解説。
「アメリカの政治を見て、アメリカのまとまりのなさ、アメリカ人の自分勝手さ、通俗なアメリカだけを読み取ってはならない。まとまりがなく通俗的で、混乱に満ち、かつ安定のないのがアメリカの政治の姿というもの」という著者の言葉に納得。まとまりや高尚さや安定を求めていこうという気運や動機がないのが、あるいはそういうものが美徳だと考えられていないことが、日本人には面白く不思議なところ。政治だけでなくアメリカの他の分野やシステムにもこれは当てはまると思いつつ読み終えた。
「アメリカの政治を見て、アメリカのまとまりのなさ、アメリカ人の自分勝手さ、通俗なアメリカだけを読み取ってはならない。まとまりがなく通俗的で、混乱に満ち、かつ安定のないのがアメリカの政治の姿というもの」という著者の言葉に納得。まとまりや高尚さや安定を求めていこうという気運や動機がないのが、あるいはそういうものが美徳だと考えられていないことが、日本人には面白く不思議なところ。政治だけでなくアメリカの他の分野やシステムにもこれは当てはまると思いつつ読み終えた。