言葉が日常生活の中でどのような構造や条件の中で通じたり、また通じなかったりするのか、その有様を描き出したものです。体系的な言語論というよりも、言葉にまつわる著者の疑問や印象から始まり、それらを踏まえた上で自分のスタンスを述べたものと言えます。
言葉は単なる道具でも記号でもなく、日常の人間関係や共同体のあり方を固定化もしくは流動化させる契機そのものだというのが著者のスタンスです。内容的には体系的な言語論からは程遠いものですが、著者の思索の今後の展開を期待させる一冊です。
小浜先生は元々、軽い読み物と重い読み物を書き分けている節がありますが、これは後者と見せかけて前者だったと考えると良いかも知れません。しかし著者独特の、いわゆる「日常主義」的な考えは遺憾なく発揮されており、今後の著作活動の新しい発射台になりそうな予感があります。
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言葉はなぜ通じないのか (PHP新書 473 人間学アカデミー 5) 新書 – 2007/8/11
小浜 逸郎
(著)
なぜ真意はうまく伝わらないのか? 「言った・言わない」の不毛な口論はなぜ起きるのか? 日常的な言葉のやりとりには、つねに誤解や不安、疑心暗鬼がつきまとう。わかりあうのは難しい。
しかし、どんなに理屈や表現が正しくても意思疎通は成立しない。言語はたんなるロゴスではなく、共感には別の条件が必要だと著者は言う。
言葉はコミュニケーションの道具とばかりに、スキルさえ磨けば論理的な話し上手になれると考える風潮に一石を投じる一冊。壁があってもなお、意をつくして語ろうとする姿勢の大切さを説く。
会話はスキルじゃない! 理屈を超えてわかりあえる、「思い」が伝わる生の言語哲学。
【だれもが感じる言葉の不思議】なぜ言葉はすらすらと出てくるのか/なぜほんとうのことが言えないのか/なぜ言いたいことがうまく通じないのか/なぜ「言った・言わない」が生じるのか/なぜ文法的にまちがっていても言葉はきちんと伝わるのか etc.
しかし、どんなに理屈や表現が正しくても意思疎通は成立しない。言語はたんなるロゴスではなく、共感には別の条件が必要だと著者は言う。
言葉はコミュニケーションの道具とばかりに、スキルさえ磨けば論理的な話し上手になれると考える風潮に一石を投じる一冊。壁があってもなお、意をつくして語ろうとする姿勢の大切さを説く。
会話はスキルじゃない! 理屈を超えてわかりあえる、「思い」が伝わる生の言語哲学。
【だれもが感じる言葉の不思議】なぜ言葉はすらすらと出てくるのか/なぜほんとうのことが言えないのか/なぜ言いたいことがうまく通じないのか/なぜ「言った・言わない」が生じるのか/なぜ文法的にまちがっていても言葉はきちんと伝わるのか etc.
- 本の長さ480ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2007/8/11
- ISBN-10456969277X
- ISBN-13978-4569692777
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2007/8/11)
- 発売日 : 2007/8/11
- 言語 : 日本語
- 新書 : 480ページ
- ISBN-10 : 456969277X
- ISBN-13 : 978-4569692777
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,164,111位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,670位言語学 (本)
- - 2,201位PHP新書
- - 63,816位語学・辞事典・年鑑 (本)
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2007年12月31日に日本でレビュー済み
私は若いです。このタイトルの意味は時代の変化を理解せず
ただ、一表面だけをとらえ物事を語る。薄っぺらさに
読むのがつらかったです。
一言でいうと、コミュニケションすることを、
コミュニケイションという言葉を使わず200頁に渡り
説明する。そんな物を読んで誰がよかったと思うだろうか?
ただ、一表面だけをとらえ物事を語る。薄っぺらさに
読むのがつらかったです。
一言でいうと、コミュニケションすることを、
コミュニケイションという言葉を使わず200頁に渡り
説明する。そんな物を読んで誰がよかったと思うだろうか?
2016年10月24日に日本でレビュー済み
読了:2016年84冊(10月9冊)★3.2
小浜逸郎氏の本は数冊読んだことがあるが、本書もまた難解…。
普段、まさに題名のように思うことがあって、それが少しでも解消できればな、、と思って手に取ってみましたが。内容が想像以上にアカデミック過ぎてほとんど理解できませんでした。。。
かなり、かなり敷衍して言うと、話し手も聞き手も「気持ち」が大切、ということでしょうか。こんな文章が入試に出たら大変だろうな。苦笑
───私の考えでは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、言葉の無理解、齟齬は、言語それ自体による齟齬ではないのです。言い換えると、言葉の無理解、齟齬といった事態がはらんでいる問題の一番深い根っこにあるのは、表現された言葉の論理的なつじつまの合わなさとか表現が難解であるとか、支離滅裂なことを言っているとかいうことではないんです。(…中略…)ですから、ある発せられた言葉の価値は、命題の真偽というようなところにその究極的な根拠をもつのではなく、発話の状況の中で適切か不適切かというところに根拠をもつのです。つまり、関係をどう変えたかが、言葉の価値を決める尺度なのです。(p.194-195)
著者:小浜逸郎(横浜国立大学工学部卒、批評家)
発行:2007.8.24 第1版第1刷
小浜逸郎氏の本は数冊読んだことがあるが、本書もまた難解…。
普段、まさに題名のように思うことがあって、それが少しでも解消できればな、、と思って手に取ってみましたが。内容が想像以上にアカデミック過ぎてほとんど理解できませんでした。。。
かなり、かなり敷衍して言うと、話し手も聞き手も「気持ち」が大切、ということでしょうか。こんな文章が入試に出たら大変だろうな。苦笑
───私の考えでは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、言葉の無理解、齟齬は、言語それ自体による齟齬ではないのです。言い換えると、言葉の無理解、齟齬といった事態がはらんでいる問題の一番深い根っこにあるのは、表現された言葉の論理的なつじつまの合わなさとか表現が難解であるとか、支離滅裂なことを言っているとかいうことではないんです。(…中略…)ですから、ある発せられた言葉の価値は、命題の真偽というようなところにその究極的な根拠をもつのではなく、発話の状況の中で適切か不適切かというところに根拠をもつのです。つまり、関係をどう変えたかが、言葉の価値を決める尺度なのです。(p.194-195)
著者:小浜逸郎(横浜国立大学工学部卒、批評家)
発行:2007.8.24 第1版第1刷