オウム真理教の麻原彰晃が目の敵にした「サンデー毎日」の元編集長。
坂本弁護士殺害計画は、元はこの牧太郎殺害を検討していた。
文庫版のサブタイトルは「オウム事件と闘病の日々」
「サンデー毎日」が日本で初めて「反オウムキャンペーン特集連載」を1989年に行った時、オウム真理教が行った「サンデー毎日」と「牧太郎」への凄まじい嫌がらせや犯罪計画が、他の様々なオウム事件関連の本でも述べられているが、この本では、比較的冷静に述べられている。
雪が降ったかに見えるまで、牧太郎の自宅周辺へ自宅電話番号や住所まで書いた嫌がらせチラシを張った事も、今の時代ならかなりな問題になるだろうが、この時代では刑事・民事事件にはなっていない。
その、「戦う編集長」が40代での突然の脳梗塞、右半身不随。
新聞記者の仕事が好きでたまらなかった筆者が、若くしての1級障害者への移行。しかも、肉体だけでなく、新聞記者として最重要の声・言語認識分野にも障害が。
そんな障害に陥った筆者を「本人の悪行の為」とあざ笑う卑劣なオウム。方や厳しく暖かくリハビリを励ます友人、同病を先に発症した経験を伝える先輩たち。
その中で、前向きさを失わないように、恥と絶望を乗り越えようと、肉体的・精神的・仕事上のリハビリに全努力をする著者の様子は、自分が闘病・障害の身になった時、必ず思い出そうと思う程の深い気持ちを残した。
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新聞記者で死にたい: 障害は個性だ (中公新書 1411) 新書 – 1998/4/1
牧 太郎
(著)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1998/4/1
- ISBN-104121014111
- ISBN-13978-4121014115
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1998/4/1)
- 発売日 : 1998/4/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4121014111
- ISBN-13 : 978-4121014115
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,210位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 97位ジャーナリズム (本)
- - 482位中公新書
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年9月6日に日本でレビュー済み
「いかにも自分は何でも知っている」「自分の言う意見はすべて的を得ていて、ことごとく真理」というような「上から目線」でしか書かれていない、中身のまったくない、読む時間がもったいないというような内容でした。
典型的な「左派マスコミ」が「自分の意見こそ的を得ている」と自分の発言に自分で酔って書きなぐっているとしか思えない。
はっきり言って時間と金の無駄でした。
金返せっ!
典型的な「左派マスコミ」が「自分の意見こそ的を得ている」と自分の発言に自分で酔って書きなぐっているとしか思えない。
はっきり言って時間と金の無駄でした。
金返せっ!
2004年3月14日に日本でレビュー済み
本書は、毎日新聞社の敏腕記者として活躍していた著者が、脳卒中に倒れ、
右半身不随、失語症という後遺症を克服し、再びジャーナリストに舞い戻るまでの闘病記である。
著者は1989年当時、「タブーに挑戦!」をスローガンに掲げ、メディアとして初めてオウム真理教の問題を取り上げた雑誌の編集長だった。
オウムからの嫌がらせにも負けずペンを振るい続けたが、1991年に病に倒れてしまう。
倒れる直前まで、日本中を駆け回り、言葉のスペシャリストとして活躍してきた著者だけに、
右半身が動かず、ジャーナリストの命とも言える言葉を失ってしまったショックは、きっと想像を絶するものだったと思う。
本書の中にも出てくるが、何度も死のうと思ったそうである。
しかし彼は諦めなかった。
多くの記者仲間や、障害を克服した人たち、そして家族の支えを受けて、彼は再びペンを握る。
1995年、日本の犯罪史上最悪の事件となった「地下鉄サリン事件」が起こり、彼は再びオウムと対峙する。
病気が再発し、入院中の病院から原稿を送り続ける。
病状が悪化すれば、死ぬことだって考えられる。
「最後まで新聞記者で生きたいんだ。」という、著者のジャーナリストとしての誇り高き思いに、涙が溢れてしまった。
自分の仕事にプライドを持っているとは考えがたい大人が多いこの国で、
彼のように自分の仕事に命を懸けている人は、本当にかっこいいと思う。
こんなかっこいい大人が増えたら、日本はきっともっといい国になるに違いない。
そんな風に思った。
右半身不随、失語症という後遺症を克服し、再びジャーナリストに舞い戻るまでの闘病記である。
著者は1989年当時、「タブーに挑戦!」をスローガンに掲げ、メディアとして初めてオウム真理教の問題を取り上げた雑誌の編集長だった。
オウムからの嫌がらせにも負けずペンを振るい続けたが、1991年に病に倒れてしまう。
倒れる直前まで、日本中を駆け回り、言葉のスペシャリストとして活躍してきた著者だけに、
右半身が動かず、ジャーナリストの命とも言える言葉を失ってしまったショックは、きっと想像を絶するものだったと思う。
本書の中にも出てくるが、何度も死のうと思ったそうである。
しかし彼は諦めなかった。
多くの記者仲間や、障害を克服した人たち、そして家族の支えを受けて、彼は再びペンを握る。
1995年、日本の犯罪史上最悪の事件となった「地下鉄サリン事件」が起こり、彼は再びオウムと対峙する。
病気が再発し、入院中の病院から原稿を送り続ける。
病状が悪化すれば、死ぬことだって考えられる。
「最後まで新聞記者で生きたいんだ。」という、著者のジャーナリストとしての誇り高き思いに、涙が溢れてしまった。
自分の仕事にプライドを持っているとは考えがたい大人が多いこの国で、
彼のように自分の仕事に命を懸けている人は、本当にかっこいいと思う。
こんなかっこいい大人が増えたら、日本はきっともっといい国になるに違いない。
そんな風に思った。