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内科新説 from books.google.com
... 内科、外科、婦人科の大略を記載してゐる」と述べゐることである。投ずるに合信氏は即ち東にゐた英人であつて、西論略、内科新説、婦嬰新説、全體新論等のをしたものであつて、即ちが西洋醫學の學説を支那に輸入せる最初であると思はれる。一七四.
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... 新説」と「内科新説」も、上海「仁済医舘」で刊行された。これもまたヨーロッパの医書を、その要点を取って漢文で「意訳」したものである。これらの医書はみな、出版の翌年に日本で翻刻された。当時の日本にはオランダ医学の訳書は何種類もあったが、学力 ...
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... 内科新説』に曰く、『中國稱有毒者爲瘟疫無毒者。統稱熱症。支那中世醫學史三五六.
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... 新説』(一八五九)や『内科新説』(一八六〇)、木村淳邑の『翻刻重学浅説』(一八六〇)、大坂の数学者、福田理軒の『談天』(一八六一)、である。このうちホブソンの『婦嬰新説』と『内科新説』は、両書とも三宅氏(桃園樹)蔵板と安藤氏(天香堂)蔵板が、ワイリーの ...
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... 医学書を引き渡している。医範提綱 25 部、全体新論 9 部、内科新説 9 部、婦嬰新説 9 部、西医略論(上編 9 部、中編 8 部、下編 9 部)、博物新論 8 部菅原元真の教科書内科新試不安天堂丸便全體新論この医学書は、好生館医学校の教授用医書であろう ...
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... 内科新説」である。「内科新説」の序文の日付は咸豊 8 年 10 月となっており、西暦で言うなら 1858 年の 11 月末から 12 月にあたる。ほとんどこの 1 年間、これらの著述にたずさわっていたと思われる。いずれも上海仁済医館から刊行され、管嗣復が協力 ...
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... 内科新説 2 一九二 3 内障外障七十二症はいないよう、内科新説 2 三九→病理新説いた?内障針術法 21 ないしょうしんじゅつほう内科撰要内証診法んぼう内科秘録九 3 内助手柄淵地震神考 2 一生 4 內殿燕楽筆語ないでんえん→坐間筆語ひっどないくうぎ→皇 ...
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... 内科新説』(一八六〇この書物は、精神医学史の立場からは特にとりあげる価値はないが、「翻訳」や異文化の「伝達」を考えるときの、ひとつの興味ぶかい事例と思われるので、簡単にふれておきたい。『内科新説』は英医ホブソンの上海訳に訓点をほどこした ...
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... 内科新説』にもみえるので、ひとまずここにいれておいた。『内科新説』と共通して見える文字列の一部を参考までに上げると次のようになる。此病/諸証/初起/此証/少許/細数/病勢/外貼/増劇/他病/脈管/伝染/此時/弁別江戸の医学書が現代漢語に与えた影響 ...
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... 内科史一四九 1 )片倉鶴陵「産科発蒙」(寛政 7 年 1795 成る) [参考した書]テイヘンテル産科書「内科蘭微」(同治 12 年 1873 )ルケ Glasgow Kerr 米人医,中国名嘉約翰(在中国 185499 )「博物新篇」江戸時代末期に我国にて復刻本が出た(前出)「婦嬰新説 ...