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方言は絶滅するのか: 自分のことばを失った日本人 (PHP新書 179) 新書 – 2001/11/1

4.0 5つ星のうち4.0 3個の評価

めっちゃ、まったり、しんどい……今や全国化した関西弁だが、一方で絶滅の危機に瀕した表現も数多い。

本書では、沖縄、北陸、韓国、ミクロネシアなどをフィールドに、現地語が日本語の共通語を取り込みながらいかに変容していったかを考察。地域の風土・文化というフィルターを通して、方言は形を変えていくものだ、と著者は指摘する。

英語公用語論の登場など、日本語を取り巻く状況は厳しい。その中で地域集団であれ、若者集団であれ、借り物のことばでは表現できない文化を自分たちで持てるかどうかが問われている。

懐古趣味的に方言に固執するのではなく、地域性・個人の心性に適った「自分のことば」を身につける。ことばの豊かな感性を取り戻すことを謳った一冊。

主要目次、1.危機に瀕した方言 2.消えることば、生まれることば 3.方言と共通語の使い分け 4.方言はどのように変容するか 5.これからの敬意表現 6.日本語教育のなかに方言を。

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ PHP研究所 (2001/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 212ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4569618960
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4569618968
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 3個の評価

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真田 信治
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上位レビュー、対象国: 日本

2008年7月4日に日本でレビュー済み
大阪言葉が席巻してますね。

ここで消えそうな言葉として
沖縄の方言がありますが、2年ほど前に沖縄の友人と話したことがあります。
彼らは20代の男女で場所は東京でしたが、2人とも東京弁を使うのでちょっと
驚いた気がします。
一関西人としての感覚では、
関西では年齢に関係なくまず東京の言葉を使わないし(そもそも使う意味が分からない)、
東京へ行って東京弁を使うようになったとしても、同郷同士だとまず間違いなく
地元言葉を使うはずです。
当たり前にそのような感覚を持っていたので一関西人として「どうして沖縄の言葉を
使わないの?」というと途端に沖縄弁で会話し始めたと言う面白いことが起こりました。
後で知ったのですが、沖縄では「沖縄の言葉は恥ずかしい」と学校現場で沖縄弁が禁止された時代があったようですね。そういう影響も見逃せません。

意外かもしれませんが、西宮、芦屋など大阪北部や兵庫東部では標準語の人も多いです。
これは東京本社の企業の子弟が多く住んでいたり、ビジネスや政治の主要言語が標準語の
せいだと思われます。

どちらにせよ一関西人として東京で(千葉や埼玉、北関東の奴に多い)他人に「訛ってるね」と言われるたびに「いやいやいや・・・」と感じてしまう関西人です。
「方言」とか「関西弁」と言われてもいいですが、首都がずっと奈良や京都にあって、江戸文化も下地は京都の文化人と僧侶、大坂の商売人、駿河の武士が持ち込んだもので標準語のベースもそのあたりから来てることをいちいち説明はしないものの、知ってる、感じるからです。
割合、こういう「当たり前の感覚」も何十年かすれば変わってくるのかもしれませんね。
そういえば南米のスペイン語もスペイン本国とだいぶ違うそうで。

ことばとアイディンティティが非常に相関があることを考えれば、日本人はもう少しこの手のことを考えるべきでしょう。例えばスペインでは、アンダルシア地方の学校現場ではアンダルシア語を使います。逆にシンガポールは英語(家では中国語)だったり・・・。
特に北日本の人は、自分の国の言葉を大切にした方がいいと思います。ことばは生き物ですから、当然死ぬこともありえるわけです。
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