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話し言葉の日本語 (新潮文庫 い 14-33) 文庫 – 2013/12/24
- 本の長さ357ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/12/24
- ISBN-104101168334
- ISBN-13978-4101168333
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2013/12/24)
- 発売日 : 2013/12/24
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 357ページ
- ISBN-10 : 4101168334
- ISBN-13 : 978-4101168333
- Amazon 売れ筋ランキング: - 283,960位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,131位新潮文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
劇作家、演出家、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。1962年東京都生まれ。国際基督教大学(ICU)教養学部に入学。在学中に劇団「青年団」を結成し、戯曲と演出を担当。卒業後、こまばアゴラ劇場の経営者となる。日本各地の学校において対話劇を実践するなど、演劇の手法を取り入れた教育プログラムの開発にも力を注ぐ。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている自身のワークショップの方法論は、多くの子どもたちが教室で演劇をつくるきっかけとなった(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群 (ISBN-10: 4532196701)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
昭和9年(1934)、山形県生まれ。上智大学外国語学部フランス語科卒。浅草フランス座文芸部兼進行係などを経て、戯曲「日本人のへそ」、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」などを手がける。47年「手鎖心中」で直木賞受賞、54年「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞、翌年読売文学賞戯曲賞を受賞。56年「吉里吉里人」で日本SF大賞、翌年読売文学賞小説賞を受賞。平成11年、菊池寛賞受賞。平成16年、文化功労者。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 ボローニャ紀行 (文春文庫) (ISBN-13:978-4167111281 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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対談相手は、平田オイザで、駒場東大前のアゴラの主宰者。
「話し言葉の訓練がないと、話が整理されまいまま、長話になってしまう」というところは非常に賛成。
言葉について考えるよい一冊。
「日本語の区読法がまだ確立していないことも、じつは問題だと思いますね。
点と丸のルールが確立していないというのが日本語の特徴だといったほうがいいでしょうか」
という一節はおもしろい。
考えさせられる。
討ち入りやなしに
松の廊下から大評定までやろ。
これが大きい事件や。
けっきょく、戯曲は、
最初に起こる大きな問題
+その問題に対し右往左往する小さな人間
を描くんだ。
P175平田
、、、、、、
ウーン、抉ってるなあ。
村上春樹、内田樹、松本人志、平田さん、
説明の上手い人の時代だなあ、、、
いや、、、いつの時代もか。
その定義自体には、まったく賛成です。そして、今の日本には「対話」が足りない、ということについても、賛成です。それについての、さまざまな有益な提言も、この本ではなされています。
でも、他の評者の方も書いておられるとおり、この本じたいは「対話」ではないようです。
井上氏、平田氏、どちらもほとんど同じことを発言していて、お二人の名前を入れ替えても、ぜんぜん気がつかないくらいです。(ついでですが、この商品ページの写真にはありませんが、私が購入したものにはお二人の顔写真を並べた帯が付いていて、その二枚の写真も、入れ替えてもわからないんじゃないかと思ってしまいました。デザイナーのいたずらでしょうか?)
平田氏が「井上さんの戯曲では、突然みんなが歌いだしたりするけど、あんなこと普通の日本人はしませんよね」と言ったり、井上氏が「平田君の舞台で、役者が後ろ向いてしゃべるのは、やっぱりどうかと思うよ」と言ったりして、そこからワクワクする議論が展開したりは、残念ながら、しません。そういうのが、「対話」じゃないかと思うんですが。
もうひとつ。この本は日本語論としては面白いですが、演劇論としては、「戯曲の言葉=話し言葉」という定義は、せますぎます。演劇には、語りやモノローグといった、話し言葉を超えたスタイルの可能性が、いくらでもあります。その可能性がまったく無視されているのは、残念としかいいようがありません。
高校演劇に関わってきた平田が愚痴る。
全体から見渡すと重要な人物が後半から出てくることが多いんです。それじゃあ作者に都合がよすぎる。だったら、最初から出しておけよと思うんですね。それから、登場人物が何者であるかということを説明するのが高校生には難しいようです。
軽くヨイショも入れながら井上が受ける。
たとえば、家族で一緒にいるという設定で「お父さんの仕事何だっけ?」なんていうせりふは存在しないし、父親が「私は銀行員だよ」なんてのもない'''内部だけでは基本的な情報がなかなか観客に伝えられない。
そこで内部についての情報量が少ない外部の人を登場させて、内部の情報を手繰り出して観客に知らせる。それも直接的にではなく、なるべく遠いところからというのが平田流の戯曲の基本形ですね。
先輩と後輩のやりとりは、終始快調である。