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武徳編年集成 from books.google.com
... 武徳編年集成◯廿二日大久前守秀久石川支蕃頭長は先としてけふ江戸を後程す。保相摸守忠隣。同加賀守忠常。香川志摩守隆。本多大學忠純。此日美濃部鹿之助廣死して子市郎左衛門忠家をつぐ(創高力左近忠房等江戸を發す。(武徳編集大。○廿三日酒井右業記 ́ ...
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... 武徳編年集成十卷に出たり元龜元庚午年正月廿六日曙武田四郎勝頼長坂釣閑云々名和無理之助重行等廿騎計腰曲輪の虎口に付て出入の者あらい打あんと欲を云々され謙信へ高麗茶碗二ツを贈られ宇佐美定勝と長尾志村之松平般若之助永藤元戊午年二月五日三河國 ...
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... 武徳編年集成」編纂にあたってとった編纂方針は、広く史料を調査することにあった。家々の秘録といわれる家伝・家譜類の調査および、その有効な利用が、「武徳編年集成」の大きな特色といってもよいであろう。しかも、家康一代の伝記で、全九三巻にも ...
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徳川家康「天下獲り」の真実 渡邊大門. 3 『武徳編年集成』七月二十四日。小山評定はあったのか以上のように史料の相互連関や、具体的な日付をどのように考えるかが、小山評定の開催の有無を探るうえで非常に重要であった。これまで多くの議論がなされてき ...
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... 武徳編年集成ふ、三川志には、土佐守昌士衛門と稱せし事見えず、駿府御普請に與りし事、又所見なし、大永慶長年間略譜、成功等には、牧助右衛門とあり、牧家傅を投求するに、御話等を本はり事みえず、不審なり一成に作り、寛永譜には重成とあり、また工役 ...
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... 武徳編年集成』解説一九七六年四月、名著出版)しかし、本稿でも具体的な点をあげて説明したように、製作年代が、家康の時代から一百年も二百年も遅れているという点で、やはり、家康の時代の日記・文書等々に比して史料的価値が劣るのは当然である ...
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... 武徳編年集成』では八月二十八日とする。( 1 )「豊臣秀吉直書上杉彈正少弼宛(天正十三年)九月二日(米沢市今清水昌義氏所蔵文書)。( 1 )「羽柴秀吉書状真田安房守宛(天正十四年)十一月廿一日」(真田家文書)。( 1 )註( 5 )参照。「(前略)真田・小笠原・木曾両三 ...
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... 編年集成)〇七月貢租米苞の容量及〇八月外國船を定む(武神の部卷一)制定す(武徳編年集成) (一六二) 〇八月八日浩海の諸国に回して. (水尾) (徳川秀忠) (二、二七五)二、二七六 11 〇九月朱印船限定(駿政錄)諸家傳皇年私記) (年代略記)享年記 ...
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... (武徳編年集成)、約二千五百の兵で丸根砦を攻撃し、二時間弱で落としている。小和田氏の説に習うと今川方の精兵は二百五十人しかいなかった事になる。後は非力な農民兵となる。対する織田軍丸根砦の守兵は約四百武徳大成記・武徳編年集成)と云われており ...