松山巌氏の『乱歩と東京』(1984年。以下松山本)、冨田均氏の『乱歩『東京地図』(1997年。以下冨田本)に続く乱歩東京学の本である。ほかにもあるかもしれない。
大変勝手ながら、本書を第一部と第二部に分けてしまおう。
第一部は第1章のみで約12頁。第二部は第2章から第12章まで、約215頁。
A、第二部について
一、三つの本の比較
〇松山本、冨田本、本書とも、乱歩の作品を中心に、他の同時代資料も加えて、東京を巡り、東京を考察する点では同じである。
〇三つの本の違い
①対象の時代
☆松山本は1920年代の東京が中心であり、本書では1930年代の東京が中心となり、冨田本は戦前戦後の東京が対象となっている。
②調理材料
☆①の違いにより、調理材料となる乱歩の作品が違ってくる。
☆松山本では1923~26年に発表の短編群と1926年連載の『闇に蠢く』『一寸法師』、1928年連載の『陰獣』、1929年発表の短編『悪夢』(のちに『芋虫』と改題)、1929年連載の『蜘蛛男』、1930年連載の『魔術師』『吸血鬼』あたりまでが材料となっている。
☆本書は長編重視の姿勢もあって、上記の長編のほか、1926年連載の『パラノマ島奇談』、1930年連載の『黄金仮面』、1934年連載の『人間豹』、1936年連載の『緑衣の鬼』までが、調理材料となっている。メイン材料は『蜘蛛男』である。
☆冨田本では、上述の戦前の諸作品のほかに、少年探偵団シリーズ、1959年の書き下ろし『ペテン師と空気男』までの幅広い作品が調理材料となっている。
③出来栄え
☆松山本は社会史、都市風俗史、心性史的なテーマを掘り下げた本。格調高い。
☆冨田本は乱歩が東京に仕掛けた犯罪現場200箇所をすべて巡り歩いたという、リアルな乱歩犯罪現場歴史散歩本。乱歩大東京の再現と時代の変化が興味深い。
☆本書については後述
二、本書第二部の概要
☆第2章あこがれの文化アパート
明智の住まいの変遷、アパートの歴史など
☆第3章帝都復興と昭和通り
蜘蛛男が犠牲者の美少女を空き家に連れ込むまでの経路の推定。昭和通りから大正通りへ。
☆第4章 京浜国道のカーチェイス
誘拐した女優を載せて、京浜国道を疾走する蜘蛛男の車。車にしがみつく探偵助手。『黄金仮面』では京浜国道で盗賊の車二台と警察自動車がカーチェイス。
☆第5章 遊園地の時代
蜘蛛男が49人の誘拐女性のガス殺と裸体展示を目論んだ鶴見遊園パラノマ館と、現実の花月園の歴史。遊園地ブームと『パラノマ島綺譚』。
☆第6章 巨大ランドマークの迷路
『吸血鬼』で明智の恋人の文代が誘い込まれる国技館の菊人形展の森。国技館の歴史。
☆第7章 プチホテルの悦楽
乱歩が惚れ込み、長期滞在したプチホテル。『緑衣の鬼』に出てくる。
☆第8章 モダン文化住宅の新妻
『吸血鬼』事件の後、麻布区龍土町の文化住宅で新婚生活を始めた明智と文代夫人。文化住宅の歴史。
☆第9章 大東京の郊外
『人間豹』に何度も出てくる大東京の郊外。人間豹に捕らえられた明智文代は、大東京西南の曲馬団で、熊のぬいぐるみを着せられ、猛虎と格闘させられる。
☆第10章 〈近代家族〉の誕生
子供のしつけ方。小林少年を明智夫婦の子供的存在と見立てることによって、明智の家庭が〈近代家族〉像と重なる。しかし、乱歩は戦後に、文代を結核転地療養にしてしまい、この近代家族像を破棄してしまう。
☆第11章 戦略としての土蔵
略
☆第12章 乱歩邸が乱歩のものとなるまで
略
三、本書第二部の私的感想
〇松山本のようにハイセンスではなく、冨田本のように地域網羅的ではないが、重点強調のモダン東京解読、乱歩長編解読として十分面白い。
〇乱歩長編の流れに沿って展開される箇所が多く、乱歩長編への密着度は一番高い。また乱歩長編同様に、本書も展開がスピーディーである。文章もリズム感あり、読みやすい。
〇各章ごとに、その場所の歴史が展開され、『新版大東京案内』『大日本職業別明細図』等同時代資料からの引用も多いが、くどくなりすぎずによくまとまっている。
〇第8章、第10章で、明智の家族問題が展開され、明智夫婦と小林少年の関係を擬似親子、近代家族として、しつけという角度で検討している。しかし、戦後、乱歩が文代夫人を結核療養という形で追い払った理由は解明されていない。
〇ファンにはよく知られていることだが、これにはロマンチックな反対説があり、冨田本にその反対説が書かれている。これは、明智は少年愛志向があり小林少年ともそういう関係であって、文代との結婚はその隠れ蓑であったとする。『透明怪人』(1951年)の時、明智は怪人二十面相に文代の替え玉を誘拐させるが、誘拐されなかったはずの文代が戻らずに、いつの間にか転地療養に行ったことにされている。実は文代は自ら怪人二十面相の愛人になって幸せに暮らしている(?)という説である。文代ファンからみると、こちらのほうが、夢のある説かな。
B、第一部(第1章)について
一、概要と私的感想
〇第一部のパイロット的な論考が、『昭和史講義 戦前文化人篇』(2019年)に収録され
ている。「江戸川乱歩ー『探偵小説四十年』という迷宮』題で、主な内容は①『探偵小説四十年』における乱歩の自己評価再検討、②乱歩の通俗長編の再評価、③乱歩の戦争協力問題であった。
〇本書でも、第1章 通俗長編と『探偵小説四十年』で、①②の問題を繰り返している。
「中期の通俗長編はともすれば軽視されがちであった」「乱歩評価・乱歩文学研究は、これまで乱歩自身の自己評価に振り回されてきたが・・・通俗長編の場合は・・・最大の被害者であったと言っていい」「乱歩自身の自己評価を真に受けてしまうことで通俗長編の軽視ないし黙殺が文学史的常識となってしまったのである」等である。
〇しかし、この常識は、一体いつの時代の常識だろうか?
黙殺されているはずの乱歩通俗長編が戦後、全集になり、選集になり、文庫全集になり、何度も各社で文庫化される現象をどう解するのか。
たしかに、1975年に出た名著『日本探偵作家論』(権田萬治氏)では、江戸川乱歩の通俗長編は酷評されており、この本で戦前日本探偵小説に目覚めたファンには、これが強く印象に残ったとは思われる。
〇しかし、今から23年前に出版された創元推理文庫乱歩傑作選の通俗長編の各巻の解説(作家、評論家等)はたいへん好意的で、後書き的解説であることを考慮しても、乱歩通俗長編への敬意と愛情と再評価に溢れていたように思う。
たとえば『黒蜥蜴』の白峰良介氏の解説(248~257頁)は2節からなる。
第1節は「「探偵小説四十年」という呪縛」で、細かく念の入った「回想録」が一種の呪縛のような役目を果たしている。乱歩作品の解説者は、釈迦の手から抜け出せないように、「探偵小説四十年」の枠から外へははみ出しにくい。しかしー理想を求める作家としての「弁明」が書かせた部分があるのではないか。「建前」で書いてしまった文章に本人が縛られている部分があるのではないか。乱歩の「自説」を無視するかたちで解説を試みるとする。
第2節は「乱歩は常に前進していた」であり、乱歩が、通俗探偵小説を書き始めたことは、よく言われるような「退転」ではなく、彼にとって「前進」であったとする。そして、初期の短編群は、一つ一つが巨峰であるし、明智探偵の長編群は一大山脈を形成している。どちらも、日本の探偵小説史に燦然と輝いていて他の追随を許さなかったとしている。
これは、23年も前の乱歩通俗長編評価である。
二、全体の私的結論
〇本書第二部は「(通俗長編の)、関東大震災後の都市生活のモダン化と大衆社会状況とを作中に巧みに取り込むことで大衆読者の喝采を博したというプラスの面」(10頁)を描いたものと思う。その点ではたいへん面白く、有用な本である。。ただし、先行研究もあり、本書が特別新しい世界を切り開いたわけではないと思う。
〇長文失礼した。誤解無理解あればご容赦。
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乱歩とモダン東京 ――通俗長編の戦略と方法 (筑摩選書) 単行本(ソフトカバー) – 2021/3/17
藤井 淑禎
(著)
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購入オプションとあわせ買い
活写されたあこがれの大東京
読者の心をつかんだ乱歩の戦略とは?
一九三〇年代の華やかなモダン東京を見事に描いて、読者の憧れをかきたてた江戸川乱歩。都市の魅力を盛り込み大衆の心をつかむ、その知られざる戦略を解明する。
読者の心をつかんだ乱歩の戦略とは?
一九三〇年代の華やかなモダン東京を見事に描いて、読者の憧れをかきたてた江戸川乱歩。都市の魅力を盛り込み大衆の心をつかむ、その知られざる戦略を解明する。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2021/3/17
- 寸法13.1 x 1.7 x 18.8 cm
- ISBN-104480017275
- ISBN-13978-4480017277
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商品の説明
出版社からのコメント
江戸川乱歩の作品は、戦前の同時代においては「通俗長編」で圧倒的な人気を集めた。『蜘蛛男』に始まる『黒蜥蝪』『魔術師』『吸血鬼』『人間豹』『黄金仮面』のような怪人対名探偵明智小五郎の冒険活劇である。そこには乱歩の密かな戦略があった。大衆読者のあこがれをかきたてるような一九三〇年代のモダン東京の華やかな部分を活写し、見事に作品展開に生かしたのである。これまで研究されてこなかった通俗長編の中に、大衆の心をつかむ仕掛けとしての大東京の描写を読みといていく。
【目次】
1 通俗長編と『探偵小説四十年』
2 あこがれの文化アパート
3 帝都復興と昭和通り
4 京浜国道のカーチェイス
5 遊園地の時代―鶴見遊園と花月園
6 巨大ランドマークの迷路―国技館
7 プチホテルの愉楽
8 モダン文化住宅の新妻
9 大東京の郊外
10 <近代家族>の誕生
11 戦略としての土蔵
12 乱歩邸が乱歩のものとなるまで
【目次】
1 通俗長編と『探偵小説四十年』
2 あこがれの文化アパート
3 帝都復興と昭和通り
4 京浜国道のカーチェイス
5 遊園地の時代―鶴見遊園と花月園
6 巨大ランドマークの迷路―国技館
7 プチホテルの愉楽
8 モダン文化住宅の新妻
9 大東京の郊外
10 <近代家族>の誕生
11 戦略としての土蔵
12 乱歩邸が乱歩のものとなるまで
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2021/3/17)
- 発売日 : 2021/3/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 240ページ
- ISBN-10 : 4480017275
- ISBN-13 : 978-4480017277
- 寸法 : 13.1 x 1.7 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 557,213位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,102位日本文学研究
- - 80,126位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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夏目漱石、森田思軒、二葉亭四迷、舟橋聖一、水上勉などの研究・評論から出発し、1990年代に入ってからは小説の考古学的研究を提唱、小説が書かれ読まれた時代の読者による解釈こそを何よりも重視すべきであると説き、同時代研究という作業によって同時代読者の解釈を復元することを主張し、当時流行のテクスト論的研究を鋭く批判した。そしてこの小説の考古学的研究方法を松本清張研究に応用して、沈滞していた清張研究に新生面を切り開き、あわせて高度成長期文化研究の道をも切り開いた。2000年代に入ると、今度は作品論の再生をテーマに、旧作品論もテクスト論も共になしえなかった、客観的で説得力のある包括的な作品解釈の方法の樹立と取り組んでいる。ストーリーならぬプロットをたどりつつ動的に小説を捉えているはずの読書行為に忠実に解釈をしていこうとの立場の提唱は、従来の、読み終えた地点から全体を振り返って静的に小説を捉えてしまう陳腐な解釈方法への根本的な疑問に端を発している。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年4月29日に日本でレビュー済み
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2021年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東京近郊の歴史的な変遷と乱歩の描写が仮想現実のようによみがえりノスタルジックな気分に浸れます。東京の地理や歴史に興味がある人は特に面白いでしょう。我が家の規格に怪人二十年相や明智小五郎が走り回っていたと僧都するだけでもぞくぞくします。
2022年5月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ないものねだりをしたい。本書購入の動機は、ズバリ(Amazonでは現在「在庫切れ」の)『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』を読んでいたからである。これは、「国文学 解釈と鑑賞」という2011年まで刊行されていた雑誌の別冊として2004年に刊行された。この編者が藤井淑禎氏であったのだ。つまり、そこで展開されていたすこぶる興味深い研究の、およそ17年の時を経た集大成が本書で拝めると思って拝読したわけだ。ところが―と続けなければいけないのが残念だが―、ここで展開されているのは以下のようなものでしかなかった。『探偵小説四十年』等の乱歩自身による「通俗ものの軽視」など無視して、今こそ「現実との地続き性」と「読者の「あこがれ」」を同時にかなえる娯楽小説の至宝であり、巨大な読者を獲得した乱歩の長編小説の「戦略と方法」をここに解明する。だから、「通俗長編の戦略と方法」というサブ・タイトルに偽りがあるわけでない。しかし、「大衆の心をつかむ仕掛けとしての大東京の描写」について、逐一当時の資料に当って驚くほどの執念で検証されていくのだが、それがちっとも面白くなってこないのはどうしてか。ここからは一つの仮説だが、当時の大衆にとっては、「現実との地続き性」をもっていたものを、われわれは藤井氏の検証を通して何とか理解しようとするのだが、それが実にまどろっこしい、というか隔靴掻痒の感がぬぐえない。いくら想像力を逞しくしてみても、頭の中に描く当時の大東京の景観は、やはりおぼろげなもので、決して「現実との地続き性」というほどのリアリティは持ち得ない。だから、いくら藤井氏が躍起になってあらゆる角度から実証的な研究成果を披露してくれても、われわれは(少なくとも当方は)途方に暮れるばかりだ。置いてきぼりをくうといってもいい。ところで、ないものねだり、の方だが、『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』には、まず巻頭に、藤井氏と川本三郎氏、桜井哲夫氏の実に刺戟的な鼎談が置かれていた。彼らの世代にとって、乱歩は何よりも60年代末の[異端文学]ブームの際に思い知らされたということ。つまり、それまでは、[少年探偵団]しか知らなかった世代なのだ。その前に山田風太郎を読んで免疫をつけていたのですんなり乱歩にも入れたという桜井氏は、「性的なトラウマ、欲求、妄想」というのは1920年代に世界同時的に起こってきたもので、シュルレアリスムと乱歩の登場はその意味で重なっているとも説く。あるいは、ヒステリー(精神分析)とミステリー(シャーロック・ホームズ)は起源が同じだとか、面白いことを言っている。別稿では、鈴木貞美氏が、乱歩について「新たにつけくわえるべきことは、おそらくない」と言っておきながら、これまでの研究成果を総花的に点検していくうちに、最後には、「江戸川乱歩が活躍した昭和戦前期は、まだまだ大きな謎を抱えている」と締めくくっている。また、小谷野敦氏は、乱歩作品が今も読み継がれるのは、「ロウワー・ミドルクラス、ワーキングクラスの欲望の中心を射抜くように刺激する」からだ、と断じていたりもする。残念ながら、本書はこういった論考は踏まえられていない。もちろん、選書の枠の中で総花的な問題提起は困難かも知れない。しかし、ここで収斂させた場所は、案外「乱歩」をも「昭和戦前期」をも射抜くことができなかったのではないだろうか?