序章 笑いの風景
1 笑いの多様性
2 笑いを引き起こすのにかかる時間
第1章 笑いのパラレル・ワールド
1 笑いの個人差
2 笑いの学説史
3 笑いはパラレルな世界で生まれる
第2章 取り違え図式──笑芸コントの世界
1 競合するパラレル・ワールド
2 現実世界とパラレル・ワールド
3 現実の非現実化とパラレル・ワールド
第3章 シュールの彼方へ──お笑い革命の深層
1 ザ・プラン9の語るシュールとは?
2 アート系コント芸人ラーメンズの登場
第4章 現実の発見的再認──「悲しいとき」に笑うのは「なんでだろう」
1 この世にあるおかしいこと
2 あるあるネタのつくり方
3 自分を笑う理由
第5章 物語の現実化と現実の物語化
1 昔話という笑いの資源
2 人間世界にあるドラマ
第6章 漫才あるいは距離の芸術について
1 漫才の形式的特徴
2 進化するボケとツッコミ
3 メタ漫才と濃縮された多重性
終章 人はなぜ笑うのか
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お笑い進化論 (青弓社ライブラリー 37) 単行本 – 2005/5/1
井山 弘幸
(著)
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社青弓社
- 発売日2005/5/1
- ISBN-104787232436
- ISBN-13978-4787232434
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登録情報
- 出版社 : 青弓社 (2005/5/1)
- 発売日 : 2005/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 247ページ
- ISBN-10 : 4787232436
- ISBN-13 : 978-4787232434
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,078,486位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,636位落語・寄席・演芸 (本)
- - 7,194位演劇 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
深いです。
軽いタイトルから、漫才やコントのネタを並列的に分類する本かと思っていましたが、社会学系の研究者と思われる著者の立体的な視野の広さ、角度の深さにたいへん驚きました。
まず普通の「笑い」(ベルグソンらによる、生活の中での自然な笑い分析)と、「芸」としての笑劇のやっていることとは全く違うものであることを、初めて自覚しました。
最も興味深かったテーマは、コントや漫才の語りが作り出すパラレル空間に注目していること。このP空間と現実というR(リアル)空間が、語りの中でどのようにまじりあい、観客がいつのまにかP空間に引き込まれてゆくかを詳細に分析しています。
人や現象を笑いものにするようなコントの場合でも、観客はそれを自分のこととせず、R空間とP空間の往還を楽しんでいる。
また取り違えコント(例えばふたりが電話をかけていて、まったく違う相手にかけているのにもかかわらず、あたかもふたりの会話がかみ合ってしまうおかしさ)は「現実の非現実化」が(さながら演劇のように)行われていて、その空間の異化が笑いを誘うのだということ。
シュール系コントや、現実の再確認コント(間の構造化と反復の形式の生み出す笑い)、「物語の現実化」(昔話へのツッコミなど)、キャラクターコント(あるシチュエーションの中にいる独自の人物を話芸で立ちあげてしまう)など笑劇には非常に複雑な機能が仕込まれていることが、現実の日本のお笑いコントの演者のふんだんな演例をもとに、次々わかりやすく語られていきます。
まさか、気楽に見ているお笑いのかけあいにこんな哲学的な仕掛けがあったとは(芸人さんたちは、先人のものを研究しながら、天性の勘で新しい角度を探りあてているのでしょうか)、目から鱗が何枚も落ちました。
特に漫才については、ふたりの立ち位置と向き、客席に向いてしゃべる時間と相方に向いてしゃべる時間などの分析から、コントの物語性とは違う空間のたちあげかたがあること、反復による念押し性、「ボケとツッコミ」という単純な二元論ではくくれないこと、メタ漫才の「ツッコミ」や自己言及へと進化してゆくこと、などが指摘されており、漫才ジャンルの持つユニークさは、演劇に近い状況コントとはまたひと味違うこともわかりました。
これからはお笑い番組をあだやおろそかには見られない気持ちです。
漫才言語は21世紀にさらに進化しつつ、日常の会話にも自然に侵入しているとの最後の指摘も。
わたしたちがさまざまな言説にふれたとき、いったいどういう空間にいるのか、それをどう処理して、笑っているのか、また呑み込まれているのか。
笑いのみならずコミュニケーション全般にわたって、考えさせる刺激的な一冊です。
軽いタイトルから、漫才やコントのネタを並列的に分類する本かと思っていましたが、社会学系の研究者と思われる著者の立体的な視野の広さ、角度の深さにたいへん驚きました。
まず普通の「笑い」(ベルグソンらによる、生活の中での自然な笑い分析)と、「芸」としての笑劇のやっていることとは全く違うものであることを、初めて自覚しました。
最も興味深かったテーマは、コントや漫才の語りが作り出すパラレル空間に注目していること。このP空間と現実というR(リアル)空間が、語りの中でどのようにまじりあい、観客がいつのまにかP空間に引き込まれてゆくかを詳細に分析しています。
人や現象を笑いものにするようなコントの場合でも、観客はそれを自分のこととせず、R空間とP空間の往還を楽しんでいる。
また取り違えコント(例えばふたりが電話をかけていて、まったく違う相手にかけているのにもかかわらず、あたかもふたりの会話がかみ合ってしまうおかしさ)は「現実の非現実化」が(さながら演劇のように)行われていて、その空間の異化が笑いを誘うのだということ。
シュール系コントや、現実の再確認コント(間の構造化と反復の形式の生み出す笑い)、「物語の現実化」(昔話へのツッコミなど)、キャラクターコント(あるシチュエーションの中にいる独自の人物を話芸で立ちあげてしまう)など笑劇には非常に複雑な機能が仕込まれていることが、現実の日本のお笑いコントの演者のふんだんな演例をもとに、次々わかりやすく語られていきます。
まさか、気楽に見ているお笑いのかけあいにこんな哲学的な仕掛けがあったとは(芸人さんたちは、先人のものを研究しながら、天性の勘で新しい角度を探りあてているのでしょうか)、目から鱗が何枚も落ちました。
特に漫才については、ふたりの立ち位置と向き、客席に向いてしゃべる時間と相方に向いてしゃべる時間などの分析から、コントの物語性とは違う空間のたちあげかたがあること、反復による念押し性、「ボケとツッコミ」という単純な二元論ではくくれないこと、メタ漫才の「ツッコミ」や自己言及へと進化してゆくこと、などが指摘されており、漫才ジャンルの持つユニークさは、演劇に近い状況コントとはまたひと味違うこともわかりました。
これからはお笑い番組をあだやおろそかには見られない気持ちです。
漫才言語は21世紀にさらに進化しつつ、日常の会話にも自然に侵入しているとの最後の指摘も。
わたしたちがさまざまな言説にふれたとき、いったいどういう空間にいるのか、それをどう処理して、笑っているのか、また呑み込まれているのか。
笑いのみならずコミュニケーション全般にわたって、考えさせる刺激的な一冊です。