第一次・第二次世界大戦と冷戦期におけるイギリスの政策と、世界戦争が帝国を変貌させる様相がイギリス本国、インド等の帝国諸地域、日本を題材に論じられる。それは、本質において拡大、あるいは現状維持を戦略的課題とする保守主義の外交戦略であったことがわかる。
・20世紀、それは一億人が非業の死を遂げた戦争の時代。なかでも第一次世界大戦はイギリスにとって特別な戦争であり、本国の社会システム、帝国構成国の意識に変革を生じさせた。特にインドと本国を結ぶ海路・陸路にとって死活的な意味を持つオスマン帝国解体後の中東世界の保護国化がイギリスにとっての戦争遂行の目的とされ、これが後々にまでイギリスに災いをもたらすこととなる。
・1934年にチェンバレンの提起した「日英不可侵協定」(p67,236)。結局、建艦競争に躍起となった日本が拒絶したが、これが現実のものとなっていたら、こんにちの世界はどうなっていただろうか。
・第三章では、冷戦の起源として、19世紀以来続く英国とロシアの東地中海やバルカン半島をめぐる確執があげられる。中央アジアにおけるグレート・ゲームを含め、イギリスとソビエト・ロシアという「二つの帝国」の摩擦という歴史的視野から展望すると、なるほど、違った側面が見えてくるな(p96)。
・哀しくも大きな矛盾。第二次世界大戦後の帝国=植民地とコモンウェルスの防衛に当たって、対外関与を縮小すればソ連の膨張を招き、対外関与を増大すれば軍事力の希薄化・財政の圧迫により国力の減少につながるジレンマ。結局プライドを横に置き、米国との協調の必要性という政策へ帰結することになる。チャーチルはさぞ嘆いたことだろうに(p101)。それでもアジア冷戦への関与等、時代錯誤的な帝国意識にもとづく政策が継続されることになる。激変した世界、その現実を直視しつつも呻吟するイギリスの姿がそこにある。
・オスマン帝国の瓦解を是認する「民族自決権」をイギリス人が高らかに唱えるとき、インドは決して彼の視野には入らない。このダブル・スタンダードがインド人の不信感を徐々に増大させ、巧みな帝国統治にもかかわらず、第一次世界大戦後に大衆化した民族運動による自治権要求から独立要求へのヒートアップを抑えることはできなくなる。そして悲劇の印パ分裂独立へと至る(第五章)。
・第二次世界大戦時の英国派遣黒人アメリカ兵に関する第八章は、人権・人種意識のイギリス人とアメリカ白人とのあまりの格差が浮き彫りになったようで、イギリス人民間人の民主主義的良心、ただし上から目線でのそれが顕著であったことが印象に残った。
・ベトナム戦争にのめりこむ米ジョンソン政権に対してイギリスが打った一手、コモンウェルス・ミッション構想は注目に値する。結局は北ベトナムと北京政府の反対によって失敗するも、軍事的勝利に確執する米国に意見し、「経験主義的な伝統を背景に現実主義的な和平外交」(p347)を展開できるのは、さすがイギリスというべきか(第九章)。
第六章では、東アジアにおける二つの帝国「イギリスと日本」の関係が考察される。第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。
・第一次世界大戦期において日英関係は冷却する。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、イギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた揚子江地域の利権に関する条項を含むため、イギリスの不興を買った。さらに第五号条項には政・経・軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。
・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。
・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟を破棄する意見が優勢となる(p222)。まるで現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。
・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。
第一次世界大戦後、その版図が史上最大となった大英帝国。その規模と結束を維持する「本国」の苦悩は否応にも増すばかり。
戦間期に顕著となった民族主義の動向を過小評価したこともあり、帝国の紐帯は弛緩し、最期はいかに威厳を保ちつつ、帝国を解体するかに知恵を絞ることとなる。膨張しすぎた帝国の崩壊は、ソ連のものだけではなかったのだ。
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世界戦争の時代とイギリス帝国 (イギリス帝国と20世紀) 単行本 – 2006/12/1
佐々木 雄太
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世界戦争の時代とイギリス帝国
- 本の長さ368ページ
- 言語日本語
- 出版社ミネルヴァ書房
- 発売日2006/12/1
- ISBN-104623039331
- ISBN-13978-4623039333
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登録情報
- 出版社 : ミネルヴァ書房 (2006/12/1)
- 発売日 : 2006/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 368ページ
- ISBN-10 : 4623039331
- ISBN-13 : 978-4623039333
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,129,267位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 330位イギリス・アイルランド史
- - 3,111位ヨーロッパ史一般の本
- カスタマーレビュー:
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世界大戦と冷戦期のイギリスの政策と、世界戦争がもたらした帝国の変貌が、英本国、帝国諸地域、日本を題材に論じられる。
第一次・第二次世界大戦と冷戦期におけるイギリスの政策と、世界戦争が帝国を変貌させる様相がイギリス本国、インド等の帝国諸地域、日本を題材に論じられる。それは、本質において拡大、あるいは現状維持を戦略的課題とする保守主義の外交戦略であったことがわかる。・20世紀、それは一億人が非業の死を遂げた戦争の時代。なかでも第一次世界大戦はイギリスにとって特別な戦争であり、本国の社会システム、帝国構成国の意識に変革を生じさせた。特にインドと本国を結ぶ海路・陸路にとって死活的な意味を持つオスマン帝国解体後の中東世界の保護国化がイギリスにとっての戦争遂行の目的とされ、これが後々にまでイギリスに災いをもたらすこととなる。・1934年にチェンバレンの提起した「日英不可侵協定」(p67,236)。結局、建艦競争に躍起となった日本が拒絶したが、これが現実のものとなっていたら、こんにちの世界はどうなっていただろうか。・第三章では、冷戦の起源として、19世紀以来続く英国とロシアの東地中海やバルカン半島をめぐる確執があげられる。中央アジアにおけるグレート・ゲームを含め、イギリスとソビエト・ロシアという「二つの帝国」の摩擦という歴史的視野から展望すると、なるほど、違った側面が見えてくるな(p96)。・哀しくも大きな矛盾。第二次世界大戦後の帝国=植民地とコモンウェルスの防衛に当たって、対外関与を縮小すればソ連の膨張を招き、対外関与を増大すれば軍事力の希薄化・財政の圧迫により国力の減少につながるジレンマ。結局プライドを横に置き、米国との協調の必要性という政策へ帰結することになる。チャーチルはさぞ嘆いたことだろうに(p101)。それでもアジア冷戦への関与等、時代錯誤的な帝国意識にもとづく政策が継続されることになる。激変した世界、その現実を直視しつつも呻吟するイギリスの姿がそこにある。・オスマン帝国の瓦解を是認する「民族自決権」をイギリス人が高らかに唱えるとき、インドは決して彼の視野には入らない。このダブル・スタンダードがインド人の不信感を徐々に増大させ、巧みな帝国統治にもかかわらず、第一次世界大戦後に大衆化した民族運動による自治権要求から独立要求へのヒートアップを抑えることはできなくなる。そして悲劇の印パ分裂独立へと至る(第五章)。・第二次世界大戦時の英国派遣黒人アメリカ兵に関する第八章は、人権・人種意識のイギリス人とアメリカ白人とのあまりの格差が浮き彫りになったようで、イギリス人民間人の民主主義的良心、ただし上から目線でのそれが顕著であったことが印象に残った。・ベトナム戦争にのめりこむ米ジョンソン政権に対してイギリスが打った一手、コモンウェルス・ミッション構想は注目に値する。結局は北ベトナムと北京政府の反対によって失敗するも、軍事的勝利に確執する米国に意見し、「経験主義的な伝統を背景に現実主義的な和平外交」(p347)を展開できるのは、さすがイギリスというべきか(第九章)。第六章では、東アジアにおける二つの帝国「イギリスと日本」の関係が考察される。第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。・第一次世界大戦期において日英関係は冷却する。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、イギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた揚子江地域の利権に関する条項を含むため、イギリスの不興を買った。さらに第五号条項には政・経・軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟を破棄する意見が優勢となる(p222)。まるで現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。第一次世界大戦後、その版図が史上最大となった大英帝国。その規模と結束を維持する「本国」の苦悩は否応にも増すばかり。戦間期に顕著となった民族主義の動向を過小評価したこともあり、帝国の紐帯は弛緩し、最期はいかに威厳を保ちつつ、帝国を解体するかに知恵を絞ることとなる。膨張しすぎた帝国の崩壊は、ソ連のものだけではなかったのだ。
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2019年1月7日に日本でレビュー済み
第一次・第二次世界大戦と冷戦期におけるイギリスの政策と、世界戦争が帝国を変貌させる様相がイギリス本国、インド等の帝国諸地域、日本を題材に論じられる。それは、本質において拡大、あるいは現状維持を戦略的課題とする保守主義の外交戦略であったことがわかる。
・20世紀、それは一億人が非業の死を遂げた戦争の時代。なかでも第一次世界大戦はイギリスにとって特別な戦争であり、本国の社会システム、帝国構成国の意識に変革を生じさせた。特にインドと本国を結ぶ海路・陸路にとって死活的な意味を持つオスマン帝国解体後の中東世界の保護国化がイギリスにとっての戦争遂行の目的とされ、これが後々にまでイギリスに災いをもたらすこととなる。
・1934年にチェンバレンの提起した「日英不可侵協定」(p67,236)。結局、建艦競争に躍起となった日本が拒絶したが、これが現実のものとなっていたら、こんにちの世界はどうなっていただろうか。
・第三章では、冷戦の起源として、19世紀以来続く英国とロシアの東地中海やバルカン半島をめぐる確執があげられる。中央アジアにおけるグレート・ゲームを含め、イギリスとソビエト・ロシアという「二つの帝国」の摩擦という歴史的視野から展望すると、なるほど、違った側面が見えてくるな(p96)。
・哀しくも大きな矛盾。第二次世界大戦後の帝国=植民地とコモンウェルスの防衛に当たって、対外関与を縮小すればソ連の膨張を招き、対外関与を増大すれば軍事力の希薄化・財政の圧迫により国力の減少につながるジレンマ。結局プライドを横に置き、米国との協調の必要性という政策へ帰結することになる。チャーチルはさぞ嘆いたことだろうに(p101)。それでもアジア冷戦への関与等、時代錯誤的な帝国意識にもとづく政策が継続されることになる。激変した世界、その現実を直視しつつも呻吟するイギリスの姿がそこにある。
・オスマン帝国の瓦解を是認する「民族自決権」をイギリス人が高らかに唱えるとき、インドは決して彼の視野には入らない。このダブル・スタンダードがインド人の不信感を徐々に増大させ、巧みな帝国統治にもかかわらず、第一次世界大戦後に大衆化した民族運動による自治権要求から独立要求へのヒートアップを抑えることはできなくなる。そして悲劇の印パ分裂独立へと至る(第五章)。
・第二次世界大戦時の英国派遣黒人アメリカ兵に関する第八章は、人権・人種意識のイギリス人とアメリカ白人とのあまりの格差が浮き彫りになったようで、イギリス人民間人の民主主義的良心、ただし上から目線でのそれが顕著であったことが印象に残った。
・ベトナム戦争にのめりこむ米ジョンソン政権に対してイギリスが打った一手、コモンウェルス・ミッション構想は注目に値する。結局は北ベトナムと北京政府の反対によって失敗するも、軍事的勝利に確執する米国に意見し、「経験主義的な伝統を背景に現実主義的な和平外交」(p347)を展開できるのは、さすがイギリスというべきか(第九章)。
第六章では、東アジアにおける二つの帝国「イギリスと日本」の関係が考察される。第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。
・第一次世界大戦期において日英関係は冷却する。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、イギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた揚子江地域の利権に関する条項を含むため、イギリスの不興を買った。さらに第五号条項には政・経・軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。
・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。
・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟を破棄する意見が優勢となる(p222)。まるで現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。
・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。
第一次世界大戦後、その版図が史上最大となった大英帝国。その規模と結束を維持する「本国」の苦悩は否応にも増すばかり。
戦間期に顕著となった民族主義の動向を過小評価したこともあり、帝国の紐帯は弛緩し、最期はいかに威厳を保ちつつ、帝国を解体するかに知恵を絞ることとなる。膨張しすぎた帝国の崩壊は、ソ連のものだけではなかったのだ。
・20世紀、それは一億人が非業の死を遂げた戦争の時代。なかでも第一次世界大戦はイギリスにとって特別な戦争であり、本国の社会システム、帝国構成国の意識に変革を生じさせた。特にインドと本国を結ぶ海路・陸路にとって死活的な意味を持つオスマン帝国解体後の中東世界の保護国化がイギリスにとっての戦争遂行の目的とされ、これが後々にまでイギリスに災いをもたらすこととなる。
・1934年にチェンバレンの提起した「日英不可侵協定」(p67,236)。結局、建艦競争に躍起となった日本が拒絶したが、これが現実のものとなっていたら、こんにちの世界はどうなっていただろうか。
・第三章では、冷戦の起源として、19世紀以来続く英国とロシアの東地中海やバルカン半島をめぐる確執があげられる。中央アジアにおけるグレート・ゲームを含め、イギリスとソビエト・ロシアという「二つの帝国」の摩擦という歴史的視野から展望すると、なるほど、違った側面が見えてくるな(p96)。
・哀しくも大きな矛盾。第二次世界大戦後の帝国=植民地とコモンウェルスの防衛に当たって、対外関与を縮小すればソ連の膨張を招き、対外関与を増大すれば軍事力の希薄化・財政の圧迫により国力の減少につながるジレンマ。結局プライドを横に置き、米国との協調の必要性という政策へ帰結することになる。チャーチルはさぞ嘆いたことだろうに(p101)。それでもアジア冷戦への関与等、時代錯誤的な帝国意識にもとづく政策が継続されることになる。激変した世界、その現実を直視しつつも呻吟するイギリスの姿がそこにある。
・オスマン帝国の瓦解を是認する「民族自決権」をイギリス人が高らかに唱えるとき、インドは決して彼の視野には入らない。このダブル・スタンダードがインド人の不信感を徐々に増大させ、巧みな帝国統治にもかかわらず、第一次世界大戦後に大衆化した民族運動による自治権要求から独立要求へのヒートアップを抑えることはできなくなる。そして悲劇の印パ分裂独立へと至る(第五章)。
・第二次世界大戦時の英国派遣黒人アメリカ兵に関する第八章は、人権・人種意識のイギリス人とアメリカ白人とのあまりの格差が浮き彫りになったようで、イギリス人民間人の民主主義的良心、ただし上から目線でのそれが顕著であったことが印象に残った。
・ベトナム戦争にのめりこむ米ジョンソン政権に対してイギリスが打った一手、コモンウェルス・ミッション構想は注目に値する。結局は北ベトナムと北京政府の反対によって失敗するも、軍事的勝利に確執する米国に意見し、「経験主義的な伝統を背景に現実主義的な和平外交」(p347)を展開できるのは、さすがイギリスというべきか(第九章)。
第六章では、東アジアにおける二つの帝国「イギリスと日本」の関係が考察される。第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。
・第一次世界大戦期において日英関係は冷却する。日本の二十一箇条の要求は山東半島だけでなく、イギリスが伝統的に自らの勢力圏と考えてきた揚子江地域の利権に関する条項を含むため、イギリスの不興を買った。さらに第五号条項には政・経・軍への日本人顧問の招聘、日中合同警察、兵器の日本からの供給など、当時の帝国主義世界の常識からしても過剰な「希望」が含まれており、日本の意図に関するイギリスの疑惑を招いた(p214)。
・インドの独立運動に対し、あからさまに擁護する姿勢を示す日本。東京へ亡命・潜伏中の政治犯引き渡し要求に際しても、右勢力の反対運動に政府高官が理解を示すなど、インド帝国の宗主、イギリスを逆なでする(p217)。
・大戦中の日本海軍の活躍は大いに評価されるようになったものの、イギリスにおける日本との同盟に関する見方は様々。イギリス海軍省は今後の太平洋やインド洋での戦闘に、同盟国の日本海軍にその役割を期待する。一方でイギリス外務省では、日本との結びつきはイギリスの利益をもたらさないと考える者が大勢を占めた。日英同盟が日本の中国への進出を後押しする機能しか果たしていないと問題視するアメリカとの関係、カナダによる反対、なにより、揚子江地域における日英間の経済競争の激化等から、同盟を破棄する意見が優勢となる(p222)。まるで現在の米海軍と海上自衛隊の良好な関係と、外交・経済面での米中関係の緊密さを見ているようだ。
・1921年より開催されたワシントン会議で、アメリカの主導により日英同盟は破棄され、英米仏日の四国条約が調印される。一方でアメリカが国際連盟加盟を拒否して以来、1920年代を通して英米関係は冷却したため、突出する日本へ共同して圧力をかけることは行われなかった(p225)。その結果が、日本軍部のさらなる増長を招いたとすれば、皮肉ですらある。
第一次世界大戦後、その版図が史上最大となった大英帝国。その規模と結束を維持する「本国」の苦悩は否応にも増すばかり。
戦間期に顕著となった民族主義の動向を過小評価したこともあり、帝国の紐帯は弛緩し、最期はいかに威厳を保ちつつ、帝国を解体するかに知恵を絞ることとなる。膨張しすぎた帝国の崩壊は、ソ連のものだけではなかったのだ。
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