各章が、原文の書き下し、注、現代語訳 というシンプルな
組み立てになっていますので、途中で迷うこともなく通読できる本です。
内容的には、『正法眼蔵』の深遠な世界に比べると
出家修行者の心構えに類するものが多いですが、
それはそれで道元を知るよすがにはなると思います。
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正法眼蔵随聞記 (講談社学術文庫) 文庫 – 2003/11/11
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道元には、2歳年長の弟子がいた。二祖・懐奘である。懐奘は20年にわたり師・道元に近侍し続け、その間、道元が折にふれ弟子たちに説き聞かせた言葉を克明に筆録していた。それが『正法眼蔵随聞記』である。仏道修行者のあるべき姿を示した道元の言葉は、実生活に即して平易かつ懇切丁寧であり、道元の人と思想を知るための恰好の書ともなっている。
- 本の長さ360ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2003/11/11
- 寸法10.8 x 1.4 x 14.8 cm
- ISBN-104061596225
- ISBN-13978-4061596221
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2003/11/11)
- 発売日 : 2003/11/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 360ページ
- ISBN-10 : 4061596225
- ISBN-13 : 978-4061596221
- 寸法 : 10.8 x 1.4 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 220,399位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2009年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
道元の弟子が道元の言葉を記録した本ですが、道元の思想がコンパクトにまとまっていて、
彼の思想に触れる最初の一冊としては最適だと思います。
原文も載っていますが、訳だけ読めば数時間程度で読み終えられるでしょう。
もちろん、正法眼蔵の方が道元の修行にかける熱い気持ちはストレートに伝わってくるので、
この本で興味を持てば、正法眼蔵に読み進むことを強くお勧めします。
「只管打坐」に代表されるように、道元は寡黙でストイックな修行僧のイメージが一般的だと
思いますが、正法眼蔵では他宗に対する厳しい批判も多く、実は感情の激しい人だったことが
伺えます。
彼の思想に触れる最初の一冊としては最適だと思います。
原文も載っていますが、訳だけ読めば数時間程度で読み終えられるでしょう。
もちろん、正法眼蔵の方が道元の修行にかける熱い気持ちはストレートに伝わってくるので、
この本で興味を持てば、正法眼蔵に読み進むことを強くお勧めします。
「只管打坐」に代表されるように、道元は寡黙でストイックな修行僧のイメージが一般的だと
思いますが、正法眼蔵では他宗に対する厳しい批判も多く、実は感情の激しい人だったことが
伺えます。
2009年7月20日に日本でレビュー済み
道元の直弟子である懐弉(えじょう)が教えを聞いて筆録した本書は、出家した禅僧へのメッセージであり、心得の書であり、指針であり、弟子たちの疑問への透徹した教示、説教の書である。が、数百年後の現代に生きるわれわれ一市井の仏教徒がどうこの書を受け止めればいいのだろう? 禅仏教の理念と理想を説く道元=懐弉のことばには禅僧への叱咤激励が含まれている。昔の禅僧は今と比べられないほどの厳しい修行があったであろう。
禅僧でもないわれわれが今この書を手にする意味があるとすれば、たとえば、道元=懐弉のことばを、一禅僧になって虚心坦懐に耳を澄まして聞くことだけだ。想像の中で一禅僧になったわれわれは道元=懐弉のことばのひとつでもふたつでも噛みしめてみる。心の中になにか残ればいい。何かが移ればいい。そうして本を閉じて今の自分に戻ってその移り香の余韻を再び心に響かせてみる。道元=懐弉の時代ははるかに遠いけれど、しかし現在とけっして切れてはいないことが解るはずだ。
ますます自己省察を疎んじ、欲望の中に墜落するほかない現代人にとって本書は自分をあらたに見つめなおすきっかけになるだろう。
山崎正一氏の現代語訳も読みやすいし、格別難しいことが書かれているわけはないので、素直に読まれることをお勧めする。
もしこれが物足りないという読者なら直接道元の「正法眼蔵」を読まれたほうがいいかもしれない。これは出家、在家の区別なく万人の心の奥にじかに訴える力を持った深甚な書であるので是非読まれたい。評者も今読んでいる。
禅僧でもないわれわれが今この書を手にする意味があるとすれば、たとえば、道元=懐弉のことばを、一禅僧になって虚心坦懐に耳を澄まして聞くことだけだ。想像の中で一禅僧になったわれわれは道元=懐弉のことばのひとつでもふたつでも噛みしめてみる。心の中になにか残ればいい。何かが移ればいい。そうして本を閉じて今の自分に戻ってその移り香の余韻を再び心に響かせてみる。道元=懐弉の時代ははるかに遠いけれど、しかし現在とけっして切れてはいないことが解るはずだ。
ますます自己省察を疎んじ、欲望の中に墜落するほかない現代人にとって本書は自分をあらたに見つめなおすきっかけになるだろう。
山崎正一氏の現代語訳も読みやすいし、格別難しいことが書かれているわけはないので、素直に読まれることをお勧めする。
もしこれが物足りないという読者なら直接道元の「正法眼蔵」を読まれたほうがいいかもしれない。これは出家、在家の区別なく万人の心の奥にじかに訴える力を持った深甚な書であるので是非読まれたい。評者も今読んでいる。
2016年10月8日に日本でレビュー済み
三ノ十三において、
古人云、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」。
今、学道の人、此の心有るべき也。
さて、「現成公案」では、
得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」を得たら、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」に通じるなり、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」に出逢ったら、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」を行じていくなり。
只管打坐を行じていきたいと思います。合掌。
古人云、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」。
今、学道の人、此の心有るべき也。
さて、「現成公案」では、
得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」を得たら、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」に通じるなり、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」に出逢ったら、
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可也」を行じていくなり。
只管打坐を行じていきたいと思います。合掌。
2007年1月31日に日本でレビュー済み
やはり南泉斬猫のエピソードが最も考えさせられます。
中国の有名な禅的エピソードに対する道元風の解釈を伝えるくだりです。
昔、中国のお寺で一匹の可愛い子猫を若い修行僧たちが取り合いっこしていたんです。
そこに南泉(なんせん)という偉い禅師が通りかかって「お前たち、何をしておる、
釈明せいっ」って怒ったんですね。ところが誰も何も答えれなかったんで、南泉和尚
は信じられないことに、この子猫を刀で切り殺してしまったというのです。夜になって
一番弟子のお坊さんが用事を済ませて帰ってきて南泉禅師からコノ出来事を聞かされます。
「君が居てくれたら猫は死なずに済んだのになあ」と師匠に言われた高弟は、何も答えずに
履いていた靴を自分の頭に乗っけて部屋から退散した。と、まあそんなエピソードです。
コノ話をネタに「道元先生、動物殺しちゃって良かったんですか?」って聞くわけです。
道元は南泉の行為を可とも非とも答えていません。靴を頭に乗っけた高弟のリアクション
にも明確な解説をしていません。ただ道元は言います。
南泉師はね、子猫にこだわって争っていた若い衆にコダワリを捨てさせることを教えたんだ
と思うよ、と。原因と結果のセットは原因が先で結果が後だと思うでしょ、でも違うよ。
原因と結果は同時に発生するものなんだよ、とも。
人生の選択を振り返って「アア、あの時、ああしておけば良かったのに」という後悔は誰に
しもあろう。けど、選択をした時点で答えは出てしまっているのですね。
あれこれ後悔したり、あるいは喜んだり。我々の営みは結局のところ「子猫を奪い合う」行為
の連続に過ぎないんだね。
どの年代の読者にも年齢なりの示唆を与えてくれる生き方応援書。
随聞記読むと、すっごく元気がでますよ。
中国の有名な禅的エピソードに対する道元風の解釈を伝えるくだりです。
昔、中国のお寺で一匹の可愛い子猫を若い修行僧たちが取り合いっこしていたんです。
そこに南泉(なんせん)という偉い禅師が通りかかって「お前たち、何をしておる、
釈明せいっ」って怒ったんですね。ところが誰も何も答えれなかったんで、南泉和尚
は信じられないことに、この子猫を刀で切り殺してしまったというのです。夜になって
一番弟子のお坊さんが用事を済ませて帰ってきて南泉禅師からコノ出来事を聞かされます。
「君が居てくれたら猫は死なずに済んだのになあ」と師匠に言われた高弟は、何も答えずに
履いていた靴を自分の頭に乗っけて部屋から退散した。と、まあそんなエピソードです。
コノ話をネタに「道元先生、動物殺しちゃって良かったんですか?」って聞くわけです。
道元は南泉の行為を可とも非とも答えていません。靴を頭に乗っけた高弟のリアクション
にも明確な解説をしていません。ただ道元は言います。
南泉師はね、子猫にこだわって争っていた若い衆にコダワリを捨てさせることを教えたんだ
と思うよ、と。原因と結果のセットは原因が先で結果が後だと思うでしょ、でも違うよ。
原因と結果は同時に発生するものなんだよ、とも。
人生の選択を振り返って「アア、あの時、ああしておけば良かったのに」という後悔は誰に
しもあろう。けど、選択をした時点で答えは出てしまっているのですね。
あれこれ後悔したり、あるいは喜んだり。我々の営みは結局のところ「子猫を奪い合う」行為
の連続に過ぎないんだね。
どの年代の読者にも年齢なりの示唆を与えてくれる生き方応援書。
随聞記読むと、すっごく元気がでますよ。
2006年9月1日に日本でレビュー済み
お釈迦様の御教えに最も近いであろう法灯を日本仏教化したものが
道元禅であろうか。(ただし、厳密にいうとお釈迦様の原始仏教と
道元禅は別物だが・・・)現代の堕落した仏教界で本物の師僧を探し
当てるのは至難の業である。そんな時代だからこそ、お釈迦様が
入滅間際に仰られた『自灯明 法灯明』(自らを灯火とし、法を
灯火としなさい。他の者を拠り所とせず、御仏の御教えを拠り所と
しなさい)そして、『犀の角のようにただ独り歩め』という御言葉に
従がって生きるしかないのかもしれない。そして、そのとき灯火と
なるのが本書になると思う。岩波文庫(ワイド版をオススメ)から
出ている『ブッダの言葉(スッタニパータ)』『真理の言葉(ダンマ
パダ)』(共に中村元著)も併せて読んで頂きたい。 合 掌
道元禅であろうか。(ただし、厳密にいうとお釈迦様の原始仏教と
道元禅は別物だが・・・)現代の堕落した仏教界で本物の師僧を探し
当てるのは至難の業である。そんな時代だからこそ、お釈迦様が
入滅間際に仰られた『自灯明 法灯明』(自らを灯火とし、法を
灯火としなさい。他の者を拠り所とせず、御仏の御教えを拠り所と
しなさい)そして、『犀の角のようにただ独り歩め』という御言葉に
従がって生きるしかないのかもしれない。そして、そのとき灯火と
なるのが本書になると思う。岩波文庫(ワイド版をオススメ)から
出ている『ブッダの言葉(スッタニパータ)』『真理の言葉(ダンマ
パダ)』(共に中村元著)も併せて読んで頂きたい。 合 掌
2005年5月17日に日本でレビュー済み
日本の古典にも多くの道を説いたものがある。その中でも、懐奘の手によるこの随聞記ほど熱い求道精神を伝えるものは少ないだろう。修証一等(修行と悟ることとは常に動態であって、しかも別のことではない)を主張する道元の肉声が聞こえてくるような迫力に満ちている。「学道の人は後日を待て、行道せんと思ふことなかれ。」「只身命をかへりみず、発心修行する、学道の最要なり。」漢語調の強い命令と断定とが後世の求道精神を鼓舞してやまないのは、道元自身が、そしてそれに従う懐奘自身の真理を求める心が燃えているからにちがいない。
嘗て、学生時代にこの山崎正一氏の校注による講談社文庫の随聞記を読んで、大いに感銘を受けたことがなつかしい。その後、他力の親鸞の教えの良さもわかるようになったが、人間的にストイックに道を求めようとする青春の一時期に、この自力求道の書とめぐり合えたことは良かった。ここに書かれた内容を実践するのは、困難を極めるだろう。だが、年齢を重ねても、せめてこの先人の書に書かれているような「精神の厳しさ」はいつまでも忘れないでいたいものだと思う。
嘗て、学生時代にこの山崎正一氏の校注による講談社文庫の随聞記を読んで、大いに感銘を受けたことがなつかしい。その後、他力の親鸞の教えの良さもわかるようになったが、人間的にストイックに道を求めようとする青春の一時期に、この自力求道の書とめぐり合えたことは良かった。ここに書かれた内容を実践するのは、困難を極めるだろう。だが、年齢を重ねても、せめてこの先人の書に書かれているような「精神の厳しさ」はいつまでも忘れないでいたいものだと思う。