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分類思考の世界-なぜヒトは万物を「種」に分けるのか (講談社現代新書) 新書 – 2009/9/17

3.6 5つ星のうち3.6 30個の評価

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生物の「種」って何? それは実在するか? 生物分類学の歴史は2000年に及ぶ。その知的格闘を平易に跡づけ、「種」をめぐる最も素朴で根本的な疑問を考える。前作『系統樹思考の世界』と対をなす怪著! (講談社現代新書)


この世の森羅万象を体系化して理解しようとするとき、私たちは名前をつけ、分類する。
しかしそこには長年、生物学者たちを苦しめ続ける難問が潜んでいた。
人間の「知」の根源に迫る!
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2009/9/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/9/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 336ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4062880148
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4062880145
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.6 x 1.5 x 17.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    3.6 5つ星のうち3.6 30個の評価

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三中 信宏
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2010年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
分類とは人間の性である。
西洋哲学をかじれば分類とはなにか、どのように分類をするのかという論説が山のように出てくる。本著でも紹介される博物学から生物学へと移行する時期はまさに分類の本質に迫ろうとした時代である。西洋においては分類というのは文明が始まって以来、ひたすら繰り替え続けられる営為であり、結論のでない課題である。

勿論、東洋、特に中国においても分類はこれでもかというくらいになされている。
類書と呼ばれる一種の百科事典はそれぞれ特徴ある分類をしており、西洋での分類との類似と差異を見るのも面白い。

つまりは洋の東西、時代を問わず人間は分類をする生き物なのだ。
分類とは世界のとらえ方である。
そのままでは茫漠として捉えにくい世界を理解するための手法なのである。

前著「系統樹思考の世界」が事物がどのように変化してきたかを体系化するタテ系の思考を扱っていたのに対して、本書では事物がどのように存在しているかを分類するヨコ系の思考を扱っている。前著と本著はお互いに補い合う存在である。

著者も述べているように本著は前著に比べはっきりしない部分がある。
音楽や文学を枕に論を進めたり、比喩を多用したり、生物学や哲学のわかりにくいよう語や概念が多出したり、お世辞にも読みやすくはない。ただその迷宮のような文章は分類することとはどのような行為かを探り、最後は分類されるものではなく、分類するものの意識へと読者を誘う道筋となっている。

本書を読み終え、わかったようなわからないような気分になったが、それこそが分類というものの本質かもしれない。わからないものをわかるようにするためのものが分類であり、わかりやすさというものも分類すするものによって変わってくるのだ。分類という思考や行為に格闘した偉大な先人たちの苦労が少しはわかったような気がした。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
●著者の答えは初めから出ている――種(しゅ)とは、ヒトの認知心理(分類思考)が作り出した幻であり、自然の中に実在するものではない。本書は、このことを読者に説得することに費やされていると言ってよいだろう。

●科学史や科学哲学の重要性を解きながらも、実は「種・実在派」の立場を悪くするような歴史事例を選り集めてはいないだろうか(たとえば、ルイセンコ主義や民科と種実在論の関わりなど)?そうだとしたら、それは誠実な科学史とはいえない。説得力のある「種・実在論」からの反論は、これまでひとつもなかったのか?

●感覚されるすべての事象が、ヒトの認知心理に起因していることは言うまでもない。では、逆にヒトの分類思考がなんらかの実在世界を正しく切り分けることは不可能なのか?不可能ならば、種問題など霧散してしまう。世界はすべてヒトの脳が作り出した幻なのだから。もし可能ならば、種問題についてはどうなのか、それを問い直す必要があるだろう。

●新書の形式が最近どんどんユルくなってゆく中で、本書の緻密性と衒学性は新書のありかたへの挑戦とも捉えられる。☆をひとつ増やした。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「モーニング娘。」がメンバーチェンジを繰り返して、もとのメンバーがいなくなった状態でもそれは「モーニング娘。」と呼んでいいのだろうか?

 この本、あるいは前著の『系統学的思考の世界』は、人間がもともと持つ「本質主義」に対する挑戦の書である。すなわち、進化を続ける生物の世界は、「ものには絶対に変わらない本質がある」という多くの人の信念に対して、公然と反旗を翻しているのである。にもかかわらず、人間は多くの生物に名前を与えて分類してきた。時間とともに形を変える生物集団にどうやって名前をつけて分類するかという問題は、何百年もの間、世界各国の知識人を悩ませ議論の渦に巻き込んできた。その葛藤の歴史を世界各国、今昔の豊富な図版とともに問いかける力作である。
 実際、この本は難しい。最初から最後まで順に読み進めようとすると「討ち死に」する確率はかなり高いだろう。普通の現代新書のレベルを期待した読者は、筆者の博覧ぶりにひどく振り回されることになるだろう。個人的には、人間が持っている本質主義について述べたカール・ポパーの思想についてもっと知りたかったが、めくるめく歴史の中でそこの説明はあっさりスルーされてしまった。読者によってはとりとめのない内容に映るかもしれない。少なくとも、「分類学そのものを知りたい」という読者向きではないと思う。しかし、もしこの本を読んで、分類学の今昔を通じて身の回りの「本質主義」を疑いだしたら、きっと筆者の「勝ち」なのだろう。
 実際の生物学の現場では、種を整理するはずの分類学者そのものが後継者不足で絶滅危惧種なのだそうである。刻々と姿を変えていく生物の世界で、分類学というものはどのような立ち位置にいるべきなのか?そして今後どのような方向に向かっていくのだろうか?筆者が述べるように、分類そのものの困難さは人間の本質主義の中で「永遠にあり続ける」しかないのだろうか?
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年3月28日に日本でレビュー済み
タイトルに惹かれて読みましたが、本書は「なぜヒトは万物を「種」に分けるのか」という疑問の解決に至っていません。

作者自身の体験の描写(〇〇に研究会に参加した。その街の街並みは〜)など本の主題とは異なる内容が目立った。
分類思考の方法論や思考論は、人の言葉の引用であり、それを紹介するだけの役割になっている。作者が伝えたいことがいまいち掴めない。特に最終章の分類(論、学)についての作者の結論が酷いです。
章題が凝りすぎて的を得ていない。
作者が持っている雑学を都合よく分類思考の系譜にまとめていて「上手く言っているだろ」感が否めない。
扱う内容が、その分野の系譜であり、人物名や論じたタイトルは出てくるがそれについて細かく解説せずに系譜の解説に努めているので、内容が薄い。
本のタイトルで「分類思考」のメカニズムや「なぜ」という点を解説できてない。
メカニズムは置いたとして、分類のための方法論の記載も少なく系譜が多いだけでした。
2009年11月3日に日本でレビュー済み
本書はとても難解で、
例えばタクソンなど解説はもう少し平易にしてもよかったと思うし、
4章から6章はホントに難しかった。
比喩が多くてこれも読むのが大変。
通常だと比喩とは理解がしやすくなる表現であろうが、
本書はむしろ逆ではないか。

とは言え大変に興味深く最後まで読む進ことができた。
新書としてはとても希有なことだと思う。

結論としては、
人間はそもそも事象を認識するために、
本能的に分類を行う生き物であるし、
形而上学的な考え方であろうと、
現実的な考え方であろうと、
ともかく分類してしまう生き物だと、
本書で言っている。

分類学者とは、
理論と歴史にがんじがらめになった、
極めて不自由な学問に嬉々として絡めとられている、
変わった人たちだという印象を持った。
著者の言葉の端々からにじみ出る、
分類への情熱は、信仰へのそれと似ている。
例えていうとつまり著者は神学者だ。

とても知的な刺激を受ける新書。
お勧めです。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年1月8日に日本でレビュー済み
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生物の分類に関心がある人には、様々な理説の紹介が有難い本である。だが、「種」をめぐる哲学議論のゆくえが定まらず、俯瞰的な視界が開けない。読者は多岐にわたる話の行く先がつかめず、判然としない印象をもつのではないか。
繰り返される著者の主張は、ネコとかウマといった「種」は分類するヒトの心の中にあり実在しない、というものである。よりどころは以下の三点となる。
1.「種」は心理的本質主義(事物には見えない本質があるとみなすヒトの認知性向)による心理的な産物である。
2.実在するのは個体であり「普遍」(種)は実在しない、という唯名論。
3.進化生物学や生物系統学が対象とする科学的実体は何か(「種」ではない)、という生物学上の立場。
ただしこのように明示して列挙した記述はない。勝手に整理して申し訳ないが、1から3に定義の話が入り混じって、視界を悪くしている。
さて検証すれば、1は人の「信念」についての言明に過ぎず、その対象の実在性のいかんを論理的に導かない。「種」が実在するのかしないのか何も決めない。
また2の立場からすれば、個体群もデーム(進化生物学で扱われる生物集団の単位)もクレード(系統学の概念で単系統群)も実在しないのであり、いやそうではなく「種」のみが実在しない(著者の立場)というのは結局3による。
要点は3なのだ。本書から一旦離陸して考えてみれば、「種」が実在しないというのは、あくまでも特定の学問領域の中での、特定の条件(進化史的時間軸)下でのロジックである。物理学が相対論や素粒子理論で日常生活からかけ離れた世界を示したことを想起すればいいが、そういった見地は日常の事物の世界には適合しない。きのう夕食に「ホッケ」を食べたのだが(いきなり恐縮である)、「ホッケ」という「種」が実在しないのなら、私はきのう何を食べたのか? 「種」をしりぞける進化学は種分類に基づかない代わりのオカズを何も提示しない。著者は種分類を「ヒトの役に立つ」という点では認めるのだが(実在しないものが役に立つというのも奇妙だが)、それ以上に、種分類の所産によって我々は日々の生存を支えられているという意味で種は実在する。

なお、著者は「進化に反する」として、「本質主義」に対する警戒を繰り返し表明する。もともと本質主義に対する批判が英米圏で起きたのは、無視できない力を持ち進化を認めない創造説を支える、万古不易の「本質」や「実体」についての堅固な信念への対抗としてだろう。この信念のあり様は内外でかなり異なると言われる。「神が創り給うた生物種」という観念と縁遠く、「諸行無常」の(「変化する本質」にもさほどの抵抗がない)日本で本質主義への対抗を注釈もなく受け売りするのは、いささか無頓着と思う。対抗すべき堅固な信念がない状況では、あまり実のない言葉のチェックに終始するだけではないか。
29人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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