内容は期待通り。官僚制の起源と構造に焦点を当てながら、今日の官僚制批判の背景を政治思想から読み解く良本。
若葉堂から中古本を購入したところ、pp.93-96が刃物で切断されておりページが欠落していた。
もっとも、不備について問い合わせたところ、即座に返金対応等をしていただけた。
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官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000) 新書 – 2011/9/22
野口 雅弘
(著)
福祉社会が志向される一方、行政への不信が蔓延するパラドックス。官僚制と戦う強いリーダーの待望と対峙する鋭利な政治思想史。
- ISBN-104121021282
- ISBN-13978-4121021281
- 出版社中央公論新社
- 発売日2011/9/22
- 言語日本語
- 本の長さ187ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2011/9/22)
- 発売日 : 2011/9/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 187ページ
- ISBN-10 : 4121021282
- ISBN-13 : 978-4121021281
- Amazon 売れ筋ランキング: - 255,637位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 159位行政・官公庁
- - 20,472位新書
- - 50,285位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2011年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書名から,行政学の本と思って購入したが,西洋政治思想史に属する内容である。
具体的には,マックス・ウエーバーを中心として官僚制批判の思想を歴史的に概観して再検討し,近年のわが国における異常な行政に対する不信を読み解こうとする高度な学術書で,決して読み易い文章ではない。
政治思想史,政治哲学の基礎的知識のない人には不向きで,一般的ではないのは残念だ。
しかし,大学で政治学を専攻している学生には,大いに参考になると思う。
具体的には,マックス・ウエーバーを中心として官僚制批判の思想を歴史的に概観して再検討し,近年のわが国における異常な行政に対する不信を読み解こうとする高度な学術書で,決して読み易い文章ではない。
政治思想史,政治哲学の基礎的知識のない人には不向きで,一般的ではないのは残念だ。
しかし,大学で政治学を専攻している学生には,大いに参考になると思う。
2012年1月23日に日本でレビュー済み
官僚制に対する批判も賛辞も、at presentにおいてなされ易い。本書は、そうした枠を脱し、政治思想史との連関の中で官僚制を評価しようとする意欲作である。
本書は様々な読み方が可能であるが、私が特に気になったのは、浪漫的政治と官僚制の複雑な関係である。筆者は浪漫主義は「画一的な管理を嫌悪する」という。浪漫的政治家が往々にして反官僚制を旗印に掲げ、政権につくと、新自由主義的な「小さな政府」を推進していくことは、サッチャリズムやレーガノミクスを例に引くまでもなく、近時の日本でも、中曽根国鉄民営化、小泉郵政改革や橋下府政刷新などに見出すことができる特性である。
本書の秀逸さは、その関係性を単純に浪漫主義vs官僚制ととらえず、浪漫的政治が導いた新自由主義的な市場の膨張が、自律可能な規模を超えると、仲裁者ないし裁定者としての役割を官僚制に求めることになり、下手をすると官僚制は改革前よりも強大化しかねないというパラドクスを指摘した点である。。
このような分析は、長いスパンを持って政治・行政関係を考察することに成功した本書ならではの喝破と言えるだろう。
未曾有の長期的経済不況と社会的閉塞感の蔓延する中、国民の官僚制に向けられる視線は大変厳しい。それを受け、与野党ともマニフェストには行政改革メニューがてんこ盛りである。しかし、上記のパラドクスが示すように、徒に官僚制を解体し、ルールを自由化すれば、全てがバラ色になるものではない。政治家、国民は、その点を十分理解しながら、一時的な熱狂によらず、クールに官僚制との関係を再考すべきだろう。
人文科学分野で専門のハードルは意外に高いものである。しかし、筆者は政治思想史の分野から軽々とハードルを飛び越え、極めてユニークな官僚制論を提示して見せた。その才筆は、行政学に新たな地平を拓いたと言っても過言ではないだろう。
本書は様々な読み方が可能であるが、私が特に気になったのは、浪漫的政治と官僚制の複雑な関係である。筆者は浪漫主義は「画一的な管理を嫌悪する」という。浪漫的政治家が往々にして反官僚制を旗印に掲げ、政権につくと、新自由主義的な「小さな政府」を推進していくことは、サッチャリズムやレーガノミクスを例に引くまでもなく、近時の日本でも、中曽根国鉄民営化、小泉郵政改革や橋下府政刷新などに見出すことができる特性である。
本書の秀逸さは、その関係性を単純に浪漫主義vs官僚制ととらえず、浪漫的政治が導いた新自由主義的な市場の膨張が、自律可能な規模を超えると、仲裁者ないし裁定者としての役割を官僚制に求めることになり、下手をすると官僚制は改革前よりも強大化しかねないというパラドクスを指摘した点である。。
このような分析は、長いスパンを持って政治・行政関係を考察することに成功した本書ならではの喝破と言えるだろう。
未曾有の長期的経済不況と社会的閉塞感の蔓延する中、国民の官僚制に向けられる視線は大変厳しい。それを受け、与野党ともマニフェストには行政改革メニューがてんこ盛りである。しかし、上記のパラドクスが示すように、徒に官僚制を解体し、ルールを自由化すれば、全てがバラ色になるものではない。政治家、国民は、その点を十分理解しながら、一時的な熱狂によらず、クールに官僚制との関係を再考すべきだろう。
人文科学分野で専門のハードルは意外に高いものである。しかし、筆者は政治思想史の分野から軽々とハードルを飛び越え、極めてユニークな官僚制論を提示して見せた。その才筆は、行政学に新たな地平を拓いたと言っても過言ではないだろう。
2012年9月11日に日本でレビュー済み
現在の異常とも言える官僚制に対する批判の本源はどこにあるのかを考える上で参考になると思い手にしたが、内容は現代の官僚制や庶民感情の評論というよりは政治思想史からの官僚制に関する考察で、政治学を全く学んでいない者には学術的すぎて難解だった。官僚制批判の風潮について手っ取り早く理解しようという人には向かない。
それでも、がんばって読むと政治学の素人でもそれはそれで参考になる記述が多い。日本では官僚バッシングが盛んであるが官僚制に対する批判は西洋でも見らること、それも今に始まったことではないこと、日本は「福祉社会志向」であるのに行政不信が強く矛盾していること、トクヴィルがアメリカを旅行した時に驚いたのが行政が存在せず、ボランタリーなアソシエーションがその機能を担っていたことなど。
黎明期と違い、政府による市場への介入と複雑な利害調整が必要とされる後期資本主義の段階にある現代社会においては、最早「一つの正解」など存在せず、地道に時間をかけて粘り強く合意形成を行うことが必要とされる一方、そのプロセスを一気に飛ばして単純明快な即断即決を行う新自由主義的で強力なカリスマによる政治に国民が魅力を感じてしまうというのが筆者の見立てと思われる。複雑化した現代において「ブレない政治家」など不可能という考え方には首肯する。
それでも、がんばって読むと政治学の素人でもそれはそれで参考になる記述が多い。日本では官僚バッシングが盛んであるが官僚制に対する批判は西洋でも見らること、それも今に始まったことではないこと、日本は「福祉社会志向」であるのに行政不信が強く矛盾していること、トクヴィルがアメリカを旅行した時に驚いたのが行政が存在せず、ボランタリーなアソシエーションがその機能を担っていたことなど。
黎明期と違い、政府による市場への介入と複雑な利害調整が必要とされる後期資本主義の段階にある現代社会においては、最早「一つの正解」など存在せず、地道に時間をかけて粘り強く合意形成を行うことが必要とされる一方、そのプロセスを一気に飛ばして単純明快な即断即決を行う新自由主義的で強力なカリスマによる政治に国民が魅力を感じてしまうというのが筆者の見立てと思われる。複雑化した現代において「ブレない政治家」など不可能という考え方には首肯する。
2012年4月27日に日本でレビュー済み
考えてみれば、権力は常に批判される対象である。
しかしその権力は、(ムリに/故意にビルトインしたものでない限り)システム上必要であるからこそ、そこに存在するわけである。
・・・このことを改めて感じさせられた一冊。
権力が故に、時には内部論理等による暴走なきにしもあらず。そして、それを踏み留めるための相互牽制・相互監視も必要。
著者にはぜひ、メディア・世論と、政治・行政とに関係についての続編を、いずれ期待したい。
しかしその権力は、(ムリに/故意にビルトインしたものでない限り)システム上必要であるからこそ、そこに存在するわけである。
・・・このことを改めて感じさせられた一冊。
権力が故に、時には内部論理等による暴走なきにしもあらず。そして、それを踏み留めるための相互牽制・相互監視も必要。
著者にはぜひ、メディア・世論と、政治・行政とに関係についての続編を、いずれ期待したい。
2011年11月19日に日本でレビュー済み
脱官僚とよく言われる。
マスコミにしろ政治家にしろ公務員を批判することが、国民の不満解消になるとばかりに俎上に乗せ続ける。
本書は、マックスウェーバーの思想に光を当て、トクヴィルなどと対比しつつ、官僚制批判の背景について深い考察を提示している。
あえて単純化すれば、官僚制批判とは、グローバリズムや新自由主義につながる議論であるということである。
すなわち、政府組織のスリム化を進めれば進めるほど、政府の関与をなくしていくということにつながり、ちょうどアメリカのティーパーティー運動につながる。
ところが、この国の国民は政府に多くの福祉政策を求める。
その一方での官僚制批判をどう読み解いていくかの作業を進めているのが本書である。
そこで、かつて官僚制批判を展開したウェーバーの再登場である。
著者によれば、ウェーバーのいう官僚制は新自由主義への防波堤になり得るという。
そこでは、「デモクラシーを守る公共性」という立ち位置が見えてくる。
本書のような切り口でみると、改めてウェーバーの思想が鮮明になる。
そして本書は、脱官僚という議論に一石を投じている。
マスコミにしろ政治家にしろ公務員を批判することが、国民の不満解消になるとばかりに俎上に乗せ続ける。
本書は、マックスウェーバーの思想に光を当て、トクヴィルなどと対比しつつ、官僚制批判の背景について深い考察を提示している。
あえて単純化すれば、官僚制批判とは、グローバリズムや新自由主義につながる議論であるということである。
すなわち、政府組織のスリム化を進めれば進めるほど、政府の関与をなくしていくということにつながり、ちょうどアメリカのティーパーティー運動につながる。
ところが、この国の国民は政府に多くの福祉政策を求める。
その一方での官僚制批判をどう読み解いていくかの作業を進めているのが本書である。
そこで、かつて官僚制批判を展開したウェーバーの再登場である。
著者によれば、ウェーバーのいう官僚制は新自由主義への防波堤になり得るという。
そこでは、「デモクラシーを守る公共性」という立ち位置が見えてくる。
本書のような切り口でみると、改めてウェーバーの思想が鮮明になる。
そして本書は、脱官僚という議論に一石を投じている。