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コメント: 初版 月報付 函・帯付 帯少褪せ 経年概ね並 経年少ヤケ少シミ (中西進万葉論集 第7巻 万葉集原論・柿本人麻呂) 【管理番号:T-12 C】
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中西進万葉論集 (第7巻) 万葉集原論 柿本人麻呂 単行本 – 1995/11/1

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万葉集原論・柿本人麻呂
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (1995/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1995/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 564ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062526573
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062526579
  • カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本

2016年1月31日に日本でレビュー済み
 本巻には"70年代の論考、著作が収められているが、その内容は21世紀の現在の万葉学と連続している。そして、現在の万葉学が契沖、真淵、宣長の国学的解釈に始まり、明治の鹿持雅澄による啓蒙の延長線上にしかないことを白日の下に晒している。

 大日本帝国憲法及び(旧)皇室典範の逐条解説書である、伊藤博文著として公刊された『憲法義解』(岩波文庫;1940年4月15日、伊藤博文著 宮沢俊義校註)で、「天皇ハ神聖ニシテ冒スベカラズ。」として天皇が現神(あらひとがみ)であるなによりの証拠とされたのが、人麻呂の万葉集二百三十五番歌、
    
     大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬せるかも
    おほきみは かみにしませば あまぐもの いかずちの うえに いほり せるかも

である。著者はこれを次の用に解説している。

 ここにいう「大君」はおそらく持統天皇をさすのであろう。ある日持統女帝は雷の丘の上に登る。その供奉の中にあった人麻呂は、「天皇は神でいらっしゃるから、今こうして雷の丘の上にいおりしておいでになることだ」と歌ったのである。

 これは『憲法義解』の解釈と何ら変わっていない。著者の感性は江戸国学、明治ナショナリズムそのものなのである。著者は「雷の丘は明日香の雷集落にある小丘で、最近の研究によると、ここは藤原宮の南東の隅になる。持統が藤原の宮から出遊したとすれば、ほぼ二キロの距離である。この小丘は一見何の変わりばえもない山に見えるけれども、当時「神丘」と称せられ、いわゆる三諸の神奈備山であった。」と記す。しかし、歌は「天雲の雷の上」で「丘」などとはどこにも記されてはいない。「小丘」に雨雲が懸かるわけもなく、生神の証となるわけでもない。国学以来の思い込み解釈以外の何ものでもないであろう。しかし、著者らは何らの疑問も抱いていないのである。

 この歌の本質を明らかにしたのは1994年3月刊の古田武彦著『人麻呂の運命』に始まり、『古代史の十字路―万葉批判』『壬申大乱』と続く万葉批判である。古田は講演で次のように述べている。

 大嘘の歌。現地に行ってみたら嘘だらけ。現地に行かないで歌を味わっているからなんとか格好がついている。各地の高等学校でも生徒は教わってそんなものかと思っているが、現地へ行ったら大嘘。ところがこれを大和盆地で見る限りはそうですが、これをいま九州雷山(らいさん)、博多の西隣の前原(まえばる)、それと佐賀県との間の福岡県背振(せぶり)山脈。その第二峯の雷山(らいさん)。そこに行くと雷(いかずち)神社がある。上社、中社、下社とあり、上社のことを「天の宮(あまのみや)」、中社のことを「雲の宮(くものみや)」と呼ばれている。そのことは千如寺というお寺の、江戸時代の地図にも残っている。雷山(らいさん)の高さは九五五メートルだから、三方が博多湾、玄界灘、唐津湾に囲まれていて、いつも雨雲が立ちこめている。わたしも何回も上がりましたが、一日中まったく晴れていたのは一回だけです。いつも雲が立ちこめています。ですから雷山は実際経験から言っても、「天雲の 雷の上に」という通りです。現地伝承でも、天の宮・雲の宮と言っている。それをバックにしての「天雲の 雷の上に」という言葉は、ひじょうに分かりやすい。それに雷山は倭国の代々の王者、このわたしがいう九州王朝の代々の墓地なのです。それを社(やしろ)のかたちで祭っている。だから「皇」は「おほきみ」と読むのではなくて、「すめろぎ」と読むべきです。
 神道では、生きているときは人間で、死んだら神様になる。仏教では生きているときは人間で、死んだら仏さんになる。わたしはよく言うのですが、ホント生きているときは女遊びやばくちで、さんざん家族や人を困らした人間でも、バッタリ死んだら「○○命」と神様になる。その日から神様になる。そういう日本ですから、代々の王者も死んで神様になっておられる。それで天雲のかかる雷の上に廬(いほり)をしていらっしゃる。実際には雷山にある社(やしろ)を、廬(いほり)と見立てています。

 どちらが、真の歌の理解かは云うまでもないであろう。そして、一連の人麻呂歌の本質が明かにされた。万葉学のコペルニクス的パラダイム転換である。
 古田はその一連の書を近隣の著者はもとより主要な万葉学者に恵贈しているが、一片の書評を記すこともなく学会打ち揃って無視の拠に出、国学以来の観念論的解釈で21世紀を遣り過ごせると確信しているようである。これこそが戦後レジュームの本質である。
 本論集は、この20世紀の江戸期国学パラダイムによる万葉解釈の記念碑として残るであろう。■
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