本書は、40年の長きにわたって東大教養学部で学生を教えてきた著者が、「教養」とは何か、教養が目指すべきものは何か、について著者の信条を述べた一書です。
著者は「教養教育」の原点を12世紀ヨーロッパまでさかのぼります。12世紀ヨーロッパに大学が生まれたとき、教養科目は文法・論理・修辞学の三科と、天文学・算術・幾何学・音楽の四科で構成されていたことから、リベラル・アーツは「自由七科」と翻訳されることもあるそうです。大学という知識の殿堂に入る人間は、全員がまずこの七つの技を身につけることが要求されました。
その後、日本の明治教育の中の「教養」の位置付け、大正教養人の時代、戦後民主主義の時代を概観した後、「教養の原点はモラルにあり」との自らの信念を吐露しています。
硬い話ばかりではなく、途中で話が脱線したりするので、けっこう楽しみながら読めます。たとえば……、
「三者」を文字通り「トリヴィウム」<trivium>(三科)と言うんですが、
英語の<trivial>という単語の語源であるという説があります。「トリヴ
ィアル」という言葉の意味は、「何か特別に言い立てる必要がないほど
当然、当たり前の」というものです。
ん? トリビア? タモリが「何一つ実生活で役立たないムダ知識」って言っているのと同じこと?
また、
専門家になる前に「広い知識」を身につけることを目的とした「教養」
という考え方の伝統をしっかり残しているのは、ヨーロッパよりもアメ
リカの「アイヴィ・リーグ」である。
と指摘したあと、
「アイヴィ」というのは学園ファッションと理解している人もいるが
もともとは蔦の一種で「由緒ある校舎」を示している。
と脱線しているのは、まさに「へーへー」ものです。
突っ込みを入れながら読むと、そんなに恐い本ではありません。お気軽にどうぞ。
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やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005 単行本 – 2004/12/1
村上 陽一郎
(著)
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- 本の長さ283ページ
- 言語日本語
- 出版社NTT出版
- 発売日2004/12/1
- ISBN-104757140851
- ISBN-13978-4757140851
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登録情報
- 出版社 : NTT出版 (2004/12/1)
- 発売日 : 2004/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 283ページ
- ISBN-10 : 4757140851
- ISBN-13 : 978-4757140851
- Amazon 売れ筋ランキング: - 851,409位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2006年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本著の主旨は、<教養の中核にはモラルが必要だ、しかし、戦後の民主主義によって、モラルは崩れつつある、今こそモラルを取り戻そう!>ということになるだろう。
民主主義というのは、王や軍隊などに指図されなくとも、民が主な働き手となって共同体を良くしていこうことで、そのためには、人民一人一人が、君主なみの知識・分別・良識等を持っている必要がある。人民全てがその域に達することは実際にはありえないので、完璧な民主主義というのはありえないだろうが、他方、王様に任せておけば大丈夫とも言えない。いつも名君が国を治めるとは限らないからだ。いずれにせよ、民主主義であろうと何であろうと、分別、良識、モラルなどは、共同体を維持していく上で欠かせない、普遍的な条件であるはずだ。
ここで村上氏に問いたい。モラルが崩れているのは、民主主義のせいなのか、それとも、民主主義を正確に国民に伝え切れなかった当時のエリートたちのせいなのか?天皇陛下や軍人さんの言うことは聞かなくてもいい、民主主義だから皆自分の思うとおりにやろう、などというのは、本当は民主主義ではない。このあたりを押さえた上で戦後国づくりを進めてきたのか、当時のエリートたちの責任は重いといえよう。
しかし一番びっくりしたのは、著者がカトリック信者だということだ。本著の中で著者は、○○を知らないと恥ずかしいから勉強しようとか、△△するとみっともないのでやらないという人が減っていることを嘆いておられる。しかしながら、恥ずかしいから、みっともないから、というのは極めて利己的な動機ではないか。自分(の家・学校・国)の恥とならないように努力するというのは。学問なら、学問が神の召命だからと信じて学問するのがキリスト教徒だと思うし、マナーでも、他人を大切にするがゆえに、きちんと挨拶しようとか、電車で席を譲ろうなどと心がけるのがキリスト教的だと思うが、いかがか。
民主主義というのは、王や軍隊などに指図されなくとも、民が主な働き手となって共同体を良くしていこうことで、そのためには、人民一人一人が、君主なみの知識・分別・良識等を持っている必要がある。人民全てがその域に達することは実際にはありえないので、完璧な民主主義というのはありえないだろうが、他方、王様に任せておけば大丈夫とも言えない。いつも名君が国を治めるとは限らないからだ。いずれにせよ、民主主義であろうと何であろうと、分別、良識、モラルなどは、共同体を維持していく上で欠かせない、普遍的な条件であるはずだ。
ここで村上氏に問いたい。モラルが崩れているのは、民主主義のせいなのか、それとも、民主主義を正確に国民に伝え切れなかった当時のエリートたちのせいなのか?天皇陛下や軍人さんの言うことは聞かなくてもいい、民主主義だから皆自分の思うとおりにやろう、などというのは、本当は民主主義ではない。このあたりを押さえた上で戦後国づくりを進めてきたのか、当時のエリートたちの責任は重いといえよう。
しかし一番びっくりしたのは、著者がカトリック信者だということだ。本著の中で著者は、○○を知らないと恥ずかしいから勉強しようとか、△△するとみっともないのでやらないという人が減っていることを嘆いておられる。しかしながら、恥ずかしいから、みっともないから、というのは極めて利己的な動機ではないか。自分(の家・学校・国)の恥とならないように努力するというのは。学問なら、学問が神の召命だからと信じて学問するのがキリスト教徒だと思うし、マナーでも、他人を大切にするがゆえに、きちんと挨拶しようとか、電車で席を譲ろうなどと心がけるのがキリスト教的だと思うが、いかがか。
2006年3月14日に日本でレビュー済み
科学評論で著名な著者による教養論。科学とはあまり関係ない内容である。ただし、かみ砕いていろいろと展開して下さるが、村上氏の著作というにはつまらないし、薄っぺらい。せっかく信条を曲げてまで自己を語られたのは、昨今の世情のあまりのさもしさ故なんだろうとお察しはするが…。さして深く掘り下げられた内容とは思われないし、この手の書物の宿命である手前味噌の感は免れない。ご自身も後書きのあたりで書いておられるのだが、自己を語ることはまったく語るに落ちる、そのとおりである。人生訓の類は読まない、とされながら、その「百ヵ条」そのものが人生訓であり、しかもそれを巻末で箇条書きにして披瀝するのは、有り体に言わせてもらえば、訓辞をたれておられるに他ならない。「みっともない」という村上先生のお気持ちには共感できるところがあるが、それならば、もうこんな本は書かれないで、ご専門の科学評論分野できりっと決めてください。本当に、がっかりしました。
2005年8月10日に日本でレビュー済み
「教養が邪魔をしてしまいまして」という言葉が「この気取り屋め」で片付けられてしまいそうな今日日、教養の大切さをあらためて語った本が出た。
これまでの村上先生の本もそうだったように、この本にもテーマに沿った明快な主張がある。けれど明らかにちがうのは、先生の「生」の部分が話の根拠になっていること。「なぜなら○○だから」の○○を、社会の出来事や科学的データに負うのではなく、「そう体験したから。そう思ったから」という先生の個人的経験に負っている。
そんな先生の経験は、「規矩」を大切にしましょうという論にたどりつく。規矩とは人の行動の手本となる基準のこと。
なんだ、教養について書いてあるんじゃないのか、といったらそんなことはない。かんたんにいえば、善き人間になるには規矩が大切で、その規矩を教養が支えているという話だ。
先生のそうした話のバックグラウンドには、恥の精神という至極日本的な通念がある。それは、本にも語られているように、親(とくに父親)からの影響がとても大きい。戦前・戦中をエリートとして過ごしてきた父親のしつけが、村上先生の人物像をつくりあげた。
「科学の人」というイメージは、村上陽一郎という人を成すわずか一部分にすぎなかった。歴史に対する洞察。言葉に対しての鋭敏さ。地域・文化に目を向ける国際感覚。これらが発揮されて幅広く語られた。教養人を地で行くお方だと思いました。
これまでの村上先生の本もそうだったように、この本にもテーマに沿った明快な主張がある。けれど明らかにちがうのは、先生の「生」の部分が話の根拠になっていること。「なぜなら○○だから」の○○を、社会の出来事や科学的データに負うのではなく、「そう体験したから。そう思ったから」という先生の個人的経験に負っている。
そんな先生の経験は、「規矩」を大切にしましょうという論にたどりつく。規矩とは人の行動の手本となる基準のこと。
なんだ、教養について書いてあるんじゃないのか、といったらそんなことはない。かんたんにいえば、善き人間になるには規矩が大切で、その規矩を教養が支えているという話だ。
先生のそうした話のバックグラウンドには、恥の精神という至極日本的な通念がある。それは、本にも語られているように、親(とくに父親)からの影響がとても大きい。戦前・戦中をエリートとして過ごしてきた父親のしつけが、村上先生の人物像をつくりあげた。
「科学の人」というイメージは、村上陽一郎という人を成すわずか一部分にすぎなかった。歴史に対する洞察。言葉に対しての鋭敏さ。地域・文化に目を向ける国際感覚。これらが発揮されて幅広く語られた。教養人を地で行くお方だと思いました。
2006年4月16日に日本でレビュー済み
この本のいいところ
1、教養についての考察が深まる内容となっているところ。西洋の教養の成り立ち、旧制高校・大学についての知識、著者の体験など、随所に教養とは何かを考えるヒントが満載なところ。
2、「教養のためのしてはならない百箇条」が載っているところ。私は以前安部譲二氏の『男の条件』を読んだところ、「百箇条」のことが書いてあったが、オリジナルがどこにあるのかわからなかった。この「百箇条」は現代風に改変を加えているが、貴重なものといえよう。
この本の良くないところ
1、戦後に対する否定的な評価が多いのはアンフェアだ。たしかに主題の教養は戦前に重視されたものだからやむを得ないところもあるが、「戦後民主主義教育を肯定する側面はかなり強い」(p177)はずなのに肯定的評価の具体例がまったくといっていいほど書いてないのはいかがなものか。
2、「教養のためのしてはならない百箇条」に番号が書かれていないところ。どこが百箇条なのかよくわからない。
結論
いいところ星4つ、良くないところ星2つ。中間をとって星3つ。
1、教養についての考察が深まる内容となっているところ。西洋の教養の成り立ち、旧制高校・大学についての知識、著者の体験など、随所に教養とは何かを考えるヒントが満載なところ。
2、「教養のためのしてはならない百箇条」が載っているところ。私は以前安部譲二氏の『男の条件』を読んだところ、「百箇条」のことが書いてあったが、オリジナルがどこにあるのかわからなかった。この「百箇条」は現代風に改変を加えているが、貴重なものといえよう。
この本の良くないところ
1、戦後に対する否定的な評価が多いのはアンフェアだ。たしかに主題の教養は戦前に重視されたものだからやむを得ないところもあるが、「戦後民主主義教育を肯定する側面はかなり強い」(p177)はずなのに肯定的評価の具体例がまったくといっていいほど書いてないのはいかがなものか。
2、「教養のためのしてはならない百箇条」に番号が書かれていないところ。どこが百箇条なのかよくわからない。
結論
いいところ星4つ、良くないところ星2つ。中間をとって星3つ。
2006年3月14日に日本でレビュー済み
本書は科学史の専門家である筆者の教養論である。東大や国際基督教大学において長年教養教育に携わってきた筆者の教養観は「規矩」という言葉に象徴される。人間としてのモラルを支えるものとして教養が必要であるというのが筆者の結論であるといえよう。
本書の論点は以上のような点だと思われるが、不満なのは本書が非常にまとまりのない構成となっている点である。筆者は大学の歴史の中での教養教育の位置づけを論じた後、自分と自分の父親の教養について論じているのだが、これはそれぞれひとつの書籍としてまとめた方が良かったのではないかと思われる。どちらの議論も十分になされていない上、「規矩」としての教養という筆者の議論も深まっていない。全てにおいて「食べたりない」と感じた。
科学史家としての筆者の大学論も面白いだろうし、日本の教養の変化を歴史的に論じるという試みも面白いだろう。また、筆者の教養論も非常に興味深いものとなるかもしれない。本書はそういった期待に十分に応えてはくれなかった。
本書の論点は以上のような点だと思われるが、不満なのは本書が非常にまとまりのない構成となっている点である。筆者は大学の歴史の中での教養教育の位置づけを論じた後、自分と自分の父親の教養について論じているのだが、これはそれぞれひとつの書籍としてまとめた方が良かったのではないかと思われる。どちらの議論も十分になされていない上、「規矩」としての教養という筆者の議論も深まっていない。全てにおいて「食べたりない」と感じた。
科学史家としての筆者の大学論も面白いだろうし、日本の教養の変化を歴史的に論じるという試みも面白いだろう。また、筆者の教養論も非常に興味深いものとなるかもしれない。本書はそういった期待に十分に応えてはくれなかった。
2006年2月25日に日本でレビュー済み
村上春樹風に言うならば
「われわれはどんな体験からでも学ぼうと思えば学ぶことができる」。
それならば、この本からも何かを学べるだろうか。
1.自慢話は退屈だ
2.今は大正時代ではない
3.勉強ができなかった人間の気持ちは、秀才にはついにわからない
4.著者が使う「規矩」という言葉には現代的な意義があると思う。
しかし掘り下げがなされていないから、読み手が自分で考えるしか
ない。
5.功成り名遂げた書き手には、ふつう遠慮のない批評は周囲からは
来ない。だからそのような立場にある人は、自己評価について
よほど厳しくなくてはならない。
このように「反面教師としての意義」が目立つ本なのだけれど、著者が
博識で善意の人であることはよくわかる。
「われわれはどんな体験からでも学ぼうと思えば学ぶことができる」。
それならば、この本からも何かを学べるだろうか。
1.自慢話は退屈だ
2.今は大正時代ではない
3.勉強ができなかった人間の気持ちは、秀才にはついにわからない
4.著者が使う「規矩」という言葉には現代的な意義があると思う。
しかし掘り下げがなされていないから、読み手が自分で考えるしか
ない。
5.功成り名遂げた書き手には、ふつう遠慮のない批評は周囲からは
来ない。だからそのような立場にある人は、自己評価について
よほど厳しくなくてはならない。
このように「反面教師としての意義」が目立つ本なのだけれど、著者が
博識で善意の人であることはよくわかる。