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資本主義リアリズム 単行本(ソフトカバー) – 2018/2/20
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購入オプションとあわせ買い
「はっきり言わせてもらおう。たまらなく読みやすいこのフィッシャーの著書ほど、われわれの苦境を的確に捉えた分析はない」スラヴォイ・ジジェク
目次
第一章 資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい
第二章 もし君の抗議活動にみなが賛同したとしたら br> 第三章 資本主義とリアル
第四章 再帰的無能感、現状維持、そしてリベラル共産主義
第五章 一九七九年一〇月六日 「何事にも執着するな」
第六章 形あるものみな広報へと消えゆく -市場型スターリニズムとお役所型反生産
第七章 「……二つの現実が折り重なって見えるとき」 夢作業及び記憶障害としての資本主義リアリズム
第八章 「中央電話局というものはない」
第九章 マルクス主義のスーパーナニー
「諦め」の常態化に抗う -あとがきに代えて
目次
第一章 資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい
第二章 もし君の抗議活動にみなが賛同したとしたら br> 第三章 資本主義とリアル
第四章 再帰的無能感、現状維持、そしてリベラル共産主義
第五章 一九七九年一〇月六日 「何事にも執着するな」
第六章 形あるものみな広報へと消えゆく -市場型スターリニズムとお役所型反生産
第七章 「……二つの現実が折り重なって見えるとき」 夢作業及び記憶障害としての資本主義リアリズム
第八章 「中央電話局というものはない」
第九章 マルクス主義のスーパーナニー
「諦め」の常態化に抗う -あとがきに代えて
- 本の長さ212ページ
- 言語日本語
- 出版社堀之内出版
- 発売日2018/2/20
- 寸法18.8 x 12.8 x 10.7 cm
- ISBN-104909237356
- ISBN-13978-4909237354
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商品の説明
出版社からのコメント
ポップカルチャーと社会に鋭い光をあて、ヨーロッパで熱狂的な注目を浴びたイギリスの批評家、マーク・フィッシャーの主著、待望の邦訳刊行。
2017年に急逝した彼の、「ぼくらの」、言葉とため息、叫びを、未来へ届けるために。
2017年に急逝した彼の、「ぼくらの」、言葉とため息、叫びを、未来へ届けるために。
著者について
1968年生まれ。イギリスの批評家。ウォーリック大学で博士号を取得した後、英国継続教育カレッジ、およびゴールドスミス・カレッジ視覚文化学科で客員研究員・講師を務める。著書に『資本主義リアリズム』、The Resistible Demise of Michael Jackson(2009年)、Ghosts of My Life: Writings on Depression, Hauntology and Lost Futures(2014年)、The Weird and the Eerie(2017年)。2017年1月逝去。
登録情報
- 出版社 : 堀之内出版 (2018/2/20)
- 発売日 : 2018/2/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 212ページ
- ISBN-10 : 4909237356
- ISBN-13 : 978-4909237354
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 10.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 28,745位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 491位社会一般関連書籍
- - 812位その他の思想・社会の本
- - 1,137位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は私と同世代のオッサンであったが、欧州の若者たちには人気があったようだ。著者は、この訳書公刊の前年に自死した。翻訳がとてもよい。価格も安い。なので、本邦の若者に読んでほしいのだが、無理かもしれないなあとの再帰的無能感に包まれてしまう。貸しても、すぐ返ってくるだろう。たぶん1行も理解できなくて。実際、ジェイムソンを読んだことがある若者なんて、いるんだろうか。ジェイムソンの百倍は読みやすいので、読んでほしいのだが。ていうか、そもそもマルクス読んでよ。人新世なんていいから。
2019年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は具体的にイギリス社会を描きながら、
資本主義社会(もちろん日本)に住む我々の日常感覚を巧みな“表現”で掬い上げている。
資本主義「リアリズム」とは?
以下本文適時省略、引用
・「リアリズムとは、どんな希望もどんな前向きな状態でさえも危険な錯覚だと信じてしまう、うつ病患者の視線と類似してる」
・「それは、雰囲気のように、思考と行動を制約!する、見えざる結界として働く・・・」
・「、、、資本という容赦なき肉引きマシン・・・」
・「地球規模にわたる圧制のネットワーク、、、資本主義が超抽象的かつ非人称的な構造・・・」
「個人の価値を交換価値に貶める!」
あとがきより
資本主義は欲望と自己実現の可能性を解放する社会モデルとして賞賛されてきたにもかかわらず、
なぜ精神(自殺、うつ、引きこもり、依存症など)問題が爆発的に増えつづけているのだろうか?
その、うつ病や依存症の原因が、個人の「自己責任」の問題として、なぜ押し付けられるのか?
それがなぜ、社会構造や労働条件(環境)をめぐる政治!問題として扱われないのだろうか?
ーーーー
こういった事柄が詳細に述べられている希少な現代社会批判論です。
批判評論ながら、比較的読みやすく、訳も丁寧かつ分かりやすいです。
社会について考えさせられる本で、一読をおすすめします。
資本主義社会(もちろん日本)に住む我々の日常感覚を巧みな“表現”で掬い上げている。
資本主義「リアリズム」とは?
以下本文適時省略、引用
・「リアリズムとは、どんな希望もどんな前向きな状態でさえも危険な錯覚だと信じてしまう、うつ病患者の視線と類似してる」
・「それは、雰囲気のように、思考と行動を制約!する、見えざる結界として働く・・・」
・「、、、資本という容赦なき肉引きマシン・・・」
・「地球規模にわたる圧制のネットワーク、、、資本主義が超抽象的かつ非人称的な構造・・・」
「個人の価値を交換価値に貶める!」
あとがきより
資本主義は欲望と自己実現の可能性を解放する社会モデルとして賞賛されてきたにもかかわらず、
なぜ精神(自殺、うつ、引きこもり、依存症など)問題が爆発的に増えつづけているのだろうか?
その、うつ病や依存症の原因が、個人の「自己責任」の問題として、なぜ押し付けられるのか?
それがなぜ、社会構造や労働条件(環境)をめぐる政治!問題として扱われないのだろうか?
ーーーー
こういった事柄が詳細に述べられている希少な現代社会批判論です。
批判評論ながら、比較的読みやすく、訳も丁寧かつ分かりやすいです。
社会について考えさせられる本で、一読をおすすめします。
2019年1月20日に日本でレビュー済み
この本は、2017年に自殺した批評家マーク・フィッシャーの主著です。マルクスや現代思想に詳しくない私は『資本主義リアリズム』という題名を見て気後れしましたが、いざ読んでみると一気に引き込まれました。確かにこの本では、マルクス=エンゲルスやジジェク、ドゥルーズ=ガタリなどが縦横無尽に引用されています。ですが、無学な私でも不思議と読みやすい本だったのです。イギリスのポップカルチャーや教育制度についての記述は、日本を出たことがない私にはいまいちピンと来ませんでしたが。
フィッシャーは、「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態」を「資本主義リアリズム」と呼んでいます。現代社会では資本主義が「唯一の選択肢」だと考えられており、資本主義に対して生半可な反逆をしても逆に資本主義リアリズムを強化してしまうだけだということが書いてあります。2008年には俗にいうリーマン・ショックが起こりましたが、リーマン・ショックが起こっても資本主義は終わらず、むしろ「資本主義しかない」という資本主義リアリズムがより強固なものとなったとされています。また、資本主義が原因で環境破壊や精神病、官僚主義が進行しているということが指摘されています。
この本には、資本主義に対する詳細な代替案は書いてありません。ですが、以下のような対策が提示されています。
「資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの『現実主義(リアリズム)』が実はそれほど現実的ではないということを明らかにすることだ」(p.49)。
「ブレヒトをはじめ、フーコーやバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに『自然秩序(あたりまえ)』という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては『不可能』と呼ばれていたことをここで思い出してみよう」(p.50)。
私たちが今当たり前だと思っている資本主義は実は必然的なものではないということを明かし、何か達成可能な目標を掲げることによって資本主義を突き崩していこうという提言がなされています。
最後に大きな話になりますが、今の世界や日本には資本主義に限らず改善すべき課題がたくさんあるのに、世の中は十分な改善が得られないまま動いていると思います。何千年経っても苦境から脱出する社会システムを考えられない人類は、実に愚かな生き物だと思います。そして、この本を読んでも資本主義の代替案を構想できず、相変わらず社会の歯車として働くしかない私は、悲しいことにまぎれもなく愚かな人類のうちの一人だと思いました。
フィッシャーは、「資本主義が唯一の存続可能な政治・経済制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態」を「資本主義リアリズム」と呼んでいます。現代社会では資本主義が「唯一の選択肢」だと考えられており、資本主義に対して生半可な反逆をしても逆に資本主義リアリズムを強化してしまうだけだということが書いてあります。2008年には俗にいうリーマン・ショックが起こりましたが、リーマン・ショックが起こっても資本主義は終わらず、むしろ「資本主義しかない」という資本主義リアリズムがより強固なものとなったとされています。また、資本主義が原因で環境破壊や精神病、官僚主義が進行しているということが指摘されています。
この本には、資本主義に対する詳細な代替案は書いてありません。ですが、以下のような対策が提示されています。
「資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの『現実主義(リアリズム)』が実はそれほど現実的ではないということを明らかにすることだ」(p.49)。
「ブレヒトをはじめ、フーコーやバディウに至るラディカルな思想家の数々が主張してきたように、社会の解放を目指す政治はつねに『自然秩序(あたりまえ)』という体裁を破壊すべきで、必然で不可避と見せられていたことをただの偶然として明かしていくと同様に、不可能と思われたことを達成可能であると見せなければならない。現時点で現実的と呼ばれるものも、かつては『不可能』と呼ばれていたことをここで思い出してみよう」(p.50)。
私たちが今当たり前だと思っている資本主義は実は必然的なものではないということを明かし、何か達成可能な目標を掲げることによって資本主義を突き崩していこうという提言がなされています。
最後に大きな話になりますが、今の世界や日本には資本主義に限らず改善すべき課題がたくさんあるのに、世の中は十分な改善が得られないまま動いていると思います。何千年経っても苦境から脱出する社会システムを考えられない人類は、実に愚かな生き物だと思います。そして、この本を読んでも資本主義の代替案を構想できず、相変わらず社会の歯車として働くしかない私は、悲しいことにまぎれもなく愚かな人類のうちの一人だと思いました。
2021年2月11日に日本でレビュー済み
現代社会に生活しているうえで、日常的なレベルで感じる程度の違和感や疑問すら、突き詰めてゆくといずれ解決策の見当たらない袋小路へとたどりついてしまう。どう考えても時間的にも空間的にも自分の手の届く範囲にない問題の責任がなぜか自分一人の行動へのしかかってくる。そんな無力感の原因をやさしい言葉でよく描写していると思う。
彼よりも若い世代としてひとつ思ったことは、カート・コバーンの例で出したような、反資本主義的な思想や行動が資本主義を補完してしまうというような構造に対して、若い世代はもっとしたたかであるということだ。
冷戦時代の思想的にわかりやすい土台があった時代を経験しない世代にとって、現実とははじめから理不尽で不公平で、じっくり考えるには速すぎる速度で常に変化し続けているものであり、歴史とはサンプリングされたつくり話かプロパガンダである。たしかに資本主義の終わりは想像できないが、資本主義が終わったとしても人間はしたたかに生き、一時期は限りなく愚かに見える存在になるかもしれないが、やがて新たな思想を生み出すだろうという予感はある。
フィッシャーは自殺してしまった。それが思想的な行き詰まりを原因にするものかはわからないが、希望がまったくないとは思わない。
彼よりも若い世代としてひとつ思ったことは、カート・コバーンの例で出したような、反資本主義的な思想や行動が資本主義を補完してしまうというような構造に対して、若い世代はもっとしたたかであるということだ。
冷戦時代の思想的にわかりやすい土台があった時代を経験しない世代にとって、現実とははじめから理不尽で不公平で、じっくり考えるには速すぎる速度で常に変化し続けているものであり、歴史とはサンプリングされたつくり話かプロパガンダである。たしかに資本主義の終わりは想像できないが、資本主義が終わったとしても人間はしたたかに生き、一時期は限りなく愚かに見える存在になるかもしれないが、やがて新たな思想を生み出すだろうという予感はある。
フィッシャーは自殺してしまった。それが思想的な行き詰まりを原因にするものかはわからないが、希望がまったくないとは思わない。
2019年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
わが人生の幽霊たちを読んでぐっときたのでこちらも購入。こちらの方は良くも悪くもエッセイレベルで、マークフィッシャーさんは社会批評よりポップカルチャー批評の方が相性が良いのでしょうね。
基本的にはジョセフヒースの反逆の神話と同じことを言っていると思う。
内容がダメとか間違っているわけではないのですが。
基本的にはジョセフヒースの反逆の神話と同じことを言っていると思う。
内容がダメとか間違っているわけではないのですが。
2019年6月18日に日本でレビュー済み
オルタナティヴを失い、格差の拡大や金融恐慌など様々な問題点をさらけだしながらも生きながらえる資本主義。
ここで言及されるリアリズムはまさに今を生きる中での閉塞感を捉えている。
スターリニズムが引き起こした害悪として語られていた虚構の目標という構造が、新自由主義により露骨な形で発露しているという考察は大変興味深い。
スーパーナニー的傾向はSNSに限らず社会に潜んでいる。我々はどうこのリアルと向き合うべきなのか。
このような鋭い論陣を張るマークフィッシャーが、すでにこの世にいないというのは残念だ。
ここで言及されるリアリズムはまさに今を生きる中での閉塞感を捉えている。
スターリニズムが引き起こした害悪として語られていた虚構の目標という構造が、新自由主義により露骨な形で発露しているという考察は大変興味深い。
スーパーナニー的傾向はSNSに限らず社会に潜んでいる。我々はどうこのリアルと向き合うべきなのか。
このような鋭い論陣を張るマークフィッシャーが、すでにこの世にいないというのは残念だ。
2022年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表紙デザインは本書の雰囲気をよく表現している。まさか、ヒップホップ・リアルについての解説を目にするとは思わなかった。なにより驚きは、カートコバーンのことを「カート」ではなく「コバーン」と書いていること。
本文のレイアウトは全然だめ。注釈においても、位置と流し方が最悪。「人生における読書量は3冊(しかも自己啓発本)」と申し訳なさそうに自慢する大学生が、在学4年間で何の成果もないような学部研究系のサークル内で同人誌を作ろうとして「とりあえずWordで縦書きにしてみた」というようなデザイン。
さて、レビュー。
ウォーリー(Wall-E)がアメリカの皮肉を演じているところまで理解できた日本人は
どれだけいるだろうか(きっとロボットの純愛アドベンチャー映画くらいにしか捉えていない)。「相互受動性」と、資本主義の補完的なパワーまで指摘されていて、天啓だった。この点、SNSの「いいね」も同様に害悪だろう。批判的な態度だけでなく、何かしらの人間のリアクションを全て飲み込んでしまう。
資本主義やリアリズムのことを知っていたとしても、本書の面白さは見いだせないだろう。どちらかというと「アメリカがどんな国であるか」というイメージが求められる。イギリスではなく、アメリカだ。歴史的な成立背景やハリウッド映画やアメコミ文化で得たド派手な国のとして姿ではない。競争激化の末に現れた成功者の精神性と敗者の救いようのない現実が抱えるアメリカの問題点こそ、本書の意味するところではないだろうか。
また、これも持論だが「方法論的個人主義」は日本にも芽吹き始めている。アメリカからもたらされた「スマートフォン」の普及によって、我々にもその価値観の一部分だけが植え付けられている。競争の末に誕生したものではなく、なんとなくもたらされた個人的空間により、日本社会は歪に空間を曲げる。まるで線路にスマートフォンを落とした人間が平然と電車を停めても咎められないように。まるで街中でスマートフォンを見ながら歩いていても怪我もせずスリに遭うこともないように。
そして、本書は、資本主義リアリズムの問題点や危険性を示唆するようで、実はその行為によって読者は相互受動性に取り込まれている仕組みなのである。それをAmazonというプラットフォームで語るなんて、なんて贅沢なんだろう。
本文のレイアウトは全然だめ。注釈においても、位置と流し方が最悪。「人生における読書量は3冊(しかも自己啓発本)」と申し訳なさそうに自慢する大学生が、在学4年間で何の成果もないような学部研究系のサークル内で同人誌を作ろうとして「とりあえずWordで縦書きにしてみた」というようなデザイン。
さて、レビュー。
ウォーリー(Wall-E)がアメリカの皮肉を演じているところまで理解できた日本人は
どれだけいるだろうか(きっとロボットの純愛アドベンチャー映画くらいにしか捉えていない)。「相互受動性」と、資本主義の補完的なパワーまで指摘されていて、天啓だった。この点、SNSの「いいね」も同様に害悪だろう。批判的な態度だけでなく、何かしらの人間のリアクションを全て飲み込んでしまう。
資本主義やリアリズムのことを知っていたとしても、本書の面白さは見いだせないだろう。どちらかというと「アメリカがどんな国であるか」というイメージが求められる。イギリスではなく、アメリカだ。歴史的な成立背景やハリウッド映画やアメコミ文化で得たド派手な国のとして姿ではない。競争激化の末に現れた成功者の精神性と敗者の救いようのない現実が抱えるアメリカの問題点こそ、本書の意味するところではないだろうか。
また、これも持論だが「方法論的個人主義」は日本にも芽吹き始めている。アメリカからもたらされた「スマートフォン」の普及によって、我々にもその価値観の一部分だけが植え付けられている。競争の末に誕生したものではなく、なんとなくもたらされた個人的空間により、日本社会は歪に空間を曲げる。まるで線路にスマートフォンを落とした人間が平然と電車を停めても咎められないように。まるで街中でスマートフォンを見ながら歩いていても怪我もせずスリに遭うこともないように。
そして、本書は、資本主義リアリズムの問題点や危険性を示唆するようで、実はその行為によって読者は相互受動性に取り込まれている仕組みなのである。それをAmazonというプラットフォームで語るなんて、なんて贅沢なんだろう。
2019年12月18日に日本でレビュー済み
内容紹介については他のレヴューに譲る。端的に、出版社の姿勢に大いに疑問がある。
話題の本書を開いてまず目を疑ったのは、原稿の組版だ。210頁の四六判で1頁=34字×13行(442字)。詩集か! と我が目を疑った。
四六判で目いっぱい詰めた組版だと1頁=48字×18行(864字)だから、この組み方であれば、本書は108頁にしかならない。
たいていの出版社であれば、同じ著者の、資本主義批判の原稿をもう1篇を加えて一冊に編もうと考えるのではないか。
それをせずに、あえてスッカスカの組版にしたうえに、1頁10円という定価設定。
なんとも商魂たくましいというか、この出版社みずからが書名の「資本主義リアリズム」を実践しているとしか思えないのは、読者にしてみれば皮肉にもならない。定価で買うのはそれに棹差す行為であり、著者の思想・遺志に反する行為にもなろう。
こんな日本語版では、自害した原著者が浮かばれない。
話題の本書を開いてまず目を疑ったのは、原稿の組版だ。210頁の四六判で1頁=34字×13行(442字)。詩集か! と我が目を疑った。
四六判で目いっぱい詰めた組版だと1頁=48字×18行(864字)だから、この組み方であれば、本書は108頁にしかならない。
たいていの出版社であれば、同じ著者の、資本主義批判の原稿をもう1篇を加えて一冊に編もうと考えるのではないか。
それをせずに、あえてスッカスカの組版にしたうえに、1頁10円という定価設定。
なんとも商魂たくましいというか、この出版社みずからが書名の「資本主義リアリズム」を実践しているとしか思えないのは、読者にしてみれば皮肉にもならない。定価で買うのはそれに棹差す行為であり、著者の思想・遺志に反する行為にもなろう。
こんな日本語版では、自害した原著者が浮かばれない。