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ヘーゲルを越えるヘーゲル (講談社現代新書) 新書 – 2018/10/17

4.2 5つ星のうち4.2 36個の評価

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精神を中心とした「歴史」の発展を描いたヘーゲル。有名な「主」と「僕」の弁証法、承認論と共同体の議論等を通じて現代思想に与えた影響を探る。そしてラカン、ハーバマス、アーレントなど現代の思想家のヘーゲル解釈を紹介することで、哲学の根本課題・「人間」と「精神」の基礎である「理性」「自由」「市民社会」「法」「国家」などを体系づけたヘーゲルを読み解く。本書は現代を生きる我々=人間にとって必要な知性である。


序 ヘーゲルの何が重要なのか?
多文化主義の旗手、またラカン派精神分析を資本主義批判に応用する思想家など、ヘーゲル研究を出発点とし、ヘーゲル研究に拘る哲学者は少なくない。
現代思想でヘーゲルはなぜ重要であり続けるのかを、アクチュアルな議論の状況に即して考える。
第一章 「歴史の終わり」と「人間」
ヘーゲルの歴史哲学は、マルクスをはじめその後の社会思想を決定づけたその要因を探る。
第二章 「主」と「僕」の弁証法
高著『精神現象学』の有名な「主」と「僕」の弁証法の論理を再確認する。
第三章 承認論と共同体
初期ヘーゲルの「承認論」の意味を考える。ハーバマスとの比較も読ませる内容である。
第四章 「歴史」を見る視点
再度マルクスに立ち返りヘーゲルの「歴史」を総合的に検討する。ベンヤミンとの論争やアーレントとの関連性なども視野に入れる。

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著者について

仲正 昌樹
1963年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。文学や政治、法、歴史などの領域で、アクチュアリティの高い言論活動を展開している。著書に『ポスト・モダンの左旋回』(世界書院)、『「不自由」論』『お金に「正しさ」はあるのか』(以上、ちくま新書)、『日本とドイツ 二つの全体主義』(光文社新書)、『集中講義!日本の現代思想』(NHKブックス)、『精神論ぬきの保守主義』『教養としてのゲーテ入門』(以上、新潮選書)、『〈法と自由〉講義――憲法の基本を理解するために』『プラグマティズム入門講義』『ポスト・モダンの左旋回』(以上、作品社)、『今こそアーレントを読み直す』『いまを生きるための思想キーワード』『マックス・ウェーバーを読む』、『ハイデガー哲学入門――『存在と時間』を読む』(以上、講談社現代新書)などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 講談社 (2018/10/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/10/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 256ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4065130751
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4065130759
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.8 x 1.2 x 17.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 36個の評価

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仲正 昌樹
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハーバーマスとヘーゲルの関係が興味深い。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書はヘーゲルの理解を深めるというより、ヘーゲルと現代の思想家とのつながりを利用して、ヘーゲルだけでなく現代の思想家たちを俯瞰しようとする試みです。試みは成功しています。少なくとも私にとっては。なぜなら、私の頭にある乏しい哲学知識が、本書の炭酸水でカクテルされ、さわやかになった気分だからです。
 著者は「あとがきに代えて」で、ヘーゲルの歴史概念、承認概念で現代思想家とつなげることが確認できたが、欲望や時間論は別の機会にしたいとします。しかし、目次を見れば分かるように、弁証法もつながりをつける論点になっています。

 現代の思想家とは具体的に誰なのか、名前を挙げればきりがありませんので、章別に代表者をリストしておきます。
・第一章;フランシス・フクヤマ、アレキサンドル・コジェーヴ、東浩紀(アズマヒロキ)、ユルゲン・ハーバーマス、ジャン=フランソワ・リオタールなど。
・第二章;コジェーヴ、ジャン・イポリット、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカン、ジュディス・バトラー、スラヴォイ・ジジックなど。
・第三章;テオドール・アドルノ、チャールズ・テーラー、アクセル・ホーネット、リチャード・ローティー、ロバート・ブランダム、ハーバーマス、バトラーなど。
・第四章;ハンス=ゲオルク・ガダマー、マルティン・ハイデガー、ハーバーマス、ハンナ・アーレント、ヴァルター・ベンヤミン、ポストコロニアル系(ガヤトリ・スピヴァク、フランツ・ファノン、スーザン・バック=モース)など。
 以上、著者が既に解説書を書いている人物が何人も登場します。

 初学者にとってありがたいのは、「マルクスにあまり詳しくない読者向けに簡単に説明しておこう。p.22」と、初学者向けの説明があることですが、これは初学者向けということもあるでしょうが、この思想家の思想のポイントはこうなのだと、他の専門家に向かっていっているようにも見えます。

 そもそも私にはヘーゲルの理解がないので、ヘーゲルについての説明が印象に残ります。以下にヘーゲル以外も含め、幾つか挙げておきます。参考になれば幸いです。

・歴史には終わり(Ende:目的)がある。そして「自由は、自分自身を目的として遂行するものであり、精神の唯一の目的です。p.41」とあり、歴史と精神は自由というひとつの目標に向かっているようです。進化を連想すれば、石から動物への進化は自由の獲得が目的だったように思えてきます。

・「市民社会という言葉に近代的な意味を与え、その本質を最初に哲学的に規定したのはヘーゲルである。p.44」とあります。ホッブスやルソーにも社会はあったでしょうが、彼らは個人と社会が区別され二元論になっているようです。その点ヘーゲルは初めから個人と社会が一体となって議論されています。

・話し合えば何とかなるというハーバーマスの理論について行けなかったのですが、かれを名指しで批判するリオタールがいることを知って(p.71)、我が意を得た思いです。「言語の規範的・価値的性格をめぐる議論は、ほぼ不可避的に、ヘーゲルをめぐる問題圏に通じている。p.72」

・ルターは「すべての人は奴隷である」と「すべての人は主人である」という命題を『キリスト者の自由』で述べています。これをヘーゲルは主人と奴隷の弁証法として導入したのですと、マルクス・ガブリエルが述べています(『nyx 第5号』p.313-4)。当時、ルターの著作はあまりにも有名であったので、わざわざルターの名前を出さなかったのだそうです。この事実を知ると、ヘーゲルの弁証法が階級闘争につながる話には無理があるように思えてきます。ヘーゲル自身の定義は、「主は自立的で、対自的な存在を本質とする意識であり、僕は非自立的で、対他的存在を本質とする意識である。p.74-5」です。「コジェーヴ=ヘーゲルの承認をめぐる闘争史は、ナポレオンの勝利と彼の帝国の実現によって基本的に終わっていたp.102-3」のです。イポリットの「ヘーゲルが内面へと転換したp.110」という解釈は正しいというより、もともと内面を問題にしていたということかもしれません。その内面は常に社会と一体ですから。

・「分析者の言葉が、絶対知に通じているように見えなければ、被分析者は安心してそれによりかかり、再“主体=隷属”化することはできない。p.130」とあるのですが、もしそうなら、ラカン派の精神分析を実際に適用する療法家はいないでしょう。なぜならクライエントに寄り添うことが療法家のテーゼになっていますから。

・「現代の哲学で最も影響力があるとされるのは、哲学的命題を構成する論理や言語の分析に力を入れる英米の分析哲学であるp.176」とあり、ローティーとブランダムが登場します。ローティーはあちこちで見かけますが、ブランダムの登場は新鮮です。特にスコア記録係というアイデアは(p.182)、心理学や社会学との親和性が高まりそうです(p.184)。

・「絶対知というのは少なくとも現代の哲学者が実体的に捉えることができるものではないが、哲学的思考を刺激し、導く指導的理念のようなものであり、・・・・(これが)一番座りがよく、ハーバーマス、テイラー、ホーネット、ブランダムなどの間で展開される最先端の議論にも繋げやすいだろう。p.205」とあります。ヘーゲルの「絶対知」は、不可能な予言をする変な人という印象を与えますから、このように捉えるのが妥当なのでしょう。

 まだまだ印象に残った点はあるのですが、長くなりましたのでこの辺にしておきます。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年10月22日に日本でレビュー済み
新書版にも関わらず、ヘーゲルの思想をかなり真正面から扱い、かつ、後世の思想家の影響に大いに言及してくれた。なお、著者も断っている通り、本書は、新書版だが入門書ではない。ヘーゲルの主著を読まずして、本書の理解はかなり難しいと思う。ややコジューヴ、フクヤマに比重が行き過ぎた感じもあるが、私は、却って、フクヤマを見直すきっかけになった。フクヤマの本は、翻訳されたとき、右翼と目される渡部昇一が翻訳していたことや、当時の日本のインテリがまだまだブント出身者が多かったことで、かつソ連崩壊で、余計にムキになっていたこと、長谷川宏の『精神現象学』の翻訳もなかったので、ヘーゲルの理解が及んでいなかったことなどなどから、フクヤマのunderestimateが著しかった。この本で、フクヤマの本見直していい本であることが分かった。もちろん、ヘーゲルは大思想家である。ヘーゲル以降に発生した社会学は総じてヘーゲルに太刀打ちできず、分析哲学は論外として、現象学もほとんど太刀打ちできそうもない。ヘーゲル以降、読むに値するのは、キルケゴール、マルクス、フーコーとプラグマティズムぐらいのものだと思う。本書を読んで、そんな気持ちを新たにした。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 著者は難しい思想を納得できる形で翻案する手腕に定評があるらしい。本書でもその能力の高さはわかる。ただ、これはヘーゲル入門であるよりも、その影響を受けた人たちへ重心がかかっているようではある。もし現代思想を肯定的に見るつもりなら、読む価値はある

 そのうえで、どうせこの本のレビューには星五つが並ぶだろうから、私は苦言のみを呈しておきたい。ヘーゲルをうまく現代思想に取り込むことは、結局のところこの分野の可能性を狭めることになると私は思う。講壇哲学の内部では盛り上がっても、一般人から見るとあまりに現実離れしていて信ずるに値しないというのが、思想界の現状である。著者はいろいろなものと闘っているようだが、もし現状を脱したいと思うなら、ヘーゲルはまともに考える人たちの味方ではないし、武器にもならない、と言いたい
 訓詁学という言い方は、単に字義の解釈を本義とする態度を指すのではなく、その価値を祭り上げてしまう結果に対する憂慮を含む。現にこの本のようにヘーゲルの影響力の高さを論じられてしまうと、読者はヘーゲル思想を頭から否定することができなくなる。過去の本の緩やかな引きうつしで回して行くという、昔から哲学の最大の悪弊とされることに、またとらわれるのか
 ラッセルやポパーのヘーゲル批判がこの本でも紹介されているが、彼らの前提は、ヘーゲル思想は前後で矛盾した、支離滅裂な、考察に値しない駄文である、というものであろう。そのうえで、ホーリズムであるとか、狭量な政治思想を批判しているのである。 その前提を取り払って、ヘーゲルを擁護あるいは評価することが、哲学として正しいだろうか?
 
 ヘーゲルの功績とされる考え方が、果たしてその名にふさわしいのか。個と環境の互いの交渉から、それぞれが別物に進展していくという概念は、ラマルク、キュビエ、ダーウィンの思想をたどっていけば、自然にたどり着く発想である。人間社会の中でも進化論的な力が働くということは、たとえばコンラート・ローレンツの著書(「鏡の背面」や「動物行動学」)を繙けば理解できる。私はダーウィニズムには疑問を持っているが、それでもダーウィンとヘーゲル、ローレンツとポスト・モダンの社会進化論などと併記することはあまりに失礼であると感じる。知的な誠実さがあまりに違いすぎて比較の対象にならない
 つまり弁証法などという与太は存在しないのだ。岩と岩をぶつけて岩ならざるものに止揚されるか? 水と塩酸から何かがアウフヘーベンされるか? あるものとあるものの混交によって全く新奇な何かが創出される可能性は限りなくゼロに近く、あったならば、個別に探求されるべきである。弁証法などという一般化は何も見ないに等しく、これをもっともらしく振り回す輩は、実証科学はもちろん、人文系においても思想家の資格がないとしか言えない
 弁証という語源的な意味においても、話し合いが必ずしも好結果につながらないことは周知のとおり。もしありうるなら、よい結果を導く議論の方法論、みたいなものにしかならないだろう
 ヘーゲル的な考え方は、自然科学の思想からでも十分にたどり着けるのである。自然科学がヘーゲルを参照したという話は聞かないが、ヘーゲルが科学の知見を引用元を明かさずに、我流に引いている証拠ならいくらでもある

 私はこの本を高評価する人に、ぜひともヘーゲルそのものにあたって、それがまともな思想家の書くものかどうか、冷静に判断していただきたいと思う。ただし以上のことは、著者がこの本を書く元の善意や、他の著書に及ぶものではない
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年10月19日に日本でレビュー済み
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「ヘーゲルを超えるヘーゲル」とは、ヘーゲル哲学に学びながら現代思想を形成した思想家を論じる書物である。着想が面白い。『歴史の終わり』は国際政治学者フランシス・フクヤマが冷戦の終結をもって「歴史の終わり」と見なした書物で、世界的にベストセラーとなり、日本では故渡部昇一氏が訳して三笠書房から出版し、好評を博した本である。この本でフクヤマは、ヘーゲル弁証法を用いて歴史を論じた。本書の著者仲正氏は、フクヤマの「歴史の終わり」論の根拠がマルクス主義の終焉にあると見なし、唯物史観を批判する。生産力と生産関係の矛盾から生産様式の変革を説くマルクスの唯物史観によれば、中世農奴制における領主に対する農奴の階級闘争から農奴制が崩壊し、資本制へ移行するものと理解されるが、領主に対するブルジョワジー(中産階級=資本家階級)の階級闘争としてこの変革を著者が説明するのはおかしいのではないか?これは市民革命を説明する論理ではないか?フクヤマが説く「歴史の終焉」とは、マルクス主義の崩壊というよりはむしろ、大きな物語(実験)としての社会主義の崩壊を説くものではないのか?ヘーゲルの歴史哲学は、世界精神(絶体精神)の自己実現の過程としての世界史論である。それは市民社会の矛盾を止揚(アウフヘーベン)する近代国家において完全な自由を実現することを意味する。このヘーゲルの歴史哲学を用いて冷戦終結を見ると、社会主義国家が思想・表現の自由、経済活動の自由を平等な社会の実現のために抑圧した事実に対するソ連・東欧諸国市民による革命を意味するであろう。自由は拡大するものであって、抑圧されるべきものではない。フクヤマの「歴史の終わり」論はマルクス=レーニン主義の崩壊と解釈すべきものではなく、社会主義国家による自由の抑圧を根拠とすべきものである。これがヘーゲルの歴史哲学を適用した歴史解釈ではないか?フクヤマは『文明の衝突』を著してイスラーム文明とキリスト教文明の対立の必然性を論じたハンチントンの弟子である。国際政治情勢をつぶさに分析してきたフクヤマは、冷戦終結以後に多発した地域紛争や民族紛争、イスラーム過激派によるテロ行為が「歴史の終わり」どころか、世界史における新たな対立の構図となることをどうして見抜けなかったのであろうか?イスラーム原理主義とアメリカ帝国主義との対立は21世紀における新たな「歴史の始まり」である。本書は、細部にあまり拘泥せず、「ヘーゲルの子どもたち」の色々な思想に次々と触れることを本領とする本である。現代思想に興味あるすべての人にお勧めの一冊だ。
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2019年1月8日に日本でレビュー済み
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新書だけど読みごたえありました。再度読み直したいです。
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