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ひとりでは生きられないのも芸のうち 単行本 – 2008/1/30

4.0 5つ星のうち4.0 53個の評価

性的階層格差にひと言!
強者だけが勝ち続ける「合コン」ってどうなんでしょう!? CanCam的めちゃモテ戦略から夢の少子化対策まで、非婚・晩婚化時代を斬る!
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋; 四六版 (2008/1/30)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/1/30
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 288ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4163696903
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163696904
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 53個の評価

著者について

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内田 樹
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
53グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特に目新しいレビューではありませんが…。

一つ上をいく上質な社会派エッセイでニッチな情報源で教養を身につけるのは
持って来いのシリーズの一冊となっております。毎回何か唸らせる内容があり
楽しみでページを先に進めるのも惜しかったです。やはり大学と言う特権的な
立ち位置に長年いるからこそ描ける内容で独自の切り口です。やはり耳は痛い
ですが大学生の方におススメです。買う価値はあります。
2011年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちの世代は、不況といえど豊かで、きれいなものに囲まれている。
著者の方は、現在のなにか淋しい豊かさを、それでも幸せじゃんと突き放しつつ、苦言を呈する。
私たちはこの「厳しい」と言われる世の中で、「普通」の水準を維持するために、利己的に、個的になっていっていいものだろうか?
そのために、古くからの風習や、礼儀、贈り物などの付き合いまで、「お金がかかるから」という簡単な言葉で切り捨ててしまっていいのやろか?
若者が「個」単位で生きられるほどに、社会は豊かになったと著者は言う。連帯感の欠如。
そしてさらに若者は、「不況」で、社会情勢が「厳しい」からこそ、利己的になってもいいのだと、理解しているような気がする。
若者が、個に固執するからこそ生き延びられると理解する「常識」。
でも、歴史上、人々は連帯することでしか、厳しいときを生き延びてないんですよね、著者の方のおっしゃるに。
なんだろう、この乖離は。
私たちは、なにをもって社会を「厳しい」といい、何に怯えて個に執着するのやろか。
歴史上人々は、厳しさのなかで、こつこつと「もてなし」の心をはぐくんできたのか。
その心は、荒れ地に咲く可憐な花のように、美しく、凛として、いとおしいものだと思った。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 この本は著者がブログに書いた、結婚、家族、仕事などに関する様々な主張のうち20代、30代に身近なものを取り上げた本である。他の人のレビューにも書いてあるように、「ひとりでは生きられないのも芸のうち」というタイトルだけに釣られて衝動買いしないことをオススメする。このタイトルは筆者の数多の主張のうちのたった一つである。この本はあくまでエッセイとして気楽に読むのがよいかと。

 しかしながら、本書ではだらだらとした筆者の考えが散らばっているのではなく、それぞれの主張には社会をえぐるような鋭さと、教授ならではのしっかりとした論理、芯がある。
 
 注意点として、出版された時から社会情勢が大きく変わっていることもあって、この本は現代の悩める若者達にはオススメできない、何故なら全体的に(特に働くことについて)鋭い若者批判が多いからである。「しかしながら現代の若者は」といった現代の若者を批判する論の展開が多い。それらを教訓として受け止められる余裕のある若者には薬になるが、現在の不安定な社会情勢で、多くの悩みや不安を抱えている現代の若者には、ただの毒となってしまう可能性が高い。また、付録の「お見合いは地球を救う」に関しては、酔っ払った上司に何度も聞かされた(少々不快な)昭和の思い出話に近いものであるかもしれない。

 よってこの本は、現在悩みを持たず元気に生きている若者たちや、社会を風刺した痛快な論を読みたいという大人たちに是非読んでいただきたい。また何か解決法などを模索している人は読まない方が良いだろう、この本はあくまで筆者個人の感じたことを書いたエッセイなのだ。
34人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書の文庫本のためのあとがきで、内田先生は、「 自立は『その人なしでは生きてゆけない人』の数を増やすことによって達成される。」と主張しています。

 そして、この自立に関する驚くべき考えを、文化人類学者であるモースが発見し、レヴィ=ストロースが採用した< 贈与交換の原理 >で基礎づけている!のですが、これには更にビックリしました!

 レヴィ=ストロースによれば、< 贈与交換についての基本ルール >は、次のようなものです。

 < 何かを手に入れたい!と思ったら、他人から贈られる他ない! そして、この贈与と返礼の運動を起動させよう!としたら、まず自分がそれと同じものを他人に与えることから始めなければならない! >

 それで、内田先生は、この『 ひとりでは生きられないのも芸のうち 』という本も、< 内田先生から読者への一種の「贈り物」である! >と考えて欲しい!とコメントしています。

 仮にそうだ!とすると、< 本書のレビューを書いて投稿する! >ことは、内田先生からの「贈り物」に対して< 反対給付という返礼 >をする!ということになり、このことは、本書に関係する< 贈与と返礼のサイクルのうちに巻き込まれている! >ということを意味する!のではないでしょうか?

 もしもそうだ!とすると、このレビューを書いたことに対する返礼を、< いつの日か内田先生以外の誰かから、思いもかけない形で受ける! >ことになるのかも?しれません。

 そう考えると、ウキウキしてくる!ので、これからも、< 何か思いついたらアマゾンにレビューを投稿しよう! >と思っています。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年7月12日に日本でレビュー済み
内田樹さんの本はほとんど読んでいるが、最近の新刊(2020年以降)はあまり読まない。内容の重複が多く、個人的に少々飽きたからで、「内田樹ブーム」というものも去ったように思うが、これからまた内田さんの文章を読みたくなる社会環境になるような気がする(2022年夏)。
この本はずいぶん前に読んだが、パラパラと再読。次の文章は、本書のメインテーマであるし、他書では語られていないように思ったので記しておきたい。
〈キャッチボールはひとりではできない。私が投げる球を受け取った相手のグローブの発する「ぱしっ」という小気味良い音と、相手が投げる球を捕球したときの手のひらの満足げな痺れのうちに、私たちは自分がそのつど相手の存在を要請し、同時に相手によって存在することを要請されていることを知る。
 あなたなしでは私はこのゲームを続けることができない。キャッチボールをしている二人は際限なくそのようなメッセージをやりとりしているのである。このとき、ボールとともに行き来しているのは、「I cannot live without you」という言葉なのである。
 これが根源的な意味での「贈与」である。〉
〈I cannot live without you.
 これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。
 私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。〉
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年6月6日に日本でレビュー済み
再掲
図書館本

非婚・少子化時代に
働くということ
メディアの語り口
グローバル化時代のひずみ
共同体の作法
死と愛をめぐる考察
こんなタイトルでこれまでのブログから編集者が上手に内田視線を組上げている。最近特に思うのは、内田さんの養老化である。もちろん内田さんは養老氏を師匠と仰いでいるし、養老さんも連載を内田氏に任せたりしているので分からんでもないのですが、実にモノの見方が壁の上を歩きながら、でも両サイドの落ちないスタンスなのであります。
言っている事は至極ごもっともなのでありますが、非常に腑に落ちるという読後感があります。
備忘録的に内田語録
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的マインドなのである。アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが二十一世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人は気づき始めているのではないだろうか。いや、ほんとに。
社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。(報酬はつねに集団によって共有されるということに対して)
人間は「自己利益の追求を後回しに、共同体全体のパフォーマンスを向上させることに快楽を感じる」能力によって、他の生物を圧倒する「強さ」を獲得した生き物だからである。
子供の語彙の貧困は、その子どもの生活圏でゆきかう言葉の貧困をそのまま映し出している。それはこども自身の責任ではない。日本語がやせているということがすべての問題の底流にある。(メディアすらむずかしい漢字を使わないという文脈で)
I cannot live without you. これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。
「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。

唯一無いのは泥や土の匂いでしょうか。身体性はご自身が武道家でもあるので随所に感じ取れますが、なぜか話が都市ベースで成り立って居る様に思うのであります。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年12月25日に日本でレビュー済み
本書では「他者とは何なのか」をひたすら追求していると読んだ。

 日本人は自己主張が弱いと一般的に言われてきた。学校でも「自分の意見を持ち、主張すること」を言われてきたし、会社においても同様である。

それは有る程度までは正しいと著者は思っているだろうし、著者自身も「自分の意見を持ち、主張」していることは著者の数多い著作を見ても分かることだ。

 但し、そこに落とし穴もあるということが著者の指摘である。余りに自己の拘泥する余り、「他者」というものに対する認識が甘くなってきたという問題提起がある。

 「認識が甘くなってきた」と僕は書いた。それはかつての日本ではどうやら他者というものに対して非常に厳密な認識があったと想像するからである。本書でも描かれる葬儀への考え方は優れた哲学であり、昔の人は、死者という名前の他者ときちんとコミュニケートすることが出来たことを示している。

 振り返って、現代の日本では他者とはコミュニケートする対象ではなく、競争するものに成り下がっている。本来であるなら、他者をきちんと設定し把握し分類することで、自分の立ち位置と足元が定まるはずであるのに、他者が矮小化されてしまったことで自分の位置が分からなくなってしまった。「自分探しの旅」であるとか「運命の相手を探す」という風潮が現代にあるとしたら、それは定点を失った人が抱く妄想に近いのかもしれない。

 著者は「自分の欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」と言う。そこに著者の贈与論の面白さがあるわけだが、その前提としてきちんと他者が目の前に生き生きとして立っているのかどうかが必要であろう。

 勿論他人は目の前にいることは間違いない。後は、その他人を他者として捉える知的作業が必要なだけである。僕らは他者を通じてでしか自分を理解出来ないはずだ。自分の性格にしても能力にしても、全て他者とのコミュニケートの中で見えてくるべきものだろう。その「他者というもの」をどうやって復権させるのか。それが著者のチャレンジなのだと僕は理解した。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いままで、積んどいたのが、とても惜しまれる。
「我が意を得たり。」と感じ入ることしばしば。
大ヒットです。
30代以上の大人に、ちゃんと読んでほしいと
思える本です。
再読は、必至です。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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