第1章 社会・歴史的なもの
第2章 社会・歴史的な制度、レゲンとテオケン
第3章 社会・歴史的な制度、個人と事物
第4章 社会的想念の諸意味作用
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想念が社会を創る: 社会的想念と制度 (叢書・ウニベルシタス 452) 単行本 – 1994/9/1
社会・歴史的な生成の源泉としての想念の存在様態を究明し,社会を自律的な創造の場として捉えなおす。西欧思想の根底的見なおしを迫る実践哲学のマニフェスト。
- 本の長さ386ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日1994/9/1
- ISBN-104588004522
- ISBN-13978-4588004520
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
過去25世紀にわたるギリシャ・欧米思想を再検討し、旧来の同一性的・集合論的な論理学=存在論では把握できなかった社会的想念の存在様式を究明する。社会を自律的な創出の場として捉え直す実践哲学のマニフェスト。
登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (1994/9/1)
- 発売日 : 1994/9/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 386ページ
- ISBN-10 : 4588004522
- ISBN-13 : 978-4588004520
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,322,741位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,882位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 8,540位社会一般関連書籍
- - 26,085位社会学概論
- カスタマーレビュー:
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2021年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『想念が社会を創る』というタイトルに惚れて購入した。2015年のことだったが、当時も中古品でしか手に入らなかった。とても難しい本で手に負えるものではなかったのだが、今回再チャレンジしようと読んでみたところ、何か分かったような気がしたので、書き留めておきたい。
1.脱成長思想の開拓者カストリアディス
再チャレンジの動機は、セルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』文庫クセジュ(白水社)に、著者のカストリアディスがたびたび引用され、高く評価されていたからだ。エコロジー危機の意識化の歴史に貢献し(p.19)、前近代的体制の保証が無効化した今、法を語るための正当性を主張できる唯一の審級は「人民」、つまり市民の集合体であるとか(p.76)、人口爆発と環境問題の関係は明らかだと述べた(p.98-9)など、脱成長思想の開拓者として紹介されている(p.136)。
2.社会自身の自己創出
2点確認しておきたい。本書は心理学者がいうような、「物事は、その捉え方次第で何とでもなる」といった安易な構成主義の立場はとらない。例えばアドラーの心理学によれば、「それは自分で選んだのだから、いつでも選びなおせて、悩みは解消できる」という訳である。
また、社会は社会以外の起源、例えば神、自然、理性、歴史の法則に還元する方法はとらない(訳者解説p.380)。社会は社会自身の自己創出の結果であり、複雑系の自己組織化のイメージで捉えられている。ただし、進化論のようにその結果がより優れたものであるとの発想はない。
3.ガタリの『三つのエコロジー』
今回の再チャレンジの発想は、この難解な本書をエコロジーの文脈に入れて解釈することである。本書は環境問題やエコロジーをテーマとするものではないが、守備範囲を狭くすることが解釈を促進するように思える。
① マルクス
マルクスが『資本論』第一巻刊行(1867年)後に残した研究ノートには、自然環境への強い関心が記録されている(斎藤幸平『カール・マルクス『資本論』 NHK100分de名著 2021年1月号』p.112)。150年前のマルクスが環境問題とは意外なのだが、彼の労働の定義は『資本論』第一巻 第五章第一節に、「労働は、まずもって、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち、人間が自然との物質代謝を自らの行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。」となっている(同上 p.15)。「自然との物質代謝」の部分が、マルクスの自然科学分野への関心を示しているといえよう。マルクスは環境問題を、人間と自然環境との間の問題として捉えているようだ。
② カール・ポランニー
「代謝」から思い出すのは、1966年発刊のカール ポランニー『経済の文明史』(ちくま学芸文庫)は、経済を「人間に物質的欲求充足の手段を与えるかぎりでの、人間と自然環境および社会環境との間の代謝」と定義していることである(同上p.361)。なかなか面白い定義だ。環境問題を解決するには自然環境ばかりでなく、社会環境も対象としなければならない。
③ フェリックス・ガタリ
ガタリは従来の環境問題が自然環境に限定されていると疑問を呈し、自らの造語であるエコゾフィー(エコロジー+フィロソフィー)を提案する(『三つのエコロジー』平凡社ライブラリー p.10)。エコゾフィーは三つのエコロジー的な領域からなる。すなわち、「環境と社会的諸関係と人間的主観性」である。
ガタリは、自然環境と社会環境に精神環境を加えるのである。精神環境としての主観性を、ブルデューのハビトゥス論のロジックを借りて説明すれば、単純すぎる言い方になるが、主観性は自然環境と社会環境との代謝によってつくられるということになろう。
ガタリの提案は、この自然と社会をいかに変えるかということよりも、人々の主観性をいかに変えるかを問題とする。「こういったメンタリティーをどうやって変えるのかということが最終的な問題として生じてきます。同上P.113」とあり、最後に「精神分析や制度分析、映画、文学、詩、新しい教育法、あるいは創造的な都市計画や建築、こういったものすべてが、同上p.136」人間総体の意思革命をもたらすと締めくくる。
ガタリの主観性も、カストリアディスの想念も、個人のそれでないことは明らかだ。大雑把にいって、ガタリとカストリアディスの発想は同類といえよう。
カストリアディスの著書には、コーン=ベンディットとの共著『エコロジーから自治へ』(緑風出版)があるので、本書『想念が社会を創る』をエコロジー的に解釈するのも、あながち間違いではないだろう。
1.脱成長思想の開拓者カストリアディス
再チャレンジの動機は、セルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』文庫クセジュ(白水社)に、著者のカストリアディスがたびたび引用され、高く評価されていたからだ。エコロジー危機の意識化の歴史に貢献し(p.19)、前近代的体制の保証が無効化した今、法を語るための正当性を主張できる唯一の審級は「人民」、つまり市民の集合体であるとか(p.76)、人口爆発と環境問題の関係は明らかだと述べた(p.98-9)など、脱成長思想の開拓者として紹介されている(p.136)。
2.社会自身の自己創出
2点確認しておきたい。本書は心理学者がいうような、「物事は、その捉え方次第で何とでもなる」といった安易な構成主義の立場はとらない。例えばアドラーの心理学によれば、「それは自分で選んだのだから、いつでも選びなおせて、悩みは解消できる」という訳である。
また、社会は社会以外の起源、例えば神、自然、理性、歴史の法則に還元する方法はとらない(訳者解説p.380)。社会は社会自身の自己創出の結果であり、複雑系の自己組織化のイメージで捉えられている。ただし、進化論のようにその結果がより優れたものであるとの発想はない。
3.ガタリの『三つのエコロジー』
今回の再チャレンジの発想は、この難解な本書をエコロジーの文脈に入れて解釈することである。本書は環境問題やエコロジーをテーマとするものではないが、守備範囲を狭くすることが解釈を促進するように思える。
① マルクス
マルクスが『資本論』第一巻刊行(1867年)後に残した研究ノートには、自然環境への強い関心が記録されている(斎藤幸平『カール・マルクス『資本論』 NHK100分de名著 2021年1月号』p.112)。150年前のマルクスが環境問題とは意外なのだが、彼の労働の定義は『資本論』第一巻 第五章第一節に、「労働は、まずもって、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち、人間が自然との物質代謝を自らの行為によって媒介し、規制し、制御する一過程である。」となっている(同上 p.15)。「自然との物質代謝」の部分が、マルクスの自然科学分野への関心を示しているといえよう。マルクスは環境問題を、人間と自然環境との間の問題として捉えているようだ。
② カール・ポランニー
「代謝」から思い出すのは、1966年発刊のカール ポランニー『経済の文明史』(ちくま学芸文庫)は、経済を「人間に物質的欲求充足の手段を与えるかぎりでの、人間と自然環境および社会環境との間の代謝」と定義していることである(同上p.361)。なかなか面白い定義だ。環境問題を解決するには自然環境ばかりでなく、社会環境も対象としなければならない。
③ フェリックス・ガタリ
ガタリは従来の環境問題が自然環境に限定されていると疑問を呈し、自らの造語であるエコゾフィー(エコロジー+フィロソフィー)を提案する(『三つのエコロジー』平凡社ライブラリー p.10)。エコゾフィーは三つのエコロジー的な領域からなる。すなわち、「環境と社会的諸関係と人間的主観性」である。
ガタリは、自然環境と社会環境に精神環境を加えるのである。精神環境としての主観性を、ブルデューのハビトゥス論のロジックを借りて説明すれば、単純すぎる言い方になるが、主観性は自然環境と社会環境との代謝によってつくられるということになろう。
ガタリの提案は、この自然と社会をいかに変えるかということよりも、人々の主観性をいかに変えるかを問題とする。「こういったメンタリティーをどうやって変えるのかということが最終的な問題として生じてきます。同上P.113」とあり、最後に「精神分析や制度分析、映画、文学、詩、新しい教育法、あるいは創造的な都市計画や建築、こういったものすべてが、同上p.136」人間総体の意思革命をもたらすと締めくくる。
ガタリの主観性も、カストリアディスの想念も、個人のそれでないことは明らかだ。大雑把にいって、ガタリとカストリアディスの発想は同類といえよう。
カストリアディスの著書には、コーン=ベンディットとの共著『エコロジーから自治へ』(緑風出版)があるので、本書『想念が社会を創る』をエコロジー的に解釈するのも、あながち間違いではないだろう。