「インドの通貨と金融」は東洋経済の全集がでてからずっと家にあるが、
何回読んでもよくわからなかった。30年近くもほおっておいた事になる。
書かれている内容もわからなかったが、そもそもインドの金融を論じる意義がわからなかった。
この本を読んだらスッキリ理解できた。
金本位制、金為替本位制などは、純粋理論上の産物ではない。
英国はほとんど金を保有していなかったという。
それでも金の大規模な流入流出が生じなかったのはなぜか。
「ヒューム的なメカニズムは、明らかに金本位制の本質をとらえていない」とある。
資本の流出入を無視したモデルは、現実をとらえていない。
当時の大英帝国の決済パターンが基礎にあるからこそ、英国は金本位制が有効なのであり、
同様に英国治下のインドでは金為替(ポンド)本位制が有効だといいたかったらしい。
国際金融論は、現実および歴史を無視して語ってもあまり意味がないらしい。
本書を読んで感じたのは、そうしたことだった。
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ケインズ: 時代と経済学 (ちくま新書 35) 新書 – 1995/6/20
吉川 洋
(著)
- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1995/6/20
- ISBN-104480056351
- ISBN-13978-4480056351
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1995/6/20)
- 発売日 : 1995/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 206ページ
- ISBN-10 : 4480056351
- ISBN-13 : 978-4480056351
- Amazon 売れ筋ランキング: - 162,143位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月8日に日本でレビュー済み
ケインズは一般理論以外にも多くの本を書いたが、その内容は全く知らなかった。
本書では、ケインズが「インドの通貨と金融」「平和の経済的帰結」「貨幣改革論」「貨幣論」から「一般理論」に至るまで、どのような時代背景の下でどのような意図をもって書かれたかを追っている。
ケインズは、失業の経済学のイメージが強いが、貨幣論、為替・金融といった分野に、注力していたことは、意外だった。
また、ケインズの思想的な面、伝記的側面は少ないが、「長期には我々は皆死んでしまう」「大部な学術書ではなく、時論のパンフレットを書くべき」旨のケインズの有名な名言がどのような状況で、どういう文脈で書かれたのかがわかって有益だった。
ケインズ死後50年の経済学 というのが、終章になる。
ケインジアンから見た、新古典派理論へ反論が強い口調で書かれているが、最後には、学問の世界においてケインズの偶像は崩れ去った、旨書いている。しかし、一方、現実の世界は全く異なり、すべての経済制度・政策は総需要に対する十分な配慮に基づきデザインされていると言う。
著者の結論は、「ケインズは、有効需要の不足という視点から新古典派の均衡理論を批判した。シュンペーターは、技術革新という視点からそれを批判した。この二つの統合がマクロ経済学の新しい地平を切り開く」ことを期待している、ということだと思う。
本書では、ケインズが「インドの通貨と金融」「平和の経済的帰結」「貨幣改革論」「貨幣論」から「一般理論」に至るまで、どのような時代背景の下でどのような意図をもって書かれたかを追っている。
ケインズは、失業の経済学のイメージが強いが、貨幣論、為替・金融といった分野に、注力していたことは、意外だった。
また、ケインズの思想的な面、伝記的側面は少ないが、「長期には我々は皆死んでしまう」「大部な学術書ではなく、時論のパンフレットを書くべき」旨のケインズの有名な名言がどのような状況で、どういう文脈で書かれたのかがわかって有益だった。
ケインズ死後50年の経済学 というのが、終章になる。
ケインジアンから見た、新古典派理論へ反論が強い口調で書かれているが、最後には、学問の世界においてケインズの偶像は崩れ去った、旨書いている。しかし、一方、現実の世界は全く異なり、すべての経済制度・政策は総需要に対する十分な配慮に基づきデザインされていると言う。
著者の結論は、「ケインズは、有効需要の不足という視点から新古典派の均衡理論を批判した。シュンペーターは、技術革新という視点からそれを批判した。この二つの統合がマクロ経済学の新しい地平を切り開く」ことを期待している、ということだと思う。
2005年9月23日に日本でレビュー済み
ケインズの人柄や彼の生きた時代のイギリスの状況などの描写という伝記的な面と、ケインズの著作に関連した基本的なマクロ経済学・国際金融の解説というテキスト的な面が絶妙にマッチした素晴らしい啓蒙書です。通常のケインズの解説書とは異なり、『一般理論』以外のケインズの著作に紙面をかなり割いている点も特筆に値します。経済学を学び始めた学部生、あるいは経済に興味のある高校生などに特にオススメできる一冊です。
以下は本文中に引用されているケインズの有名なセリフ。
「経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。にもかかわらず優れた経済学者は非常に稀にしか生まれない。このパラドックスを解く鍵は、経済学者がいくつかの全く異なる才能を合わせ持たなければならない、という所にある。彼は一人にして数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。個々の問題を一般的な観点から考えなければならないし、また抽象と具体を同時に兼ね備えた考察を行わなければならない。未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない。」
最初にこの文章を見た時は衝撃でした。このケインズの言葉が研究者の卵である自分にとって未だに重要な教訓となっています。
以下は本文中に引用されているケインズの有名なセリフ。
「経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。にもかかわらず優れた経済学者は非常に稀にしか生まれない。このパラドックスを解く鍵は、経済学者がいくつかの全く異なる才能を合わせ持たなければならない、という所にある。彼は一人にして数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。個々の問題を一般的な観点から考えなければならないし、また抽象と具体を同時に兼ね備えた考察を行わなければならない。未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない。」
最初にこの文章を見た時は衝撃でした。このケインズの言葉が研究者の卵である自分にとって未だに重要な教訓となっています。
2011年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「理系であっても、マルクスとケインズぐらいは読んでおけ」との言葉に従い、ケインズの入門書として買いました。ケインズの伝記として読むにはいいけども、経済理論はよくわからなかった。「難しい事は簡単にはならないのだよ」という言葉を思い出しました。
2004年12月22日に日本でレビュー済み
筆者の吉川洋氏は現在、東京大学大学院の教授だが、内閣府経済財政諮問会議の議員でもある。
本書の『一般理論』の章読んで感じたことを三つ挙げる。
1.乗数理論とは要するに「テコの原理」であること。
2.現代の日本に望まれているのは「アニマルスピリット」ではなかろうか。
3.「流動性選好説」を理解するには、現場の債券トレーダーの立場が最善であること。
どれもわかり易い説明で感じ入る。
本書の『一般理論』の章読んで感じたことを三つ挙げる。
1.乗数理論とは要するに「テコの原理」であること。
2.現代の日本に望まれているのは「アニマルスピリット」ではなかろうか。
3.「流動性選好説」を理解するには、現場の債券トレーダーの立場が最善であること。
どれもわかり易い説明で感じ入る。
2014年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分の懐にきちんとケインズの理論を入れてあらためて自分自身の言葉で説明しているから、とてもわかりやすい。
ケインズの時系列な考え方の説明を縦線に「貨幣とはなにか」「資本主義における総需要管理とはいかなるものか」「失業の問題をどう理解したらよいのか」という視点を横線にしてその時々の資本主義の問題を解説している。 まさに「時代と経済学」の内容になっている。
この本を繰り返し読めば、現在の経済現象についてもあるていどの見取図を得ることができるとおもわれる。
できればこの著者におなじように「シュンぺーター」についても書いてもらいたい。
ケインズの時系列な考え方の説明を縦線に「貨幣とはなにか」「資本主義における総需要管理とはいかなるものか」「失業の問題をどう理解したらよいのか」という視点を横線にしてその時々の資本主義の問題を解説している。 まさに「時代と経済学」の内容になっている。
この本を繰り返し読めば、現在の経済現象についてもあるていどの見取図を得ることができるとおもわれる。
できればこの著者におなじように「シュンぺーター」についても書いてもらいたい。
2014年4月21日に日本でレビュー済み
1995年の本。著者は東大経済学部教授(当時)。ケインズ解説なのだが、非常にわかりやすい。
曰く・・・
ケインズ(イギリス生まれ)は、もともと数学専攻。ケンブリッジのある教師は、メイナード(ケインズ)は、勉学の時間以外余暇は全て数学に費やしている、と述べている。
ケインズは高等文官試験を受けている。経済学7位、数学も7位。総合成績2位。いい成績ではあるが、ケインズにしてもこんなもの、ともいえる。インド省に入るが2年で辞める。
100円のリンゴが年間1000個取引される世界では、年間取引が10万円(100円×1000)なので、1万円が年間平均10回人手に渡るなら(貨幣の流通速度)、必要な貨幣は1万円。ここで、リンゴの取引が年間2000個に増えると、流通速度一定と前提するなら、リンゴが50円になって年間取引10万円を維持するか、あるいは、貨幣量が2万円となるかの2つのパターンがあるが、古今東西、リンゴの価格下落による経済成長はない。順調な経済成長は物価の安定または物価の上昇とともに起きる。これは論理的必然ではなく、経験的・歴史的法則。貨幣が金・銀のときには、貨幣量を増やすには採掘と改鋳の2つしか方法がない。
古代とは金・銀が潤沢に供給され高度成長が実現した時代、中世は鉱脈が枯渇して低成長が続いた時代、そして新大陸の銀山発見をきっかけに高度成長が再び始まったのが近世(宮崎市定の説)。
金本位制において、A国とB国が貿易するとき、A国黒字、B国赤字とすると、B国からA国に金が流出し、A国では金が潤沢となって物価上昇し、B国では物価が下落する。すると、A国の生産財は割高となり、輸出が減退し、貿易収支の不均衡は改善されていく、というのが哲学者ヒュームの考え方だが、実際にはこのような現象は観察されていない。
金本位制のもとでは、農産物収穫期など季節的に資金需要が急増する時期に金利が高騰し、時として金融パニックを起こした。アメリカ連邦準備銀行は、創設時には資金需要の季節変動に対応し、資金供給により利子率の動きの平準化を目的として掲げていたくらい。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスは金本位制でありながら「莫大な金を保有する必要のない特別なポジション」にあった。当時から国家間の貸借が多く、すぐに金が流出入するわけではなく、借用証書(対外債務)が変化する。イギリスは貿易赤字だが、非貿易収支(船賃や保険料、利子などサービスにかかわる収支)が黒字でトータル黒字。この黒字資金をイギリスは海外に貸し続ける。貿易赤字が膨らむと、バンク・オブ・イングランドは金利を上げる。すると、海外への資金流出が抑えられ、各国の資金がロンドンに還流してくる。ゆえに金の流出は生じない。これができるのはイギリスが慢性的な債権国だから。また、ポンドは国際通貨なので各国は喜んでイギリスの短期国債を購入する、つまり、イギリスは世界の銀行だった。銀行預金(各国のポンド債券購入によるイギリスへの貸付)は決済手段になる。イギリスのみが銀行で、各国は個人、という立場にあった。ケインズは、イギリス以外の国は金を保有してもいいのだが、ポンド預金をする方が金の節約にもなるので、経済成長に必要な流動性を確保する上でも世界経済にとってよい、と論じる(債務の通貨化といえる)。
経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。しかし、優れた経済学者は少ない。なぜなら経済学者はいくつかの全く異なる才能を持ち合わせなければならないから。彼は、数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。記号を理解し、言葉で語らねばならない、というようなことをケインズは言っている。
イギリスの非貿易収支(黒字)の第一の稼ぎ頭は海運収入(後に投資収益)で、商社活動の収入、保険料なども大きかった。19世紀は国際貿易が急増した時期であり、イギリスは海運、保険、商社という国際貿易のインフラを供給していた。その裏には優れたノウハウと強力な海軍力がある。世界の工場としての生産力、七つの海の制覇による非貿易収支黒字、海外貸付をコントロールするロンドン国際金融市場がイギリス繁栄の三本柱。
19世紀の資本主義は自由放任経済であるが、軍事力で輸出市場を強引に開拓するという点において政府は需要創出を行っている。20世紀のマクロ経済学は、力による需要創出がもはや不可能になったという背景のもとに登場した。
経済学の学術書は教育上は役に立つかもしれないが、経済は絶え間なく変化するものであるから、現実から遊離した経済理論は不毛であり、新しい経済学を構築しようとする者が書くべきは時論的なパンフレットである。経済学者はパンフレットを書き散らすべし(ケインズ)。もっとも、ケインズは一般理論などの大著を著しているのだが。
インフレになると賃金上昇は物価上昇に遅れる傾向があるので企業家の利益になる。しかし、ケインズはインフレは企業活動を刺激する良薬ではないと断言している。なぜなら、企業家の高い報酬を人々に納得させてきた心理的均衡をインフレは破壊してしまうから。企業家が社会に受け入れられるのは、彼の手による利潤が社会への何らかの貢献に対応していると考えられるからである。インフレによる棚ぼた利潤は、企業家の役割を否定し、資本主義の根底を揺るがしかねない。
為替レートの変化は生活への影響が大きいが、国内物価の変化がもたらす影響の方が広汎かつ甚大であるから、為替レートの安定を犠牲にしてでも国内物価の安定を求めるべきである(ケインズ)。
ケインズはレーニン主義を宗教とみなし、これほど非論理的でつまらない学説が人々の心と歴史にこれほど強い影響を与えるという事は信じられないことだと述べている。
ケインズは、世界経済の発展は、欠乏の時代(国家が経済を主導し、個人の自由は制限される)、潤沢の時代(17世紀から。国家の役割は縮小し、自由放任が原則)、安定の時代(企業や銀行の合併、カルテル、労働組合などの共同作業の時代。国家も経済の調節を積極的に行う。レーニンの共産主義やイタリアのファシズムはこの流れにある)、の3段階を経ている、という。
消費性向を0.8(貯蓄性向=0.2)とすると、20兆円の投資は100兆円(20÷0.2)だけGNPを押し上げる。20兆円の投資が20兆円の投資財を生産し、それが誰かの所得を20兆円増やす。20×0.8=16兆円が消費需要を増加させる。この連鎖により合計100兆円のGNP増大が達成させる(乗数効果)。勤勉貯蓄は不況をもたらす。投資のコストは利子であるから(内部留保を使うにしても利子収入をあきらめるという意味ではコストの変種)、利子率が上昇すると投資も小さくなる。利子率が変化しなくても投資環境(業況)によって投資行動が変化することもある。投資が景気循環の主役として活躍するのは、資本の限界効率(投資の期待収益率)が激しく変化するから。企業にとって投資のもたらす収益はあくまでも不確実である。遠い将来を見据えてなにか積極的な行動をするときには数字で表せるような将来収益の期待値をみて行動するのではなく、アニマルスピリッツ(行動せずにはいられないという衝動)がある。結局、経済の成長と循環を生み出す投資を左右するのはアニマルスピリッツである。
利子率は、貨幣と債券の間の資産選択を通して決まる(流動性選好理論)。貨幣供給量(マネー・サプライ)の変化はまず利子率に影響をおよぼす。利子率の変化は資本の限界効率を変化させることで投資を変化させ、これによりGNPが変化する(乗数理論)、というのが「一般理論」におけるケインズの考え方の骨子。キーになるのは流動性選好理論。
ケインズによれば文明の担い手は芸術家、科学者、技術者であり、経済学者は「文明の可能性の担い手」であるという。
ケインズは経済問題は困難なことではない、解決できる、真の問題は物質的豊かさの問題が解決した時、人類は何をすればよいのかということである。物質的豊かさを向上させるために営々と労働に勤しんできた人類はここに至って目標を失う、という。ケインズは富裕層に蔓延する倦怠感を例に挙げながら、これこそ人類を待ち受けている未来の姿かもしれない、と述べている。
みたいな話。
曰く・・・
ケインズ(イギリス生まれ)は、もともと数学専攻。ケンブリッジのある教師は、メイナード(ケインズ)は、勉学の時間以外余暇は全て数学に費やしている、と述べている。
ケインズは高等文官試験を受けている。経済学7位、数学も7位。総合成績2位。いい成績ではあるが、ケインズにしてもこんなもの、ともいえる。インド省に入るが2年で辞める。
100円のリンゴが年間1000個取引される世界では、年間取引が10万円(100円×1000)なので、1万円が年間平均10回人手に渡るなら(貨幣の流通速度)、必要な貨幣は1万円。ここで、リンゴの取引が年間2000個に増えると、流通速度一定と前提するなら、リンゴが50円になって年間取引10万円を維持するか、あるいは、貨幣量が2万円となるかの2つのパターンがあるが、古今東西、リンゴの価格下落による経済成長はない。順調な経済成長は物価の安定または物価の上昇とともに起きる。これは論理的必然ではなく、経験的・歴史的法則。貨幣が金・銀のときには、貨幣量を増やすには採掘と改鋳の2つしか方法がない。
古代とは金・銀が潤沢に供給され高度成長が実現した時代、中世は鉱脈が枯渇して低成長が続いた時代、そして新大陸の銀山発見をきっかけに高度成長が再び始まったのが近世(宮崎市定の説)。
金本位制において、A国とB国が貿易するとき、A国黒字、B国赤字とすると、B国からA国に金が流出し、A国では金が潤沢となって物価上昇し、B国では物価が下落する。すると、A国の生産財は割高となり、輸出が減退し、貿易収支の不均衡は改善されていく、というのが哲学者ヒュームの考え方だが、実際にはこのような現象は観察されていない。
金本位制のもとでは、農産物収穫期など季節的に資金需要が急増する時期に金利が高騰し、時として金融パニックを起こした。アメリカ連邦準備銀行は、創設時には資金需要の季節変動に対応し、資金供給により利子率の動きの平準化を目的として掲げていたくらい。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスは金本位制でありながら「莫大な金を保有する必要のない特別なポジション」にあった。当時から国家間の貸借が多く、すぐに金が流出入するわけではなく、借用証書(対外債務)が変化する。イギリスは貿易赤字だが、非貿易収支(船賃や保険料、利子などサービスにかかわる収支)が黒字でトータル黒字。この黒字資金をイギリスは海外に貸し続ける。貿易赤字が膨らむと、バンク・オブ・イングランドは金利を上げる。すると、海外への資金流出が抑えられ、各国の資金がロンドンに還流してくる。ゆえに金の流出は生じない。これができるのはイギリスが慢性的な債権国だから。また、ポンドは国際通貨なので各国は喜んでイギリスの短期国債を購入する、つまり、イギリスは世界の銀行だった。銀行預金(各国のポンド債券購入によるイギリスへの貸付)は決済手段になる。イギリスのみが銀行で、各国は個人、という立場にあった。ケインズは、イギリス以外の国は金を保有してもいいのだが、ポンド預金をする方が金の節約にもなるので、経済成長に必要な流動性を確保する上でも世界経済にとってよい、と論じる(債務の通貨化といえる)。
経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。しかし、優れた経済学者は少ない。なぜなら経済学者はいくつかの全く異なる才能を持ち合わせなければならないから。彼は、数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。記号を理解し、言葉で語らねばならない、というようなことをケインズは言っている。
イギリスの非貿易収支(黒字)の第一の稼ぎ頭は海運収入(後に投資収益)で、商社活動の収入、保険料なども大きかった。19世紀は国際貿易が急増した時期であり、イギリスは海運、保険、商社という国際貿易のインフラを供給していた。その裏には優れたノウハウと強力な海軍力がある。世界の工場としての生産力、七つの海の制覇による非貿易収支黒字、海外貸付をコントロールするロンドン国際金融市場がイギリス繁栄の三本柱。
19世紀の資本主義は自由放任経済であるが、軍事力で輸出市場を強引に開拓するという点において政府は需要創出を行っている。20世紀のマクロ経済学は、力による需要創出がもはや不可能になったという背景のもとに登場した。
経済学の学術書は教育上は役に立つかもしれないが、経済は絶え間なく変化するものであるから、現実から遊離した経済理論は不毛であり、新しい経済学を構築しようとする者が書くべきは時論的なパンフレットである。経済学者はパンフレットを書き散らすべし(ケインズ)。もっとも、ケインズは一般理論などの大著を著しているのだが。
インフレになると賃金上昇は物価上昇に遅れる傾向があるので企業家の利益になる。しかし、ケインズはインフレは企業活動を刺激する良薬ではないと断言している。なぜなら、企業家の高い報酬を人々に納得させてきた心理的均衡をインフレは破壊してしまうから。企業家が社会に受け入れられるのは、彼の手による利潤が社会への何らかの貢献に対応していると考えられるからである。インフレによる棚ぼた利潤は、企業家の役割を否定し、資本主義の根底を揺るがしかねない。
為替レートの変化は生活への影響が大きいが、国内物価の変化がもたらす影響の方が広汎かつ甚大であるから、為替レートの安定を犠牲にしてでも国内物価の安定を求めるべきである(ケインズ)。
ケインズはレーニン主義を宗教とみなし、これほど非論理的でつまらない学説が人々の心と歴史にこれほど強い影響を与えるという事は信じられないことだと述べている。
ケインズは、世界経済の発展は、欠乏の時代(国家が経済を主導し、個人の自由は制限される)、潤沢の時代(17世紀から。国家の役割は縮小し、自由放任が原則)、安定の時代(企業や銀行の合併、カルテル、労働組合などの共同作業の時代。国家も経済の調節を積極的に行う。レーニンの共産主義やイタリアのファシズムはこの流れにある)、の3段階を経ている、という。
消費性向を0.8(貯蓄性向=0.2)とすると、20兆円の投資は100兆円(20÷0.2)だけGNPを押し上げる。20兆円の投資が20兆円の投資財を生産し、それが誰かの所得を20兆円増やす。20×0.8=16兆円が消費需要を増加させる。この連鎖により合計100兆円のGNP増大が達成させる(乗数効果)。勤勉貯蓄は不況をもたらす。投資のコストは利子であるから(内部留保を使うにしても利子収入をあきらめるという意味ではコストの変種)、利子率が上昇すると投資も小さくなる。利子率が変化しなくても投資環境(業況)によって投資行動が変化することもある。投資が景気循環の主役として活躍するのは、資本の限界効率(投資の期待収益率)が激しく変化するから。企業にとって投資のもたらす収益はあくまでも不確実である。遠い将来を見据えてなにか積極的な行動をするときには数字で表せるような将来収益の期待値をみて行動するのではなく、アニマルスピリッツ(行動せずにはいられないという衝動)がある。結局、経済の成長と循環を生み出す投資を左右するのはアニマルスピリッツである。
利子率は、貨幣と債券の間の資産選択を通して決まる(流動性選好理論)。貨幣供給量(マネー・サプライ)の変化はまず利子率に影響をおよぼす。利子率の変化は資本の限界効率を変化させることで投資を変化させ、これによりGNPが変化する(乗数理論)、というのが「一般理論」におけるケインズの考え方の骨子。キーになるのは流動性選好理論。
ケインズによれば文明の担い手は芸術家、科学者、技術者であり、経済学者は「文明の可能性の担い手」であるという。
ケインズは経済問題は困難なことではない、解決できる、真の問題は物質的豊かさの問題が解決した時、人類は何をすればよいのかということである。物質的豊かさを向上させるために営々と労働に勤しんできた人類はここに至って目標を失う、という。ケインズは富裕層に蔓延する倦怠感を例に挙げながら、これこそ人類を待ち受けている未来の姿かもしれない、と述べている。
みたいな話。