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日本人の神髄: 8人の先賢に学ぶ「大和魂」 単行本 – 2003/5/1
小田 全宏
(著)
- 本の長さ331ページ
- 言語日本語
- 出版社サンマーク出版
- 発売日2003/5/1
- ISBN-104763194666
- ISBN-13978-4763194664
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本人は、いつからこの「生きざま」を忘れてしまったのか。聖徳太子、吉田松陰、坂本竜馬から中村天風まで、かつて脈々と流れていた「この国の精神」をさぐる。
登録情報
- 出版社 : サンマーク出版 (2003/5/1)
- 発売日 : 2003/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 331ページ
- ISBN-10 : 4763194666
- ISBN-13 : 978-4763194664
- Amazon 売れ筋ランキング: - 466,630位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全然違いました。目次を見ただけで早く読みたくて仕方なくなりました。それは私が好きな歴史上の人物ばかり8人のことを、各章に並べていたからです。非常に興味深い視点で、しかも読みやすく書かれた本です。司馬遼太郎の本を敷居が高いと感じる人は、この本から入るといいと思います。手元に置いておきたい一冊です。
2010年5月9日に日本でレビュー済み
日本を愛する心、平和を守るために日本が軍備を持って私心なく世界に貢献すること、日本古来の和の心などを中学生でも分かるように丁寧に書いている。余りにも口語訳しすぎていて驚くくらいだ。講演会で話す内容をそのまま文章にした感じなので、幅広い年代層に受け入れられるだろう。
しかし、物足りない。なんだか軽い。
日本の偉人の言行から、自分の思想と現代日本の批判に都合の良いところだけ抜き出して、好きに解釈している。
そんな印象の本だ。
序文では大和魂に言及し、先の大戦での使われ方や葉隠とはまた別の良いイメージを提示しようとしている。遡れば源氏物語での使用が最も古いそうだ。「才を本としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ」。先進国中国の理屈を詰め込むだけでなく適切な判断ができるバランス感覚が大切と解釈している。しかし、当時の世相としてシナの理屈を勉強しなければ大和魂も活かせない、という解釈が適切ではなかろうか。
聖徳太子の章では、福沢諭吉の脱亜入欧がアジア侵略につながったから、これからの日本は脱欧入亜な観点に立とうという。聖徳太子は当時の隋に対して、対等の立場で外交をしたと自分で記述しているのだから、これは脱亜あるいは別亜の立場を貫いているのではないか。日本の和の心についても同じ章で触れている。論理として破綻していないだろうか。著者は、和の心がない亜細亜に入って何がしたいのだろうか。
太子の憲法3条は皇室を敬うことを説いているが、何の説明も無く、今では法律遵守のことであると論点をすり替えている。皇室に対して何の敬意も感じられない。本を通して皇室の危機に全く触れていない。
著者は国を思うが故に、少し理想論が先走る熱血漢なのではないだろうか。あるいは松下政経塾で革新思想に少々染まってしまったのかもしれない。先人を子供に学ばせるには良いテキストかもしれないが、鵜呑みにすると危険な本である。
しかし、物足りない。なんだか軽い。
日本の偉人の言行から、自分の思想と現代日本の批判に都合の良いところだけ抜き出して、好きに解釈している。
そんな印象の本だ。
序文では大和魂に言及し、先の大戦での使われ方や葉隠とはまた別の良いイメージを提示しようとしている。遡れば源氏物語での使用が最も古いそうだ。「才を本としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ」。先進国中国の理屈を詰め込むだけでなく適切な判断ができるバランス感覚が大切と解釈している。しかし、当時の世相としてシナの理屈を勉強しなければ大和魂も活かせない、という解釈が適切ではなかろうか。
聖徳太子の章では、福沢諭吉の脱亜入欧がアジア侵略につながったから、これからの日本は脱欧入亜な観点に立とうという。聖徳太子は当時の隋に対して、対等の立場で外交をしたと自分で記述しているのだから、これは脱亜あるいは別亜の立場を貫いているのではないか。日本の和の心についても同じ章で触れている。論理として破綻していないだろうか。著者は、和の心がない亜細亜に入って何がしたいのだろうか。
太子の憲法3条は皇室を敬うことを説いているが、何の説明も無く、今では法律遵守のことであると論点をすり替えている。皇室に対して何の敬意も感じられない。本を通して皇室の危機に全く触れていない。
著者は国を思うが故に、少し理想論が先走る熱血漢なのではないだろうか。あるいは松下政経塾で革新思想に少々染まってしまったのかもしれない。先人を子供に学ばせるには良いテキストかもしれないが、鵜呑みにすると危険な本である。