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マホメット (講談社学術文庫) 文庫 – 1989/5/8
井筒 俊彦
(著)
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イスラームとは何か。マホメットとは誰か? 根源的な謎に答えるため著者はマホメット出現以前のアラビアの異教的文化状況から説き起す。沙漠を吹暴する烈風、蒼天に縺(もつ)れて光る星屑、厳しくも美しい自然に生きる剽悍不覊(ひょうかんふき)の男たちの人生観と世界像。魅力つきせぬこの前イスラーム的文化パラダイムに解体を迫る激烈な意志としてマホメットは出現する。今なお世界史を揺がし続ける沙漠の宗教の誕生を、詩情豊かに描ききる名著の中の名著。
- 本の長さ142ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1989/5/8
- 寸法10.7 x 0.7 x 14.9 cm
- ISBN-10406158877X
- ISBN-13978-4061588776
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商品の説明
著者について
1914年東京生まれ。1937年慶応義塾大学文学部卒。慶応義塾大学教授、カナダ・モントリオールのマックギル大学教授、テヘランのイラン王立哲学アカデミー教授を歴任。慶応義塾大学名誉教授、日本学士院会員、パリ国際哲学会(Institut International de Phiro-sophie)会員。文学博士。専攻は東洋思想、言語哲学。主著に『イスラーム思想史』『イスラーム文化』『意識と本質』(以上岩波書店)『神秘哲学』(人文書院)、主な訳書に『コーラン』(岩波文庫)『ルーミー語録』(岩波書店)等。1993年没。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1989/5/8)
- 発売日 : 1989/5/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 142ページ
- ISBN-10 : 406158877X
- ISBN-13 : 978-4061588776
- 寸法 : 10.7 x 0.7 x 14.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 147,535位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2位マホメット
- - 47位イスラム教(一般)関連書籍
- - 512位講談社学術文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1914年東京・四ツ谷生まれ。
1937年慶應義塾大学英語英文学科卒業、同大学文学部助手。
1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』。
1959年から2年間にわたって中近東・欧米でイラスーム研究に従事。
1961年マギル大学客員教授、69年同大学イスラーム学研究所テヘラン支部教授、75年イラン王立研究所教授。
1979年イラン革命激化のためテヘランから日本に帰国。『意識と本質』(1980-82年)、『意味の深みへ』(1985年)、『コスモスとアンチコスモス』(1989年)、『超越のことば』(1991年)、絶筆『意識の形而上学』(1993年)など代表著作を発表。
1993年北鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年3月7日に日本でレビュー済み
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100pほどで読み終える小著である。ただ、本をめぐるページを読めて声に出したくなることが屡々あった。本自体はわかりやすく理解に苦しんだというわけではない。朗読に適しすぎていると思ったのだ。観念的、学術的なタームは散りばめられているものの、文章としてみた時に、やわらかな日本語に落とし込まれているという不思議さを覚えながら読んだ、たしかに、ここちのよい文を読めば、5・7調になっていたりなど発見がある。にしても、その五感や文のリズムを大切に扱う文体はただただレアであり、ある種の感動を覚えた。
2022年8月17日に日本でレビュー済み
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詩と唄の歌詞になっているので、どんな音階だっのか想像すると楽しい。アラーとムハンマドのチャットが隣りから聴こえてくるようだ。
2020年11月30日に日本でレビュー済み
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おばに、頼まれ購入したものですが、面白くもあり勉強になると喜んでもらえました。
2018年3月24日に日本でレビュー済み
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若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会
「のちにふれるが、井筒(俊彦)が書いた預言者伝『マホメット』を一読すれば、さらに判然とする。読む者は、小林(秀雄)のランボー論や「モオツァルト」と同質の律動を感じるだろう。」(5頁)
つい今しがた、
井筒俊彦『マホメット』講談社学術文庫
を読み了えました。
110頁あまりの内容の文庫本ですが、どれだけの原書に当たり、どれほどの論考が重ねられたのかについて思いをいたしたとき、気が遠くなります。
「マホメットは西暦六世紀の末に生れ、七世紀の前半に神の使徒として活躍した。すなわち、彼は我々の歴史時代に属している。イスラームの発祥は歴史時代の真只中で、いわば真昼の照明の下で堂々と演じられた活劇だ。その点でもマホメットは他の全ての世界的宗教の始祖たちとは違う。
(中略)
しかしいかに臆面のない実証家でもイスラームの始祖マホメットの実在性にだけは一指も触れることはできないのだ。彼は現にそこにいる。我々の目の前に、我々の手のとどく直ぐそこに。」(73-74頁)
との言葉は鮮やかです。
読み重ねるほどに、井筒俊彦の天才を思います。また、学究生活の地平の彼方を見晴るかす、井筒俊彦の構想は、専らであり壮大です。
「井筒俊彦読書週間」を続けます。
「のちにふれるが、井筒(俊彦)が書いた預言者伝『マホメット』を一読すれば、さらに判然とする。読む者は、小林(秀雄)のランボー論や「モオツァルト」と同質の律動を感じるだろう。」(5頁)
つい今しがた、
井筒俊彦『マホメット』講談社学術文庫
を読み了えました。
110頁あまりの内容の文庫本ですが、どれだけの原書に当たり、どれほどの論考が重ねられたのかについて思いをいたしたとき、気が遠くなります。
「マホメットは西暦六世紀の末に生れ、七世紀の前半に神の使徒として活躍した。すなわち、彼は我々の歴史時代に属している。イスラームの発祥は歴史時代の真只中で、いわば真昼の照明の下で堂々と演じられた活劇だ。その点でもマホメットは他の全ての世界的宗教の始祖たちとは違う。
(中略)
しかしいかに臆面のない実証家でもイスラームの始祖マホメットの実在性にだけは一指も触れることはできないのだ。彼は現にそこにいる。我々の目の前に、我々の手のとどく直ぐそこに。」(73-74頁)
との言葉は鮮やかです。
読み重ねるほどに、井筒俊彦の天才を思います。また、学究生活の地平の彼方を見晴るかす、井筒俊彦の構想は、専らであり壮大です。
「井筒俊彦読書週間」を続けます。
2016年1月22日に日本でレビュー済み
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イスラム教の始祖マホメットの入門書である。「こんな大きな一撃を人類の歴史に与え得たマホメットはそも何者であろうか」「使徒か、預言者か、英雄か、あるいはまた昔のキリスト教徒が考えたように悪魔の化身か、欺瞞者、一世の大山師か」。この疑問に対しわずか百頁余によくまとめられている。
マホメットの宗教運動は当初「既存の社会的・道徳的秩序に対する革命的な価値転換の企て」であったが「既存宗教の改革、浄化であって、決して一の新宗教の設立ではなかった」。しかし「時が経つにつれていよいよ純セム的な唯一神教の峻厳な性格を取りはじめ」、メディナ遷行以降はそれまでの「終末観的表象は次第々々に遠のいて」「啓示の内容は著しく現世的となり」、遂には「啓示は信徒に向って盛んに戦闘を勧め出す」。いわゆる「聖戦」であり、メッカ凱旋後は「王」を名乗る。「マホメットのこの仮借なき政治性によって、はじめてイスラームは部族的民族的宗教から一躍して世界的宗教の資格を贏(勝ち)得た」と評する。
イスラームは歴史の流れの中で堕落し原形を失った「アブラハムの宗教」の復活にほかならない。しかし先行するユダヤ・キリスト教同様に「彼自身のイスラームも、また一つの歴史的現実として、やがて千転万変の運命の波間に放浪して行くであろうことを、果して彼は考えなかったのであろうか」。現代のイスラム教徒を見れば著者ならずとも自ずとこの疑問は湧いてくる。
マホメットの宗教運動は当初「既存の社会的・道徳的秩序に対する革命的な価値転換の企て」であったが「既存宗教の改革、浄化であって、決して一の新宗教の設立ではなかった」。しかし「時が経つにつれていよいよ純セム的な唯一神教の峻厳な性格を取りはじめ」、メディナ遷行以降はそれまでの「終末観的表象は次第々々に遠のいて」「啓示の内容は著しく現世的となり」、遂には「啓示は信徒に向って盛んに戦闘を勧め出す」。いわゆる「聖戦」であり、メッカ凱旋後は「王」を名乗る。「マホメットのこの仮借なき政治性によって、はじめてイスラームは部族的民族的宗教から一躍して世界的宗教の資格を贏(勝ち)得た」と評する。
イスラームは歴史の流れの中で堕落し原形を失った「アブラハムの宗教」の復活にほかならない。しかし先行するユダヤ・キリスト教同様に「彼自身のイスラームも、また一つの歴史的現実として、やがて千転万変の運命の波間に放浪して行くであろうことを、果して彼は考えなかったのであろうか」。現代のイスラム教徒を見れば著者ならずとも自ずとこの疑問は湧いてくる。
2016年3月24日に日本でレビュー済み
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この本は、マホメット(・・・最近は「ムハンマド」と表記することが多い・・・)の伝記でありながら、同時に、マホメットがイスラームを起こさざるを得なかった当時と同じような状況にあるわたしたち現代人をあるところへ誘おうとするものでもあると思います。
イスラーム以前のベドウィン社会は、「『血のつながり』を絶対神聖視して全てをそれによって決定」(p.32)していた「同族」社会でした。しかし、それは、その時代だけのものではなく、いつの時代にも見られるものです。血縁とは限らないとしても、利益や「空気」を共有する「同族」集団が現代社会を構成し、「同族」でないものは排除されます。
この状況に対して、マホメットは言います。「異教時代の一切の『血』の負目も賃借関係も、その他諸般の権利義務も今や全く清算されてしまったのである。また同様に、一切の階級的特権も消滅した。地位と血筋を誇ることはもはや何人にも許されない。諸君は全てアダムの後裔として平等であって、もし諸君の間に優劣の差があるとすれば、それは敬神の念の深さにのみ依って決まるのである」(p.108)。
イスラームでは預言者のひとりに位置づけられるイエス(イスラームでは「イーサー」)も似たような感覚を持っていたことが思い出されます。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:35)。
現代のわたしたちにも「同族」の枠を超えた、普遍的なものが必要ではないでしょうか。しかし、それは、いくら枠を大きくしても、枠を持つ、つまり、有限なものであるかぎりは、「同族」の域を出ず、普遍にはなれないでしょう。それは、無限、永遠なものでなければならないでしょう。
当時のベドウィンのもうひとつの特徴として著者は「泡沫にも似た人生の無常、存在の儚さに対する惻々と胸に迫るばかりの哀傷」(p.58)を挙げていますが、これもわたしたちにも通じるものであるでしょう。
これに対しベドウィンは「瞬間的な享楽主義」(p.60)の道しか持たなかったのですが、マホメットは「悔い改めと、『審判の日の主』にたいする懼れ」(同)の道を示します。
自分の快楽や目先の利益だけを追求し、人を傷つけても何とも思わなかったり、その自覚もなかったりする刹那的な殺人や傷害や悪政や自分本位の言動が今とても目立つように感じていますが、ここには、神とは言わなくても、人類とか生命とか世界とか歴史とか、自分をはるかに超えるものへの恐れと恐れが欠如しているのではないでしょうか。
しかし、マホメットは神の審判だけを強調したのではありません。孤児であり、家族に不幸が続いたマホメットは、神だけは自分を見捨てなかったと感じ、神の慈愛と恩寵の面をも知るのです。
「人生の無常、存在の儚さ」を乗りこえさせてくれるものは、刹那な享楽ではなく、永遠なるものが存在し、小さな自分を顧みていてくれると知ることでありましょう。
イスラーム以前のベドウィン社会は、「『血のつながり』を絶対神聖視して全てをそれによって決定」(p.32)していた「同族」社会でした。しかし、それは、その時代だけのものではなく、いつの時代にも見られるものです。血縁とは限らないとしても、利益や「空気」を共有する「同族」集団が現代社会を構成し、「同族」でないものは排除されます。
この状況に対して、マホメットは言います。「異教時代の一切の『血』の負目も賃借関係も、その他諸般の権利義務も今や全く清算されてしまったのである。また同様に、一切の階級的特権も消滅した。地位と血筋を誇ることはもはや何人にも許されない。諸君は全てアダムの後裔として平等であって、もし諸君の間に優劣の差があるとすれば、それは敬神の念の深さにのみ依って決まるのである」(p.108)。
イスラームでは預言者のひとりに位置づけられるイエス(イスラームでは「イーサー」)も似たような感覚を持っていたことが思い出されます。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:35)。
現代のわたしたちにも「同族」の枠を超えた、普遍的なものが必要ではないでしょうか。しかし、それは、いくら枠を大きくしても、枠を持つ、つまり、有限なものであるかぎりは、「同族」の域を出ず、普遍にはなれないでしょう。それは、無限、永遠なものでなければならないでしょう。
当時のベドウィンのもうひとつの特徴として著者は「泡沫にも似た人生の無常、存在の儚さに対する惻々と胸に迫るばかりの哀傷」(p.58)を挙げていますが、これもわたしたちにも通じるものであるでしょう。
これに対しベドウィンは「瞬間的な享楽主義」(p.60)の道しか持たなかったのですが、マホメットは「悔い改めと、『審判の日の主』にたいする懼れ」(同)の道を示します。
自分の快楽や目先の利益だけを追求し、人を傷つけても何とも思わなかったり、その自覚もなかったりする刹那的な殺人や傷害や悪政や自分本位の言動が今とても目立つように感じていますが、ここには、神とは言わなくても、人類とか生命とか世界とか歴史とか、自分をはるかに超えるものへの恐れと恐れが欠如しているのではないでしょうか。
しかし、マホメットは神の審判だけを強調したのではありません。孤児であり、家族に不幸が続いたマホメットは、神だけは自分を見捨てなかったと感じ、神の慈愛と恩寵の面をも知るのです。
「人生の無常、存在の儚さ」を乗りこえさせてくれるものは、刹那な享楽ではなく、永遠なるものが存在し、小さな自分を顧みていてくれると知ることでありましょう。
2014年2月2日に日本でレビュー済み
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こんにちの中東情勢、その混沌を理解する上で、(私も含め)イスラム教徒でない人々はモハメット=ムハンマドについて知ることから始めなければならないと思います。 相手を理解した上で対することが、何事についても言えることですが、必要とされる基本的な姿勢となるでしょう。
本書は100ページほどの分量で、2日程度で読み切れると思います。 修正は加えられているものの、大枠は1952年に書かれたものなのだそうです。 60年以上経た今日に至るまで読み継がれているということは、やはりその普遍的な価値を認められているということなのでしょう。 全ページの約半分を割いて、ムハンマド以前のアラブ、部族主義とその行き詰まり(=ムハンマド出現の社会的背景)について描いていることも特色だと思われます。
著者の井筒 俊彦氏は1952年当時、そしてこの文庫版の出版された1989年においても『イスラム学』の権威として活躍をなさった方であったようです。 その井筒氏がどれだけ具体的にムハンマドを史実に基づいて描き出しているのかに注目して読み進めましたが、残念ながら得られた情報は多いとは言えませんでした。 言いかえれば、預言者の像は非常に<漠>としたもので、伝説ではない史実としてある程度信憑性の高い資料がほとんど残されていない、従って専門家をもってしても書けることが少ないということなのだと思われます。 ムハンマドは自らは<人間であること>を繰り返し語っていたとのことですが、後世に残されたのは多分に脚色された姿である、ということなのでしょう。 (無論、他の宗教の創始者たちにも同様の現象が見受けられます。)
注目すべきは、アラーはムハンマド以前に既に最高神として存在していたということ。 そのアラーが他の神々のなかに埋もれ、ともすれば忘れられた存在に貶められていた。 アラーを崇め、他の神々の否定(破壊)する。 アラーはムハンマドの“独創”ではなく、「アブラハムの宗教」の復活(P. 116)であったという点でしょうか。
本書は100ページほどの分量で、2日程度で読み切れると思います。 修正は加えられているものの、大枠は1952年に書かれたものなのだそうです。 60年以上経た今日に至るまで読み継がれているということは、やはりその普遍的な価値を認められているということなのでしょう。 全ページの約半分を割いて、ムハンマド以前のアラブ、部族主義とその行き詰まり(=ムハンマド出現の社会的背景)について描いていることも特色だと思われます。
著者の井筒 俊彦氏は1952年当時、そしてこの文庫版の出版された1989年においても『イスラム学』の権威として活躍をなさった方であったようです。 その井筒氏がどれだけ具体的にムハンマドを史実に基づいて描き出しているのかに注目して読み進めましたが、残念ながら得られた情報は多いとは言えませんでした。 言いかえれば、預言者の像は非常に<漠>としたもので、伝説ではない史実としてある程度信憑性の高い資料がほとんど残されていない、従って専門家をもってしても書けることが少ないということなのだと思われます。 ムハンマドは自らは<人間であること>を繰り返し語っていたとのことですが、後世に残されたのは多分に脚色された姿である、ということなのでしょう。 (無論、他の宗教の創始者たちにも同様の現象が見受けられます。)
注目すべきは、アラーはムハンマド以前に既に最高神として存在していたということ。 そのアラーが他の神々のなかに埋もれ、ともすれば忘れられた存在に貶められていた。 アラーを崇め、他の神々の否定(破壊)する。 アラーはムハンマドの“独創”ではなく、「アブラハムの宗教」の復活(P. 116)であったという点でしょうか。
2015年12月17日に日本でレビュー済み
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井筒によれば、沙漠に住むベドウィンは、研ぎ澄まされた感覚に依存した現実の世界に生きていた。そこには、夢の世界も形而上的世界もない。
このような徹底した感覚主義者が、現実の世界に満足できなくなったとき、危機的な状態に陥る。その無常感、存在のはかなさに対する哀傷のなかから、マホメットが行きついたのは、神とその審判に対する深いおそれであり、それがイスラームのはじまりだった。
そして、マホメットがメッカからメディナに移ってからは、この終末観的な性格は、より肯定的な「導き」に変わっていった。
井筒は、説得力のある語り口で、イスラームの誕生の過程を語っている。
このような徹底した感覚主義者が、現実の世界に満足できなくなったとき、危機的な状態に陥る。その無常感、存在のはかなさに対する哀傷のなかから、マホメットが行きついたのは、神とその審判に対する深いおそれであり、それがイスラームのはじまりだった。
そして、マホメットがメッカからメディナに移ってからは、この終末観的な性格は、より肯定的な「導き」に変わっていった。
井筒は、説得力のある語り口で、イスラームの誕生の過程を語っている。