【二訂版】
私は、2019年末に『十巻章』と『秘密曼荼羅十住心論』と『理趣経』の原漢文と対比しやすい新しい読下文を独創し、『大日経・住心品』と『金剛頂経・初会』も読んだ上で、<空海の教法の真義>を完成した。その結果、空海も龍樹と同様、私が復元した<釈尊の教法の真義>を把握していた証拠が幾つも見つかった。昔から、空海が十住心論の第九に「華厳経」を置いた従来の説明に合点できなかったが、今回、その理由を解明することができた。それは、『祕密漫荼羅十住心論』の巻第六「他縁大乗心」の五「究竟位」に引用されている「漢訳華厳経」である。該当部分の読下文(p.461)を引用する。
*****(引用開始:原漢文の漢字をできるだけ残して引用する。)
佛のみ子よ、此の菩薩が華の座に坐る時に、兩足の下から光を放って、普く十方の諸々の大地獄を照らす。兩方の膝輪(ひざがしら)から光を放ちて、普く十方の諸々の畜生趣(畜生の世界)を照らす。齊(へそ)の中から光を放って、普く十方の閻羅王の世界を照らす。左右の脇より光を放って、普く十方人趣(人間界)を照らす。皆な衆々の苦を消滅させる。兩手の中より光を放って、普く十方の一切(すべて)の諸天(天上界)と阿修羅(界)とを照らす。兩肩の上より光を放って、普く十方の一切(すべて)の聲聞を照らす。其項(うなじ)と背(中)より光を放って、普く十方の辟支佛の身(体)を照らす。其の面門(口)より光を放って、普く十方の初發心より第九の段階に至るまでの諸々の菩薩を照らす。眉間から光を放って、普く十方の仏の位を継ぐ灌頂を受けた位の菩薩を照らす。其の頭の頂上より百萬阿僧祇の三千大千世界の無限に近い数の光明を放って、普く十方の一切(すべての)世界の諸々の佛の道場に集まる衆會(者達)を照らして、諸々の摩尼(宝珠)を雨降らし、それによって供養をする。復た十方を繞(めぐ)ること十回為し已(おわ)って、諸々の如來の足の下より入る。
爾(そ)の時に諸々の佛は、其の世界の中の其の菩薩摩訶薩が、受職(仏)の位を継ぐ段階に到ったと知って、眉間より清らかな光明を出だしたもう。これを全智の働きによる超自然的能力を増すことと名づける。普くすべての虚空にゆきわたる真理の世界を照らし已って、而も此の菩薩の會(集まりの)上に來たり到って、その周りを右まわりに繞(めぐ)り、莊嚴(かざ)を示し現わし已って、大菩薩の頭の頂上從り而も入る。
*****(引用終了)
この文章を読んだ瞬間に、これはカッバーラの「生命の樹」の説明であると、直ぐに分かった。
上記読下文の主要部分を原漢文に従って項目別に整理すると、次のようになる。ただし、空海は『華厳経』の原漢訳文章を適切な要約・省略により簡潔な文章に変更して引用している。
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両足下〔両足の下〕⇒ 大地獄:兩足下放光普照十方諸大地獄
両膝輪〔膝頭〕⇒ 畜生趣:兩膝輪放光普照十方諸畜生趣
齋輪中〔臍(へそ)の中〕⇒ 閻羅王界:於齊中放光普照十方閻羅王界
左右脇〔左右の脇〕⇒ 人趣(人間界):從左右脇放光普照十方人趣
両手中〔両手の中〕⇒ 諸天及び阿修羅所有宮殿:從兩手中放光普照十方一切諸天阿修羅
両肩上〔両肩の上〕⇒ 声聞:從兩肩上放光普照十方一切聲聞
頂背〔項(うなじ)と背中〕⇒ 辟支仏身:從其項背放光普照十方辟支佛身
面門〔口〕⇒ 初始発心乃至九地の諸菩薩心:從其面門放光普照十方初始發心乃至九地諸菩薩
両眉間〔両方の眉間〕⇒ 受識菩薩:從兩眉間放光普照十方受職菩薩
頂上〔頭の頂上〕⇒ 諸仏如来:從其頂上放百萬阿僧祇三千大千世界微塵數光明。
普照十方一切世界諸佛如來道場衆會
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仏教学者がカッバーラなどは勉強しないだろうから、このことに気づいた方は一人もいない。『華厳経』が4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられた際に、ユダヤ密教のカッバーラ体系を成就した阿羅漢が仏教の修行体系の一つとして挿入した可能性がある。
上記『華厳経』から引用した文章に記載された身体の各部分は、カッバーラの11セフィロと3気道と完全に対応する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
両足下〔両足の下〕⇒ イェソド:生殖器(ムラダーラ)
マルクト:地球(クンダリーニ)
両膝輪〔膝頭〕 ⇒ ネツァク:右足(スヴァジスターナ)
ホド:左足(スヴァジスターナ)
齋輪中〔臍(へそ)の中〕⇒ ティファレト:太陽叢の直上(マニピューラ)
左右脇〔左右の脇〕⇒ イダー・ナディー(月の気道)、ピンガラ・ナディー(太陽の気道)
両手中〔両手の中〕⇒ コクマー:右頭(or 左掌)=右脳(アジナー)
ビナー:左頭(or 右掌)=左脳(アジナー)
両肩上〔両肩の上と喉〕⇒ ケセド=右腕(アナハタ)
ゲブラー=左腕(アナハタ)
ダアト:喉(ヴィシュダー)
頂背〔項(うなじ)と背中〕⇒ スシュムナー・ナディー
面門〔口〕⇒ ダアト:喉(ヴィシュダー) ⇒ 空海の清涼殿での現証に用いられた言葉!
両眉間〔両方の眉間〕⇒ コクマー:右頭(or 左掌)=右脳(アジナー)
ビナー:左頭(or 右掌)=左脳(アジナー)
頂上〔頭の頂上〕⇒ ケテル:頭上(サハスララ)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
以上より、空海が第九住心に『華厳経』を立てたのは、最初期の密教経典でもあったからである。このことが『般若心経秘鍵』に基づいて、九顕十密の『秘密曼荼羅十住心論』を生む契機となったのである。一方、九顕一密の『秘蔵宝鑰』は『般若心経』の顕教的な理解に対比させたのである。このように理解して初めて『秘蔵宝鑰』と『秘密曼荼羅十住心論』を書いた空海の真意が分かるのである。『秘蔵宝鑰』は「三結」の断を達成した第一段階の聖者・預流の修行指針であり、『秘密曼荼羅十住心論』は「五下分結」の断を達成した第三段階の聖者・不還の修行指針なのである。
なお、『華厳経』の漢訳完本には、東晋の東晉天竺三藏佛馱跋陀羅Buddhabhadra訳(418~420年)『大方廣佛華嚴經』(六十華厳、大正蔵278)、唐の于闐國三藏實叉難陀Śikṣānanda訳(695~699年)『大方廣佛華嚴經』(八十華厳、大正蔵279)、唐の般若Prājñā訳(795~798年)『大方廣佛華嚴經』(四十華厳、大正蔵293)という三種類がある。「生命の樹」に関する記載は、「八十華厳」の巻第三十九と「六十華厳」の巻第二十七および「四十華厳」の巻第六にある。ただし、「四十華厳」の用語と記載は「八十華厳」「六十華厳」とは異なっており、曖昧である。空海は「八十華厳」「六十華厳」を読んだ上で、文章を編集・整理して『秘密曼荼羅十住心論』に引用したと思われる。
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弘法大師空海全集 第1巻 単行本 – 2000/11/1
空海
(著),
弘法大師空海全集編輯委員会
(編集)
- 本の長さ756ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2000/11/1
- ISBN-104480770011
- ISBN-13978-4480770011
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2000/11/1)
- 発売日 : 2000/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 756ページ
- ISBN-10 : 4480770011
- ISBN-13 : 978-4480770011
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,278,962位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 124位空海
- - 316位密教(一般)関連書籍
- - 5,815位仏教入門
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2012年11月5日に日本でレビュー済み
2004年9月15日に日本でレビュー済み
日本人の最高の作品はゼロ戦でもなければ、トヨタのセルシオでもないはずだ。十住心論は、仏教ばかりではなく、世界中の様々な倫理、哲学、宗教を持ってきて、それらを組み立て、相互の位置関係を測りながら、一種立体的な曼荼羅モデルを作って見せた、雄渾の比較宗教理論書である。オリジナリティーがないと言ってはならない。この配列パターン全体こそが世界に冠たる、独自の全く新しいデザインだったのである。だから、狭義の真言宗についてだけ書かれてあると誤解しないで頂きたい。
大洋の荒波の上に浮いてたゆたう四枚の花びらよ。我々は皆、個人としても、民族としても、一種の記憶喪失状態にある、と考えてみることはできないだろうか?何故ならば、或いはその日暮らしに汲汲とし、或いは大局観なくして右往左往し、本宅を知らないから。十住心論は遠近にかかわらず、各自にその帰路を示している。幸か不幸か、最後数ページが失われて欠落している。だから未完であるともいえる。高野山奥の院では、今も弘法大師空海が、キリスト教やイスラムなどを見据えて、最後のツメの部分を改訂増補すべく稿を練っていると想像してみた。以上、一読者の全く取るに足りない私見である。専門家の寛恕を乞う。二巻以降も同様である。
大洋の荒波の上に浮いてたゆたう四枚の花びらよ。我々は皆、個人としても、民族としても、一種の記憶喪失状態にある、と考えてみることはできないだろうか?何故ならば、或いはその日暮らしに汲汲とし、或いは大局観なくして右往左往し、本宅を知らないから。十住心論は遠近にかかわらず、各自にその帰路を示している。幸か不幸か、最後数ページが失われて欠落している。だから未完であるともいえる。高野山奥の院では、今も弘法大師空海が、キリスト教やイスラムなどを見据えて、最後のツメの部分を改訂増補すべく稿を練っていると想像してみた。以上、一読者の全く取るに足りない私見である。専門家の寛恕を乞う。二巻以降も同様である。