吉本隆明は、生前より褒貶相半ばする批評家でした。
あるいは、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれるそんな批評家でした。
吉本にくらべれば他の批評家はみんなゴミだというほどに高く評価するひと(たとえば鹿島茂)もいれば、意味不明な文章を書く批評家だとしてまったく評価しないひと(たとえば浅田彰)もいます。
評者じしんは、その著作を全部読んできたわけではありませんが、新約聖書論や親鸞論、そしてこの宮沢賢治論など、うーん、そんなふうに読めるのかと圧倒される思いで読んできました。
吉本隆明の批評の眼目のひとつは、なにより人間の生理、つまり人間ってどうしても自然とこうなってしまうよね、ということと、人間の倫理、つまり人間ってやっぱりこうあるべきだよね、ということがつねに齟齬しあうなかで、人間の生にからみつき、しばしば二律背反的状況を生みだすその生理と倫理を、じゃあ、どう折り合いをつけるのか、あるいはそもそも折り合いがつけられるのか、という困難な問題につよい関心を向けてきたところにあると評者は考えています。
(評者のみるところ、吉本は、倫理をないがしろにして生理のままに生きることより、倫理を優先させ生理は忘れて顧みないことのほうがより危険であると考えていたように思えます。後者は、吉本の用語(唐突な用語ですが)を借りれば、スターリニズム――人間性を圧殺するスターリニズムにかならずゆきつくと)
そしてそうした問題意識は、まさに新約聖書論や親鸞論そしてこの宮沢賢治論にもっとも先鋭的にあらわれているように思われます。
さて、その宮沢賢治論つまり本書です。
評者はかならずしも宮沢賢治を愛読してきたものではなく、その詩や童話を読むことは読んでも、かれをとりまく雰囲気がなんとなくいやで、どちらかといえば敬して遠ざけてきたところがあったのですが、本書を読んであらためて賢治のとりわけ童話の読み方について目を見開かせられました(本書第Ⅳ章「『銀河鉄道の夜』の方へ」)。
たとえば「なめとこ山の熊」――
猟師の小十郎は、熊を殺して、その胆(い)と毛皮を売ることをもってみずからの生業としている。
しかし小十郎は熊にたいして「じぶんは憎くておまえを殺したのではない、ほかの仕事をしたくても畑はなし、木はお上のものだし、里へでても誰も相手にしてくれないので、仕方なしに猟師などしている、おまえもこんど生まれてくるときは熊に生まれてくるなよ、といつもおもっている」。
小十郎と熊とは「たがいに好意」をもってもいるけれども、しかし「切迫した場面では相手を殺さなければ、逆にじぶんの方が殺されてしまう関係」でもある。
あるがままの関係ではどうしても自然とそうなってしまう(生理)そんな両者のあいだで、では「どうすれば納得のゆく関係がつくれるか」、どうあればいいのか、どうあるべきなのか(倫理)、それがこの童話の眼目だと著者はいいます。
そして、その殺し殺される関係にある両者のあいだで、最後、相互に相手にたいしておこなうみずからの「死の贈与」、それが猟師と熊とのあいだの関係の最終的な解決のしかただった、あるいは「なめとこ山の熊」という童話作品はそのようなかたちで物語的に解決されていると著者は指摘します。
もちろん、それがその場合のゆいいつ「正しい」関係だとか解決だとかと著者は主張しているわけではありません。宮沢賢治が童話のなかで、猟師と熊との関係、互いにたがいを殺したくないけれど殺さざるをえないという倫理と生理が背馳しあうぎりぎりのところにある関係をそのように物語的に解決したという指摘にとどめています。
あるいは「猫の事務所」と「よだかの星」――
それぞれの作品に共通して登場するのが、「気が弱く片隅にちぢこまって、まわりの言うままにうごかされて、おどおどいじけている存在」であり、「善意で、ひとに争いを仕掛けることはないかわりに、ひとにそこにいるという存在を示威することもできない」、そういう主人公(かま猫、よだか)です。
そしてそんな性格ゆえに、周囲の仲間たちから「侮られたり、軽んじられたり、ひどいときにはわざといじめられたりいじわるされたりする」存在でもあります。
それは、宮沢賢治が「関心をよせ、救いを願い、じぶんもまたその場所にゆき、それらとおなじでありたいとおもった、そういう存在」だったと吉本は指摘します。
いじめいじめられるというのが人間の生理(自然)であるならば、そこにどのような倫理(救い)が可能なのか、その問題はどのように解決できるのか、ということについて、ふたつの作品はそれぞれちがった物語上の解決のしかたを提示しています。
ここではそのそれぞれの解決のしかたの詳細はのべませんが、もちろん、それらがゆいいつ可能な「正しい」解決だというのではけっしてありません。また現実に適用可能な解決というわけでもありません。
賢治はそれぞれの作品で、動物たちにたくして、ある状況における人間の生理と倫理の問題に向きあっていたのですが、それは同時に、作家として物語上その葛藤をどう解決し、どう結末をつけるかという問題でもあって、賢治はそれぞれの作品で異なる解決のしかたをみせていたというわけです。
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宮沢賢治 (ちくま学芸文庫 ヨ 1-3) 文庫 – 1996/6/1
吉本 隆明
(著)
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- 本の長さ397ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1996/6/1
- ISBN-104480082794
- ISBN-13978-4480082794
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1996/6/1)
- 発売日 : 1996/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 397ページ
- ISBN-10 : 4480082794
- ISBN-13 : 978-4480082794
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年6月24日に日本でレビュー済み
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吉本隆明の宮沢賢治についての深淵なる分析とみるか、吉本隆明の宮沢賢治の名を借りた思い込みとみるかで評価が全くわかれると思います。吉本隆明は思い込みの激しい人物、そう思っていた私にとっては、ある意味まあなるほどネでした。
あとがきにもあるように吉本は宮沢賢治が大好きなんですね。だから、彼がここをこう書いたのはこう考えたからではないか、それは彼の生い立ちとこう関係しているのではないか、好きな人の手紙を読み返すように楽しくて仕方が無かったのでしょう。その世界に没入して読むと非常な手ごたえを感じるが、ちょっと冷めて読むと蒟蒻問答を延々と聞かされている気分になる。そもそも、ここで解説されているようにややこしく宮沢賢治が思索したか、私には疑問だ。
ただまあ、これを読んで吉本隆明という人が良く分かったような気がしたのと、法華経について改めて考える機会を得たことは収穫であった。
読もうかどうしようか考えている人には、「吉本隆明が好きならどうぞ」と申し上げます。
あとがきにもあるように吉本は宮沢賢治が大好きなんですね。だから、彼がここをこう書いたのはこう考えたからではないか、それは彼の生い立ちとこう関係しているのではないか、好きな人の手紙を読み返すように楽しくて仕方が無かったのでしょう。その世界に没入して読むと非常な手ごたえを感じるが、ちょっと冷めて読むと蒟蒻問答を延々と聞かされている気分になる。そもそも、ここで解説されているようにややこしく宮沢賢治が思索したか、私には疑問だ。
ただまあ、これを読んで吉本隆明という人が良く分かったような気がしたのと、法華経について改めて考える機会を得たことは収穫であった。
読もうかどうしようか考えている人には、「吉本隆明が好きならどうぞ」と申し上げます。
2020年4月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私には少し難しかったです。書いてあることはもっともなのかもしれないけれど、宮沢賢治は素直な心で読んで感じればそれでいいのかなと思いました。
2016年7月19日に日本でレビュー済み
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探していた本でした。
とても状態がよく、気に入りました。すぐ読みました。
とても状態がよく、気に入りました。すぐ読みました。
2012年5月9日に日本でレビュー済み
吉本隆明さんが亡くなったあと、何冊か主だった本を読み返している。
本書もその一冊だ。
『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』で知られる著者であるが、わたしは『最後の親鸞』と並んで本書も<主著>のひとつだと考えている。
じっさい、宮沢賢治論としては創見に満ちていて、すばらしい<達成>である。
書簡から賢治の足跡と心境をときほぐした「手紙で書かれた自伝」にはじまり、その詩や童話にあらわれる独特の擬音や喩法を解析した「擬音論・造語論」にいたるまでの全6章は、宮沢賢治を多角的に照らし出して抜かるところがない。
とりわけ引かれるのは、「父のいない物語・妻のいる物語」と「『銀河鉄道の夜』のほうへ」のふたつの章だ。
「父のいない物語・妻のいる物語」では――「銀河鉄道の夜」に、なぜ主人公ジョバンニの父が登場しないのかが探られる。
ジョバンニの父はわずかに会話のはしばしで触れられるだけだ。
しかも、遠洋漁業に出ているのか、航海の途中で何かの<いさかい>に巻き込まれて監獄に入れられているのか、判然としない。
登場人物も、われわれ読者も、ジョバンニのお父さんはどうしているんだろう……と考えていくと、その像はフェイド・アウト(溶暗)してしまう。
著者はいう。
《「銀河鉄道の夜」という作品は、闇の中に掲げられたマンダラ絵図のようなものだ。作者の光線は中心部にあたっているだけだ》(83ページ)
《登場人物のすべては、輪郭をもたない人物の像に変貌し、現実でない雰囲気のなかにおぼろ気に浮びあがったホログラフィックな映像に近くなって、かえって鮮明にされる》(94ページ)
こうして、「銀河鉄道の夜」全体を包む、あの微かで夢幻的な世界の秘密を一気につかみとる。
さて、「『銀河鉄道の夜』のほうへ」では――著者・吉本は、途中から銀河鉄道に乗り込んできた「鳥捕り」に注目する。
ジョバンニは、みすぼらしい身なりをしながら、どこか小ずるそうな「鳥捕り」を軽くばかにしている。ところが、「鳥捕り」が「雁の黄いろな足」をさし出してくれると、それを食べ、食べてから「大へんつらい」と感じる。
なぜか?
この場面を引いて、著者・吉本は書く。
《鳥を捕る人のようにふつうの平凡な善いひとにたいして、それを照りかえしたような軽いあなどりが無意識にこころのなかに生じるのは、ごくありふれたことのはずだ。だが作者のなかにある「ほんたう」の感受性では、この無意識の軽いあなどりは……いちばんあってはならない感受性なのだ。この敏感な極微のこころの揺れを言葉のピンにとめていることは、宮沢作品の芸術的な本質である》(221ページ)
宗教家でもあった宮沢賢治の<思想>の核心を、こうして抉り出す読解はさすがである。
本書もその一冊だ。
『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』で知られる著者であるが、わたしは『最後の親鸞』と並んで本書も<主著>のひとつだと考えている。
じっさい、宮沢賢治論としては創見に満ちていて、すばらしい<達成>である。
書簡から賢治の足跡と心境をときほぐした「手紙で書かれた自伝」にはじまり、その詩や童話にあらわれる独特の擬音や喩法を解析した「擬音論・造語論」にいたるまでの全6章は、宮沢賢治を多角的に照らし出して抜かるところがない。
とりわけ引かれるのは、「父のいない物語・妻のいる物語」と「『銀河鉄道の夜』のほうへ」のふたつの章だ。
「父のいない物語・妻のいる物語」では――「銀河鉄道の夜」に、なぜ主人公ジョバンニの父が登場しないのかが探られる。
ジョバンニの父はわずかに会話のはしばしで触れられるだけだ。
しかも、遠洋漁業に出ているのか、航海の途中で何かの<いさかい>に巻き込まれて監獄に入れられているのか、判然としない。
登場人物も、われわれ読者も、ジョバンニのお父さんはどうしているんだろう……と考えていくと、その像はフェイド・アウト(溶暗)してしまう。
著者はいう。
《「銀河鉄道の夜」という作品は、闇の中に掲げられたマンダラ絵図のようなものだ。作者の光線は中心部にあたっているだけだ》(83ページ)
《登場人物のすべては、輪郭をもたない人物の像に変貌し、現実でない雰囲気のなかにおぼろ気に浮びあがったホログラフィックな映像に近くなって、かえって鮮明にされる》(94ページ)
こうして、「銀河鉄道の夜」全体を包む、あの微かで夢幻的な世界の秘密を一気につかみとる。
さて、「『銀河鉄道の夜』のほうへ」では――著者・吉本は、途中から銀河鉄道に乗り込んできた「鳥捕り」に注目する。
ジョバンニは、みすぼらしい身なりをしながら、どこか小ずるそうな「鳥捕り」を軽くばかにしている。ところが、「鳥捕り」が「雁の黄いろな足」をさし出してくれると、それを食べ、食べてから「大へんつらい」と感じる。
なぜか?
この場面を引いて、著者・吉本は書く。
《鳥を捕る人のようにふつうの平凡な善いひとにたいして、それを照りかえしたような軽いあなどりが無意識にこころのなかに生じるのは、ごくありふれたことのはずだ。だが作者のなかにある「ほんたう」の感受性では、この無意識の軽いあなどりは……いちばんあってはならない感受性なのだ。この敏感な極微のこころの揺れを言葉のピンにとめていることは、宮沢作品の芸術的な本質である》(221ページ)
宗教家でもあった宮沢賢治の<思想>の核心を、こうして抉り出す読解はさすがである。
2016年12月26日に日本でレビュー済み
あとがきによると、吉本氏が思想や経済の方面の執筆に多忙を極めていた際に、合間の時間に書き綴った覚書をまとめたのがこの本だという。「こんなことをいうと、いかにもうんうんいいながら書いたように思いちがいされそうだが、ほんとはそうではない。きつい生活や仕事のあいだをぬって、思春期から断続的に、関心をもちこたえてきた宮沢賢治の人や作品について、感じ、思いをめぐらす時間は、眼のまえに鬱積した雑事を片付けては、心せきながらはいり込んでゆく解放感にあふれた時間だった。」という。
吉本氏の原点たる、稀有な、屹立する文学者への無限の愛惜にあふれた本。
吉本氏の原点たる、稀有な、屹立する文学者への無限の愛惜にあふれた本。
2012年5月27日に日本でレビュー済み
「ぼくはやはり創作していこうと思います。もしダメだった場合は、、、」
賢治の決定的にダメなところはここだ
やる前から失敗したときのことを考えてやがる
この臆病者が
といった内容の部分があった
いかにもカミカゼ少年吉本さんらしい
まあ、芸術的には賢治はかなりの成功をおさめたわけだから、ダメかどうかは分からないが、
なにより、
賢二を目の前に見て説教したくなるほど歯がゆくなれる吉本さんの共感能力がすばらしい
思い入れ
魂をくっつけること
けっきょく、それ以上に大切なことなど、無い
賢治の決定的にダメなところはここだ
やる前から失敗したときのことを考えてやがる
この臆病者が
といった内容の部分があった
いかにもカミカゼ少年吉本さんらしい
まあ、芸術的には賢治はかなりの成功をおさめたわけだから、ダメかどうかは分からないが、
なにより、
賢二を目の前に見て説教したくなるほど歯がゆくなれる吉本さんの共感能力がすばらしい
思い入れ
魂をくっつけること
けっきょく、それ以上に大切なことなど、無い
2012年5月8日に日本でレビュー済み
吉本は、若い時に、宮沢賢治の故郷を訪ね、”賢治ふうに生きられるかもしれない”と考えたという。
その思い入れの強い、宮沢賢治という対象を、丹念に、その作品だけを通じて、様々な観点から、宮沢賢治の世界を論じていく。
しかし、どの吉本の作品もそうだが、彼が論じているのは、宮沢賢治の作品をベースにはしているが、あくまでも、吉本の思想だ。
一番読み応えがあったのは、詩についての用語や喩法を語った第5章だった。
自分自身が詩人でもある、吉本による宮沢賢治の詩についての分析は、新鮮で、これまでと違った賢治の読みを体験することができた。
その思い入れの強い、宮沢賢治という対象を、丹念に、その作品だけを通じて、様々な観点から、宮沢賢治の世界を論じていく。
しかし、どの吉本の作品もそうだが、彼が論じているのは、宮沢賢治の作品をベースにはしているが、あくまでも、吉本の思想だ。
一番読み応えがあったのは、詩についての用語や喩法を語った第5章だった。
自分自身が詩人でもある、吉本による宮沢賢治の詩についての分析は、新鮮で、これまでと違った賢治の読みを体験することができた。