毒殺説があるのは聞いていましたがこの本を読んで本当と思わされました。
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孝明天皇毒殺説の真相に迫る (単行本) 単行本 – 2023/8/21
中村 彰彦
(著)
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慶応2年12月25日に崩御した孝明天皇については、その直後から「毒殺説」がささやかれていた。疱瘡(天然痘)に罹患したものの、快方に向かいつつあった天皇の容態が急変し、死に至ったからである。
戦後になると、ねずまさし、石井孝、田中彰氏らの近代史研究者によって「毒殺説」が主張されたものの、平成元年に原口清氏の論文が発表されるに及んで「病死説」が俄然有力になった。
著者は原口清氏の論文を批判して「毒殺説」を支持してきたが、近年(2020年12月)になって橋本博雄氏(医学博士)が論文「孝明天皇と痘瘡」を発表し、そこでは孝明天皇の症状の記録を検証する限り、痘瘡による病死とは考えられないという結論が導き出されていた。
これに示唆を受けた著者は関連史料を再読し、孝明天皇の死因は急性砒素中毒であることを論じたうえで、さらにその背後で画策した黒幕と、置毒した実行犯の女官の名前を割り出した。
本書は幕末維新史の再考を迫る内容を提示した表題作を中心に、近年発表のエッセイを収録した史論集である。
戦後になると、ねずまさし、石井孝、田中彰氏らの近代史研究者によって「毒殺説」が主張されたものの、平成元年に原口清氏の論文が発表されるに及んで「病死説」が俄然有力になった。
著者は原口清氏の論文を批判して「毒殺説」を支持してきたが、近年(2020年12月)になって橋本博雄氏(医学博士)が論文「孝明天皇と痘瘡」を発表し、そこでは孝明天皇の症状の記録を検証する限り、痘瘡による病死とは考えられないという結論が導き出されていた。
これに示唆を受けた著者は関連史料を再読し、孝明天皇の死因は急性砒素中毒であることを論じたうえで、さらにその背後で画策した黒幕と、置毒した実行犯の女官の名前を割り出した。
本書は幕末維新史の再考を迫る内容を提示した表題作を中心に、近年発表のエッセイを収録した史論集である。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2023/8/21
- 寸法2.5 x 13.1 x 19.1 cm
- ISBN-104120056856
- ISBN-13978-4120056857
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商品の説明
著者について
中村彰彦
一九四九年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部在学中に、「風船ガムの海」で第三十四回文學界新人賞に佳作入選。九一年より執筆活動に専念。八七年、『明治新選組』で第十回エンタテインメント小説大賞、九三年、『五左衛門坂の敵討』で第一回中山義秀文学賞、九四年、『二つの山河』で第百十一回直木賞、二〇〇五年、『落花は枝に還らずとも』で第二十四回新田次郎文学賞を受賞。
一九四九年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部在学中に、「風船ガムの海」で第三十四回文學界新人賞に佳作入選。九一年より執筆活動に専念。八七年、『明治新選組』で第十回エンタテインメント小説大賞、九三年、『五左衛門坂の敵討』で第一回中山義秀文学賞、九四年、『二つの山河』で第百十一回直木賞、二〇〇五年、『落花は枝に還らずとも』で第二十四回新田次郎文学賞を受賞。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2023/8/21)
- 発売日 : 2023/8/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 264ページ
- ISBN-10 : 4120056856
- ISBN-13 : 978-4120056857
- 寸法 : 2.5 x 13.1 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 358,320位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,594位日本史一般の本
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- 2023年9月24日に日本でレビュー済みフォーマット: 単行本『孝明天皇毒殺説の真相に迫る』(中村彰彦著、中央公論新社)が主張する孝明天皇(明治天皇の父)は岩倉具視に毒殺されたという仮説は説得力があります。
「慶応2(1866)年12月25日、数え36歳で不意に崩御した孝明天皇の死因については、痘瘡(天然痘)による病死説と毒殺説とが死の直後からおこなわれている」。
「毒殺説は、天皇が痘瘡を病んだことを否定するものではない。病んだ天皇が回復しつつあることに気づいた何者かが薬湯を運ぶ役目の女官に命じ、その薬湯に無味無臭の砒素を仕込んで弑逆させた、と考えるのだ」。
「天皇は通常型痘瘡を病んだものの、回復に向かった。そのため回復されては困ると考えた者に、一服盛られて崩御された可能性がきわめて高い」。
毒殺の黒幕は岩倉具視と、その妹で元高級女官の堀河紀子で、毒を入れた実行犯は天皇の側近くに仕える大典侍の中山績子だというのが、著者の仮説です。
著者は、岩倉が孝明天皇毒殺を目論んだ心の内をこう推察しています。「討幕と王政復古がふたつながら成功したとしても、異人大嫌いの孝明天皇が親政をおこなうようになったりしたら、欧米列強と戦争になるのは目に見えている。だからこの際、天皇には退場してもらい、まだ新政府に口出しできるほど世慣れてはいない睦仁親王(明治天皇)に代わっていただこう」。
「孝明天皇の崩御直後から、岩倉と組んだ討幕派・王政復古派公卿の復権がめざましくなり、ついに岩倉は新政府の実質上のトップ輔相に成り上がった。長州藩奇兵隊の出身、西南戦争後、陸軍中将となった三浦梧楼が、『忌憚なく申せば、先帝(孝明天皇)の御在世が続いたならば、御一新は出来なかった』と率直に回想したのは、三浦が明治天皇の勅許もなく倒幕の密勅や錦旗を偽造した岩倉グループに胡散臭さを感じていたためであろう」。
「醜貌と矮躯からかつて『岩吉』と呼ばれていたわずか150石取りの貧乏公卿岩倉」は、大胆不敵な陰謀を巡らせ、思い切った勝負に出て、大きな成果を手にしたのです。
『孝明天皇毒殺説の真相に迫る』(中村彰彦著、中央公論新社)が主張する孝明天皇(明治天皇の父)は岩倉具視に毒殺されたという仮説は説得力があります。
「慶応2(1866)年12月25日、数え36歳で不意に崩御した孝明天皇の死因については、痘瘡(天然痘)による病死説と毒殺説とが死の直後からおこなわれている」。
「毒殺説は、天皇が痘瘡を病んだことを否定するものではない。病んだ天皇が回復しつつあることに気づいた何者かが薬湯を運ぶ役目の女官に命じ、その薬湯に無味無臭の砒素を仕込んで弑逆させた、と考えるのだ」。
「天皇は通常型痘瘡を病んだものの、回復に向かった。そのため回復されては困ると考えた者に、一服盛られて崩御された可能性がきわめて高い」。
毒殺の黒幕は岩倉具視と、その妹で元高級女官の堀河紀子で、毒を入れた実行犯は天皇の側近くに仕える大典侍の中山績子だというのが、著者の仮説です。
著者は、岩倉が孝明天皇毒殺を目論んだ心の内をこう推察しています。「討幕と王政復古がふたつながら成功したとしても、異人大嫌いの孝明天皇が親政をおこなうようになったりしたら、欧米列強と戦争になるのは目に見えている。だからこの際、天皇には退場してもらい、まだ新政府に口出しできるほど世慣れてはいない睦仁親王(明治天皇)に代わっていただこう」。
「孝明天皇の崩御直後から、岩倉と組んだ討幕派・王政復古派公卿の復権がめざましくなり、ついに岩倉は新政府の実質上のトップ輔相に成り上がった。長州藩奇兵隊の出身、西南戦争後、陸軍中将となった三浦梧楼が、『忌憚なく申せば、先帝(孝明天皇)の御在世が続いたならば、御一新は出来なかった』と率直に回想したのは、三浦が明治天皇の勅許もなく倒幕の密勅や錦旗を偽造した岩倉グループに胡散臭さを感じていたためであろう」。
「醜貌と矮躯からかつて『岩吉』と呼ばれていたわずか150石取りの貧乏公卿岩倉」は、大胆不敵な陰謀を巡らせ、思い切った勝負に出て、大きな成果を手にしたのです。
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