「素晴らしい!」とは言いませんが、「黒歴史」という事はないでしょう。
最終的にはああいう結果になりましたが、今より優れている面も多々あります。
「憲政の常道」なんて言葉を聞く事もない。尾崎行雄、斉藤隆夫はもういない。
失敗はなかった事にするのでしょうか?原発事故と同じかな?「外国から学ぶ」という姿勢を失うと堕ちていく社会なんでしょうか。
歴史の継承を怠った結果でしょうね。
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帝国議会 〈戦前民主主義〉の五七年 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2015/11/11
村瀬 信一
(著)
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第二次大戦以前に、アジアの非キリスト教国で憲法と議会制度の定着に成功したのは日本だけであり、その裏には、官民一体となった営々たる近代化の努力があった。現在の「常任委員会制」と対照的な「読会制」、選挙の制度と実態、政党の役割、代議士の生活、弁論術と放言・失言の数々…。人々が「議会」に理想を描き、「政治」に熱く心を寄せた時代。そして、戦時体制へと向かう帝国議会の限界と、戦後の国会誕生の過程を検証する。
明治憲法下の〈日本の国会〉である「帝国議会」の成立から終焉までの歴史をたどり、その光と陰を検証する。
一般に「帝国議会」といえば、絶対的な天皇制下での制限選挙による不完全な民主主義、軍部の暴走を止められなかった無力な議会――といったイメージだろう。しかし、第二次世界大戦以前に、アジアの非キリスト教国で憲法と議会制度の定着に成功したのは日本だけであり、その裏には、官民一体となった営々たる近代化の努力があった。
また、戦後の国会との連続性の面でも、「二院制」「中選挙区制」や、選挙運動への規制の強さなど共通する特徴をすでに持っていた。そしてなにより、鳩山一郎ら戦後日本を方向づける大きな役割を果たした政治家の多くが、帝国議会に政治家としての原体験をもっていた。
本書では、現在の「常任委員会制」と対照的に本会議重視の「読会制」や、選挙の制度と実態、政党の役割、代議士の生活、弁論術と放言・失言の数々などを取り上げ、原敬や斎藤隆夫、尾崎行雄らの事績をみながら、人々が「議会」に理想を抱き、「政治」に熱く心を寄せた時代を描いていく。そして、戦時体制へと向かう帝国議会の限界と、戦後の国会誕生の過程を検証する。「議会政治とは何か」が根源的に問われている現在、その原点を知るための必読の書。
明治憲法下の〈日本の国会〉である「帝国議会」の成立から終焉までの歴史をたどり、その光と陰を検証する。
一般に「帝国議会」といえば、絶対的な天皇制下での制限選挙による不完全な民主主義、軍部の暴走を止められなかった無力な議会――といったイメージだろう。しかし、第二次世界大戦以前に、アジアの非キリスト教国で憲法と議会制度の定着に成功したのは日本だけであり、その裏には、官民一体となった営々たる近代化の努力があった。
また、戦後の国会との連続性の面でも、「二院制」「中選挙区制」や、選挙運動への規制の強さなど共通する特徴をすでに持っていた。そしてなにより、鳩山一郎ら戦後日本を方向づける大きな役割を果たした政治家の多くが、帝国議会に政治家としての原体験をもっていた。
本書では、現在の「常任委員会制」と対照的に本会議重視の「読会制」や、選挙の制度と実態、政党の役割、代議士の生活、弁論術と放言・失言の数々などを取り上げ、原敬や斎藤隆夫、尾崎行雄らの事績をみながら、人々が「議会」に理想を抱き、「政治」に熱く心を寄せた時代を描いていく。そして、戦時体制へと向かう帝国議会の限界と、戦後の国会誕生の過程を検証する。「議会政治とは何か」が根源的に問われている現在、その原点を知るための必読の書。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/11/11
- 寸法13 x 1.7 x 18.9 cm
- ISBN-104062586150
- ISBN-13978-4062586153
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商品の説明
著者について
村瀬 信一
1954年生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。皇學館大學文学部助教授、帝京平成大学情報学部助教授を経て、文部科学省主任教科書調査官。著書に『明治立憲制と内閣』『帝国議会改革論』『首相になれなかった男たち』(いずれも吉川弘文館)などがある。
1954年生まれ。1989年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。皇學館大學文学部助教授、帝京平成大学情報学部助教授を経て、文部科学省主任教科書調査官。著書に『明治立憲制と内閣』『帝国議会改革論』『首相になれなかった男たち』(いずれも吉川弘文館)などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/11/11)
- 発売日 : 2015/11/11
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 288ページ
- ISBN-10 : 4062586150
- ISBN-13 : 978-4062586153
- 寸法 : 13 x 1.7 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 573,181位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月4日に日本でレビュー済み
本書は、戦前の帝国議会の営みを、いろいろな角度から語った一冊である。
内容で区分すると、
序章と終章:建物としての国会議事堂の話(全体の1割程)
1・2章:本書の概論及び標準的な帝国議会の歴史(3割程)
3・4章:代議士の営み(4割程)
5・6章:戦前戦後の議会改革(2割程)
という感じで、いろいろな話題を手広く扱っている。
建物としての話は、 権力の館を歩く: 建築空間の政治学 のような方向を目指しているのかと思うが、あまり深い議論には出来ず、当初何度も焼失した話(今の議事堂は関東大震災後のもの)など話題はあれど消化不良と感じた。
標準的な帝国議会の歴史は、スタンダードでありながらも政府(議員が主役とは限らない)ではなく議会を軸に描いているので、普通の日本政治史の通史とは少し異なっており、割と面白いと感じた。
まず筆者は、しばしば戦前の議会は極めて限定的な力しか持たないかのように語られがちなのに対し、帝国議会は実際には慣習的なものなどにより強い力を持っていたことを指摘する。第6条による天皇権限による法案の転覆は一度も起こらなかったし、予算審議権や法律の協賛権は議会の抵抗力の要となった。藩閥政府も欧米化を進め欧米の視点に耐える必要があったため、強権的な方法はあまり用いず議会を尊重し、それが慣習となって定着した。貴族院は抑制的で、例えば法案提出は明治42年以降たった1回しか行われていないし、中立・公正の第二院のイメージを維持すべきという自己規律も強かったという。
日本は議会開設当初制限選挙であったが、ロエスレルらは「中産階級は最も自由主義、政府批判的」である(選挙権が上流階級の特権であるがゆえに官憲の圧力などにも屈しない面もある)がゆえに有権者を広げることを勧め、これに対し日本側はたとえ政府批判的であっても一定の財産と見識ある人々を議会体制に取り込むべく、その勧めに反対した、という流れもイメージとは逆で面白い。
桂園時代は政友会と官僚系で内閣が往復し、議会質問なども事前調整がされて政治が著しく安定化した稀有な時代であった。その後は政友会ー同士会(のち憲政党)の二大政党となり、政党対立が激しくなる。かつての自由党ー政友会が急進的・行動主義的イメージ、かつての改進党ー同志会は漸進主義的イメージ、というのもなるほど面白い(ただし同志会の官僚化なども踏まえ、そういうイメージでは語れなくなるとも指摘されている)。
代議士の営みは、特に金の話にかなりウェイトを割いている。基本的に代議士は非常に貧乏であり、その割に叩かれて報われないとされている。「それにもかかわらずなぜ代議士になろうとする人が現れるか」には、筆者も明快な解を与えられていないが、日本が昇っていく時代に政治を動かすことへの魅力と面白さは捨てがたいのではと筆者は書いている。
金については問題視もされていた。普通選挙になれば有権者が増えすぎて買収なども無理になり、選挙で金が飛び交うことはなくなると吉野作造は予想していたが、それはものの見事に外れた。
代議士の演説について、日本人は漢文からの伝統で対句法を好み、(英米にあるような)畳みかけるような繰り返し(リンカーンのゲティスバーグ演説や、ブレアの「教育、教育、教育だ」などが挙げられている)は好まれなかった、という指摘は、その成否はともかくなかなか興味深いポイントだと思った。
議会内における暴力の話も触れられており、シーメンス事件以降外部の群衆の存在に刺激される側面が強いと指摘されている。第37回議会では77歳で義足の大隈さえ小突き回され、鳩山一郎が柔道の腕前で片端から代議士を投げ飛ばしたというのは何ともである。
代議士の話は面白いところは面白いが、全体としては細部に入りすぎているわりに個別の事例の紹介に終始している面が強く、いささか入り込みにくい。議会改革の話は(筆者は専門なのだろうが)駆け足すぎて掴みどころなく終わってしまった。
全体としてみると、帝国議会をいろいろな視点から眺めている本で、読みやすい・面白いところとそうでないところに分かれているように感じた。
内容で区分すると、
序章と終章:建物としての国会議事堂の話(全体の1割程)
1・2章:本書の概論及び標準的な帝国議会の歴史(3割程)
3・4章:代議士の営み(4割程)
5・6章:戦前戦後の議会改革(2割程)
という感じで、いろいろな話題を手広く扱っている。
建物としての話は、 権力の館を歩く: 建築空間の政治学 のような方向を目指しているのかと思うが、あまり深い議論には出来ず、当初何度も焼失した話(今の議事堂は関東大震災後のもの)など話題はあれど消化不良と感じた。
標準的な帝国議会の歴史は、スタンダードでありながらも政府(議員が主役とは限らない)ではなく議会を軸に描いているので、普通の日本政治史の通史とは少し異なっており、割と面白いと感じた。
まず筆者は、しばしば戦前の議会は極めて限定的な力しか持たないかのように語られがちなのに対し、帝国議会は実際には慣習的なものなどにより強い力を持っていたことを指摘する。第6条による天皇権限による法案の転覆は一度も起こらなかったし、予算審議権や法律の協賛権は議会の抵抗力の要となった。藩閥政府も欧米化を進め欧米の視点に耐える必要があったため、強権的な方法はあまり用いず議会を尊重し、それが慣習となって定着した。貴族院は抑制的で、例えば法案提出は明治42年以降たった1回しか行われていないし、中立・公正の第二院のイメージを維持すべきという自己規律も強かったという。
日本は議会開設当初制限選挙であったが、ロエスレルらは「中産階級は最も自由主義、政府批判的」である(選挙権が上流階級の特権であるがゆえに官憲の圧力などにも屈しない面もある)がゆえに有権者を広げることを勧め、これに対し日本側はたとえ政府批判的であっても一定の財産と見識ある人々を議会体制に取り込むべく、その勧めに反対した、という流れもイメージとは逆で面白い。
桂園時代は政友会と官僚系で内閣が往復し、議会質問なども事前調整がされて政治が著しく安定化した稀有な時代であった。その後は政友会ー同士会(のち憲政党)の二大政党となり、政党対立が激しくなる。かつての自由党ー政友会が急進的・行動主義的イメージ、かつての改進党ー同志会は漸進主義的イメージ、というのもなるほど面白い(ただし同志会の官僚化なども踏まえ、そういうイメージでは語れなくなるとも指摘されている)。
代議士の営みは、特に金の話にかなりウェイトを割いている。基本的に代議士は非常に貧乏であり、その割に叩かれて報われないとされている。「それにもかかわらずなぜ代議士になろうとする人が現れるか」には、筆者も明快な解を与えられていないが、日本が昇っていく時代に政治を動かすことへの魅力と面白さは捨てがたいのではと筆者は書いている。
金については問題視もされていた。普通選挙になれば有権者が増えすぎて買収なども無理になり、選挙で金が飛び交うことはなくなると吉野作造は予想していたが、それはものの見事に外れた。
代議士の演説について、日本人は漢文からの伝統で対句法を好み、(英米にあるような)畳みかけるような繰り返し(リンカーンのゲティスバーグ演説や、ブレアの「教育、教育、教育だ」などが挙げられている)は好まれなかった、という指摘は、その成否はともかくなかなか興味深いポイントだと思った。
議会内における暴力の話も触れられており、シーメンス事件以降外部の群衆の存在に刺激される側面が強いと指摘されている。第37回議会では77歳で義足の大隈さえ小突き回され、鳩山一郎が柔道の腕前で片端から代議士を投げ飛ばしたというのは何ともである。
代議士の話は面白いところは面白いが、全体としては細部に入りすぎているわりに個別の事例の紹介に終始している面が強く、いささか入り込みにくい。議会改革の話は(筆者は専門なのだろうが)駆け足すぎて掴みどころなく終わってしまった。
全体としてみると、帝国議会をいろいろな視点から眺めている本で、読みやすい・面白いところとそうでないところに分かれているように感じた。
2016年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」。明治憲法にあるこの条文は、立憲王政国家の本質である「君主無答責の原理」を表現しただけのものである。しかし、明治国家を「絶対王政国家」と決めつけ、マルクス主義に基づく「社会主義国家」を作りたい人々からは、民主主義に反する原理の象徴のように批判されてきた。従って、明治憲法の下に開設され、57年間に渡って機能し続けた「帝国議会」も、軍部の独走を止められず敗戦に至ったこともあり、その限界を否定的に捉えられることが多かった。
しかし、誰が、どのように考えても、戦後日本の議会政治は、戦前からの伝統の中に位置づけられるものである。戦後になって、アメリカに議会政治を教えられたわけではない。戦前から、最も近代的な議会ルールを培ってきたものとして評価しなければならない。
また、日本人の法意識として、滝川政次郎の「日本法制史」を読めば、日本人が古代から法を尊重し、極めて高い遵法意識を持っていたことが分かる。その伝統は、江戸時代の「藩法」に引き継がれ、幕末維新以来の模索を経て、明治憲法と帝国議会に継承されたものである。
本書は、その帝国議会の内実を、夥しい政治家の伝記、回顧録、当時の新聞・雑誌、または風聞などからも解き明かしていこうとするものである。
「帝国議会」は、制度的には、明治憲法との関係、衆議院と貴族院という二院制度、審議方式、選挙法と選挙システムの実際等、様々な観点から分析されなければならない。
著者は「強力な衆議院、控えめな貴族院」といった表現や、貴族院が制度上対等であるにも拘わらず、「皇室ノ藩塀」といった性格上、直接的利害関係から離れ、良識を示そうという現在の参議院にも似た不文律を持っていたことを指摘する。
また、イギリスの二大政党制を範として、1900年、伊藤博文が結成した「立憲政友会」は、天皇から二万円の下賜金をいただき、本格的な国民政党を目指したものだった。
著者はまた、代議士たちの苦労にも触れる。明治の元勲は広大な屋敷や財産を残した者が多いが、この当時の地方代議士たちの歳費は年間三千円程度で、しかも、政党は「自分で三万円程度集められない甲斐性のないやつは公認できない」という態度をとった。「三万円」という金は、現在なら「三億円」程度に相当するだろう。従って、代議士たちは、通常貧乏だった。「井戸塀政治家」などという言葉が生まれる背景はこうしたことにあったろう。しかし、同時に、代議士たちは誇り高く、金の苦労があろうとも代議士の地位にしがみついた。
原敬、浜口雄幸の政治資金集めの有能さや、逆に若槻礼次郎が金集めができず、求心力を失っていく様子も興味深い。
また、著者は、戦前の有名な名演説とよばれるものが、現在、フィルム等で再現されたものを見る限り、あまり魅力のないものに過ぎないことを指摘する。
その一方で、「反軍演説」として有名な昭和15年斎藤隆夫の演説が、決してパセティックなものではなく、淡々と論理的に中国戦線の帰趨と議会の使命を論じたものであることに感動を隠さない。
「議会政治」は、紆余曲折も蹉跌もあるものであろう。しかし、現在の日本に「代議制民主主義」に替わる政治体制があるとも思えない。その意味で、、著者の過去の「議会政治」について微細に渡る考察・省察は、多くの考えるヒントを与えてくれるものである。
しかし、誰が、どのように考えても、戦後日本の議会政治は、戦前からの伝統の中に位置づけられるものである。戦後になって、アメリカに議会政治を教えられたわけではない。戦前から、最も近代的な議会ルールを培ってきたものとして評価しなければならない。
また、日本人の法意識として、滝川政次郎の「日本法制史」を読めば、日本人が古代から法を尊重し、極めて高い遵法意識を持っていたことが分かる。その伝統は、江戸時代の「藩法」に引き継がれ、幕末維新以来の模索を経て、明治憲法と帝国議会に継承されたものである。
本書は、その帝国議会の内実を、夥しい政治家の伝記、回顧録、当時の新聞・雑誌、または風聞などからも解き明かしていこうとするものである。
「帝国議会」は、制度的には、明治憲法との関係、衆議院と貴族院という二院制度、審議方式、選挙法と選挙システムの実際等、様々な観点から分析されなければならない。
著者は「強力な衆議院、控えめな貴族院」といった表現や、貴族院が制度上対等であるにも拘わらず、「皇室ノ藩塀」といった性格上、直接的利害関係から離れ、良識を示そうという現在の参議院にも似た不文律を持っていたことを指摘する。
また、イギリスの二大政党制を範として、1900年、伊藤博文が結成した「立憲政友会」は、天皇から二万円の下賜金をいただき、本格的な国民政党を目指したものだった。
著者はまた、代議士たちの苦労にも触れる。明治の元勲は広大な屋敷や財産を残した者が多いが、この当時の地方代議士たちの歳費は年間三千円程度で、しかも、政党は「自分で三万円程度集められない甲斐性のないやつは公認できない」という態度をとった。「三万円」という金は、現在なら「三億円」程度に相当するだろう。従って、代議士たちは、通常貧乏だった。「井戸塀政治家」などという言葉が生まれる背景はこうしたことにあったろう。しかし、同時に、代議士たちは誇り高く、金の苦労があろうとも代議士の地位にしがみついた。
原敬、浜口雄幸の政治資金集めの有能さや、逆に若槻礼次郎が金集めができず、求心力を失っていく様子も興味深い。
また、著者は、戦前の有名な名演説とよばれるものが、現在、フィルム等で再現されたものを見る限り、あまり魅力のないものに過ぎないことを指摘する。
その一方で、「反軍演説」として有名な昭和15年斎藤隆夫の演説が、決してパセティックなものではなく、淡々と論理的に中国戦線の帰趨と議会の使命を論じたものであることに感動を隠さない。
「議会政治」は、紆余曲折も蹉跌もあるものであろう。しかし、現在の日本に「代議制民主主義」に替わる政治体制があるとも思えない。その意味で、、著者の過去の「議会政治」について微細に渡る考察・省察は、多くの考えるヒントを与えてくれるものである。