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社会科学の論理によせて 単行本 – 1991/7/1

3.6 5つ星のうち3.6 3個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

分析的科学論の極にポパーを置き、他方、解釈学の極にガーダマーを置いて両者を批判的に考察しつつ、批判的社会論を展開する。一方でハーバーマスがおのれの立場を確立して行く精神遍歴の道程を示し、60年代後半以降の思想のアンソロジーの役割も果たす書。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 国文社 (1991/7/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1991/7/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 424ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4772003622
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4772003629
  • カスタマーレビュー:
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ユルゲン・ハバーマス
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年2月7日に日本でレビュー済み
自然科学と精神科学の二元論
社会的行為の一般理論の方法論によせて
経験的―分析的な行為科学における意味理解の問題
現在に関する理論としての社会学。
2007年8月15日に日本でレビュー済み
ハーバーマスは、縦横にテクストを取り上げ、批評し、文脈をつなぎ合わせていく論述形式をとる。読者はこれを奇異に感じるだろう。だが彼の若い頃新聞に書評を載せていたという批評家気質、脈々と続く文化の流れの中でこそ発言を行う一貫した態度を念頭におけば納得いくものだと思う。
本書も同様の論述形式だ。本書に入る前提知識として、ヴェーバー、シュッツらの行為理論を確認しておくべきだろう。
さて、社会科学が行為理論を提供するものである限り、行為者の主観的意味を考慮せねばならない。だから行為者の主観的意味を理解するため、行為者の視点にたった方法論が必要だ。この前提から行為者の視点を省みない方法論批判という論述形式をとる。それによって行為者による意味の観点を行為理論に組み込もうとする。
本書は大きく分けて3章立てになっている。第一に、社会学の対象である社会的行為が二つの次元(精神の次元と物質の次元)から成り立っていることを示し、それによって社会的行為を分析する方法も二種類必要であると示す。すなわち社会科学の分析対象である行為者の視点にたつことによる行為の「理解」という方法と、行為における法則性の「説明」という方法である。この区別によってハーバーマスは、行為理論に意味理解の観点を組み込むための土台を設定したといえる。なぜならその二つの次元を区別することで、行為を物質次元に還元し、精神の次元を排除するような行為理論(行動主義的アプローチ)を批判し、精神次元を強調するための土台が出来上がるからだ。第二に、行為者における意味の問題をはじめから排除する行為理論(行動主義的アプローチなど)を批判する。第三に、3つのアプローチ(現象学的アプローチ・言語学的アプローチ・解釈学的アプローチ)を提示し、意味理解の問題構成を行う。このように本書の課題は、行為理論に「意味理解の問題」をいかにして組み込むかだ。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年5月25日に日本でレビュー済み
再読したので、書き改めました。本書で面白かったのは、冒頭、カッシーラーの社会科学における位置づけ、ウェーバーの理解社会学の解釈、とくに、経験的ー分析的アプローチではなく、規範的ー分析的アプローチとして位置付けている点、パーソンズの要を得て本質的な解釈、そして、後半登場するダントーの「歴史の分析哲学」の解釈。また現象学的アプローチは結局、超越論的視座を確保するには言語分析的なアプローチに譲らざるを得ないと思える指摘は、妥当に思えた。解釈学的アプローチについては、点が甘く、とりわけガダマーのそれは、結局、「地平」などという常識的で感覚的な概念?をたよりに、常識的で議論することさえ大して意味がないような話に落着させている凡庸さに、まったく批判を向けず、如上の諸学派の天才的だが破滅的な努力より、上位に置いているかのような印象を受けたのは私だけだろうか。諸学派の詳細をサーベイし、翻訳当時は、あまり知られていなかったダントーの著作なども検討されていたから、翻訳者はもとより、読者も読みとおすのは大変だったと思う(たいへんだった)。正直忍耐の限度を超えるような入り込み方も多く、ひとえに、著者の消化不良気味の様相を呈している点もあると思う(ちょうど廣松渉の現象学や行為論の論文が、引用に次ぐ引用で概念的に纏まった把握が後退していたように)。だが、著者はそれでも、そういう叙述を通して、独自の見解を開いていく様は、やはり見事というほかはない。本書は「認識と関心」と同時期に書かれた本だが、翻訳の時期は大いに異なり、「認識と関心」のみ読んだ人間には、著者の知見が、ドイツ哲学の伝統からいくらかも離れていないかのような錯覚に陥るが、本書を見れば、すでに諸学派のすべてに通じていたことがわかる。方法論がしばしば該当する経験科学の実際に関する自己理解を誤っていること、その誤解に対する議論がまかり通っていることについての慎重な知見も示され、著者がやはり一流の思想家であることも感じられる。とはいえ、やはり自然科学、経済学に関する認識は多いとは思えず、このあたりが、著者の社会科学方法論にネガティヴな作用を与えているような気もする。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート