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和算で数に強くなる! (ちくま新書 778) 新書 – 2009/4/1

4.2 5つ星のうち4.2 6個の評価

和算と算数の間で揺れる日本人の数量観を探る!
 私たちの算数の常識が、江戸時代には通用しない? ゼロも、分数も、角度も、植木算も江戸時代にはなかった。速さの考えはまだまだ未発達だった。江戸時代の数量観からは植木算はありえなかった。では、明治になって初めて植木算で木を植えたのは誰だったのか?
 残された証拠(文献)とスリリングな推理で現在と昔の数量観の変化に迫る!

商品の説明

著者からのコメント

 本書執筆の動機は2つあります。
 1つは、2006年に『やわらか頭「江戸脳」をつくる和算ドリル』(講談社+α新書)を執筆したときに、江戸時代には「植木算」がなかったらしいことに気が付いたのですが、それはまだ確信ではありませんでした。本当に無いのか、無いとしたら、それは何故なのかを調べ考える過程で、江戸時代の数量観が見えてき、江戸時代には「植木算」がありえなかったことがわかった。これが1つです。
 もう1つは、2004年に『もう学校では学べない教科書』(白泉社)の「算数・数学」の章を担当したときに、戦後の小・中学校の算数・数学の教科書に目を通し、『やわらか頭「江戸脳」をつくる和算ドリル』で『塵劫記』を中心に江戸時代の算数の教科書に目を通したことです。これで、明治から戦前の教科書に目を通せば、日本の400年間の算数の歴史がつながるな、と思った。
 江戸時代260年間に、専門の和算家たちは、和算のレベルを高め、精緻化させていきますが、庶民の算数力と数量観は、基本的に江戸時代初期の『塵劫記』からあまり変化していません。それが、明治維新後、小学校で洋算が教えられるようになって、大きく変化していくのですが、その変化は、教える側にも教えられる側にも、あまり自覚はされていなかったようです。
 算数・数学教育にたずさわる教師や学者たち、そして親たちは、明治から戦前、そして現在も、算数・数学の教え方・学び方について議論を続けてきました。私自身、1980年代半ばから十数年間、塾で小中学生に算数・数学を教える過程で、遠山啓氏が始めた「数学教育協議会」の議論を学び、また、90年代からは、ニフティ・サーブのフォーラムや、mixiのコミュニティでの議論に参加してきました。その中で、本書で書いたようなことが問題意識として形をなし、ある程度の回答も与えることができるようになりました。

抜粋

「・・・江戸時代の数量感覚では、長さの起点(ゼロ)を意識することもなく、イチ(一間や一尺、一寸など)から数え始めるし、長さの区切りが点(人や木など)になるという発想もなく、長さ(間数)と人数を同じ分離量的にとらえて、間数と人数の対応関係(間数と人数の比の関係)を考えていました。江戸時代には、植木算は生れようもなかったのです。・・・

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2009/4/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/4/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 222ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480064745
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480064745
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 6個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう考え方を残しておくのは、大事だと思う。
また、子どもの「間違い」パターンが、ある程度許容できるようになるのも、教えてとしても大切。
2009年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「和算には植木算が無かった」、と断言する歯切れが良い。「無い」ことの証明は「在る」ことの証明より遙かに難しいと言いながら、中学生でも分かるように証明している。この本の一番の見所である。
 植木算を通して明治の数学教育の話に繋がり、それが昭和初期の数学・算数教育の話へ進み、鶴亀算が登場し、中学受験でおなじみの所謂○○算と和算の関係に話が及び、そうした上で、和算から現代の数学へ続く一本の道を示している。
 まえがきの冒頭とあとがきの最後が対になっているのは、筆者が一番苦労したところかもしれない。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年4月14日に日本でレビュー済み
いまちょっとしたブームでもある和算本ですが、本書はこれまでの
ものとは一線を画す1冊ではないかと思います。
多くの和算本は、
「昔の日本人は偉かった。西洋に負けてない、いや勝っていた」か、
「和算の問題を解くと、脳が賢くなりますよ」
のどちらかのタイプが多かったのではないかと思います。
しかし本書はどちらでもなく、江戸時代の数量感覚が現代のそれと
異なるのではないかという新鮮かつ重要なテーマを扱っています。

たとえば、原点としての「0」(ゼロ)の感覚がなかったのではないか
という視点から、目盛りが「1」から始まる例などが挙げられています。
江戸時代の本にすでに鶴亀算はあったのに植木算が見当たらない
理由を、この感覚の違いに拠るものとする議論は注目に値するで
しょう。

また、ふつう江戸時代の算数・算術=和算とくくりがちですが、
この本が示したのは重要な二つの世界の区別です。江戸時代の
庶民は算盤と『塵劫記』の世界に生活していた一方で、和算家
(算道家)は、算木と高次方程式の世界を展開していたのです。

さらに本書が優れているのは、こうした認識を基に、明治時代
から戦後までの算数・数学教育を再検討するための補助線を引
いてくれているところです。
これ以上書くと、本書をこれから読む方の楽しみを奪ってしま
うのでやめておきますが、たとえば分数の導入に悩む小学校の
先生も読んで楽しめるだろうとだけ書いておきます。

このほかにも、下のような知識を得られるので、雑学派にも
魅力たっぷりです。
・「鶴亀算」は、紀元3世紀に中国の算術書で雉と兎で登場し、
 日本にも伝わる。
・日本で初めて書物に鶴と亀の問題が載ったのが1815年。
・面積図で解いたのは関孝和の高弟、建部賢弘。鶏と兎の問題
 が初めてで、1690年のことであった。

以上、書いてみると、『和算で数に強くなる』というのは、
タイトルとして少々難ありという気もします。むしろ帯にある
「江戸から現代へ算術四〇〇年の旅」
というフレーズの方が、本書をよく表しているかもしれません。
18人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年5月24日に日本でレビュー済み
江戸期の算術(和算)の世界を体系的に紹介する、というものではなく、いくつかのトピックスについて、今の算数・数学のやり方と江戸期のそれを比較しつつ、考え方の違いや共通点を説いていく、といったものだ。

時に重箱の隅をつつくような細かいことをひたすら掘り下げていくという内容が多く、
「江戸時代に鶴亀算や植木算はあったのか?」
という問いに対して、
「どうでもいいじゃん」
などと思ってしまう人には、オススメできない一冊です(笑)。

もう一つの特徴は、タイトルにも現れている通り、
「数に強くなる」
ということで、頭の体操的な要素が含まれていること。
なので、読みやすい文章のわりには、意外と読むのが大変だったりします。

それが面白い人もいれば、読みにくいと感じる人もいるでしょう。
人を選ぶかも知れませんが、ハマる人はハマる一冊かと。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート