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日本語の手ざわり (新潮選書) 単行本 – 2005/5/24

4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

ローマ字で入力して横書きに文章をつづるパソコンのシステムは、日本語をどう変えたか。「日本書史」の論客がいまこそ世に問うスリリングな日本語論。
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商品の説明

出版社からのコメント

手書き、縦書きでこそ生きる日本語表現の多様さ、美しさ。「考える書家」による新しくて刺激的な日本語論。 
石川九楊はこう主張します。ローマ字で入力し漢字に変換するパソコンのシステムは、適切な言葉を生み出す思考の流れを妨げる。横書きは文字や文体を変え、日本語のあり方を変える。パソコンやインターネットは、軍事通信技術の廃物利用であり、人間同士が言葉をやりとりするための道具ではない。いま著者が世に贈る警醒の書。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2005/5/24)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/5/24
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 185ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4106035480
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106035487
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

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石川 九楊
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上位レビュー、対象国: 日本

2014年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 日本語の成り立ち変遷そして、未来への課題を考えさせられた。
こうして、感想をパソコンで「書いて」いるとき何度となく同音異義語への誤変換をしたことか、著者の言
わんとすることの何分の一かを理解できたと思う。
 ワープロ機能が仇なのか。日本語の罪なのか。
 「にほん」でも「にっぽん」でもよいおおらかな?国。先日偶然の機会で、自分の姓の戸籍登録上の{正しい文字・字形を知った。八十歳を過ぎて!!
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年10月3日に日本でレビュー済み
日本語を横書きにするのは、アルファベットを縦に書くような不自然さである。「書く」行為を「筆蝕すること」と定義する著者が、その理由を1つずつ解説してみせる。

たしかに、回転して受け止めるという漢字や平仮名の筆跡を追ってみると、縦書きである必然性がよくわかる。

著者はある実験をしたという。それは「私の人生」というテーマで、学生一人ひとりに縦書きと横書きの文章をそれぞれ書かせる実験だ。その結果は興味深い。

縦書きの場合、歴史や社会とともにある自分という形の文体が多くなり、横書きでは「私」を中心にした文章例が多く見られたのだという。

それはなぜか?
「縦書き」は重力を受け止め、その重さを感受し、それに堪えながら書き進んでいく。そこには自省や自制が求められるからだと。一方、重力を無視して突っ切ったり、ひたすら走りぬけるように書く「横書き」には、そこまでの信頼性は与えられない。

そもそも、西欧の言語は「声を書き、声を読む」ものにすぎない。口約束とはいっても文字約束とはいわないように、証拠能力としての書き言葉の信頼性は自明である。

かくして話し言葉に信頼性を与えるために、西洋では神や宗教が不断に生み出された。一方で東アジアの言語は、西欧にみられる宗教機能までも代替しているのだという。なんと大胆な考察。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年1月9日に日本でレビュー済み
彼の持論「二重言語国家日本論」の概説版。

NHKでの連続講座のテキストをベースにしているせいか、ですます調でわかりやすい。というか、著者もだんだんメジャーになってきて、あの独特の晦渋さで力まかせに自説を唱える必要が薄れ、その分肩の力が抜けてきたのか。

それでも、こじつけ・牽強付会とおぼしき主張多く(そこが面白いのだが)、主流派アカデミズムから厳密な検証をされると、耐えられるかな、という感じあり。

在来の言語学は、ラテン語・英語・仏語等のアルファベットを使う同根言語観の分析には使えても、縦書きアジア言語の世界では無力だ、というかれの主張は的を得ている。

ところで、パソコンとカラースキャナーを使って、対面しなくても「手とり足とり」大先生による書道の指南が受けられるようになってきたそうだが、石川氏はなおパソコン亡国論を唱え続けるのだろうか。
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