それぞれの中国思想を理解するだけでなく、そこに至る流れがよく分かる。仁や孝など道徳をベースとした孔子→曾子→子思→孟子の道統の流れ。そして礼をベースに法家に向かい始皇帝、曹操に影響を与えた、孔子→子游→荀子→韓非子→李斯の流れ。さらに魏晋北魏唐の時代から、仏教哲学が老荘学を介して少しずつ中国思想界に受容された(シンクレティズム)。その中から、廃れかけた道統を復活させた周張二程の道学を経て、朱子学につながる流れ。この「流れ」をしっかりつかむことができるのがこの本の最大の特徴。中国思想の本ではなく、中国思想「史」の本としたかった意図を強く感じる。
加えて、どういった経書をベースに思想が止揚されたのかという説明がしっかりとされているので、思想史の流れの中で四書五経それぞれの経書の概要を把握することができる。次は、大学、中庸、易、春秋を読んでみたくなった。
大変だったのは古くて読みにくい文体。約100年前の文章とのことだから、ふりがな追加や漢字→ひらがなへの書き換えを行っているとのことであるが、それでも見慣れない表現や漢字が多かった。2,3ページに一回は辞書を引いたと思う。それでも内容が面白いので、どんどん読みたくなる。こんな優れた本が文庫として発刊され大変ありがたい。
西洋文化との繋がりに関する記載はほぼない。同時期に出た中公新書の中国哲学史はキリスト教や西洋哲学に関する記載があるようで興味深く、手元に置いた。こちらもおって読んでみたいと思う。
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中国思想史 (講談社学術文庫 2706) 文庫 – 2022/2/10
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昭和11年(1936)に『支那思想史』の書名で刊行され、戦後は『中国思想史』と改題してたびたび再刊されて今世紀まで読み継がれてきた概説書の、初の文庫化。孔子・老子に代表される古代思想はもちろん、その後の儒教・仏教・道教の相互交渉、朱子学・陽明学の成立、清代の考証学の確立まで、2000年以上におよぶ中国思想の幅広い歴史を、コンパクトに通観する。
著者によれば、維新以後この種の著作は数種出ているが、いずれも学者の伝記とその著書の解題を並べたものにすぎず、思想推移の跡をたどるに不便である、という。そこで本書では、思想変遷の過程を明らかにし、異質な思想が接触し変化する歴史を描くことに多く筆を割いている。
なかでも本書の大きな特徴は、四書五経の研究を深めた学問「経学」の変遷や、儒教や宋学への仏教の影響について大胆に説き明かしていることで、一人の研究者がこれほどの広い視野で中国の思想史を捉えた書物は、その後著されていない。
学術文庫のロングセラー、『孫子』『墨子』『諸子百家』等の著者、浅野裕一氏(東北大学名誉教授)が巻末解説を執筆。〔原本:岩波書店、1936年・1957年・2005年刊〕
著者によれば、維新以後この種の著作は数種出ているが、いずれも学者の伝記とその著書の解題を並べたものにすぎず、思想推移の跡をたどるに不便である、という。そこで本書では、思想変遷の過程を明らかにし、異質な思想が接触し変化する歴史を描くことに多く筆を割いている。
なかでも本書の大きな特徴は、四書五経の研究を深めた学問「経学」の変遷や、儒教や宋学への仏教の影響について大胆に説き明かしていることで、一人の研究者がこれほどの広い視野で中国の思想史を捉えた書物は、その後著されていない。
学術文庫のロングセラー、『孫子』『墨子』『諸子百家』等の著者、浅野裕一氏(東北大学名誉教授)が巻末解説を執筆。〔原本:岩波書店、1936年・1957年・2005年刊〕
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2022/2/10
- 寸法10.8 x 1.5 x 14.8 cm
- ISBN-104065269415
- ISBN-13978-4065269411
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商品の説明
著者について
1886年、三重県生まれ。京都帝国大学文科大学卒業。大阪府立図書館勤務ののち、東北帝国大学法文学部教授を務め、東北大学名誉教授。帝国学士院(のち日本学士院)会員、文学博士。1960年、文化功労者表彰。1966年没。著書に、『老子原始』(弘文堂)、『論語の研究』(岩波書店)、『儒教の精神』(岩波新書)、『論語』(訳注、筑摩書房)、『老子』(訳注、岩波文庫)のほか、『武内義雄全集』(全10巻、角川書店)がある。
1946年仙台市生まれ。東北大学名誉教授。著書に、『孔子神話』『諸子百家』『孫子』『墨子』『儒教 怨念と復讐の宗教』ほか。
1946年仙台市生まれ。東北大学名誉教授。著書に、『孔子神話』『諸子百家』『孫子』『墨子』『儒教 怨念と復讐の宗教』ほか。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2022/2/10)
- 発売日 : 2022/2/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4065269415
- ISBN-13 : 978-4065269411
- 寸法 : 10.8 x 1.5 x 14.8 cm
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- 2024年3月13日に日本でレビュー済みAmazonで購入
- 2022年3月9日に日本でレビュー済みAmazonで購入武内義雄「中国思想史」
中国人の民族思想
五経の一つ詩経に「烝民」には、天民を生むと言う。「生民」にその初め民を生めるは、これ姜嫄という。姜嫄は、姜が姓、嫄が名前で女性。人類の最初は、旧約聖書とは異なり、詩経では、天が女を先に生み、そして、人類を生んだ。男はどこにいるのか。
ともかく中国古代の民族思想は、天から女性が生まれて、人類が発生したと歌う。人類の最初の社会形態は、母系社会と言う言葉を思い出させる歌の内容です。
天帝の帝の字は逆三角形で表したと言うが、そういう語源説は漢和辞典辭には出ていない。どこから来た説か、種から人類が発生したと連想されて面白いと思ったが、無理があるのではありませんか。帝の字も示の字も、帝では一番上の点はもと横棒で、お供えの生肉を表す。示すも同様で、一番上の横棒はお供えの生肉で、左右にある点々は肉から落ちる血を表すと言います。帝も示すもともに天に捧げものをするための台と漢和辞典にはあります。この方が正解ではないかと思います。神の姿は現しようがないので、神だなを天帝としたのでしょう。この見えない姿なき神が万物の創造者です。
孔子
昔から孔子読みの孔子知らずと言うことをよく聞きます。孔子を読むとはどういうことなのか。仁とか忠恕とか出て来て、忠は自分自身の心に忠実なこと、恕は他者への思いやりとか言います。しかし、自分の心に忠実にと言っても自分の心はかなりいい加減なもので、思い通りにやっていたらそれこそ、この間中話題になっていた辞職した女都議のように法律違反を繰り返してしまうことになりかねない。だから、忠からして分からない。ましてや孔子が理念として説いた仁となると、キリスト教の愛と同じものなのか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せとはなかなかいかない。右を叩かれそうになったならば、右手で相手のこぶしを払って、相手の右頬にパンチを繰り出せという生き方しかなかなかできない。
だから、どうしても論語を読んでも、受け入れにくい。
孔子は、春秋左氏伝、詩経、尚書、礼記、易経、楽経と六つの書を後世のために編集したと言われている。本書は「忠とは自ら内省して善悪を直覚すること、恕とは自分の心を持って他人を忖度することで、二つの作用で両両相まって仁を実現する方法となっている。」と上手にまとめています。しかし、安部総理大臣の心を忖度して、官僚が政治スキャンダル、官僚が民間に贈賄すると受け取れる事件が起きたりしている。善悪の判断が忖度する時に飛んでいる。優秀な人しかなれない高級官僚にしてこれだ。論語を実践すれば、理想郷が出来るに違いないと信じつつ、これをできる人のみが論語を読みこなしていると言えるのではないかと思った。
論語一冊あれば天下泰平を実現できるという趣旨の記述も古典にはある。中国宋の趙普が五代十国時代を終焉に導く趙匡胤のブレーンになっている。宋の趙匡胤が一武將として従っていた周の武王は日本の織田信長のような人だと思った。歴史は場所異なっていても、その時が必要とする人物を生み出すのかなと思った。神様の采配は捨てたものではないと思う。
孔子、その子伯魚、その子孔伋(子思)。子思は「中庸」を作った。中庸の書き出しは「天の命ずる、之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、道を修める之を教えと謂う。」
孔子が天命か、と言う時、いつもうまくいかないことをぼやくときに用いている。天帝の用い方として、孔子自身が「我を知る者は其れ天か」と言う時、一体どのような気持ちだったのか。誰にも政治上の手腕を発揮させてもらえないまま、埋もれてしまう孔子様。天の命じたままに生きてきたことが人生なのでしょうから、古典の編集と子貢のような有能な政治家を育てたことが孔子に天が与えた使命なのでしょうから、後世への大きな影響を考えると、天は人類への指針を孔子に託してアジアの民に理解できるように天の道を教えたと思いました。
「中庸」には、知仁勇を三徳として伝えている。「子曰く、学を好むは仁に近く、力行は仁に近く、恥を知るは勇に近し。この三者を知れば、則ち身を修る所以を知る。身を修る所以を知れば、則ち人を修る所以を知る。人を修る所以を知れば、則ち天下国家を治る所以を知る。」「書経」では正直、剛克、柔克、の三つを身を修め、国を治めるための三徳として記録している。正直は良く人の曲直を正す。曲直は、中庸から外れることから生まれるので、やり過ぎや、優柔不断からやらないことの正不正を質すことにある。剛克は良く事を断行する。柔克は和を尊び民を優しく労わり良く治める。
知仁勇も剛克も正直も柔克も天が人に賦与した良質であり、天が人に与えた天性なるものは善であるという信頼によって生じる確信である。結局、五常の徳川幕府以来の仁義礼智信と言った徳目も、天が人に賦与した天徳とは何かと言う問いに対する答えだと思う。
いずれにしても、天徳は人の美点であり、こういう徳目を身につけて生きていくことが大切なのだと思う。
5月16日
日本の思想史でも同じことですが、鎌倉時代に儒学などの中国思想を伝授したのはお坊さんたちだった。だから、仏教が思想として大きな位置を占めている。しかし、中国思想史と言うと、仏教に触れることはほとんどない。
この本では鳩摩羅什などの僧侶たちが出て来て、ほとんど全く理解不能の議論に入って行く。いつも思うのだが、仏教の教理が難しくて訳が分からないのは真実からは迂遠な所にいて、真理から外れたことを言うので、理解が難しくなるのではないか。自分の理解力不足を嘆くよりもそういう苛立ちさえ感じてしまう。
高校でも習う範囲の知識ですが、お釈迦様は生老病死という人生の諸相を苦の源と見なしました。四諦と言って、苦諦、集諦、滅諦、涅槃、と八正道を習います。今では仏教と言えば葬式仏教で常人の日々の人生哲学とは無縁の訳の分からない儀式に集約されています。
お釈迦様と言えば、欲は少なくし、足るを知る生き方を解いているわけですが、中には人のあらゆる欲望をかなえるという仏像もあります。人のあらゆる欲望をかなえるということは、お釈迦様の教えである欲望が苦の原因である。だから、欲を滅していきなさい、と言う教えとは真逆になります。でも、生きている今を幸福にすごすために必要としていることを求めてそういう仏様に祈ると言うのは、逆に人生を肯定し、今生きていることを有意義に楽しむという意味で仏教を変改する一歩前進の思想だと思います。薬師如来が病気を治したりするのは一つですが、千手観音となるとあらゆる人々の欲望全てを助けてかなえてくれる仏像になります。仏像も如来像とか、菩薩像とか、観音像とか、いろいろあってこのレベルの違いさえ、仏教では難しく煩わしいものとなっています。この複雑さがインチキくさい。
老荘思想と仏教思想が人に与えた影響として道教が生まれ発達したと言います。思想は恐らくそういう風に受け手が100%理解できずに誤解も含めて展開をしていくのだと思います。道教寺院のテレビ中継を見ていても思うのですが、古代キリスト教の争いの中で、キリストは神か人かという争論があり、イエス様を人と考える一派であるネストリウス派のキリスト教徒は弾圧を受けて東方に逃れ、中国において道教の神と一体化し、中国土着の不思議な宗教、道教が生まれたと聞きます。テレビに映っていた道教のお坊さんはあたかもキリスト教の司祭のように見えた。ただし、ユダヤの坊さんのように黒い服を着ていたが。仏教」老荘、キリスト教、そして不老不死を求めた化学が混在しているのが道教。道教は、不老不死の薬を求めて調合していく過程で、爆発して道教の坊さんが怪我をして、わざわざこの混合物は危険だから造らないように道教の仲間たちに回覧したものが、西欧に伝わって火薬として進化したと言います。何でも物は思わぬ展開をして変化していく。それは進歩なのか退歩なのか、凡人には分かりません。道教は、古い過去の腐った思想ではなく、近くは太平洋戦争中の日本のスパイの記録に華南地方の道教信者の調査報告なども記録出版されていて、活発に学習会を催しています。これを読むと学校の先生や様々な職業の中国の人々が道教寺院に集まり、道教の学習をしていて、これが中国革命の基盤の思想になるのではないか疑い日本軍は調査のためにスパイを潜り込ませていた。毛沢東もこの道教寺院での学習組で政権を執るとすぐに自分たちが育った道教寺院を反革命の巣として徹底的に弾圧し破壊しました。思想は生きて動き続け世の中に働き続けている。
仏教はしかし、日本人の中に深く根付いています。神社神道も同じです。大山参りなど厚木の雨降り山のあぶり神社などは江戸時代には大山参りとして商売繁盛の神様ですし、お正月には日本人の大半が初詣で神社仏閣にお参りします。
四苦八苦すると言えば、生老病死苦と愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五陰盛苦、の四苦を足して八苦。確かに生きること自体が苦となりますが、これって、中国伝来の天の思想を忘れる所からくる混乱ではないでしょうか。
天は人に良く生きて魂を磨くようにと地上に霊魂を派遣したのです。だから、天の神さまの使いが一人一人の人生を見ています。
道教も、この中国思想史を読むと難しくて理解が出来ません。中国人の道教信仰をこれもテレビで見ていると、日本では見たこともない大きな線香を燃やして神に祈っています。良いことをしたら天に近づき、悪事を働けば天から遠ざかる。良いことを積み重ねて天に近づこうとする思想。これが土着の道教なのではないでしょうか。
日本の戦時中のスパイの報告を見ると、道教寺院は自由に学問、思想、政治などなど日々の悩みやボヤキをみんなして集まり自由に話し合う場所だったように感じます。だから、ここから中国革命の人材が輩出されたのだと思います。朱子学で有名な朱熹も道観の長官でした。優れた自由思想の温床が道教の寺院には何千年もあったのではないでしょうか。庶民の生活と密着した泥臭さが伝わってきません。
中国にある道教の寺院は、易経の占いをする場所になっていると聞きます。庶民の悩みや人生に密接に寄り添っている。また、ここでは学習会や討論会が行われている。中国に行ったことがないので知りませんが、そういう寺院に通っている庶民がいるらしいのも、人口が多いだけに、さらに未知の不可思議な大きな可能性を感じる国だと思います。
5月20日
書道の手本、王羲之「黄庭経」に「木火土金水の五行は、バラバラに存在しているが、その根源は太極にある。天地人の三才と五行は一つの気に結束されて、その三と五を足した八つのものの腰に当たるのは太極である。」道教の五行は、人の肝臓や心臓などの内臓に対応して健康増進と不老長寿を目指していく。不老はあり得ないと思うが、今でもアンチエイジングとか言って薬がいろいろ研究されて売られているので、道教の経典「黄庭経」の世界は、テレビの宣伝に溢れているような気がします。そして、確かに一昔前よりわずかの間に平均寿命は延びているように思います。「易経」でも、陰陽を示す記号の六つの棒は天地人の三才に分けられています。言葉は同じですが、儒教・孔子の説く「易」の世界と、道教・王羲之の「黄庭経」では、全く意味が異なり、道教では、その実践とは錬丹術にあって、儒教ではその実践は、六十四の時と場所に応じた具体的な生き方の提案にあるように見えます。恐らく、易の根本を為す三才や五行、陰陽や四象や八卦、彖辞・爻辞と道教の言う世界は全く異次元になっていて、儒教は人生の過ごし方を提案するが道教は健康元気で永遠に老いずに生きるための健康術を追及しているのではないでしょうか。中国の古代から続く二大思想の道教と儒教は、ともに膨大な訳の分からない、白髪三千丈式の言葉に化かされて、徒労の旅に追い込まれているのではないでしょうか。
不老長寿というあり得ないことを求めた道教を思うと、とても生きていることが楽しいからそう願うのではないかと想像できます。コロナウィルスの騒ぎが起きて二年目に入った今日、若者の自殺が多発していると聞きます。自殺は報道をすると、模倣するように伝染するので今日報道をしないことが原則となっていると言うのに多発するのは何故か。例えば、千人の人がいて、みんな平等に貧しく、終戦後の日本のようにみんなの生活がおおかた同じように貧しければ、苦しくても互いに苦しいのだからと耐える力が生まれると思う。激しい貧富の差、今日のように毎日地域経済を支えてきた産業が崩壊していくと、そこに飢えて苦しむ階層が増えて、一方に働かなくてもどんどんお金が入ってくる階層がいて貧富の差が二極化してくると、大部分の飢える階層の人は生きること自体が苦しいと感じ、夢も楽しみもなく、絶望しかないと思い込み、生きるのは苦痛になってくる。「論語」に孔子を批判する長沮・桀溺という隠者が出てくる。「長沮・桀溺並びて耕す。」この隠者なる者は、老荘思想の体現者であり、毎日の生きるために求められることを処理して働くことに生きがいを見つけている。これが、天帝が命じた人の使命であると確信して生きている。孔子は、儒教の信奉者であり、殷紂を滅ぼした武王の弟である周公旦を理想として、平和で豊かにみんなが暮らせる国造りを目指している。夢が大きすぎて生涯愚痴を言い続けて、最期はほとんど呆け老人のようになって子路の処刑を嘆き悲しみ、泣きながら天寿を全うした。現代人は全て江戸幕府が朱子学を国教としたためもあり、明治近代化以後も皆立身出世を人生の目標として生きてきた。あぶれた階層は悪元気なものは犯罪行為に生きがいを見つけ、意気消沈した者は自殺へと追い込まれていく。
老荘思想は、不老長寿を目指す。心の平安があり、天命が生きることであり、日々必要とすることを励むのが天帝の命令と信じているので安息して生きていける。その一方、「易経」に対しては、宿命論的な指摘と受け入れていく。儒教は、「易経」に対して、元亨利貞に従って生きて行かないと、吉とか悔とか利と言ったメリットが受けられなくなると考えて、元亨利貞を目指していく。「人は、いつでも壮健に過ごせるように心身の健康をはかり、天が万物を育成するように、人の役に立てるように生きていく。」元は易に天行は健なり、という。健康元気のことでしょう。亨は通ると言うことだから、世間を波風立てず仲良く信頼しあって暮らしていく生活態度、易では礼儀と信頼と言います。利は利益の利、もうけや恵みです。易では善とか良とか道義を見究めて生きていくこと。貞は亀卜の卜と、貝殻の組み合わせです。多分、お金(殷代では貝貨)を払って占ってもらったこと。神意とか天意を知り、それを貫くことかと思います。長沮と桀溺は自分と家族の生活のために働き、日々やらなくてはならない労働や雑事に追い回されています。逆に、孔子や孟子は働きもせず、自分の心にある理念を求めて生きていきます。人は長沮、桀溺にならって日々迫る、やらなくてはならないことを一生懸命やって生きていくのが人生だと思います。労働は、自分の時間を売って働き賃金をもらうこと。お偉く止まってこんなことは私の任務ではないとそっくり返っていては生きていけない。孔子や孟子は誰でもなれるものではない。
道教は平凡人のための人生論、儒教は野心家のための、または、人から共感を持って支持される理念を持った聖人のための人生論だと思います。だから、儒教では誰もが君子を目指せと言います。日々の生活は道教に従い、先生方の教えは君子の道を学び、理想を教えてもらうことで、長沮、桀溺にならって日々土の上を這いながら、時に首を上げて空を見ると言う感じではないでしょうか。易は道教と儒教と両方の視点を備えていると思いました。
「論語」に長沮らが口をそろえて子路に言う所がある。「あなたは、誰にも受け入れられないで放浪している人に習うよりは、我々のように逆に世の中を受け入れないで天帝にだけ従っていく生活を見習ったらどうか。」どんな車馬行列の威儀を見ても心動かされず、帝力なんぞ我にあらんやと自活し、日々の労働に従うことに誇りを持って生きていくことができれば、後は健康さえ維持できれば、幸せではないのか。この時、「易経」は健康法を説く書物になる。恐らく、だから「五行」と身体の内臓との関係、八卦と身体の部位という考え方が出てくる。これらは、むしろ隠者の発想から出て来た易の見方なのではないでしょうか。
5月28日
この本のテーマは、中国思想史に現れる殷周時代から始まって清時代までの様々な思想をテーマにその前の様々な思想との関連、親子関係を探る興味に貫かれているように思います。だから、殷周時代の天帝を追及したが、その天の思想を追い続けるわけではありません。
南宋の偉人朱子の太極の説き方に驚きました。詩経に「商邑翼々たり、四方の極なり」と歌われています。殷の都は羽ばたく鳥の翼のように世界の中心にあると歌っていますが、極の文字は北極星の極のように真ん中の中心軸を極と呼んでいるように思えます。北極星をめぐって宇宙の星々が回転していることは周知のことです。だから、極は天の中心軸を意味しています。大は大きい。だから、太極とは宇宙の中心軸である北極星を中心にして回転するように見える宇宙全体の地球の地軸のことになります。この地軸を中心に地球は23.5度傾きながら回転をしています。天蓋とか天穹とか呼ばれる大空のことです。太極とは大空のことになります。朱子はその太極を、理としています。形而上とか形而下と言う時、理は形而上のことになりますが、天蓋とか渾天とか言えば形而下の形ある物質の世界です。
易経で言う太極、道教で言う無極、朱子の言う太極は理と言う時、朱子は大飛躍してとんでもない意味を付与しています。「性は太極、気質は陰陽五行」もっと天の星と地の現象を具体的に易の太極は意味していると思います。太極、両儀を生み、両儀四象を生む。両儀は明暗のこと、つまり陰と陽。四象は、太陽、恒星、惑星、太陰(月)全て宇宙の現象を反映しているに違いありません。
でも、偉大な碩学の大先生の論文で知らないことだらけで、いろいろな作品を改めて読んでみたいとおもいました。中国思想のよい水先案内の本です。当面は、華厳経にとても興味を持ちました。
呑気に感想文を書ける時代に感謝です。ロシアに攻め込まれたウクライナのようなことにならないように、神様に祈りたい気分の毎日です。ウクライナ万歳、平和の敵に神の裁きが下りますように。
5月31日
太極は空、古代中国人は傘を広げたように空にプラネタリュウームのように蓋が被さっていると思っていたようです。その空に神がいる。だから、古代人は祭壇の絵を文字化して神を表していました。東の空を祈ることは今も人がすることです。天にあるのが理、天が与えたものが天性、古代殷の人々が空に祈ったように神は上空にいて、その空から地上に理を贈り人を導いていると考えると、中国思想は古代殷人の神々と哲理がつながって、天を基準とした中国思想が書けるのではないでしょうか。仏教も、大日如来も廬舎那仏もどう考えても宇宙に輝く星の姿としか思えません。人の発想は、太陽と月を基準に人生を考えるのではないでしょうか。どの地上の人も。
6月5日
陽明学は、現代社会でも時代を激変させる政治哲学のように作用する不思議な思想です。王陽明の弟子たち、中でも銭徳洪と王畿の論争が短い文章の中でも面白いと思いました。
世間では四言教と言い伝えていると思うのですが、ここではこれを四有説と呼び、銭徳洪の考えを表明したと伝えられている。「善もなく悪もなきは心の体、善あり悪有るは心の動き、善を知り、悪を知るは是れ良知、善を為し、悪を去るはこれ物を格(ただ)す」と述べていつでも行動を起こす時には善悪どちらかをよく考えて行動するように教えている。
それに対して、王畿は「体とか用とかが顕れたり微かになったりするのは、ただひたすらにこういうことは何かのはずみでそうなる。意志と言うものも、物事にたいしている時に、ただ心の何かの拍子のはずみで起こることを知る。もし善もなく悪もないのが心という心を得れば、則ちそもそも物事には全て善も悪もないということを知る。(則意知物倶是無善悪)」原文は漢文が並んでいて書き下し文が表示されていません。ここが漢字制限を受けている戦後生まれの少ない文字数では解読できない部分で、補っておいてほしい所です。どう読むか分からないので仮に「」のように読んでみました。 四無説という。これも初耳で分かりにくい。思うにこれは「色即是空、空即是色」と言ったもので、人生は雨が降れば雨の中で生活し、風が吹けば風の中で生活をし、病になれば病の中で生活する。全て人生でおこる事象は善も悪もない。あるがままに受け入れて今はそう言う時なのだと受け入れつつ生きて行けば良いと言いているような気がします。
どちらの説も、短い文章ですが、大きな人生観が表現されているので、ここは漢文を列記して解釈は読者に任せると言うのは学者一流の庶民を煙に巻く馬鹿にした表現方法だと思いました。と言うのも漢文は結構、人により、誤読も含めて、訓読ではいろいろな読み方が出来てしまうので、もっと言葉の解釈を限定して行かなければ伝わらないと思うのです。せめて書き下し文はつけておいてほしかったです。そうすれば先生はどう読んだのかが伝わりますから。
6月6日
王陽明は、銭徳洪と王畿の一見真反対の見解について、二人の見解が両立して王陽明の考えを写すものであると答える。師の王陽明は、明の悪政に起因する反乱を平定して回った。この時、己の善悪の判断は押し殺して、体制に従った。「則ちそもそも物はみな是れ善悪無きことを知る。」(則意知物倶是無善悪――この本の本文ではこの漢文を記載するのみで先生がどう訓読されたのか不明です。訓読は感想文を書きながら勝手に訓読しています。)
王陽明の根っこの生き方はまさに、これだったと思います。この大方針のあとは、「善もなく悪もなきは心の体、善あり悪有るは心の動き、善を知り、悪を知るは是れ良知、善を為し、悪を去るはこれ物を格(ただ)す」という四言教を規範としたのではないでしょうか。自己の信じる善に固執して生きたことは少ないように見えます。だから、二つ合わせて漸く正解と答えたのでしょう。
「則ちそもそも物はみな是れ善悪無きことを知る。」この言葉は、だから何をやっても構わないと言う極端な誤解を生む言葉だと思います。知ってはいたのですが意識してこの言葉を受け止めたことがありませんでした。明末の陽明学左派の李卓吾(李贄)の挙動がどうして陽明学なのか理解できませんでしたが、王陽明自身の中にこういう誤解を呼び込む考えがあったのだと改めて認識しました。
- 2022年3月30日に日本でレビュー済みこのシリーズを見つけ、2作目です。
時代別にある程度整理されており、読みやすいですが、結局のところ、明代(1368年~1644年)に出た、王陽明以降において、今迄の説を検証するということは有っても、新種の思想・哲学的発見が少ないということは同時に、明代の時代で現在の方法がかなり似通っていて、更新の必要が無かったことを表しているとも言えます。
清代(1644年~1912年)に考証学が発展をしたのは、過去の歴史を検証する意味と過去の歴史とその中での分類・整理の過程であり、清代の乾隆帝時代(1735年~1795年)、嘉慶帝時代(1795年~1820年)の合計85年で、清代以前の古典書を整理・審査し、歴史的成り立ちを判断していった。
また、清代のこの後の流れについて付け加えれば、基本的に大きな相違点はない。
大発見は明代の王陽明、清代はその前の時代の全ての検証に消えた時代であったという事だから、今の私たちに求められるのは、新説を考えることもそうだが、「私自身ならこう思う」と自分自身の案や解釈を新しく発見することではないでしょうか?
本書はそのきっかけを与えてくれる本です。