この本の「競争の原理の作動」(昭和46年10月「太陽」初出)に、以下の記述がある。
韓国の「農村をまわっ」て、「この停滞は、いまの韓国政府に責任があるわけでなく(将来への責任があるにしても)、さらに勇敢にいってしまえば、韓国にとって諸悪の根源である『日本統治三十六年』にじかに責任があったというように、そのようにいいきってしまうことも、どうも大事なものを落としてしまうような気がする。韓国のひとびとに素直に考えてもらいたいが、この停滞は、こんにちの韓国人の生活意識や規範、習慣のほとんどをつくりあげた李朝五百年の体制に原因の多くがもとめられるのではないか、とおもったりした。」
いわゆる「司馬史観」、それは歴史に豊かな創造性を見い出すことであろう。従って「停滞」は好まれないが、その原因などへの視点には、定評があり、上の記述も、控えめながら、その一端とは言えまいか。
本書は、最早半世紀近く前の出版となるが、今日でも瞠目の内容が随所にある。
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歴史の中の日本 (中公文庫 A 2-5) 文庫 – 1976/9/10
司馬 遼太郎
(著)
歴史の中の日本 (中公文庫) [Sep 10, 1976] 司馬 遼太郎
- 本の長さ342ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1976/9/10
- ISBN-104122003687
- ISBN-13978-4122003682
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1976/9/10)
- 発売日 : 1976/9/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 342ページ
- ISBN-10 : 4122003687
- ISBN-13 : 978-4122003682
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2022年6月27日に日本でレビュー済み
ウクライナとロシアの戦争以降、ロシアを理解するための勉強を続けているが、司馬遼太郎により、とうとう出雲に導かれた。
東北出身の人に、ズーズー弁はロシア語に似ているんだ、と聞いたことがあるが、ズーズー弁が浸透しているのは、青森県から福島県北部・新潟県阿賀野川までの東北地方(三陸沿岸地域を除く)および北海道沿岸部と、富山県中東部、山陰地方中部(鳥取県西伯耆と島根県出雲)といわれている。さらに、ズーズー弁は出雲で発生し、弥生時代(稲作の拡大に伴い)または古墳時代に、出雲から北陸、東北地方への移民によりもたらされたという。
ならば、ズーズー弁のルーツは何か、という疑問が湧いてくるが、ズーズー弁は満州族やオロチ族(ロシアの少数民族)などのシベリアと中国の東北地方に生活している複数の民族が使うツングース語族の言葉だという。つまり、ロシアや中国東北地方から出雲に伝わり、その後、日本に浸透したのだ。
司馬遼太郎は本書で、以下のようにまとめている。
「いずれにせよツングース人種である出雲民族は、鉄器文明を背景として出雲に巨大な帝国をたて、トヨアシハラノナカツクニ(古代日本)を制覇した。そこへ高天が原から天孫民族の使者が押しかけ、国を譲れという。天孫族は出雲帝国をしのぐ兵団をもつ集団であったに違いあるまいが、最後の談判は稲佐の浜で行われた。」
そして、乗っ取り(国譲り)が行われ、天孫民族と出雲王朝との協定は、出雲王は永久に天孫民族の政治にタッチしないということで、哀れにも出雲の王族は身柄を大和に移され、三輪山のそばに移住させられた。三輪氏のルーツがそれで、もともと奈良県は出雲王朝の植民地のようなものだったとしている。神武天皇(初代天皇)が侵入するまで出雲人が耕作を楽しむ平和な土地で、三輪山を中心に出雲の政庁があり、神武天皇の好敵手だった長髄彦(ナガスネヒコ)も出雲民族のリーダーのひとりだったんだと。
古代日本では、ツングース系(ロシアか中国東北地方)の人たちから天皇系の人たちに国譲りが行われたことは、古事記に記されている。その後、出雲の人は大和地方の三輪山近くに連れてこられたためか、奈良県人は、同じ県内にある神武天皇の橿原神宮よりも、三輪山の大神神社を尊崇し、毎月ツイタチ参りをする、と司馬遼太郎はこの本に書いている。「オオミワはんは、ジンムさんより先や」というのが奈良県人の意識らしい。天皇制が生まれる前の怨念が、今でも奈良県に伝わっているとしたら、ウクライナがドンバス地方をロシアに譲り、ロシアのどこかの地域に連れていかれたとしても、奈良県人と同じように、ロシア正教より、ユニエイトやウクライナ正教会を重要視し続けることになるのだろう。
この本の最初の1項しか読んでいないが、出雲と三輪山を訪れてこのことを実感してみたい気持ちに駆られた。
東北出身の人に、ズーズー弁はロシア語に似ているんだ、と聞いたことがあるが、ズーズー弁が浸透しているのは、青森県から福島県北部・新潟県阿賀野川までの東北地方(三陸沿岸地域を除く)および北海道沿岸部と、富山県中東部、山陰地方中部(鳥取県西伯耆と島根県出雲)といわれている。さらに、ズーズー弁は出雲で発生し、弥生時代(稲作の拡大に伴い)または古墳時代に、出雲から北陸、東北地方への移民によりもたらされたという。
ならば、ズーズー弁のルーツは何か、という疑問が湧いてくるが、ズーズー弁は満州族やオロチ族(ロシアの少数民族)などのシベリアと中国の東北地方に生活している複数の民族が使うツングース語族の言葉だという。つまり、ロシアや中国東北地方から出雲に伝わり、その後、日本に浸透したのだ。
司馬遼太郎は本書で、以下のようにまとめている。
「いずれにせよツングース人種である出雲民族は、鉄器文明を背景として出雲に巨大な帝国をたて、トヨアシハラノナカツクニ(古代日本)を制覇した。そこへ高天が原から天孫民族の使者が押しかけ、国を譲れという。天孫族は出雲帝国をしのぐ兵団をもつ集団であったに違いあるまいが、最後の談判は稲佐の浜で行われた。」
そして、乗っ取り(国譲り)が行われ、天孫民族と出雲王朝との協定は、出雲王は永久に天孫民族の政治にタッチしないということで、哀れにも出雲の王族は身柄を大和に移され、三輪山のそばに移住させられた。三輪氏のルーツがそれで、もともと奈良県は出雲王朝の植民地のようなものだったとしている。神武天皇(初代天皇)が侵入するまで出雲人が耕作を楽しむ平和な土地で、三輪山を中心に出雲の政庁があり、神武天皇の好敵手だった長髄彦(ナガスネヒコ)も出雲民族のリーダーのひとりだったんだと。
古代日本では、ツングース系(ロシアか中国東北地方)の人たちから天皇系の人たちに国譲りが行われたことは、古事記に記されている。その後、出雲の人は大和地方の三輪山近くに連れてこられたためか、奈良県人は、同じ県内にある神武天皇の橿原神宮よりも、三輪山の大神神社を尊崇し、毎月ツイタチ参りをする、と司馬遼太郎はこの本に書いている。「オオミワはんは、ジンムさんより先や」というのが奈良県人の意識らしい。天皇制が生まれる前の怨念が、今でも奈良県に伝わっているとしたら、ウクライナがドンバス地方をロシアに譲り、ロシアのどこかの地域に連れていかれたとしても、奈良県人と同じように、ロシア正教より、ユニエイトやウクライナ正教会を重要視し続けることになるのだろう。
この本の最初の1項しか読んでいないが、出雲と三輪山を訪れてこのことを実感してみたい気持ちに駆られた。
2015年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「歴史の中の日本」というテーマそのものは、司馬が生涯を通してマクロ、ミクロ両方の視点で書き続けたものであり、その意味でこの書は随筆と呼ぶべきものか
も知れないが、彼は、あとがきで自分は随筆は書かないと言い切っている。随筆というのは、「身辺的な分野を書く分野」という概念に限定すれば、この
作品も随筆と呼べるのは、唯一「私の愛妻記」の章だけであろうか。これも司馬曰く、この題名に「へきへき」としながら書いたと照れくさそうに述べている
(その割には大阪人らしいユーモアたっぷりで、なかなか面白い)。他の章の多くは、自分が書いた多くの作品の中で登場する人物や、事件を今一度感慨を込
めて振り返ったものである。「坂の上の雲」で触れられた乃木大将の指揮官としての「無策さ」が旅順で多くの犠牲を出したことや、明治維新において西郷と
並ぶ功労者でありながら、西郷ほど歴史的に取り上げられない大久保利通の行政家としての高い評価、「分かりにくい人物」と言いながら長州において、純
粋無垢に革命の為のイデオロギーを作り上げた吉田松陰への偽らざる感情などが、今一度整理されて述べられており、司馬の考え方を知るのにいい書物と
なっている。興味深いのは、この書物の直前に市谷にて自死した三島由紀夫への文学者としての批判。イデオロギーと現実をあまりにも近づけすぎた男という
評価をしており、その自死を決して賞賛することはない。どの作品を読んでも、何か教えてくれる、そんな司馬作品の一つだと思う。
も知れないが、彼は、あとがきで自分は随筆は書かないと言い切っている。随筆というのは、「身辺的な分野を書く分野」という概念に限定すれば、この
作品も随筆と呼べるのは、唯一「私の愛妻記」の章だけであろうか。これも司馬曰く、この題名に「へきへき」としながら書いたと照れくさそうに述べている
(その割には大阪人らしいユーモアたっぷりで、なかなか面白い)。他の章の多くは、自分が書いた多くの作品の中で登場する人物や、事件を今一度感慨を込
めて振り返ったものである。「坂の上の雲」で触れられた乃木大将の指揮官としての「無策さ」が旅順で多くの犠牲を出したことや、明治維新において西郷と
並ぶ功労者でありながら、西郷ほど歴史的に取り上げられない大久保利通の行政家としての高い評価、「分かりにくい人物」と言いながら長州において、純
粋無垢に革命の為のイデオロギーを作り上げた吉田松陰への偽らざる感情などが、今一度整理されて述べられており、司馬の考え方を知るのにいい書物と
なっている。興味深いのは、この書物の直前に市谷にて自死した三島由紀夫への文学者としての批判。イデオロギーと現実をあまりにも近づけすぎた男という
評価をしており、その自死を決して賞賛することはない。どの作品を読んでも、何か教えてくれる、そんな司馬作品の一つだと思う。
2024年5月9日に日本でレビュー済み
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司馬さんの坂本竜馬に関して書いていた「竜馬像の変遷」には氏の思い入れが過剰にあるように読んでしまいました。(P166~178)
竜馬の思想の師は勝海舟であり、大政奉還なども海舟の考えの受けうりなのです。
海舟の添え状を持って藩主などに多く知り合い「海援隊」のスポンサーになってくれたのです。
竜馬の行動力にも優れたものがりましたが、司馬さんは海舟との関わりには触れていないのは何故なのだろうと思いながら本書に物足りなさを感じてしまいました。
本書の中に書かれていることの多くは、かって読んだ『この国のかたち』(全6巻)で読んだような気がしながら読み終えました。
竜馬の思想の師は勝海舟であり、大政奉還なども海舟の考えの受けうりなのです。
海舟の添え状を持って藩主などに多く知り合い「海援隊」のスポンサーになってくれたのです。
竜馬の行動力にも優れたものがりましたが、司馬さんは海舟との関わりには触れていないのは何故なのだろうと思いながら本書に物足りなさを感じてしまいました。
本書の中に書かれていることの多くは、かって読んだ『この国のかたち』(全6巻)で読んだような気がしながら読み終えました。
2015年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
地理的、歴史的からとらえることがより国の姿がわかりやすくりかいできました。司馬さんの想像のあり方も含み、興味深く拝読しました。
2012年1月19日に日本でレビュー済み
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昭和35年から48年まで、新聞紙上や雑誌上で発表したエッセー52本をまとめた随筆集。
エッセーといってもそこはやはり司馬さんで、軽いタッチながらもウィットに富んだ気位の高いものが多い。しかし、間が13年あるためか、文体に少しずつ違いがあり、通読するとその微妙な変化が存外の面白さだったりする。
古代出雲王朝の話に始まり、戦国時代、幕末、そして太平洋戦争を含む近代の歴史話、人物伝、思想、高野山や三島事件について触れた話、そして、珍しく愛妻のことまで赤裸々に書いておられる。
司馬さんのことをよく知る一冊。ファンでなくとも手に取っていただきたい。すでにファンならば、さらにファンになるであろう本に仕上がっている。
エッセーといってもそこはやはり司馬さんで、軽いタッチながらもウィットに富んだ気位の高いものが多い。しかし、間が13年あるためか、文体に少しずつ違いがあり、通読するとその微妙な変化が存外の面白さだったりする。
古代出雲王朝の話に始まり、戦国時代、幕末、そして太平洋戦争を含む近代の歴史話、人物伝、思想、高野山や三島事件について触れた話、そして、珍しく愛妻のことまで赤裸々に書いておられる。
司馬さんのことをよく知る一冊。ファンでなくとも手に取っていただきたい。すでにファンならば、さらにファンになるであろう本に仕上がっている。
2008年3月1日に日本でレビュー済み
冒頭の「生きている出雲王朝」を読んだ時の驚きが未だに記憶に
残っています。そして「白石と松蔭の時代」に出てくる「学問と
は態度なのである」という言葉にふれた時には、読書冥利につき
ると感じたものです。
誰にも判らなかったイタリア人宣教師の不思議な日本語の中に一
定の法則性を見出し、それを再度この宣教師会話に当てはめるこ
とによって意味を理解し得た白石の「態度」こそ、学問する姿勢
であるとした著者の洞察力に脱帽しました。
残っています。そして「白石と松蔭の時代」に出てくる「学問と
は態度なのである」という言葉にふれた時には、読書冥利につき
ると感じたものです。
誰にも判らなかったイタリア人宣教師の不思議な日本語の中に一
定の法則性を見出し、それを再度この宣教師会話に当てはめるこ
とによって意味を理解し得た白石の「態度」こそ、学問する姿勢
であるとした著者の洞察力に脱帽しました。
2004年12月25日に日本でレビュー済み
歴史にまつわる小話、坂の上の雲などの長編を書き終わった後の心境を綴ったもの、自身の日常を描いたエッセイなどなど、著者が雑誌や新聞などに寄稿した合計52編を収録した一冊です。
いずれも数ページ程度の短い作品ばかりですが、司馬遼太郎の豊富な歴史知識や独自史観から生み出される文章はすべてがおもしろく、あっという間に読み終わりました。
歴史系の作品以外のエッセイも非常におもしろく、特に「私の愛妻記」は印象深い作品でした。著者と奥さんの馴れ初めから結婚、結婚後の生活を描いているのですが、ほのぼのとしていて読んでいて思わず微笑んでしまうような内容になっており、昭和の三大作家に挙げられるほどの著者にもこんな可愛い一面があるんだなぁ、と意外な思いがしました。
どちらかというと本作品は司馬作品初心者よりも、すでに何冊か司馬作品を読んでファンになっている人向けだと思います。歴史への造詣を深めつつ、司馬遼太郎の意外な一面にも触れられる、おもしろい一冊だと思います。
いずれも数ページ程度の短い作品ばかりですが、司馬遼太郎の豊富な歴史知識や独自史観から生み出される文章はすべてがおもしろく、あっという間に読み終わりました。
歴史系の作品以外のエッセイも非常におもしろく、特に「私の愛妻記」は印象深い作品でした。著者と奥さんの馴れ初めから結婚、結婚後の生活を描いているのですが、ほのぼのとしていて読んでいて思わず微笑んでしまうような内容になっており、昭和の三大作家に挙げられるほどの著者にもこんな可愛い一面があるんだなぁ、と意外な思いがしました。
どちらかというと本作品は司馬作品初心者よりも、すでに何冊か司馬作品を読んでファンになっている人向けだと思います。歴史への造詣を深めつつ、司馬遼太郎の意外な一面にも触れられる、おもしろい一冊だと思います。