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女大学評論,新女大学 (講談社学術文庫 1472) 文庫 – 2001/1/1
福沢 諭吉
(著)
先駆的知識人福沢諭吉 快刀乱麻を断つ!
今、新しい、百年前の男女平等論。
明治日本、女性に対する差別の現実を、江戸時代から読まれてきた女訓の書「女大学」を材料に、縦横無尽に論じた福沢諭吉の評論集。それから百年、民主主義を謳う現在の日本に、男女平等の思想は行きわたったのか。いまいちど、その主張に耳を傾けてみる必要があるのではないだろうか。福沢の女性観・家族観が明確に語られる名著。
今、新しい、百年前の男女平等論。
明治日本、女性に対する差別の現実を、江戸時代から読まれてきた女訓の書「女大学」を材料に、縦横無尽に論じた福沢諭吉の評論集。それから百年、民主主義を謳う現在の日本に、男女平等の思想は行きわたったのか。いまいちど、その主張に耳を傾けてみる必要があるのではないだろうか。福沢の女性観・家族観が明確に語られる名著。
- 本の長さ146ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2001/1/1
- ISBN-104061594729
- ISBN-13978-4061594722
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商品の説明
著者について
【福沢諭吉】
1835年豊前中津藩に生まれる。大阪の緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、58年江戸で蘭学塾を開設。59年英学に転換。幕府使節に随行して三度欧米に渡る。68年塾を慶応義塾と命名。近代日本を代表する思想家、教育家。1901年没。著書に『学問ノスヽメ』『西洋事情』『文明論之概略』『福翁百話』『世界国尽』などがある。
1835年豊前中津藩に生まれる。大阪の緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、58年江戸で蘭学塾を開設。59年英学に転換。幕府使節に随行して三度欧米に渡る。68年塾を慶応義塾と命名。近代日本を代表する思想家、教育家。1901年没。著書に『学問ノスヽメ』『西洋事情』『文明論之概略』『福翁百話』『世界国尽』などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/1/1)
- 発売日 : 2001/1/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 146ページ
- ISBN-10 : 4061594729
- ISBN-13 : 978-4061594722
- Amazon 売れ筋ランキング: - 989,281位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,299位東洋哲学入門
- - 1,344位日本の思想(一般)関連書籍
- - 2,292位講談社学術文庫
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月1日に日本でレビュー済み
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福沢諭吉は本物の女性差別反対論者、人権論者であると思いました。もっと彼のいろいろな著書を読んでいきたい。
2012年11月24日に日本でレビュー済み
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旧漢字を使っているので少し読みずらいが、内容は的を得た内容になっていてその時代の背景がよくわかり、読み応えがあるし面白い。
2022年9月17日に日本でレビュー済み
福澤諭吉による執筆から約100年経った2001年に、出版された本。
林望氏の解説で初めて「俗儒(ぞくじゅ)」という言葉を知る。この言葉は、広辞苑に定義がある。
本文は大きめの活字、ルビの追加、など工夫がある。しかし、戦後に生まれた一般人には理解できぬ古文体の文章のままだ。できれば標準語で読みたかった。
この国には一部の妻が家庭における家畜、の立場に甘んじて夫を「主人」と呼ぶ習慣がある。大きな収穫は、日本で夫が主人と呼ばれる愚かな習慣の起源を知ることができた点。
この本では、
江戸時代の俗儒・貝原益軒著とされる「女大学」を、明治時代の賢人・福沢諭吉が「女大学評論」で反駁(はんばく)しまくる前半。そして後半で、諭吉は文明国家への道筋と賢者の常識として「新女大学」を提示した。
江戸時代の俗儒の戯言(たわごと)が燃えずに紙に残った不幸。戯言を流布する愚人によって引き継がれてきた悪習慣は、根深い。
この本を読んで、この国における男以外の者たちの、日々の苦しみが腑に落ちた。
林望氏の解説で初めて「俗儒(ぞくじゅ)」という言葉を知る。この言葉は、広辞苑に定義がある。
本文は大きめの活字、ルビの追加、など工夫がある。しかし、戦後に生まれた一般人には理解できぬ古文体の文章のままだ。できれば標準語で読みたかった。
この国には一部の妻が家庭における家畜、の立場に甘んじて夫を「主人」と呼ぶ習慣がある。大きな収穫は、日本で夫が主人と呼ばれる愚かな習慣の起源を知ることができた点。
この本では、
江戸時代の俗儒・貝原益軒著とされる「女大学」を、明治時代の賢人・福沢諭吉が「女大学評論」で反駁(はんばく)しまくる前半。そして後半で、諭吉は文明国家への道筋と賢者の常識として「新女大学」を提示した。
江戸時代の俗儒の戯言(たわごと)が燃えずに紙に残った不幸。戯言を流布する愚人によって引き継がれてきた悪習慣は、根深い。
この本を読んで、この国における男以外の者たちの、日々の苦しみが腑に落ちた。
2016年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治三十一年八月から九月にかけて、「女大学評論二十篇、新女大学二十三章」を脱稿したものの、九月二十六日に脳卒中を発症(P.15, 18)。明治三十二年、三十四回にわたって『時事新報』に連載され、同年単行本として上梓された(P.3, 144)。明治三十二年には『福翁自伝』を語りおろし、明治三十四年一月脳卒中再発、二月没。
今で言うところの文芸批評で、貝原益軒作と伝えられる『女大学』について、儒教的偏見を前提とする男女差別を、一つ一つやっつけてゆく。その批評が『女大学評論』で、新たに提示する男女の倫理が『新女大学』である。
「夫婦の関係は君臣に非ず主従に非ず、況して其一方を奴隷視するに於てをや。我輩の断じて反対する所のものなり」(P.83)。女大学は人に無理を責めて却て人をして偽を行わしめ、虚飾虚礼以て家族団欒の実を破るものと言うも不可なきが如し」(P.41)。「依て今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し、之を新女大学と題して地下に記者に質さんとす。記者先生に於ても二百年来の変遷を見て或は首肯せらるゝことある可し」(P.86)。
ウーマン・リブやフェミニズムの先駆けなのだろう。しかし、男女平等、男女分権、男女独立を説くだけの話で、名著と言うには程遠い。正直なところ、どうしてこれ程までに注目されるのか、さっぱり分からない。林望の解説も、これまた詰まらない。
福沢ファンが最大限努力すれば、楽しめるのかもしれない。
今で言うところの文芸批評で、貝原益軒作と伝えられる『女大学』について、儒教的偏見を前提とする男女差別を、一つ一つやっつけてゆく。その批評が『女大学評論』で、新たに提示する男女の倫理が『新女大学』である。
「夫婦の関係は君臣に非ず主従に非ず、況して其一方を奴隷視するに於てをや。我輩の断じて反対する所のものなり」(P.83)。女大学は人に無理を責めて却て人をして偽を行わしめ、虚飾虚礼以て家族団欒の実を破るものと言うも不可なきが如し」(P.41)。「依て今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し、之を新女大学と題して地下に記者に質さんとす。記者先生に於ても二百年来の変遷を見て或は首肯せらるゝことある可し」(P.86)。
ウーマン・リブやフェミニズムの先駆けなのだろう。しかし、男女平等、男女分権、男女独立を説くだけの話で、名著と言うには程遠い。正直なところ、どうしてこれ程までに注目されるのか、さっぱり分からない。林望の解説も、これまた詰まらない。
福沢ファンが最大限努力すれば、楽しめるのかもしれない。